文化・芸術

田んぼがキャンバス

いつか行ってみたいと思っていた・・・青森県田舎館村の「田んぼアート」。俺はきょう往復9時間を車で走行してそれを見た!何しろ秋田県を対角線状に走るのだから、実に長い時間の運転だった🚙

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田んぼアートとは・・・田んぼをキャンバスに見立てて、色の異なる稲を使って巨大な絵を描くのだ。ここ田舎館村の田んぼアートは平成5年に3色の稲から始まったようだ。

実は何年か前に、「田んぼアートからのキセキ」という本を読み、俺は当時、読書感想文に応募して賞を頂いた。この本の著者が実は役場職員時代に、小学生が実習田に黄色や紫の稲が植えられていて、周囲の青田の中でとてもくきやかに見えたという。わが村には”稲しかない”それを生かすにはどうしたらいいのか、苦慮していた時のことだった・・・

彼はそこからヒントを得て、「稲で文字と絵を描く」ことを実践した。平成5年のことだったらしい。古代米の黄や紫稲、これに加えて”つがるロマン”の3種で、2500㎡に「岩木山と稲文化の村 いなかだて」だった。平成7年には役場も新しくなり、6階には展望室もあるので、そこから田んぼアートを見てもらおう・・・(上の写真は4階の展望台、6階は言わば天守閣であり、4階から撮ったもの)

このようにして始まった田んぼアート。

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今年は27回目。第一会場のテーマは、かつて日本中を感動させたNHKの「おしん」だ。7歳のおしんが奉公のために両親の元を離れる、あの川を下って行く場面が描かれている。

これまでは「花魁とハリウッドスター」や「風とともに去りぬ」などの他に、歴史的な題材もあった。いづれも緻密に描かれ海外からも見学が絶えないようだ。人口8千人の村に、年間30万人が訪れるらしい。

しかし、今日に至るまでには紆余曲折があったようだ。最初の頃の「モナリザ」では下膨れになって悪評。以後は遠近法で制作され、今日に至ったようである。

稲は古代米の他に観賞用の稲が使われ、現在は7色の稲が使われている。

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また、第2会場は道の駅で行われており、「石アート」で、”車寅次郎”と”美空ひばり”を見ることができる。

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なお、第2会場の近くには「田んぼアート駅」が設けられていた・・・

 

 

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”こんな夜更けに・・・”

映画は似たような内容のものはあるが、当然ながら同じような映画はない。また、これまでも障害者を扱った映画はあったと思う。だが、今回のこの映画は異色としか言いようがない。暗い内容ではなく、むしろ主人公の障害者には憎たらしさ、傲慢さに辟易するのだ・・・が・・・

この映画は実話から生まれた1冊、それから生まれた映画だ。それが、「こんな夜更けにバナナかよ」である。

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俺はまだこの映画の原作本読んでいなかったので、映画がスタートしたとき、主人公の横柄な態度、わがまま三昧の姿に正直むかついた。もう自分は殿様で、ああだこうだと命令調で指示を出す・・・

その自分は幼少時から、難病である”筋ジストロフィーを患っていて、車椅子の生活。自分のからだは、首と手だけで、あとはボランテイアの世話になっている。そのボランテイアに、しかも夜中に「バナナが食いたい」買って来い!なのだ。

思わず思うだろう・・・こんな夜更けにバナナかよ・・・??

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写真はいずれもこの映画のチラシだ。このチラシには、いろんな方々の感想が述べられている。そのなかに、アナウンサーの有働由美子さんの感想も載っている。

       生きるのに、何カッコつけてんの?って
       言われた気がした・・・
       憎たらしくて
       愛おしすぎて、泣いた・・・

とある。俺も主人公の彼に・・・お前は何様なんだよ、すべてを世話になっていながら、感謝のひとつくらいあるのが当然だろう・・・そう思っていたのだが、映画が進んでいくうちに自分の目頭があつくなり、そして濡れていくのが分かった。

だから、終わっても直ぐには席を立ち上がれなかった・・・

彼は車椅子ながら、ひとつの夢を持っていた、だが、それを果せないままに亡くなっていったのだが、彼のその考えは彼を支えてくれたボランテイアの胸に種を蒔いた。むしろ、考えてみれば支えていたはずのボランテイアの人たちが、大きく支えられていたことになる。

