日記・コラム・つぶやき

ああ・・・同級生

そんなに呑んだつもりもなく、友人にも元気に電話した俺?だったはずだが、入浴しパソコンに向かったら・・・🌀急に酔いが回って来た・・

今夜は久々に同級生と会い、そして呑んだ🍶実は正月から、体調が悪い。そうだ!3年前のようだと実感する。あのときも胃腸が悪くて、病院に行くと専門の〇〇胃腸科医院への紹介状を渡された。俺もしっている胃腸科の医院だった。だが、そこに行きいざ診察になったら胃カメラで診察しなけれあならないとの事。

俺はその胃カメラがダメで、何とかならないかと話をしたがらちもあかないので、他の病院に再度の紹介状を出されたことがあった。そこでは透視を行い、診断は「逆流性胃炎」だったのだが、今の俺の体調はあの時に似ている。でも、同級生との誘いは蹴ることも出来ずに、きょうは参加したのであった🍶

高校を卒業してからなかなか会う事がなかった。それが先日のシゲヒロくんの葬儀に会って、29日には同級会するから来いよと言われていた。で、何とか参加したのだ。参加して🍺を2杯、冷酒を1杯、ワインを1杯・・・それで帰宅したのだが、そのあと上のような状態だ。

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呑んで歌った・・・終わりにかけては、若い頃の歌が・・・高校3年生、女学生、美しい十代・・・

俺もおだてられ歌ったのだが・・・⤵でも、同級生との呑み会はとても楽しい。まして俺にとっては〇〇年ぶりの再会。この後の事を思うと次の再会は出来るのか・・・また、盃を酌み交わせるのか・・・⤵いずれ楽しい呑み会であった。たった4人の同級会だったのだが・・・

もう今夜は「いいね」も「ポチ」も出来ない・・・お休み💤


 

 

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父の遺品

父母が寝起きしていた部屋を、一昨年の暮れから昨年1月にかけて、俺の籠り部屋に改修した。その時に天袋に入れてあった、父の書類などは段ボールにいれてそのままにしていたので、そこを中心にきょうは整理した・・・

もう30年になろうとしているので、もっと早めに整理すべきだったのだが、父亡きあとは母が暮らしていたので、なかなか整理が出来ないでいたその部屋。だがその母が亡くなり、整理すれば良かったのだが、なかなか手が回らずにいた・・・

段ボールにはいっぱいの書類が入っていた。父は村にあっては、書くことも達者でそれにそろばんが得意だったようだ。その当時は計算機などはなかったから、計算となればそろばんだ。そのそろばんもあった・・・

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裏を見ると・・・

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昭和24年1月5日買い求めるとある。それも京都見物した際に求めて来たようだ。今ではみることもない、「五玉」であり、もうかれこれ70年になる代物だ。これを使って父は村の要職をこなしたようだ。

農事組合長をやり、会計をやり、また、自治会の副会長兼会計もやったようだから、このそろばんも大活躍したのだろうと思う。

それに昭和30年ころには白雪川の堤防が決壊し、村は空前の災害を受けた。田んぼや畑はまったく形がなくなり、道路も水路も寸断された。父はこの災害からの復旧工事の要職を任されたようで、その書類も残っていた。

農事組合長の時は、村の文集「いなほ」の創刊もしている。わずか20戸足らずの小さな村で、このようなものを発刊している村は聞いたことがない。それだけ父の農業に対する意気込みが凄かったんだろうと推察する。その意気込みが、俺の高校進学にあっては農業高校へと強いたのだったのかも知れない。

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それにまちの農業委員にもなっている。当時は立候補制であり、公職選挙法に該当する選挙だった。それに父は立候補し、日夜近隣の村々に出歩き、支持を訴えていたようだ。その望みが叶って3位で当選した。小さな村からの立候補でありながら、その得票数をみると信任の厚かった父だったとも言える。

いずれ・・・頑張った父だったと思う・・・

だが段ボール箱いっぱいの書類。父が行った農事組合や基盤整備に絡んだ事業の計画書や予算・決算などの書類。もう全く不要な書類の数々。俺が処分しないと息子に負担かかるだろう。俺の代で処分せねばと目を通す。その中には破れているもの、虫などで汚損されているもの、そのいくつかはゴミ袋に入れた。

