旅行・地域

大雨になりまして・・・

不安な夜を迎えている・・・rain

今は雨は止んでいる、止んではいるものの「大雨洪水警報」「土砂災害警戒」が発令されたままだ。県内では、多くの自治体で避難勧告・避難指示などが出され、住民の多くは学校等に避難をしている・・・

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隣りのまちでは、1時間に100mmの雨があったところもあったようで、もうどんなに不安な夜を過しているやら・・・どうか、無事に朝を迎えてほしいものだ・・・

朝のうちは、我が地域では雨が降らなかった。だから、庭の草取りでもしようと思ったほどであった。ところが、午前9時過ぎから雨となった。更には雷鳴もあって、雨は大粒になった。

最初のうちは、庭木々や草花は天然のシャワーと思っているだろう、だから随分と気持ちよかっただろうに。俺だって、どことなく気持ちが落ち着き、きょうは雨だから休もう、そう思ったほどだ。しかし、徐々に雨脚が強くなった。

我が家の近くを流れる白雪川も増水、2階から見える川は濁流の流れになって見える・・・

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白雪川は急流だ。大雨が降るとすぐに川は増水する。これまでも何度か堤防が決壊し、被害を被っている。俺が記憶しているのは、小学1年生のときの氾濫だ。周辺の田んぼが水浸しになって無くなった・・・

以来、このような水害はないのだけれど・・・不安だ。

観たいとは思わないテレビだが、大雨の情報を得るために今夜はつけっぱなし。今の情報だと、隣りまちの川が氾濫したようだ。大事に至らなければ良いのだが・・・

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海開き

わがまちには4箇所の海水浴場があるwave

小砂川・象潟・赤石・平沢の4箇所だ。一番大きい象潟海水浴場では、既にオープンしているが(先日のトライアスロン大会・スイム会場)、他の3箇所の海水浴場の「海開き」がきょう行なわれた・・・

きょうはそれに相応しく(?)朝から暑い・・・33~34度ほどの真夏日になったようだ。家の中に居ても30度を越したdespair

午後1時からは、平沢海水浴場のオープン。そのセレモニーが行なわれた。先ずは期間中の安全を祈願しての神事。

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海の傍まで行って・・・

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さらにはテープカット。

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子ども達はきょうが1学期の修了式、明日から長い”夏休み”だ。俺たちの子どものころは、近くの白雪川で水浴びしたり、魚をとったりして毎日遊んだ。その頃は、鮎やカジカを箱メガネを使って、ヤシで突いたりした・・・

その後、鳥海山の水蒸気爆発によって川の水は酸性化して、魚はいなくなった・・・それが、昨今ようやく魚影も目にするようになった。

海水浴場がオープンしても、昨今の子ども達は海になかなか入らない。ベトベトして気持ち悪いとか、水が汚いなどと言って・・・

そう言えば、海のない山間の学校では、バスでやって来たものだが、今はそんな光景をみることはない。海に対する意識が大きく変わっているようだ。

茨城に住んでいる、俺の3番目の孫は遊びに来ると、毎日のように海に行くyachtその孫が来るのは来月のお盆だ。或いはそろそろ年頃になって、もう海には行かないなんていうのではないかナ~

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ねむの花ひらく

わがまちの花は「ねむの花」である・・・かつて、俳人・松尾芭蕉が奥の細道で訪れたときに詠んだ1句にちなんでいる。

  ☆「象潟や雨に西施がねむの花」

そのねむの花が、至るところで花を開かせている・・・

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写真は、きょうの前川集落で撮影したもの。こういったねむの木が、道路の法面、田んぼの畦、農道などに育っている。いわゆる自生したものだ。従って、こんな光景だ。

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畦等を刈っていると、すくっと育っているねむの木、大方は俺は刈っているのだが、それでも伸びてくる。畦にあったねむの木の一本は、いつだったか根元から切ったのだが、それでも伸びてくるのだから、生命力が強いのだろう・・・

きょうも草を刈っていて、ねむの木の小さなものは何本か切った・・・田んぼが日当たり悪くなれば困るからである。しかし、それでもbud

ねむの木は南方系の植物だと聞いたことがある。従って、秋田県でもこんなに多くのねむの木が自生しているまちはない。このことからも、わがまちは沿岸部で、気候が温暖だからと言うことが出来よう・・・

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きょうも暑かった・・・全国の各地では、もーれつな暑さを観測した地域もあったようだ。わがまちでは、30度くらいの気温だったか?