今回、この映画を見れば「支える人」と「支えられる人」が確かにいて、それは社会の縮図のようなものだとさえ思う。だが、裏を返せば「支える人」も一面においては「支えられる人」であり、「支えられる人」もまた、「支える人」なんだと思う。

まだ・・・ご覧になっていない方には、お勧めの映画である・・・

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歌会始め

皇居では平成最後の”歌会始め”が行われた。俺はそれをテレビで拝見した。短歌を趣味とする人間にとって、この会に出席できる事はあこがれのひとつであるだろう。毎年は約2万2千首の応募があったようで、その中から10人の短歌が選ばれて、独特の言い回しで読み上げられた・・・

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その中には秋田県の鈴木さんの1首も選ばれ、皇居で読み上げられた・・・

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面識はないが、彼は建設工事をしている人のようだ。県大会等には出詠されない方で、若い頃は兜太氏に俳句を学ばれたことがあったと聞く。題は「光」・・・”ひかり”と詠ってもいいし、”こう”と詠ってもいい。いずれ短歌の中に「光」が入らねばならない。また、俳句と違って季語の挿入は不要だ。

鈴木さんは・・・

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震災で被災された相馬に、風力発電の風車を組んだと言う。それはさも、復興から立ち上がる人々の思いを重ねた1首。この歌会の歌は、個性の光る歌よりもオーソドックスな短歌が取られる。短歌というよりも和歌のようなニュアンスの歌が多いようだ。

俺も今回応募したのだが、まったく箸にも棒にもならなかったようだ。今回は2度目のチャレンジだったが、もっともっと勉強しなければならないようだ。即興で詠んでいるような俺の歌はもっともっと深く詠みあげなければ・・・

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読者の中には、この歌会始めに応募してみようという方がおいでかも知れない。歌は一首。半紙に筆で書くのが基本。書けない人はそのことを事前に通知が必要だ。内容だが、新年に相応しく短歌がいい。暗い内容や哀しいものの短歌、こういった短歌はまず第一に除かれる。

出詠するにあたっては、どんな短歌大会でもその開催趣旨が記されているはずだ。そのことを年頭にした内容にしないと、良い短歌であっても振るい落とされる。鈴木さんの今回の歌は希望があり、これが先ずは評価されたんだろう・・・

ちなみに天皇陛下の御歌は・・・

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被災地の子どもから送られたひまわりの種、それが初夏の光に生え揃ったという喜び、また、ひまわりがすくすくと成長していく事を詠まれた。天皇陛下はその姿を見ながら、思いを被災地に寄せ、復興をいのっているような御歌になった。

皇后陛下の御歌は・・・

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控えめにして、自身の心境と思いを繊細に表現されておられる。寡黙な滲むような御歌かと思う。

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観劇に行き感激!

008 秋田県には誇れる湖がある。中東部に位置している「田沢湖」がそれである。直径で約6kmのほぼ円形で、最大深度が423.4m、日本で一番深い湖だ。

資料によれば、深さの測定を初めて行なったのはM42年、麻縄に重りをつけてのものだったらしく、その時は397mだったとか。

その後、T15年にワイヤーで測定、425mを記録したようである。

また、透明度においても摩周湖に迫る31mだったようだが、発電所の建設に伴って玉川温泉からの強酸性の水を入れたために、魚の棲まない湖になった。

昭和47年からは、湖水の中和対策をとられたものの、全体的には水質回復には至っていない。

そのために田沢湖の固有種であった”クニマス”も生息が確認されずにいた。ところが、H22年、山梨県西湖で生存が判明したので、そこから借り受け、それらを展示する「クニマス未来館」がオープンした。

尚、この田沢湖のほとりに、伝説の辰子像が建っている。船越保武氏の制作である。

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実は、きょう田沢湖に立ち寄ったのは訳がある。俺がきょう出かけたのは、田沢湖芸術村”わらび座”への観劇が目的だった。ところが、先日に車のエアコンを見てもらったが、原因がはっきりしなかった。それであとでまた見てもらうことにしていたのだが、きょうもエアコンが効かなかったのだ。行く時は時間もなく我慢して出かけたものの、帰りはキツイと感じて、それならば時間潰しに夕刻まで涼もう、そう思って田沢湖に寄ったのである。

001                    < 新聞広告に載ったもの>

現在、上演しているのが「ブッダ」だ。観たいと思っていたのだがなかなか行けずにいたら、新聞広告に”あと5ステージ”とある。そこで昨日に予約を入れて、きょうの観劇になったのだ。