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否、すべてを処分しても良いのだ。処分しよう・・・捨てよう・・・手に掴んで・・・

なかなかふんぎれない、捨てようとすると手が震える。父だって廃棄することに依存あるはずもない。だから・・捨てよう・・捨てなければ・・

父の書いたもの、父の字をみるとやはり躊躇う。この書類のためにどれだけ汗したのか、あのそろばんで良く良く寝ることも出来ないままの日もあっただろうと想像すると・・・ゴミ袋に入れようとした手が鈍る。

あれこれ思いめぐらしていたらもう夕方・・・それでも半分位は処分したことになる。

 

 

 

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雪は悲しみの色

降った雪がどんどん解ける。道路はほぼカラッカラに乾いている。昨日の雪は、湿りっ気の多い、まるで水をいっぱい含んだような雪だった。このような雪は春になると降るのだが?気温が高いから農道であってもどんどん解ける。天気予報を見れば来週の秋田県は、お日様マークが連日に並んでいる・・・おかしなおかしな今年の冬!

どうみても異常な冬だ・・・

ニュース等をみると、関東地方の野菜農家が悲鳴を上げていた。そこは大根の特産地だったようだが、連日の暖かさでどんどん成長し、規格外になっているとか、更には供給多く値段が下落しているのだとか・・・供給が少ないのも困るだろうが、過剰になればなったで困るのである。農業はなかなか計算機のようにはいかない。

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我が家の朝の畑・・・2階からシャッタを切った✨夜中に野生動物が歩いたか?いやいや黒く写っている穴は大根を抜いたあとなのだ。雪が降ったらその大根のあとの穴、くきやかにその姿が見えた、その畝の隣りには菊が未だに咲いている。

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朝食後、俺は礼服(喪服)に着替えた・・・きょうはシゲヒロさんの葬儀なのだ。もうかれこれ20年は会っていないシゲヒロさんだ。シゲホロさんの家に着いたら10時25分・・・受付を済ませてから、座敷に組んでいた祭壇の前に進んだ。祭壇の一番上には、遺骨の入った箱が銀色の布に包まれ飾られていた。そして、その下には遺影が・・・それを見て、これまで会わなかった歳月の長さを知った。

遺影に確かに高校の時の面影はあった。だが、俺の記憶にあったシゲヒロさんとはかけ離れていたのだ。それは当然なのだが、あの頃のシゲヒロさんには優しい面立ちがあった・・・でもあれから〇〇年だ。彼にも子がいて孫もいるのだから、俺の抱いていた記憶とは相当の開きがあってもおかしくないのだ。

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俺だって彼に劣らず老化現象著しい。

父の言いなりに入った農業高校、そして農業クラブの会長・・・でも、今になって思うのはここで体験したことが、俺の人生を大きく変えたことになる。おっとりしたあんちゃだった俺が、人の前で話をすること、挨拶をすること、意見を述べること・・・皆々、考えてみれば農業クラブで培われたようなものだ。

シゲヒロさんにも助けられた。放課後にはいつも部室に集まって、ああだこうだとも言い合った。その言い合いから、県大会に進み、全国大会まで出ることになった。全国大会は琵琶湖のほとりで行われた。あのころの写真を見るとただただ懐かしい・・・

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雪を被っていたビオラ・・・でも、きょうはその雪もない。気温もさることながら、自らの命でも解かしているようなもの。きっとそうだ、生きるとはねつがあるということなのだ。

だが・・・雪が降ると思いだすのが宮沢賢治の詩。妹と別れた「永訣の朝」・・・死を間際にして”雪を食べたい”という妹。賢治は一口二口と妹の口に運んでやる・・・何という悲しくもあり愛(かな)しい詩であるだろうか・・・

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白い雪に枯れたアジサイが影を落としている・・・

 

 

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暖かな「大寒」

こんなにゆったりと過ごす1月など何年ぶりになるだろう・・・まだまだ少しは役職を持たされてはいるが、少しづつ公職は放れている。これもまた終活のひとつとして・・・それに、昨年の1月に移動した”籠り部屋”にはただただ物を移動していただけだったので、それも片付けている。そうしたら、思いがけないものも出て来た・・・そのことは今後に譲らせて頂くとして・・・

