日記・コラム・つぶやき

大変なたいへんな1日・・・

皆様、お早うございます。

まだすっきりしないものの、今朝は曇り空ながら穏かです。大変なたいへんな昨日でした・・・

大仙市にいる娘からは、これから「避難する」との電話が、早々にありました。地域の公民館に避難すると・・・と。「避難指示」が発令されたそうです。話では家の前まで水が来ている、下の方にある花を栽培しているビニールハウスはやられた、田んぼはどうなっているのか分からない、自分はこれから小と5歳をつれて避難とか・・・

市の職員をしている夫は招集されたまま、帰って来ない・・・

秋田県は、ほぼ全域で多かれ少なかれ、このような状態で右往左往の1日でした・・・

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わがまちの鮭の上る川、川袋川も一時増水し、地域に「避難勧告」が発令されました。でも、有難いことに(スミマセン)、我が家の傍の白雪川は危険な状態スレスレながらも、氾濫もなく1日を終えました・・・

ただし、秋田県では交通網はズタズタ、鉄道は羽越本線等が運転見合わせ、高速道も国道も土砂災害等で通行止め・・・

こんなことから、来ることになっていた秋田市にいる妹は来られませんでした。施設から出された母が別の施設に入ることが出来たのに、7月の週末は混んでいて、土日は自宅に戻されています。今回、一昨日から母が戻りました。

従って、また妻から介護をしてもらっています。食事はだめで寝たっきり・・・主治医の診療所の先生は、この雨の中、朝夕の点滴に来てくれます。土日、そしてこのような雨の中でも往診に来てくれて・・・頭が下がります・・・

妹が来ないし、妻は家から離れることも出来ず、この雨だから俺は家にいますが、それでも付き合いもあって、昨日は先生の叙勲祝賀会でした。祝う会の委員でもあり、こんな最中ですが、欠席も出来ず・・・

大変なたいへんな1日でした・・・秋田県において、地域において、娘にとって、我が家にとって、それでも何とか1日を終えました。

心配して下さった皆さん・・・有難うございました。

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富士山は遠い・・・

今朝は「頭がいた~い」と反省している。夕刻からの研修会、そしての懇親会の冷酒が効いたようだ(?)

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それも庭に散水したら、今は気持ちもこころもすっかりした・・・

昨日の朝の俺は、地区一番の早起きだった。午前3時半には目を覚まし、4時には草刈りをしたのだ。周辺や見渡す範囲で、他に草刈りをしているひともなく、つまりは一番の早起きだったようだ・・・

早起き?・・・

実は背中が苦しくて、寝てはいられなかったのだ。飲んだ痛み止め”カロナール”も、その頃には効果が消えていたようだ。苦しくて布団でもがいているよりは、起きよう!って仕事に出たのが正直なのだ。

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しかし、それで思いのほか草刈りがはかどった。予定した範囲よりも多くを草刈り出来た。ただし、昼前には予約していた”ハリとマッサージ”へ・・・はりがひけているといわれたものの、大きな湿布も2枚はられて帰宅。

そして午後からふたたび草刈りへdespair

汗だらだらになって田んぼから帰ってシャワー・・・

こうして夕刻の研修会だった。

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今年こそは6度目の富士山行きを描いていた・・・今週と来週をターゲットにしていた。しかし、諸行事が重なり、母のこと、さらには自らの背中のこともあって、もう今年も断念した。俺にとっての6度目の富士山は・・・遠い・・

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日野原先生さようなら・・・

草刈りを終えて帰路につく車中で、カーラジオから流れた「日野原先生の逝去」、105歳ということであった。

100歳を超えてからも、講演活動などをされて、不死身な存在だと思っていたのだが、日野原先生にしても、終章はあったのか。先生は生きることは=時間を生きることだと話しておられたが、その時間が閉じられたことになる・・・

