文化・芸術

きらめく花に囲まれて

東京には”春いちばん”が吹いた・・・俺は、その日、東京ドームでの「世界らん展」に。もう花がいっぱいで、花好きな俺にはたまらなかった。日本大賞、不思議な色、ほぼ半日俺は花の中にいた。

あまりにも華美ならん、豪華絢爛たるらん、俺には似合わないらんではあるが、ちょっと豪華な時間に満たされた俺であった。

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ふたたび歌人・鳥居のこと

「趣味は?」と聞かれると・・・「短歌」と俺は答える。大した短歌は作っていないのだが、それでも○年も続けていればまぐれもある。いくつかの賞も頂いた。最高賞は、国民文化祭で頂いた文科大臣賞だ。

短歌の仲間同士でも、短歌に対する考え方は当然違う。ある仲間は「いのち」だと言った。また、別の仲間は「生き甲斐」だと言った。俺はと言えば「趣味」だと答えて来た。歌人などとはこそばゆく、いのちだとは考えたこともない。

おそらくそれだけ真剣に歌を詠んでいる、それをいにちと言ったのではないか。勿論、俺は趣味とは言っても、やはり考えれば生き甲斐でもある。そして、今月の短歌会の短歌も先ほど作ってみた・・・のだが?

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ところで、凄い歌人のことが昨夕のNHKテレビ「NEXT」で紹介された。タイトルが「歌人鳥居 若者たちと響きあう歌」であった。俺はそれを観ながら、何度か嗚咽を堪えて観た・・・

この歌人・鳥居のことは、昨年の夏ごろだったか、記事にしたことがある。セーラー服の歌人・鳥居として・・・

秋田市の書店で何げなく求めた1冊だった。本の帯にはすごい事が書いてあった。「拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語」とか、「母の自殺、小学校中退、施設での虐待、ホームレス生活」こんな激しい言葉が並んでいたのだ。

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ほどなく某新聞でも特集が組まれ、彼女が紹介された・・・その切り抜きは、その本に挿んでいて、改めてそれを読みながら、俺はきょうもう一度半日をかけて読んだ・・・

読んではまたきょうも堪えるのが大変であった。2歳のときに両親は離婚、小学校5年生のときには母が自殺した。その後、児童養護施設に入ったものの、いじめや虐待・・・それからは祖母の家、里親の家を転々とし、ホームレスにも。

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現実から逃げるために足を運んだ図書館、彼女はそこで1冊の歌集に惹かれた。穂村弘氏の歌集「シンジケート」、それに「ドライ ドライ アイス」だったという。そして、作歌を始めるのだが、漢字が分からない言葉がわからない、それを新聞等で字を言葉を覚えたという。このあと、彼女は歌人・吉川宏志氏に知己を得るのだ。

2013年、書いた文章が「第3回路上文学賞」の大賞を受賞、それからは益々短歌に傾倒していった。現実は辛くても、短歌がそばにいてくれたから、自殺をしないで済んだと。

鳥居というペンネームには色んな思いがあるらしい。家族やふるさとを思い浮かべるとき、その光景のなかには神社が存在し、また、見えざる世界と現世の境界に立つという意味もあるようだ。

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また、セーラー服には義務教育を受ける道を断たれた子どもの思いを体現しているという。そんな彼女から生まれる短歌は、若者の共感を呼んでいるようだ。

鳥居の短歌は魂から生まれている。心の叫びであり、人間としての社会への叫びであると俺は思う。正しく「いのち」の歌だと俺は思う。思いながら、然らば俺の詠んでいるものは何なのだと、俺は今俺に問いかけている。

   <写真はNHKテレビ・NEXTより>

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ふたつの絵画展

もはや秋田は「秋」ではないので、芸術の秋とは言えないだろうが、文化祭から始まった文化事業はまだ続いている。きょうで終る絵画展もあるので、足早に拝見させて頂いた。

俺は絵筆を取らないが、絵画を観るのはとっても好きだ。洋画・日本画・版画etc・・・ロキソニンを服用したら幾分腰痛は緩和されたので、絵画展に軽トラで出掛けた。腰痛の際は、車は軽トラックが楽なこともあって・・・dash