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朝食の前にラジオ体操をし、のちに新聞を広げた。一通り全面に目通ししてからじっくりと見たのは「お悔やみ欄」だ。購読しているのは秋田魁新報という地元紙だ。地元紙ゆえに秋田のことは詳しい。お悔やみ欄は誰もが目を通しらしい。俺は今朝もじっくり見ていたら・・・「あっ!」と声を上げてしまった。

高校の時、農業クラブ(FFJ)で役員をしていたシゲヒロさんが亡くなっている。あの頃、俺が会長で彼は会計であった。高校卒業後、俺は名取市で花卉栽培の研修を受けた。その後、花卉栽培に取り組むためにビニールハウスを建て、シクラメンの苗をその名取市に分けてもらいに行ったことがある。あの時に、俺は彼に助手を頼んで二人で軽自動車に乗って向かったことがあった。

その後はなかなか会う事がなかった。ただ、数年に一度は農業クラブの元の役員で旧交を温めていた。だが、彼はまったく顔を見せることがなかった。彼はある選挙である候補者の運動員をして、何等か違反して捕まったことがあった。それが引き金になったのか、顔をみせなかったのだ。

ただ一度、懇親会を終えて皆で二次会にカラオケに行ったとき、彼の近くであったことから、彼を電話で誘ったら来てくれた。そして、しばらくぶりで夜遅くまで、しゃべりあったことがあった。あれからは会っていなかった。だが、この年齢で逝く同級生もいるが、まだまだ残っている同級生が多いのだ。だから・・・このあと会えるだろうと思っていたのに・・・

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さてきょうは「大寒」だ。もっともこの頃寒いと言われている大寒!でも、昨日も記述したように今年は例年になく温暖だ。スキー場には雪がないし、”かまくら”用の雪さえもなく、奥の山から運んでいるらしい。わがまちもまったく雪がない。暖かな冬は暖房費も電気料金も掛かりまししないから、経済的には大助かりだ。

だが、冬着は売れないし、スーパーでは鍋用の食材が売れないと言う。暖房器具や除雪用具も同様だ。聞いたことがあるのだが、冬は寒くならないと、夏は暑くならないと景気が悪くなると言うことを。なるほどそうである。衣料品などはもうそろそろ冬物から春物に変わる。だからバーゲンセールも早くしないと在庫が残ることになる。

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スイセンは年末に咲いているものを求めた。だから、今後もこの時期に咲くのかは分からないが、暮れからほとんど雪を被ることもなく咲き続けている。我が家のミニスイセンである。

まちに用事があってちょっと出掛けた。朝方に湿っぽい霙混じりの雨が降って、道の残っていたようだ。その後日を差していたが、対向車線を走って来るトラックと出遭った。トラックはしぶきを上げて走行してき、そのしぶきに虹が出てそれはまるで虹を引き連れてくるようなものだった。

外もこれだからサンルームはとても良い感じだ。

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まだまだ咲き続けているブルーデージーなどである。

 

 

 

 

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用心

あの日から25年・・・

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1月17日・・・あの地震がなかったら、特別な意味を持つ日ではなかっただろう。あの日、淡路島北部を震源にした地震が発生。マグニチュード7.3だった。この地震では神戸市で震度7。亡くなった人が6,400人以上、負傷者が約4万人、全半壊した家屋が約25万戸・・・象徴的な映像が阪神高速道路がグニャグニャになったものだった。俺の目にもこの写真は今でも記憶に鮮明に残っている(ネットより)

あの日から25年・・・

きょうは一日、犠牲者を悼む祈りの1日になった・・・

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自然災害のなかにあって、地震だけは予告なしで発生する。それは”いつ””どこで””どのような規模で”発生するのか分からない。今の時季の午前5時46分はまだ薄暗い。起きている人よりも、まだ寝床に入っている人の方が多い時間帯だ。その時に地震の発生となると、逃げることなきままに犠牲になってしまう。