日野原先生ありがとう、お疲れ様でした・・・俺もそのように言いたい。そして、どうぞ安らかに、ゆっくりと休まれてください・・・とも。

(写真は”NHKニュースウオッチ9”より)

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先生はたくさんの本を著されている。「生き方上手」のように、大ベストセラーになった1冊もあるのだが、俺の机のそばに今あるのは「いのちを創る」という文庫本だ。

この最初のページには「時の流れの岸辺に立つ」として、こんなことが記されている。

私たちはみな、老後に向って歩いています。日々の積み重ねが、老後にもつながるのです。若いときの姿勢は、人生の最後のステージに反映してくるのです。

   「人生のはじめあるは終わりのためなり

このように100歳を超えると、人生の達人とも言える。発することばは、どれもが輝く。そして、生きて来た中からの発言だから、言葉の重みがちがう。

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生きるとは時間を生きること。先生の書をまた読んでみよう・・・俺の最終ステージも、先が見えてきたし、その時間は俺らしく。

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孫の笑顔に

農家にとっては、日曜日も祭日も無い・・・でも、日中は暑さもあって休息したり、雨が降ったからと休む事も出来る、言わば自由業とも言える部分がある・・・

今朝は雨の後なので、残りの草刈りに午前5時には出かけた。日もないから比較的涼しさもあって、草刈りは快適であった、だから、きょうはこのまま作業を続けることが出来れば、この後どんなに楽になるだろう・・・そう思った。

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幸いにして・・・きょうの予定は何も手帳に記されていなかったはずであった・・・ところが、先日に火葬を行なった某さんの葬儀。同じクラスになったことはなかったのだが、近くの集落の同期生である。

地元の寺で午前10時から、葬儀は行なわれた。何年か前に癌がみつかり、その後入退院、抗がん剤治療と苦しんだそうだ。誰もが終末期は穏かに迎えたい、そう思うだろうが、某さんは病魔と闘って散ってしまった・・・

母のこともあって、まして自分の年齢からくるものもあって、新聞に掲載されている「お悔み欄」には目を通す。それで知人の訃を知る事も多い。今般の某さんの逝去もまた、知ったのは新聞のその欄であった・・・

そのお悔み欄を見れば、人の寿命の差の大きいことを思う。きょうのその欄をみても、104歳で亡くなられた人、5~60代、或いは30代の人もおられて驚く。若い方の死は本当にいたましいのであるが、逆に104歳の方の最期はどうだったんだろう・・・母のことを思いながら、その方の最期も思ってしまう・・・

母のことを知って、息子と娘が孫を連れて我が家に来た・・・腕白盛りの男孫、幼稚園児と歩き慣れた幼児と、我が家はいっきょに賑やかになった。でも、これがいい、沈んでいる我が家にとっては救いのようなものである。

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特に1歳半のこの孫娘ななちゃんには救われた・・・

    <花はヒメロカリス>

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ババ・ババ+ジジ暮しに

午前5時・・・眼前の巾山からsunが上る。だが、俺はもうその時間帯には畦の草刈りをやっていた。朝の涼しいうちに、少しでも多く刈りたい、俺の本音である。背中の痛みが消えたわけでもないが、ロキソニンをのんでの作業である・・・

朝食のために帰宅したのが午前7時40分・・・食べる前に新聞を広げて驚いた・・・”お悔やみ欄”に、俺の同級生の名があったのだ。抗がん剤治療を受けていることは聞いていた。しかし、3月には同期会に、元気な姿をみせていたのに・・・

隣り集落の同期生に電話すると、10時から火葬だといい、これから出るという。だったら、俺も行こう・・・ふたりで斎場に出かけた。やがて同期生が6人ほど見えた。わがまちでは、火葬を行なってから葬儀となる。

斎場から帰ると・・・

施設からまた電話があり、もう限界なので退去してほしいとのこと。そして、もう長くはないようだから、自宅で看取ったらと言う。エアコンのない部屋、寝たっきりの母、引き取ってやれれば一番だろうが、何もかも大変なことになる。