この暑さの中を俺はきょうも草刈り・・・

JAの指導では、きょうまで草刈りを終えるようにとのこと。俺は午後7時10分・・・肩に掛けていた草刈り機のエンジンを止めた。とうとう暑さの中を頑張ってきた4回目の草刈りを終えたのだ。

水筒の水も何度もなんども飲みながら・・・とうとう終った!幸いなことに、これまで痛んでいた背中の痛みも和らいで、気持ちよく草刈りを終えた。しかし、草は刈れば伸びるから、稲刈りまではもう3回は刈る事になるかも知れない。

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俺が耕作している田んぼ の畦はご覧のように・・・その奥の中にあるのも、ねむの木である。

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子ども達の”ハッケヨイ”  ②

昨夜は、表題の記事を書き、例のように写真を掲載して、更に進めていた・・・ところが、写真がapしない。いよいよ小学生の登場となって、佳境に入りかけたところで、俺はdown・・・

何しろpc操作だって、何とかかんとかやっている身、技術もなく知識もなく・・・sleepy

このままでは、しばらくは写真無いままの記述になるかも知れない・・・ご容赦を!

      pc・・・・・weep

これまでの約7年半、大したものでは勿論ないのだが、記事数は2,758件、頂いたり応えたりしたコメント数が8,800件・・・

よくも続けてきたものだと自らを呆れています。時には酔っ払いながらも、書き継ぎ恥じもかいた記事も相当数あっただろう・・・これまたご容赦を・・・

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子ども達の”ハッケヨイ”

7月12日は、秋田県の農聖と言われた斎藤宇一郎を祀っている斎藤神社(仁賀保神社)の大祭だ。宇一郎はわがまちの出身であり、例年のこの日には神社の境内に子ども達の奉納相撲が行なわれている。きょう俺はカメラを持って神社に行った・・・

行ったら張り紙があった、悪天候のために奉納相撲は公民館に変更したとある。早速、そこに俺も移動した。館内はいっぱいの応援者で熱気に溢れていた。大会会長の挨拶があってから、程なく相撲が始まった。

前段は幼稚園児・・・

黄・青に分かれてのトーナメント。会場はやんややんやの大喝采・・・

次いで小学4年生からの登場となった・・・全校応援だろうか、歓声も一段と高くなって、取組みの一番いちばんに黄色い歓声だ。

すみません・・・どうやら写真のアップが思わしくありません。後で続きを書きます。

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わがまちの自慢の天然岩牡蠣

暑い・・・(;´д`)トホホ…今夜は、日中の火照りも残っていて、どうやら熱帯夜になりそうな我が家。2階の部屋にはエアコンもなく、寝苦しい夜か(´Д`;≡;´Д`)アワアワ

俺は5時半には起床し、残る2枚の田んぼ60aに培土機をかけた。汗びっしょり、更には泥んこになって終了だ。この暑い中、田んぼにいる人はほとんどいない。でも、俺はやると決めていたので、田んぼにはくっきりとした溝が出来て、俺はゆっくりした・・・ただ、心配なのは明日の朝に雨とのこと、雨が降ればまた溝が潰される、そのことが心配の種。

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この暑さの中に、我が家では鉢植えにしたバラが咲いている。「ピース」という品種。俺がバラに惹かれたきっかけを作ってくれたのがこの「ピース」だった。色がやさしくて、これなら俺にも向くんではと、勝手に決めたバラだった・・・

午後からは、由利本荘市での神社関連の大会。俺は今秋の祭典当番丁の氏子総代ということで、きょうの大会に参加を求められていた。このこともあったので、培土は早朝から行なったのだ・・・

今年は2月の「建国祈念祭」にも出席したので、この関連では2回目の参加となった。不思議に思ったのは、”君が代”の斉唱だった。同じ歌詞を2度歌うのだ。最初、俺は国歌に2番もあったのかと訝しがったが、2度歌うのだった・・・

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会場のホテルから代行車で帰った・・・帰ると従兄弟から頂いたという「岩牡蠣」があった。夕食は、この牡蠣を食べた・・・この時期、酢醤油やレモンをかけたりして食べるのだが最高の味smile

岩牡蠣はわがまちの特産的なものだ。天然のもので、他地域では冬場に食べるのだが、わがまちの岩牡蠣は夏場に食べる事ができ、わざわざ遠方から食べに来られる人もいる。

岩牡蠣・・・それは海の牛乳とか、ミネラルとよく言われる。これが何故?夏なのか・・・

わがまちの岩牡蠣は、鳥海山の伏流水が育てている。伏流水が日本海に湧いていて、それで夏場に食べられるのである。頂いたのは小ぶりだ、だが、殻からとって持って来てくれたようだ。