これからの日本をつくりあげていくであっただろう方々も、犠牲者の中にはおられたであろう、その方々を導いていかれる方々もまたおられたはずだ。そうした大事ないのち・・・いのち・・・いのちが失われたのだ。或いはたまたまこのまちにおられて、被災された方も多かったかも知れない。そう思うととてもたまらなくなる。

俺の同級生のひとりもこのまちに住んでいた。Kさんだ。Kさんは、被災される前に亡くなられていたのだが、家族はここに住んでおられたはずだが、どうだったのだろう・・・・

災害列島と言われる日本。この国に住んでいれば、地震に対してはいつも避難を考えておかなければならない、悲しきかなその宿命にあるとも言える。俺の地域だって、鳥海山火山帯が走っており日本海にも面している。だから、決して安全な地域でもない。その証拠にかつて海の浅瀬にあった島々が、周りの隆起によって、田んぼの中の島々になっている。

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我が家などは大きな地震にあったらひとたまりもないだろう。古い建物、屋根は重い瓦、今でさえ戸に隙間があったりしている。耐震化など勿論されていない。川にも近い。鳥海山は真上にあるようなものだ。だから地震や噴火があったりすれば逃げ場などないとも言える。

あの日、1月17日・・・大きな地震が発生した。たくさんの人々が負傷したり亡くなった。地震のまえにはひとたまりもない。おそらくその前日の16日は平穏な日であったのだろうと思う。翌日がそのような大地震に見舞われるなど、誰が予想をしていただろう。地震は常に人の前に立っていることを忘れないでいなければなるまい。

地震が発生すると良寛を思う。良寛は書でも著名な和尚である。こんな逸話が残っているという。村のある人が良寛に一枚書をかいてほしいと頼んだらしい。すると良寛はたった二文字で「用心」と書いたとか。何か他のことをと再度頼んだが、それに書いたのも「用心」だったらしい。頼んだ人はなんとか別の言葉を頼んだら、「ただ用心」と書いたと言うのだ。

用心にこしたことはない、それが大事なんだよとのことだったのかも知れないし、常にいつ何が起こるか分からないのだから、それには用心しかないだろう・・・そう言いたかったのかも知れない。含蓄のある言葉だと思ったものだ・・・

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先日に訪れた農業科学館に、かつての秋田の古い写真がいっぱい展示されていた。上の写真はその一枚だ。男児が自転車に乗っている。それも3人乗り、4人乗りをしている。今ではこんなことをしたらすぐに叱られる光景だ。だが当時の男児らはこうしたことも日常茶飯事だった。俺の小さい頃もこうだったのかも知れない。いずれ明日はどうなるのかは誰も分からない。

用心は心掛けねばなるまい・・・

最後に一言・・・今夜からあしたにかけて関東地方には「雪の予報」が出ているようだ・・・どうぞ、用心ください。

 

 

 

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歌会始め・・・など

ラジオを聞いていたらきょうは「皇居の歌会始め」だったと言う・・・慌てて居間に入りテレビに見入る・・・

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その歌会始め・・・一般から応募を受けた中から入選作品が披露され、最後に天皇皇后両陛下の御歌が披露された。お二人とも昨年の自然災害にお心をいためられたようで、その事がモチーフになったようである。と同時に、新しい時代も国民のこころに寄り添って、行かれることを延べられたとも言える。

Dscn0860-2 <以上の3枚はNHKテレビのニュースから>

一般で入選された歌は明日の新聞に掲載されるだろうから、じっくりと観賞させて頂き、自分の勉強としたいものだ。今年のお題は「望」だった。「のぞむ」と読ませるのもいいし、「望」の入っている熟語でもいづれでも良い。実は俺も今回、一昨年と俺も応募していた。だが、やはり俺の能力では無理なだったのだ(´;ω;`)ウゥゥ落選だ。

だが・・・いつかは、いつの日にかは選ばれるような歌を作りたいものだ。それを夢に一層精進したい。来年のお題は「実」、早速明日から受け付けが始まるらしい。じっくり考えて応募したい・・・その日が万が一にも来たら、「私も行くと・・・」妻はいうのだが、それは夢のまた夢ということになるだろう・・・でも、夢でも仕方ない、諦めることなく向かって行きたいものである( ´艸`)