施設では亡くなったりすると、警察沙汰になるので、このまま居られると迷惑なことのようだ。ご飯も食べれない、勿論歩けない、しかも点滴中なのに、それでも退去とは・・・主治医に連絡し、紹介状を書いてもらおうと俺は提案したが、きょうは出せないとか・・・

結局、我が家に引き取った。最期を自宅で看取ることは理想だ。最高のことだと思う。だが、俺たちには農作業もある。妻は食糧の買出しにもいけない。100歳の母と高齢の俺たち、このままでは生活の維持が出来なくなりそうだ。

明日は妹が来るらしい。妹は言うだろう・・・家で看取ったらと・・・。しかし、前述の通りの実態であり、理想を果たそうとすれば、俺たちがまいる。ほとんどが妻の介護、ほとんど来ない妹等に現実は分からないだろう・・・

今夜は妻は母の部屋に泊まりこむ。2時間おきに、からだの位置を替えてやらねばならないとか。更には下の交換、妻は実母のように介護し、愚痴も言わない。このように大変な事が、他の人にはわからないだろう・・・

明後日は葬儀だ。故人とは妻も俺も同期生、だから会葬にでるべきだろうが、妻はそれも出来ない。

改めて、長生きは幸福なのか、周りを幸せにするのか・・・ついつい考えてしまう。今夜から、ふたたび、「ババ」「ババ」と「ジジ」の老老介護が始まった。

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秋田も暑いです

午前4時半に目が覚めた・・・暑苦しくよく眠れなかったみたい、それでもふたたび眠る事もできない。傍らの妻に悟られないように起床し、草刈りに行く・・・

露を置く草は刈り易い、草刈り機械の刃もとてもよく切れる。朝の草刈りは随分と捗る。

朝食を終えてふたたび草刈りに行く。徐々に暑さもまして、俺も精が切れて・・・何度もなんども水筒の水を飲む。雨に見舞われた地域の皆さんには申し訳ないが、わが地域には一雨がほしいところだ。

午後からは集落内の某組織の役員会。1時間ほどで終ったが、まったく興味のない組織だ。だが、小さな集落にいると、加入を断れない状況だ。こんなところが、田舎がいやな理由だ。自由に暮らせたらどれだけいいんだろう・・・

帰宅してもこの暑さだ・・・夕方まで出ないことにした・・・

きょうも全国的に暑く、兵庫県の豊岡で36.9度、北海道でも津別町で37.6度だったとか。この暑さで、700人近くの人が熱中症で救急搬送されたらしい。

午後4時過ぎに田んぼに・・・ふたたびゴクンゴクンと水を飲みながら・・・帰宅すれば冷たいビールが待っている。この1本の為に日中汗しているようなもの。ことさらにうまい・・・

夜、ふたたび背中が痛くなり・・・鎮痛剤をのんだ・・・

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背中が痛たたた・・・

俺は昨日、子ども奉納相撲を観てから、マッサージに行った。何しろ起床したら、背中が苦しいし、後を振り向けない。整骨院に行くよりも先ずはマッサージだと判断したのだ。

師は俺の背中を押しながら・・・「良くもこれまでガマンしていたな!」と一言。さらにこれは肩こりではなく炎症を起こしている、腫れてもいると言う・・・

背中は元々苦しさは多少あった。だから時々は妻から湿布薬を貼ってもらっていた。しかし、一昨日で終った2回目の培土が効いたのだ・・・方向転換で機械を持ち上げる際、かなりの泥が付着し、持ち上げるのが実は大変であった・・・あの時に背中が!