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わがまちでは、岩牡蠣漁が最盛期に入っている。漁師らの1日の採る個数は決まっているらしく、以前は200個と聞いたことがある。道の駅にいけば、いつも食べられる天然の岩牡蠣、しかし、最近は価格が高騰していて、1個600~700円もするようだ。

海の傍に住んでいる故、生牡蠣が食べられる、これもまた 有難いことである。

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消防大会にて

7月生まれの俺なのに、暑さにはめっぽう弱い。昨夜は、我が家に知人が来たこともあって、呑みすぎた。それに暑さもあって、寝苦しいものであった。何しろ青田廻りの懇親会後に、某氏が我が家に寄ったのだった・・・

午前8時から、消防グランドにおいて、恒例の大会が行なわれた。昨年は風があって肌寒く、「寒いさむい」と過したものだったが、きょうは気温がぐんぐんと上がって、午後には30℃を越したようだup

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炎天下のもとに、きょうの参加団員は420名。わが市においても、消防に入る若い人が少なく、市の団員定数も削減している。

かつては俺も団員の一人であった。集落単位で当時は「部」体制で組織されていた。有無もなく、「入らなければならない」のが消防であった。命令調のことばに違和感をもったりし、それでも入らなければ”村八分”的に扱いされたものだ。

でも、いざということになれば、やはり「命令調」でなければ、進まない・・・そんなことも、年をおっては理解した。役職も年々upまた責任も・・・最後には、組織を管理する「部長」にまで立たされた。こうして20余年・・・その年に病気をして退団させて頂いた・・・

退団にあたっては、消防庁長官よりの感謝状、退職金約50万円・・・

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消防には反発心があった。まるで軍隊調も否であった。しかし、退団したあとで分かった事は、いろんな意味で育ててもらったという気持ち、あの消防時代もまた、俺の青春だったとも言える。

きょうは、規律訓練と言われる「訓練礼式」の部、また放水も行なわれる「消防操法」のふたつで、大会が行なわれた・・・

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役職が伴ってからは、号令の順序やことばを車運転しながら、何度つぶやいたか。たまには入賞もし、思えばあんな時代が良かったのかも知れない。

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きょうの最後は、俺の仲間の発声「ばんざ~い」できょうを締めた。 

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参道の草刈りボランテイア

集落の後方に標高80mほどの山があり、頂きには太平山のお堂が建っている。秋田市にある太平山三吉神社を分祀しているのだ。これの別当が我が家であり、先祖代々が護ってきたものである。

かつてはこの太平山神社で講を組織していて、講員も200名を超えていた。しかし、昨今は辞めていく方が多く、もう30名弱の組織になっている。講中では、例年、講員によって代参が行なわれ、その古い記録が我が家には残っている。

太平山は荒神様として知られ、力の神様として祀られている。この講中は、我が地域のみならず、秋田県下いくつもが組織されていた。特に戦争が行なわれた時代にあっては、勝利祈願として信仰が広まったらしい・・・

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参道の始まりには、石の山門が建っている。建立された時などを見ると、「昭和○○年7月」と刻印されている。それは俺が生まれた年月であり、良くは知らないものの、俺がこの家に生まれた記念に建立されたようなのである・・・

つまりは、俺は家系をみれば八代目だ。その八代目に男子が生まれた、その出生を祝って、どうやら建てられたらしい。

だが、昨今は信仰が自由になった。皆疑うこともなく入っていたのだが、離れる人も増え、のちに講員としての確認をしたら、代参にあたればどうもということもあってか、辞める人が続出している。今年は10巡目の代参の4回目だが、あと6回の代参が終ったら解散しようと思っている。

我が家の9代目の息子も離れて暮らしている事もある。当然、担当を継いでくれとは言えない。だからもう俺の代で括るしかないのだ。

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前置きが長くなってしまったが、ほとんど参道を歩いて拝みに上る人もいない。だから荒れるままになっていた。ところがもう15年はなるだろう。俺が職を辞めてから、遊び仲間を募ったら7人が応えてくれて、俺は「百生倶楽部」を結成した。

同じ集落に住み、死ぬまでここで暮らすことになるのだ、だったら楽しい行動を共にして長生きしようと結成したのだ。この仲間で、「かかし祭り」を10年行い、実は参道の整備も仲間から協力を頂くことにした。

参道の石段を整備、のちには参道の両脇にアジサイの植栽をし、その数はもう100本を越えた。きょうは例年行なっている参道の刈払いなど。でも、仲間も年を重ねていて、参加が難しい人もいて、きょうは4人だけ・・・

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時折の雨もあったが、約2時間で刈払い等の作業を終了。のち、我が家で懇親会を行なった。