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俺に取ってのわらび座の観劇は、昨年11月の「ジパング青春記」以来のこと。今回の「ブッダ」の原作は、あの手塚治虫氏だ。

Photo                   <わらび座のhpより>

きょうの開演は13:45からだ。俺は13:00過ぎに予約していたチケットを持って、早めに席に就いた。することもなくパンフ等を見ていたら・・・

「○○さんですか?」と俺の前に立った女性・・・「はい、そうですが・・・」。こんな若い方を知る俺ではない。すると・・・「○○じゅんこです」・・・○○じゅんこさんは劇団の女優だ。俺は誕生日が俺と同じことから(勿論、月と日にち)ファンになり、前回挨拶をしており、きょうは受付でバースディメッセージをお願いしていた。

その○○じゅんこさんが眼前に・・・驚いてしまった。彼女は8月から上演される「北前ザンブリコ」に出演する。だから稽古の追い込みの最中だろうに、わざわざ俺の前に来てくれたのだ

でもサプライズだから、上がってしまって口も廻らないし、話し込んだりしては迷惑だろうし、お客があっての役者だろうから、ひとりだけのファンを大事にしてはいけないだろう、そう思うと二言三言、次の作品にはまた来ますと会話したのみだった・・・

彼女は「ジパング青春記」での演技は凄かった。だから、次の「北前ザンブリコ」も期待したい・・・

きょうは秋田も暑かった・・・昨夜は寒くて、夜中に起きてしまったのだが、日中は”高温注意報”も発令された、32~33度に上がっただろう・・・

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明治神宮春の大祭奉祝短歌大会

くどいだろうが、今回の「明治神宮春の大祭奉祝 短歌大会」その模様を記させて頂く。

当日はこの日に相応しいような天気であった。俺は付き添ってもらう娘と上野で合流し、案内を頂いた明治神宮参集殿に午前11時頃に入る。その会場で間もなく昼食であった。その内容は・・・

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昼食もそこそこに授賞式の練習、痛み止めが効いていて俺は松葉杖なしでステージに上がった。受賞は俺が代表だ。

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その後、佳作者、入選歌作者、特選者が別れて本殿に。ところが俺は松葉杖持参ということから、特別車が用意され娘とともに本殿に。本殿では祝詞が上げられ、選者等が玉串奉奠。昨秋は、この本殿に入るのは特選者で、しかもその歌が朗々と読みげられたものだった。

佳作であった俺は、いつかは俺もあの本殿で・・・夢を抱いたのだった。ところが3度目の応募で、しかも夢を抱いた直後に最高賞・・・唖然としたものだった。頑張ろう頑張って上位にが直ぐに来てしまって、どこかしら気が抜けた部分も感じた・・・

その召し人の詠見上げることが今回はなく、少し気落ちもしてしまった。どうやら秋の大祭と今回とはいささか違うようであった。そこで、俺はふたたび燃えた・・・よ~し今度は何としても本殿で詠んでもらおうと・・・

本殿での行事が終ったら、またしても俺は特待された。ふたたび迎えの車が来て、今度は選者等大先生方との同乗だった。けがをしたお蔭で、先生方と同乗できて光栄ですと俺が言った。先生方は笑われた。車には篠先生、馬場先生、穂村先生など・・・こんな事は二度とないだろう・・・

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参集殿に戻って、先ずは入選歌発表と授賞式。先ずは岡野弘彦氏の挨拶。続いて授賞式。俺がいの一番に賞を頂いた・・・そして次々と受賞・・・記念品等頂いた。

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そして、講演会。講師は小池光氏。「石川啄木・・・家族の歌を中心に」であった。

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講演が終ってからは、選者の先生方から歌の評がされた。今回出詠された短歌は2,621首。最初は穂村弘さんから、その後、小島ゆかりさんから、佳作の170首に講評がされた。

入選歌20首については阿木津英さんからの講評。特選歌10首については篠弘さん。従って俺の歌も篠さんから評を頂いた。

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大会終了後は懇親会だった。これにも俺は娘を伴って参加させて頂いた。同じテーブルのしかも俺の席は、何と馬場あき子先生だ。少し緊張したが、久々の酒も入ったので短歌談義をした。俺の歌の「タラ」が話の中心になって・・・

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特選の副賞は・・・

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俺の名入りのペンケースとボールペン。もうひとつは明治天皇の歌集であった。