いづれマッサージをしてもらい、針を打ってもらって帰宅した。帰宅しても、昨日は仕事に向う気力もなし、背中は苦しいし・・・

そうしているうちに、俺の状態を嗅ぎつけたのか?次女から電話があった・・・用件はほかの事ではあったが、背中の窮状を話すと・・・「お父さん・・・年を考えたら」とあけすけに言う。俺は「お前達には世話になりたくないから、頑張るしかない」と返すと・・・「そんなに頑張ってたら死んじゃうよ・・・」と。

確かに娘の言うとおりかも知れない。しかし、農業はやらねばならないし、かと言って人には頼めないし、農作業には時季がある。いつでもいいとは言えない。これから20日までは、「草刈り一斉運動」として、草刈を行なうようJAから指示がだされている。

カメムシの対応策なのだ。だから、昨日は休んだものの、きょうから3回目の草刈りだ。湿布や針が効いたのか、きょうは昨日に比べたら背中も幾分楽になっている。

俺がおれなら・・・昨日は、母を預けている施設から、母のことで電話だ。きょうも具合が良くなく、もう施設で預かるのは”限界”だというのだ。つまり、施設から退去してほしいとのことなのだ。しかし、そうであれば家に引き取るか、或いはhospitalしかないだろう。

家だと部屋にはクーラーもないし、また、寝たっきりを引き取れば、妻も俺ももう大変なことになるだろう・・・もう長くはないだろう母ではあるが、俺たちが生活できない状況になるならば、もう3人共々に倒れるしかないだろう・・・

診療所の先生から診察を受け、また採血の結果から、施設の方に話をして頂き、何とかまた預かってもらうことになったのだが・・・いつまた施設から電話があるやら。きょうも妻は母の点滴で午後から母に付き添った。

こういう状態だから、田んぼは体をだましながらひとりでやるしかない・・・田んぼは、あと三ヵ月、この三ヶ月を超えれば農作業は終る。終るのだが、その前には秋の例大祭が、わが集落が当番丁、俺がその総代としてこなさねばならず、もう少し頑張るしかない。

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友人が熱中症!!!

秋田県は初めての”猛暑日”sun(´Д`;≡;´Д`)アワアワ、山沿いや内陸部では、軒並みに猛暑になったようだ。俺のまちでも、最高気温が前日よりも高くなったようだが、所謂”猛暑日”には至らなかったようだ・・・

わがまちは海岸部だ。それ故、日格差は小さく、極端な高温や低温にはなりにくい。しかし・・・かと言っても暑い!

俺は昨夕から2回目の培土を掛け始めた。消防大会では、懇親会を辞退して5時頃から田んぼに・・・畦にはいっぱいのウミネコが、俺を待っていた?

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その続きとして、今朝は5時半には田んぼに向った・・・培土を2回やる人はそんなにはいない。一回でも大変なのに、2回やるとはこれまたクソマジメと言うべきか。でも、一回だとその後溝が崩れていたりしているし、気持ちがすっきりしない。だから俺は仕上げとして、二回目を行っている。

培土をかけると気持ちも良い。掘った溝を水が小気味良く流れていくし、払ってもきれいに引いていく。秋には、その効果も出来るし、翌春の明渠にもなる・・・

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今朝の仕事を終わり、帰宅しようとした・・・昨夕は遠方からだが、友人の田んぼに培土機も見えていた、明日は続きをやるのだろう、だから、培土機械もおいているんだろう、そう思っていた。そして傍を通ったら、田んぼの隅の方の稲が倒れていて、そこに培土機・・・何かあったのだ、事故でなければ良いが・・・胸騒ぎがした。

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友人宅に寄った。奥さんがいて、話を聞いて驚いた・・・

昨日の昼過ぎに熱中症でhospitalに救急搬送された。7~10日は入院の診断だと話された。彼もまた、2回目の培土機を掛けていたらしい。その培土機をUターンする際に、田んぼで倒れたようだ。

幸いにも機械には巻き込まれずに済んだが、エンジンも掛かったままだったというから、発見が遅れたら一大事になっていたかも知れない。

奥さんは、昼になっても帰らないと、あちこちの田んぼを探したようだ。しかし、見つからず、結局は発見した近くに軽トラがあったことから、目を凝らしたらしい。発見して、人を呼び、更には救急車を呼ぶなど、大変だったらしい。

