旅行・地域

廃墟の村

昨日の天気が一転・・・時折の雪。ただ、雪は淡雪・ボタン雪である。それでも軽トラのフロントから見る風景は”冬”のようだ・・・

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俺が向かった村は、俺の地区では一番標高が高い。80mくらいだろうか。

この村にはかつては商店もあった。戸数も25戸もあった。それが一戸、また一戸と平地の方に家を建てて移り住んでいる。古い家は解体もされず、そのまま残っており、その姿は寂しいし、どこかしら不気味にも思う。それでもここに頑張っている家が一戸。

俺はその家に用があってこの村に入ったのだ・・・

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俺の用事のある家で飼っているネコだろう・・・俺が軽トラを止めると、俺に向かって来たcat滅多に来ない来訪者ということで不信に思ったのか、逆に人懐かしさで寄って来たのか・・

いづれ哀しくもなって来た・・・

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農業で食えるようであったなら、こうにはならなかったかと思う。地方は何といっても基本の産業(仕事)は農業だ。それがだめになったから、勤めに楽な場所に移転する。こうして村から人が離れた・・・

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この村を廃墟にしたのは政治の貧困ということだ。地方創生等と号令をかけても、誰もその通りにはならない。家族を養う事になれば、割の合わない農業を辞め、故郷を離れる方が得策なのだ・・・

このようになってはもう”再生等”を望むのは無理だろう。このような姿は、明日はわが身、わが集落として映る。

まちと同じ生活をしたい、そのようには思わないまでも、せめて小さな集落でも生きて暮らせるような施策がほしいものだ。

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まちの偉人に学ぶ

冬季五輪の熱戦が続いている。きょうはこの五輪での日本初めての「金」を獲得した。選手にしてみれば、五輪の金メダルが一番の夢であり、その夢を叶えるために、過酷なまでの練習に耐えて来たのだろう・・・羽生選手の目に光るものがあった。

夢の実現には絶えず何らかの壁とぶつかる。だからこの壁を越えなければ、夢の実現等難しい。壁は自分自身であり、競争相手であり、時には自然であったり、色んな壁が立ちはだかる・・・

わがまちには偉人と称えられている人物がふたりいる。

ひとりは「白瀬南極探検隊長」であり、もうひとりは、「TDK創始者斎藤憲三」である。

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白瀬中尉のことは、先日も記述したので割愛するが、斎藤憲三とはどんな人物であったか。彼は、”日本史100人ファイル・近代日本の創業者100人”のひとりとして紹介されている。

つまりは、日本の産学連携ベンチャーの先駆けとして紹介されているのだ。

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彼は科学する心と創造を信条とし、数々の失敗をしながらも常に夢に向かった。まちの窮乏を救い、農家の副業にしようと飼ったアンゴラウサギ、豚の飼育、ハタハタをパイプで吸い上げる試験をしたり、また、モクサクなどにも手がけたがことごとく失敗した。

しかし、それでも夢を追った、不屈の精神で夢を追った、それが斎藤憲三であり、わがまちの偉人のひとりになっている。

まちでは「ホラ吹きケンゾウ」とあだ名で呼ばれた。でも、彼はそれでもめげずに常に前向きに生きた。そんな彼を運命の女神は、とうとう東工大の先生加藤・武井教授らに引き合わせた・・・

それが世界初の磁性材料「フェライト」を事業化させることなる・・・TDKの始まりである。このTDKは海外売上げ比率が80%を超える、日本を代表する大手の部品メーカーに成長し、社員のボーナスが一期で三ヶ月だったことあった・・・

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本市の青少年健全育成市民会議は、例年、白瀬中尉と斎藤憲三についての作文を募集している。小学校5年生については「白瀬中尉」、中学2年生は「斎藤憲三」が課題で、きょうはその発表会。俺も本会議の委員のために、その会場に足を運んだ。

タイトルは「白瀬中尉が大切にしたこと」「夢に向かってチャレンジ」「夢を実現するために」等など、また、斎藤憲三には「不屈の精神で」「人に囲まれるひと」「斎藤憲三から学ぶ自分の将来」等々・・・

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この募集には、小学校から71編、中学校から183編の応募があったらしい。素晴らしいことである。