さて・・・

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かつての1月15日と言えば、わが地域では小正月だった。そして、その15日は大正月の大晦日のように午後からは茶の間で、朱塗りの膳で会食した。翌日の16日は元旦のように朝早く雑煮餅を頂いた。こうして大正月・小正月を行えば本当に年を取るのだと教えられたものだった。だが、それを5~6年前に止めた。

15日は俺の時代は「成人の日」。俺のその日はとても寒かった。今のようなホテルなどまちになかった時代だ。俺たちは地元の小学校の体育館で行われた。吹雪いていた日であった。並んだ体育館の天井から雪が落ちて来たり・・・それが今でも頭に残っている。式典の最後に、開催をしてくれた町に俺が代表して”答辞”を述べたことも・・・昔々の話である。

15日はまた、NHKで行われた”青年の主張”を聞くのも楽しみだった。実はその頃、俺もその”青年の主張”に応募し、秋田県大会で3位になったことがある。農業をやっていこうと言う主旨で、7分ほどの主張だったと記憶している。それがきっかけになり、秋田県の日では懸賞論文に応募し1位になったこともあった。だが・・・米が過剰になり、転作を強いられ農業は⤵どんどんと成り立たなくなっていき、俺も他の仕事に就いた。

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でも・・・思えばあの頃は生き生きしていたと思う。勿論、青年時代であったし、恋愛で悩みも深かったのだが・・・あの頃が本当に懐かしい。1月15日・・・今では何の日でもない、俺たちの青年時代を語っても笑われるだけだ。

新聞にはわがまちの成人式の写真が載っていた。式典で成人の代表が謝辞を述べた写真が載っていた。それを見て唖然とした。何と・・・赤い羽織の男性が謝辞を述べたようだ。服装は自由だろう、何を着ても人様から云々言われるものでもない。それを分かっていながら驚くのだから、俺の時代錯誤を笑わねばならないのかも知れないが・・・大人としての出立なのにと思う・・・

今朝は所々に雪が見えた。見えたが朝の太陽で融けた・・・天気も異常なら世の中も異常に思う、否、そう思う俺が異常なんだろう???

 

 

 

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ラン展

孫の絵を見るために走った行き来の道路、昨日は幾分湿り気のある雪が所々にあったのに、きょうは天気が良く道路はカラカラだった。秋田県でも例年ならば雪の多い山間部もご覧の通り・・・🚙

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この辺りが郡境なのだが、まるで雪解けの春のような感じだ。娘も大曲に住むようになって、1月に田んぼに雪がないのは初めてというのだから、今年の冬はやはり異常と言うしかない。

さて、昨日は孫の言わば大曲と周辺の学校の子どもたちの絵画展。学校単位で選ばれたものが並べられたもの。俺はタブレット持参で出掛け、写真を撮ったのだがブログにアップ出来なかった。その絵は下の絵である。賞は”奨励賞”ということで、銀ラベルが貼られていたのだ。

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作画の意図や何でクマだったのかは聞かなかったが、昨年はクマの出没が多く、けが人も多数でたことから孫の頭にも残っていたのか。いづれ子どもらしいタッチが評価されたのかも知れない。その孫、明日から学校だ。冬休みいっぱい遊んでいて宿題は残っていたようだ。そのこともあったので、邪魔されないと思い、妻とは昼食後早々に退散した。一方では褒められて、明日は宿題が残っていたとお目玉くうことになるか・・・( ´艸`)

まあ、俺の子どもの頃もそうだったから、仕方ないだろう( ´艸`)

帰宅途中にある「農業科学館」に寄ってみた。”ラン展”が開催されているはずだから・・・ここは県の施設、現在は入館が無料になっている。温室のなかには色んな花色のラン等・・・そのいくつかを📷

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ここはそんなに大きい温室ではないものの、暖めるのはかなりのエネルギーを使うだろう。年々の入館者が少なくなっていると言うから、規模なども簡単には拡大出来ないのかも知れない。