もう二度と頂けるような賞ではないだろう。ただ、今度いつかは本殿で詠まれる歌会に臨んでみたい。叶わぬ夢になるだろうけれども、夢は持ち続けたい。

    ☆大鱈が六十三尾納められ社に春の潮の香満ちる

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青春時代のドーナツ盤

昨日の新聞に、「フランス・ギャルさん死去」と写真入で訃報が報じられた・・・新聞によれば、7日に乳がんのために、パリ郊外ので亡くなられたとか。享年70歳・・・

47年にパリで生まれ、65年に欧州のポップ音楽コンテスト「ユーロビジョン」で、「夢見るシャンソン人形」を歌って優勝。それがきっかけになって、世界的ヒットとなった。日本語版もあり、日本では中尾ミエさんらが歌った・・・

当時、俺もこのレコードを買った・・・そのレコードのジャケットが下のもの。

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可愛いジャケットに惹かれてあったのかも知れない。だが、歌にもまた魅力があった。キュートな感じ、俺も下手ながらジャケットを見ながらフランス語?で、レコードに合わせて歌ったものだった・・・

ただ、レコードを求める時は、どかしら恥ずかしかったことを記憶している。若い頃だけに、女性のジャケットを手にするだけでドキドキ、振るえながら求めたのだった。まだまだ純真だった・・・

彼女は俺とほぼ同世代、しかも青春時代をこのレコードで共にしたような思いがあるので、訃報には本当に驚き、落胆している。俺もやはりそろそろ自らの店仕舞いを考えなければならないときに来ている・・・

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今、若い世代でレコードが人気らしい。カセット・テープもまた、若い世代に取っては”新しい”との感覚があって、人気になっているようである。

上の写真は、俺の持っている45回転レコード、いわゆる”ドーナツ盤”だ。俺は映画等観ればサントラ盤をよく求めてきた。歌謡曲も多々ある。どうしても処分できずに持っていたのだが、今ふたたびレコードブームになるとは思ってもみなかった。

他にLPレコード、これは33 1/3回転で、これ1枚で45分~1時間ほど聞けた。ただし、若い頃はこれが高くて買えなかった。務めたらその職場にレコード屋さんが来た。2回払いで良いから等と勧められ、結構求めてあった。

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ステレオも3回ほど買い換えした・・・最後は、アンプ・チューナー・カセットなど等求めて50万円以上になった。しかし、いつの日か、それを使う事無くその後は小さなものに換え、MD、CDと俺の聞くスタイルも変わった・・・

今朝、そのドーナツ盤に絡んで”まち起こし”をしている宇都宮市が取り上げられていた。レコードを聴く居酒屋、ドーナッツ様にしたケーキ等々・・・

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俺の音楽はジャンルは問わない。クラシックレコード、電車や汽車の音のレコード、舞台での歌劇・・・

俺のステレオは2階だ。あの耀いていた頃のフランス・ギャル聞きたくなった

有難う・・・どうぞ安らかに・・・天国でもあの声を!           合掌

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青春とは?・・・わらび座の舞台から

(昨日の続きである)角館を出るときは小雨であったのだが、わらび劇場に着くころは本降りになっていた。開場は12時45分・・・傘をさしながら、俺はわらび劇場に入った・・・

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座席はネットで予約済みだ。席は全席が指定席。俺はこの日を待っていた・・・

この劇場では4月15日からミュージカル「ジパング青春記」を公演している。そして、ファイナルステージがこの26日。俺は春から夏、そして秋はどうしても農作業がある。ただ、この18日には東京だし、このあとどうなるかも分らないので、昨日に行ったのである

元々は「わらび座」として親しまれていた。自前の劇場のなかった頃は、各学校等を廻って音楽の指導などを行なっていた。俺の小学校にもアコーディオン持って、「アルプス1万尺」等教えてもらった記憶がある。

今では常設の劇場を持ち、毎日公演をしている。名も”あきた芸術村”として・・・

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今回、どうしても観たかったことには理由があった。ひとつは勿論、ストーリーもある、だが、もうひとつにはこのミュージカルの出演者にあった。それは今回、準主役的な「吉野・さや」の2役の女優・鈴木潤子さんを応援したいためでもあった・・・

なぜ?