地方にあっては、色んなものを護ってきたのだが、その力も先が見えて来ている。我が家が別当として護ってきた太平山、仲間の協力頂いて護ってきたものも、そろそろ潮時に差し掛かっている。途切れることは残念であるが、人がいなくなっている現状では消えていくことが多い。

きょうは台風3号の上陸、また、低気圧の影響で大雨になって被害が出たところもあった由、被害を受けられた皆さんには、心からのお見舞いを申し上げると共に、被害が最小限に留まってほしいと願っている。

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”モウモウ”がいっぱい

我が地域は和牛の産地として有名である。だが、今でこそそこそこの名も広がっいるが、かつては大変な辛労を重ねて来た農家や指導者がいた。

ブランド名は「秋田由利牛」という。「秋田牛」として、統一されながらも、その中の「由利牛」ということになる。従って、俺たちが地元で食べる場合も、他の牛肉よりはやや高くランクづけされている。

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きょうは生産者の技術や管理をどのようにしてきたか、その評価を受ける・・・「第19回 由利畜産共進会」が市内で行なわれた。

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昨今のわが地域の牛の価格は上昇している。聞くところでは、平均で1頭が85万円前後。従って、上の価格が100万円をオーバーする和牛もいるらしい。俺が稲作をしているが、300aの収入を牛では3頭いれば、匹敵することになる。

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しかし、今の時代は収入が高いだけでは魅力がないらしい。確かに生きものを飼う事になれば、365日休む事ができない。祝日も祭日もないのだ。

それに経営となれば、臭いが問題になる。どうしても、集落内では飼えないし、かと言ってあまり自宅から離れていると、リスクは多くなる。

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いづれ家畜を飼うには課題が多い・・・

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きょうは、「若雌牛1区」「 同2区」「「繁殖雌牛」「肉用牛」「肥育牛」「ホルスタイン」「ジャージー種」等々の区分で、審査基準要綱にて審査され、終わりに優秀な牛の飼い主に賞が手渡された。

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            上の写真はお父さんに代わって、娘さんが賞をいただいたところ

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九十九島の危機!

国指定の天然記念物「象潟」(九十九島)は、何度かわがブログ「でんでん大将のひとり言」で紹介した。

鳥海山のふもとに点在する島々。それは・・・紀元前466年、鳥海山の山体崩壊の跡なのだ。つまり、山頂からすべり落ちて来た岩塊の集積である。その島々が多いことから「九十九島」と名づけられている。

しかし、以後、この島を開墾しようとした企てた藩があった。それを阻止しようと、命を賭して護った人物がいた。名を「覚林」と言う。寺の住職である。このことはあとで記そうと思う。

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              ~写真はにかほ市のHPより~

しかし・・・覚林が護った島々であったが・・・松島は笑うがごとし 象潟は恨むがごとし   当時は松島と並ぶほどの景観だったらしい。その入り江に浮かぶ島々が入り江の隆起で、地の山に化したのは1804年・・・。象潟大地震であった。”象潟は恨むがごとし”となったのだ。

それで2mほど隆起し、九十九島は干潟に浮かぶ山となったのである。そこから開墾の話が持ち上がったようだ。しかしながら、島の周辺の田んぼに水が張られると、今でも当時を彷彿さえるような光景となる(水張り田には鳥海山が映る、これも以前に紹介した)。

ところがである・・・

かつての海を思わせた田んぼに異変が起きている。島自体は市の財産になっているが、田んぼはあくまでも個人の所有だ。その田んぼが荒れてきているのだ。今朝、俺はその周辺を軽トラで移動し、カメラを向けてみた。

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それは昨今の農業事情によるところが大きい。つまりは高齢化が進んで、耕作を放棄している農家が多いのだ。まして、島があることで基盤整備が出来ないこともある。加えて米価の下落、転作の割り当て・・・田んぼが荒廃するのは、今日の課題と重なる。

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稲株があることからして、昨年は稲が植えられていた田んぼもある、それに今年は作付けされていない。ああ・・・放棄地はこのようにして進行するのだ。

こんな光景のなか、ヘルメットを着用している人が見え、それはまるで島を護る現代の覚林さんのように見えた・・・九十九島の草刈りをしているのだ。

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天然記念物の九十九島。それを避けて高速道は通ったのだが、島を護っていくのは、島だけでは解決しない。同時に周辺の田んぼも護っていかないと、後世に天然のこの姿を残すことが出来ない・・・

何か、良い方策はないだろうか・・・難しい夢だが、一体を常時水を張って、かつての入り江の再現をとの夢だった。転作としてカウントできれば、それもひとつの案だろうがsign02・・・

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