そう言えばこの時季に東京に出掛け、東京ドームで世界のラン展を見たことがある。二年ほど見たことがあるが、今年もやっているんだろうな・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ないないない!」がありました・・・

きょうもまた良い天気である☀だが・・・午後からになると曇って来て、やがて霙交じりの雨になった。午後からは生産組合の総会だ。俺もその組合の役員の一員だ。総会では書記の指名を受けてその任にあたった。議案にはすべて「質疑なしの承認」。ところが最後の議案で揉めた。一時間余り費やしてこの議案も漸く終えた・・・

その議案というのは”役員の選考”だ。組合長が、村の自治会の役員になったので、兼務は無理だから組合長を辞めたいと言うのだ。俺の目からすればとっても甘い。今の生産組合の事業はほとんどないし、自治会の役員も一般の幹事であれば、負担になるほどの仕事量ではないはずだ。俺の若い頃は、この他に消防もあって毎日のように役員会もあった・・・俺はその双方とも長をやり引退したのに・・・

生産組合の組合員はどんどん農業を辞めているから、組合員も減少し今では11人。それから正副の組合長、幹事名。一度引退しても新たに役員になれる組合員はいない。そんなことから昨年に俺に再登板がやって来た。今回は組合長が折れて今年もう一年やることになったのだが、このままでは解散するしかないだろう・・・来年は果たしてどうなることやら・・・?頭がいたい😵

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ところできょうは「鏡開き」。特別なことはしないのだが、神棚に供えた鏡餅を頂いた。元旦や七草と同じく我が家では雑煮餅だ。だが、二人暮らしではなかなか餅も減らない。きょうはそこで雑煮餅+小豆餅にして食べた。好きな俺はやや食い過ぎ?腹がもたれて総会ではまったく食欲がない。従って、用意された折詰の一品にも手が伸びなかった(トホホホホ・・・)

さて・・・恥ずかしながらの話である😭

実は昨年の夏から探しているものがあった。それは2通の預金通帳だった。多分あそこにあるはずだとその後、深くも探さないでいた。ところがそれが必要になっている。そこで年末からアノラック類、カバン類、様々な引出し等々探した・・・でも発見できず、最後は再発行を依頼するしかないなと半ば諦める寸前であった。

通帳の残高はいささかのものだ。だが、その1通は俺個人のものではない。団体のものであり、名義は俺だがあれこれと悩んでいた。とうとう俺も認知症?とさ思ったりしていた。可笑しいな、一昨年はあったのだし、2通がないというのはきっと同じところにあるんだろうな、そう思っていた。

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考えれば考えるほど情けなくなってきた。最後には再発行で切り抜けよう、そう思い直したら気も楽になった。そうだ、昨年に籠り部屋を改修し俺の書斎をそこに移動したとき、どこかに仕舞ったのだ。そして、あるところを昨日開けたらあったのだ。やはり2通一緒にあったのだ。やはり「ない!」と焦って動転していたようだ・・・

そう言えば昨年の今頃に、母の部屋を改修しピアノ室からもろもろ運んであったことを思いだした。今回はこう言うことから探し物を見つけたが、慎重なはずの俺、どこかおっちょこちょいなところがある。12月には白鳥を撮ろうと急いで、助手席に置いていたカメラを足元に落として、とうとう修理もきかず更新したこともあった・・・ああ・・・

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気になることはもうひとつあった・・・それはあの枇杷の花はどうなっているんだろうとのことだった。元旦に少し雪が降ったので、簾で囲っていて、花がみえないこともあって気にしていた。だが、外してみると・・・枇杷は花数を増しきれいな花を見せてくれた。

植物の冬の管理は面倒だ。基本的には雪国では”やや乾燥気味にしなければいけない。過失や水分過多だと根腐れが発生するし、あまりにも乾燥すると枯死することもある。実はこの枇杷も乾燥させ過ぎで枝の一部を枯死させてしまったことがあった。

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鏡開きも終わって、これからは小正月の準備に入る我が家である。

 

 

 

 