まったくナンセンスなことであるのだが、わらび座俳優のプロフィールに俺と誕生日が同じ俳優がいたのだ。それが鈴木潤子さんだったのだ。単純な理由だ。勿論、生年となれば、爺と孫ということだろう・・・

彼女は仙台市の出身だ。それがなぜ秋田に?しかも何故女優に?そんなことはまったく知らないのだが、応援しようと決めたのだ。昨年のミュージカル「平賀源内」に出演され、終ってから俳優さんが客を見送ってくれる。俺はそのときに、彼女に告白したのだ。

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「俺も◎◎です、生まれた月日が同じなんです、これから応援させてもらいます」そう言って恥らいながらも握手させてもらった。あれからほぼ1年・・・昨日も公演終了したら、出口に立っておられた。

「・・・あのう、昨年お会いした◎◎です」そう言ったら「あら、◎◎さん?」と名前を覚えてくれていた。「きょうの公演、とても素晴らしかった、俺、涙が出て・・・」もう続ける言葉が出なかった。握手して踵を返した。

もう◎十歳のいい爺さんが、若い女優の前で涙を出したらみっともない、だから、一言の会話でそこを立った・・・

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この彼女は、今年5月1日の秋田魁新報に「舞台に生きる」ということで、女優としての取組みについて記事を投稿していた。俺はその切り抜きももっていたのだが、最後のこんなことを書いていた・・・

「あの震災から6年・・・今一度この作品を通して震災を見詰める機会をもらいました。舞台の上からあの津波が起きた海を見つめ、向き合い続けたいと思います」と。彼女は実家が仙台だけにあの震災のときは、居てもたってもいられなかったようだ。

だから被災された方々に出会って、痛みや経験をいっぱい教えてもらっていたのだ。仮設住宅では自分が泣いてしまってどうにもならなかったとか。そんなことがくしくも今回のステージにいろいろと出たんだろうと思う・・・

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今回の「ジパング青春期」、パンフにそのストーリーが載っている。それに寄れば・・・主人公は慶長の大津波で多くのものを失い、自暴自棄になっていた。そこに伊達政宗が太平洋を越えるための大帆船建造を計画していた。

その船に乗りたい・・・海の果てに苦しみを解くもの、きぼうが待っているのか・・・

要は若者の挑戦をひとつには描いている。これが本当の挑戦と言うものだろう。或る若手の方は自分の名刺に「挑戦」と書いている。俺はそれは違うだろうと思う。挑戦とは自らに課すものであると思うから、「私は挑戦します」と自らの名刺に書くなんて・・・俺には理解出来ない。

いづれこの若者が向かう先にあるものこそが「挑戦」というものだろう・・・

   <写真はわらび座のパンフレットから>

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運慶を観た!

いささか時間が経過してしまった。俺が先月上京したのは、10月21日だった。その日、俺が先ず足を運んだのは埼玉の鉄道博物館、午後には上野東京国立博物館に足を運んだ。SLファンの俺にはたまらない鉄道博物館だった。

国立博物館に行ったのは、特別展「運慶」を観賞するためであった。田舎にいればこのような、運慶の作品と言われる30体前後の仏像のうち、22体が観られると言う事等考えられないことから、雨の中ではあったが向かったのだった・・・

005 東京と言えども、このように史上最大規模の運慶展などはなかなか観られるものではないだろう・・・大勢の観賞客で、もう内部は身動きもできない状態であった。

それでも運慶20代に手がけたと言われる大日如来坐像等、多くの国宝に目を向けることが出来たのは幸運と言ってもいいだろう・・・

それは不可能なことなのだが、出来れば出来たらもっと静かに観賞したい、そう思うのは我がままというものなのだが・・・

今、展覧会の圧巻のひとつは国宝「無著菩薩(むじゃくぼさつ)」の立像だ。近寄るとまるで生きている、その実感だ・・・

実はこの像の目には水晶が入っているので、それがリアリティを感じさせるのだ。このポスターの左の像である。

ちなみに右も国宝だ。「八大童子立像のうちの制多伽童子」と言う。これもまた「ううん!いい」としか言葉がでない。 

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会場で求めた「pen」、また、サライの付録を見ると・・・

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ご存知の「金剛力士立像」の「阿形・吽形」像。

左の阿形の像は快慶の作品、右が吽形であり、この迫力に満ちているのが運慶の作品と言われる。余談であるが、俺はこの阿吽の像から詩を作り新年文芸に送ったところである。

今月はふたたび上京する。出来たらもう一度、この作品展に足を運びたいと思っている。

きょうはあの日の雨の事を思い出しながらの記事である。

きょうは雨の予報は出ていた・・・でも、昼ごろからとのことであった。だったらそれまでに終りたい、そう思って朝の6時半には俺はアルミの脚立に上った。そして、挟みとトリーマーで裏の方の植木に手を入れた・・・