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それぞれが素晴らしい内容であった・・・

故郷の偉人から学ばなければならないものは多い。折りしも俺は今、もうひとつの壁に向かおうとしている、きょうの子ども達の発表に負けないで生きたいものである。

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タラとサメ

この時期の旬の魚は、何と言っても「タラ」だ・・・

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写真は2月3日の漁協の直売所・・・タラがあがって活気に満ちていた。

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大きいもので12kgの大タラ、こんなタラがどんどんと売れている。やはりこの時期、タラを食べないととなる・・・

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親戚に送るんだろうか・・・ひとりで2尾、3尾と買って行く人もいる。当初よりは幾分、値が下がったようだが、それでも結構な値段であるのだが・・・

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タラは捨てるところがない。鍋物、どんがら汁、煮物、それにオスはダダミ、メスは子炒り、確かに冬の味である。

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ところでこの時期に美味しい魚がまだある。それはサメなのだ。山間部ではあまり食べることはないと聞くし、サメを食べるというと・・・「ッエ?」て驚く人がいるのだ。サメ=ジョーズを連想するらしい。

このサメ・・・

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我が家では味噌付けにしたり、焼いたり、また煮付けにもするが、美味しいのは刺身。プリプリ感があって俺は好きだ。

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このような旬な味、冬の日本海ならではの味である。冬の日本海は先日紹介したように荒れる。でも、この荒れが引き締まった味を育てている。このサメもまた、冬の日本海の味なのである。

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初午・・・

「初午」である・・・

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地域にある稲荷様には幟が立てられた。そして、お参りが始まる。持っていくのは、「あぶらげ」「赤飯」・・・

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大きな神社ではないものの、地域に取っては大事な豊作祈願をする場所になっている。ただし、我が家では今年は遠慮した。母の一周忌まではと・・・だから、座敷にもお雛さまも飾っていない。

かつて俺たち子どもの頃は、この初午のときは、学校が半ドン・・・帰宅してから、それまで練習してきた獅子舞を家々を巡って披露した。太鼓をたたく子、ジャガをならす子、獅子舞の子、太夫役の子・・・

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そんな子ももう集落にはいない。小学生の男子はひとりもいない。従って、その獅子も今は集落の会館に鎮座しているのみ・・・子どもがいないということほど、寂しいものはない。

初午の日は、集落内では「初午伊勢講」が開かれる。今夜もそれだけは行なわれた。テーブルには折り詰め・・・さらには一品ついている。今夜は旬の「ギバサ」、春を告げる海の味・・・

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当番の方々がお神酒を頂き、会食が始まる。ほどなく、次期の当番へ引き継がれた・・・

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今年も米の豊作を祈って、講は八時すぎにお開きになった・・・

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波の花舞う海

立春後の寒さは「余寒」と言う。しかしながら、余寒どころか大寒そのもの寒さだ。それに風も強烈だ。もっとも風力計が海岸部に設置されていることもあってか、秋田県ではわがまちの風速が23kmと台風並みのきょうだった・・・

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所用があって金浦に行った、金浦に行くと決まって立ち寄る場所がある。俺のお気に入りの場所のひとつでもある。そこは”飛びの崩れ”付近にある、古人が風を抑えようと石を積んでいる場所だ。波除(なみよけ)石垣と言って、石をきれいに積んでいて国の天然記念物にもなっている。

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その石垣付近から見た”飛びの崩れ”海は大荒れだtyphoonこの写真の左上がその崩れ。見て頂きたいのは、この海岸線である。海水が揉まれもまれて泡になっている。そして、その泡が風に吹かれて、海岸道路に舞っている。舞っている等優雅なものではないのだが・・・

強烈な風に掻き回されて宙を彷徨う感じだ。これを「波の花」と言っているが、風に巻き上げられ、飛んでいる。車から降りると立っていられないほどの風。その風でまるで雪のように浮遊している波の花だ。それはどこかしら塩っぽい・・・

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風でもなければきれいだな~と思うかも知れないが、風がなければ波の花も見られない。この荒れの海の上をウミネコが飛び交っている・・・

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この海の荒れ、強い風、波の花・・・

これが余寒かと思うと身震いした・・・ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ

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飛びの港には、風を避けるように水鳥たちが・・・

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昨日に続いてきょうも「暴風雪警報」が発令されている。加えて、先ほど・・・市から防災あんしんメールが届いた。「竜巻注意報」である。余寒なおなお厳しいわがまちである。