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辞書処分します・・・

1月半ばになろうとしているのに、有難いことに一向に雪もなく、その上きょうも天気が良い☀夕方にほんの少し小雨があったものの、また晴れ上がって夜には丸い月・・・
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きょうは朝からデスクワーク・・・なんちゃって、何のこともない。実は昨日から💻に向かっている。まちで募集している”読書感想文”に応募する為に💻に向かっていたのだ。その締め切りがきょうなのである。大方の筋書きはしていたのだが、清書して出すことにしていた。ところが読み返すうちに、ああしようこうしようと文字を加えたり削除したり・・・頭がいたい。それでもパソコンだから有難いことにそれも早くやれる。

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募集している感想文の対象は「課題図書」と「自由図書」があり、俺は自由図書を選んだ。童門冬二の「伊能忠敬~生涯青春の哲学」である。読んだのは昨年の1月だった。それを読み終えてから、彼の旧宅や記念館に行った。あの香取市佐原である。あれからほぼ1年・・・それをも文章に入れて、何とか終わった。そして、公民館に提出した・・・

こうして文章を書いたりする場合、また、俺の場合は作歌するときも辞書を傍らに置く。置いて逐次確かめたり、意味を確認したり、また、似たような言葉がないかも調べたりする。従って、辞書は大事な先生であり友人とも言える。ところがその辞書の一冊がボロボロになっている。それはきょうに始まったものではないのだ。実は他の辞書もあるので処分しても良かったのだ・・・だが、捨てる決断が出来ずにきょうまで棚に横になっていた。

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これまでの付き合いを思うととてもとても出来なかった。だが、俺もいろいろ整理も必要だろうと思い始めていたので、思い切って処分を決意したのだ。裏のページに購入した年月が書いている。なんと昭和45年である。書店名まで書いていて、もうその書店はなくなっている。

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思えばこの頃から作歌を趣味にしたはずだから、そのために購入したのだろう。辞書の編纂は、かの金田一京助だ。当時、辞書と言えば金田一だったな・・・そう思いだしている。

言うなれば辞書は分身とも言える。だからこそ、捨てきれないでいたのだが・・・😢

 

 

 

 

 

 

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年はとりたくないもの

我が家では正月飾りがまだ飾っている。20日正月もあるし、その前には小正月もあるので、せめて20日まではこのままにしておくことにしている。

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朝はケンチン汁だった。その謂れなどは知らないし、妻に聞いても分からなかった。具がいっぱいで、食べると体が温まる。と言っても、実はきょうは温かな朝だった。暖房をいれなくとも部屋は15度くらい。外も結構温かであった。ただ、小雨が時々降った・・・

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このケンチン汁、末の娘が大好きだった。大根やニンジン、わらびも入っている。山菜取りの好きな人だと、これにアザミが入る。その代わりとしてか、我が家ではホウレンソウが入る。緑がいいね・・・俺がそういうと妻は「義母さんがやっていた」と言う。

その妻が出掛けた。この頃、よく出掛ける。それには訳があるのだ。実は妻の母が入院中であり、年末には退院するだろう、俺はあんかんとしていた。それが・・・もう歩行が出来ない、否、歩行どころか立ち上がれない状態になっているとのこと。だからケアマネと相談することになって、それで出掛けたのだ。頭はしっかりしているのだが・・・

なかなかこうはいかないか・・・

座敷の掛け軸を見ながらそう思った。

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義母の入院がきっかけか、義父の認知症が急速に進んでいるらしい。そのことが義妹から妻には折々電話が来ている。昨夜も大変だったらしい。その話を妻から聞いたら・・・実はわが母も生前には大変なこともあったと述懐した。当時、部屋は反射式のストーブで暖めていたらしい。妻がそこを離れたすきに、母はシャツを温めようとしたのか、ストーブに上げていて焦げていたことがあったと・・・もう寸でのところで火事になるところだったと言うのだ。

義父も今では夜も昼もないらしい。あんなに毅然としていた義父もこうなったのか、なかなか掛け軸のようなジジ&ババにはいかないな、そう思ったのだ。誰もそうなりたくはない、そう思いながらも年はどんどんと人を頭から奪い取る。寝たっきりも哀れであるが、足が丈夫な認知症も大変なものだ。

俺も父の享年を超えた。いつどうなるか、自信がない・・・

 

 

 

 

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