狭い所ゆえ、脚立の移動も大変であり、もう少し・・・というところでとなった。一時は雷もあったので、そそくさと作業は中止した。あと、1時間はほしかったのだが、仕方ない・・・

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植木屋さんには春先に頼んでいたのだが、忘れているのだろう、或いはフジ棚など作って少し高い金額だったから、今年はもう気の毒だと気を使ったのかも知れないのだが・・・でも、1年剪定等しないと形が崩れてしまうから・・・

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不慣れな作業だったが、今年はこれで我慢しようか・・・と。

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きらめく花に囲まれて

東京には”春いちばん”が吹いた・・・俺は、その日、東京ドームでの「世界らん展」に。もう花がいっぱいで、花好きな俺にはたまらなかった。日本大賞、不思議な色、ほぼ半日俺は花の中にいた。

あまりにも華美ならん、豪華絢爛たるらん、俺には似合わないらんではあるが、ちょっと豪華な時間に満たされた俺であった。

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ふたたび歌人・鳥居のこと

「趣味は?」と聞かれると・・・「短歌」と俺は答える。大した短歌は作っていないのだが、それでも○年も続けていればまぐれもある。いくつかの賞も頂いた。最高賞は、国民文化祭で頂いた文科大臣賞だ。

短歌の仲間同士でも、短歌に対する考え方は当然違う。ある仲間は「いのち」だと言った。また、別の仲間は「生き甲斐」だと言った。俺はと言えば「趣味」だと答えて来た。歌人などとはこそばゆく、いのちだとは考えたこともない。

おそらくそれだけ真剣に歌を詠んでいる、それをいにちと言ったのではないか。勿論、俺は趣味とは言っても、やはり考えれば生き甲斐でもある。そして、今月の短歌会の短歌も先ほど作ってみた・・・のだが?

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ところで、凄い歌人のことが昨夕のNHKテレビ「NEXT」で紹介された。タイトルが「歌人鳥居 若者たちと響きあう歌」であった。俺はそれを観ながら、何度か嗚咽を堪えて観た・・・

この歌人・鳥居のことは、昨年の夏ごろだったか、記事にしたことがある。セーラー服の歌人・鳥居として・・・

秋田市の書店で何げなく求めた1冊だった。本の帯にはすごい事が書いてあった。「拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語」とか、「母の自殺、小学校中退、施設での虐待、ホームレス生活」こんな激しい言葉が並んでいたのだ。

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ほどなく某新聞でも特集が組まれ、彼女が紹介された・・・その切り抜きは、その本に挿んでいて、改めてそれを読みながら、俺はきょうもう一度半日をかけて読んだ・・・

読んではまたきょうも堪えるのが大変であった。2歳のときに両親は離婚、小学校5年生のときには母が自殺した。その後、児童養護施設に入ったものの、いじめや虐待・・・それからは祖母の家、里親の家を転々とし、ホームレスにも。

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現実から逃げるために足を運んだ図書館、彼女はそこで1冊の歌集に惹かれた。穂村弘氏の歌集「シンジケート」、それに「ドライ ドライ アイス」だったという。そして、作歌を始めるのだが、漢字が分からない言葉がわからない、それを新聞等で字を言葉を覚えたという。このあと、彼女は歌人・吉川宏志氏に知己を得るのだ。

2013年、書いた文章が「第3回路上文学賞」の大賞を受賞、それからは益々短歌に傾倒していった。現実は辛くても、短歌がそばにいてくれたから、自殺をしないで済んだと。

鳥居というペンネームには色んな思いがあるらしい。家族やふるさとを思い浮かべるとき、その光景のなかには神社が存在し、また、見えざる世界と現世の境界に立つという意味もあるようだ。

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また、セーラー服には義務教育を受ける道を断たれた子どもの思いを体現しているという。そんな彼女から生まれる短歌は、若者の共感を呼んでいるようだ。

鳥居の短歌は魂から生まれている。心の叫びであり、人間としての社会への叫びであると俺は思う。正しく「いのち」の歌だと俺は思う。思いながら、然らば俺の詠んでいるものは何なのだと、俺は今俺に問いかけている。

   <写真はNHKテレビ・NEXTより>

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