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”春”は海からやってくる・・・タラ祭り

毎年2月4日行なわれるわがまちの「掛け魚(かけよ)まつり」、全国的にも珍しいこの祭りは別名で「タラ祭り」とも呼ばれている、”奇祭”である。

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この祭りの歴史は古く、350年前から行なわれているという。厳寒の日本海で水揚げされた大タラを、海上の安全と大漁を祈願する為に金浦山神社に、そのタラを奉納するのである。

タラは大きいものだと10kgもある。その大タラをふたりで担いで、神社の石段を上る様は圧巻であり、両脇にアマ・プロ等の写真家が並ぶ。きょうはこの状況は撮影できなかったのだが、例年、俺もその列に加わっていた・・・

タラは金浦港から担がれるのだが、その前に子ども達の神楽が観客を魅了する・・・

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そして、港を出発する・・・

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この出発の場所も賑わうのであるが、列を成してゆく道路の両側にも観光客・地元の市民が声援を送る。金浦港から、奉納する金浦神社までは約2km。担がれる大タラはゆっさゆっさと揺れながら神社へ・・・

昨年は確か65尾だったと記憶している。今年は聞いたがわかる人とは出会わなかった。

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きょうもまた、わがまちのヒーローである「超神ネーガー」もタラ担ぎに参加し、祭りのムードを盛り上げた。

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以下の写真は昨年のもの、石段を上がって奉納する様子だ。

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なお、神社前の広場ではタラ汁が振舞われる。大漁旗のなびく様をみながらのタラ汁はまた格別である。

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いづれ、わがまちの”春”は海からやってくる・・・

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南極の日章旗

南極探検隊長・白瀬中尉はわがまちの誇る偉人だ。彼は苦難の末、明治45年1月28日、午後0時20分、南緯80度05分、西経156度37分、極寒の地南極に日章旗を立てた。そして、一帯を大和雪原と名づけた・・・Photo_2

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                 ~上の2枚はネットから頂いた写真~

わがまちでは、例年のこの日に「白瀬中尉をしのぶ集い」を開催しており、メインは雪中行進。今年はそれが51回目となる。金浦公民館を出発し、途中に彼の生家である浄蓮寺によって墓参し、ふたたび南極公園まで約2.5kmを歩く。

俺は今年も参加だ、ここ数日雪寄せしているから体力もある(?)、午前中の予定はこれだけだし、防寒しての参加dash歩くのもいいものだ、白瀬に思いを寄せながら( ^ω^ )

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公民館前での開会式。わがまちのヒーロー「超神ネーガー」やマスコット「にかほっぺん」も参加だ。

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行進スタート。昨今、この日に雪はあまりなかったのだが、きょうは雪中行進に相応しく、寒いし雪もある。ただし、昨日までのような吹雪でなく太陽も時折顔を出す好天・・・

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浄蓮寺の山門を・・・ふたたびまちなかを・・・

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そうして、白瀬南極探検記念館前にある”南極公園”に。

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ここでは小中学生6人が「私の決意」を述べた・・・

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最後には甘酒が振舞われた・・

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おまけにこれまでの雪中行進等を記念館のHPから頂いたものだ。今回も犬の行進もあった。以前は犬ぞり大会もあったのだが、現在それは止めている。

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覚林和尚の法要

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午前10時から、覚林和尚の法要が営まされた。この覚林和尚がいなかったら、まちにこの風景は残されなかったに違いない。その風景とは、天然記念物「象潟の九十九島」である。

由利短歌今月号に出詠した俺の3首

☆わがまちに覚林と言ふ和尚ありいのちに代へて島を護りし

☆ただ島を護らんが故に罪人の名を被されて牢獄に果つ

☆叛きたる罪と言ふのかいのち賭け護るはひとつただ九十九島

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鳥海山の噴火によって出来た無数の島々、それが地震によって隆起し、干潟のようになった。そこを埋め立てし、田んぼにしろとの殿様の命、それを阻止せんと立ち上がったのが、覚林だったのだ。

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きょうはその覚林和尚の法要後、観光案内人から絵によって護られた九十九島のことが話された・・・