実は、昨日の消防大会。そこはわがまちの消防本部があって、緊急車はそこから出る。それが出るのを俺も見ていた。熱中症で田んぼで倒れている人がいたようだと聞いたが、俺の友人だったとは夢にも思わなかったし、救急車と工作車も同時に出たのが、何だろうと気にはなっていた・・・

しかし、一週間ほどの入院で治まってくれたら、不幸中の幸いとすべきか・・・

山には夏の花、栗の花が咲いている・・・俺も気をつけねば。

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カモシカを見た・・・

早いものである・・・

一面の青田だが、あと二ヵ月ほどで黄金の稲穂の地域に変わる・・・

俺は午前中、草刈りに出た・・・

出たのだが・・・あれ?何だ!何か!

車に積んでいたカメラを向けてパチリ・・・

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何と・・・「カモシカ」だ・・・

午後からは、恒例の「青田回り」。

遅れていた生育も、ここに来て平年にこぎつけている。

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鳥海山の残雪も少なくなっている・・・

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七夕・絆

結局、寝たのは午前3時に近かったclockそれでも、朝は6時には起床・・・だから、睡眠は3時間半ほどだった。妻もそうだったはずだ。起きると頭がクラクラすると言ったsad

妻はきょうはとても田んぼには行けないとか。従って、俺はひとりで田んぼに行った・・・作溝作業が残っていた2枚で60aの田んぼだ。そこで俺はきょうも田んぼのライダーだ。

きょうは朝から眩しい天気sun田んぼにもさわやかな風がある。でも、作業の俺は汗をかく。でも有難いsunだ。ここ数日で稲は遅れを取り戻したように思う。できるならもう2~3日はこんな日がほしいものだが・・・

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俺が培土機に乗っていると・・・妻が来るまで田んぼに来た。おばあさんがまた体調悪くて、診療所に連れて行かねばならない・・・と。昨日のきょうだから、まだ治まってはいなかったんだろう。自らの体調も不調なのに、またまた母に振り回される・・・despair

ι(´Д`υ)アセアセ・・・11時には、作溝作業も終えた・・・あと、もう少し田んぼが乾いたら、もう一度作業を行なって仕上げしたいと思っている。

きょうは7月7日・・・「七夕」だ。俺はいつもいるパソコンの部屋に、先日買った七夕人形を飾った。8cmほどの小さなものだ。でも飾っても自己満足だけ。誰からも見てもらえないし、妻も知らない。

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階段には、いつものように妻が飾り付けをしているshine

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子どもでもいれば喜ぶのだろうが、これまた静かなままに・・・開けている窓からのささやかな風に、ほんのりと揺れたりして・・・weep

短冊には、何か書いたんだろうか・・・

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午後3時からは、宮城県松島町と本市にかほ市との夫婦町締結30周年としての、記念植樹、更には祝賀会にお招き頂いたので出席した。

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本市はまだ合併以前、旧象潟町だったころ、松島町と昭和62年8月に「夫婦町盟約書」を取り交わしたのだ。以来、スポーツ交流、文化や観光による交流等々で絆を深め、東日本大震災にあっては、本市から逸早く給水車や物資の支援を行い、また、復旧のための職員を今でも派遣している。

松島町と本市とは俳聖松尾芭蕉の”奥の細道”での係り、また、本市の象潟から松島町に嫁いだとされる谷女の伝説もあることから、夫婦町を締結したのだ。

それが今年は30周年、きょうは本市の木である「ネムの木」を、両まちの代表が植樹した。

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この木に花が咲く頃は、締結の金婚式となるだろう・・・両まちの絆もまた、より太いものになっていることだろう・・

牽牛・織女が1年に1度の逢瀬も”絆”なら、両まちの締結も”絆”か。今夜は静かであってほしいものだ・・・

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