実は、この法要は「覚林和尚を顕彰する会」が行なっている。彼の功績を後々まで残していこうと結成された。その中心が俺の尊敬しているT氏。そんなことから、俺も会員のひとりに加わっている。

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この皇宮山・蚶満寺の住職が覚林和尚だった。この境内からは、その残された島々が見える。さらには伝説として残っている”夜泣きつばき”も・・・

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また、咲き終わった枇杷も・・・

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また山門に続いた松並木の面影も・・・

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きょうは終わりに墓参りを・・・

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お詫び  昨夜は村の集落サロンの新年会。帰宅したら雪が30cmもまた積もっていた。そこで俺はいつもの道具で除雪。終ったら午後11時半・・・入浴後パソコンに向かったが、始めて間もなくdownsleepy従って、朝にふたたびの記述になってしまった。

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空も地もない”秋田”です。

朝から気温が上がらない、-8度くらいか。更には時々吹雪いて、どこが空か、どこから地かなど分からない。きょうは飛行機が欠航しているようである。

玄関の戸には吹いた雪が付着している。

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離れの戸には、氷紋が・・・

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それにしても凄い寒波である。昨夕、秋田空港に着いたときも、凄い吹雪であったが、これが昨日だったら、おそらく着陸出来なかっただろう・・・フライト中も、揺れることが予想されるという事から、サービスは冷たいお茶のみ、しかも15分位であった。山形付近から着陸態勢に入る飛行機・・・窓からは雲しか見えない。時折揺れたairplane

それでも着陸、凄いものだとこれはパイロットに技術に感服した。空港から自宅への道もやはり吹いてtyphoon前方が見えないこともあった・・・

夕べはその延長だったようだ。だから、戸にも雪がへばりついていたのだ。我が家の前は、東京にいる間の雪がそのままだ。20cmはあるだろう雪・・・雪・・・雪・・・snow

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東京は寒いながらも、sunがあった。その東京から、飛行機とはいいながらも、時間的には45分ほどの秋田。青空から、雲すらみえない、ただただ灰色一色の秋田・・・わがまち・・・

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降ってくる雪の量は多いものではないものの、休まずに落ちてくる・・・

俺は朝から雪寄せ・・・しかし、寄せているうちにまた積もっている。

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やはり俺の地は裏日本だ・・・昨今は裏だの表だのとは聞かないものの、こんな暗いまちは、確かに裏であるとしか言いようもない。

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頑張れ”豪風”

寒いヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ・・・きょうは終日気温は上がる事無く、真冬日の一日となったdownこの寒さは関東地方でも同じようだ。結城の娘からも雪が積もったと写メールが届いた。都心でも18cmの積雪らしい。

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それでも居間は暖かいupほぼ20~22度。我が家では一番暖かな一室である。だから、鉢植えのものは新葉を出しているheart02

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寒さだけならまだ良い・・・明日からは大荒れとの予報だ。欠航便もあるようだ。この荒れの中を大相撲ツアーは決行できるのか、問い合わせたら今の所はairplaneの欠航はないと言う。どうやら大変な時期のツアーになったようである。

大変な時期と言えば、その大相撲事態もそのようなものだろう。看板横綱が2人も休場し、他にも暴行事件がまだすっきりしていない中に、今度は行司の不祥事、また、交通事故も・・・

とんだ初場所になっている・・・特別大相撲のファンではないものの心配でもある。果たして、ツアーで行くまでに相撲が残っているのか、関取が残っているのか、オーバーながらそんな気にもなる。

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前頭13枚目に「豪風」がいる。秋田県出身の力士だ。この豪風、先場所に続いて精彩がない。先場所は確かひとつの負け越し、だが、今場所はまだ1勝しかなく、きょうで負け越しが確定してしまった。

ややいかつい顔つきながら、性格はやさしい。故郷に帰ってくると老人施設への訪問とか、学校を訪ねて子どもらと談笑している。だが、相撲となれば真っ向から向かっていく。その姿勢に好感を持つ。

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彼は尾車部屋の所属。身長は171cmと小柄だ。俺と数センチしか違わない。体重は150kg、いくら俺でもその体重の比ではないのだがヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ。彼の最高位は関脇。

この小柄な豪風、あの一本背負いは見事であった。

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38歳豪風、俺も応援にいくぞ!

   <相撲の写真はネットからのもの>

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