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まず出かけたのは「児水会」の絵画展だ。絵の描く有志の地域のグループだ。先日、芸文協の祝賀会をやったが、この児水会はその会長がリーダーだ。だから、この間、実は案内を頂いていた・・・

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風景を、また、こころの中をこのように筆で描けたらどんなに楽しいだろう。俺の母方には、油絵を描く従兄弟がふたり居た。だが、ひとりは亡くなってもう3年だろうか。

初めて観る「アクリル画」という作品、また、「混合画」という作品もあって、会長から説明を頂いた。

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そこから車で30分、そこでは地域の著名な画人の方々の作品展が開催されている。名づけて「鳥海山を描く」、この山を主題にした絵画展であった。

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ここでも特にジャンヌに拘ってはいない。油絵・墨絵・日本画・・・

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日本海の荒波の間に見える鳥海山、そして、油絵の鳥海山・・・

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油絵で著名な画家のひとりに横山操がいる。彼の絵が好きであったが、この絵はどこかしらその絵に似通っている。ダイナミックに描いた秋の鳥海山だ。

絵を観ていると何かが俺のからだに入る(ような気になる)。絵は邪魔なものは描かなくていいからな、と誰かに聞いた。写真はそれが出来ないから不便だろう・・・とも聞いたことがある。

俺からすればどちらも好きだから、絵は絵なりに、写真は写真なりに、俺はどちらも好きである。

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「まちびと美術館」開催中!

わがまちの版画家・池田修三の作品展「ゆこうよ」が始まっている。象潟公会堂をメインに、旅館・土産店・本屋・菓子屋・銀行等に版画を飾って、まち全体を美術館に見立てている。そのチラシにもあるように、池田作品が至るところに飾られているのだ。これが「まちびと美術館」だ。

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だから学芸員は市民一人ひとりだ。立派な美術館を建ててそこに展示するよりは、まちの至る場所に息づいている池田修三の絵、それをまち全体を美術館とし、それが相応しいとの考えである。

池田修三は大正11年にわがまちの医師の家に生まれた。旧東京高等師範学校を卒業後、秋田県で教鞭をとるが、33歳のときに教師を辞めて上京。それまで取組んできた油絵を捨て、木版画に専念、版画絵は子どもの情景を中心に生み出された・・・

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1957年、日本版画協会展で入賞、翌々年には現代版画コンクールで入賞し、多色刷りの子どもをテーマにした木版画は、企業などのカレンダーに採用され、他に町の広報の表紙をも何年か飾った・・・

平成16年11月10日、惜しくも82歳で亡くなられた・・・

俺も彼の作品を1枚持っている。それはふるさとの風景の中の「鳥海山」だ。当時は存命であったはずで、当時はそれほどまち以外では知られていなかったと思う。確か、8千円ほどだったと記憶している。

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象潟駅前には歓迎塔に池田修三の版画絵が・・・そして、期間中はタクシーにもラッピングされているし、市の車にもラッピングされていて、まちはすっぽりと修三の絵で溢れている。

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さらには由利高原鉄道の車両にも・・・

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修三の版画絵がまちに広がっているのは訳がある。子どもが生まれたお祝いにとか、結婚祝いに等と彼の絵を贈りあうことが、当時多くあったという。絵の価格もほどほどだったということもあったのだ。そのことは、修三と言う作家の意志が根底にあったのだろうと言われている。絵は気軽に飾るのが本来の姿なんだというこころだろうか・・・

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いづれ秋田県のマガジンで紹介された事がきっかけで、修三の版画絵は全国的な広がりを見せている。今回の「まちびと美術館・・・ゆこうよ」はこの27日までだ。今回はこの小さなまちに、どのくらいの方が観に来てくれるのか、強い感心を抱いている。

みなさん、本市の「まちびと美術館」においで下さい。

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小夢という画人

小さい夢と書いて「小夢」”さゆめ”と言う。幻の画家と言われた「橘小夢」である。そのような画家が居たとは、俺も実は知らなかった。否、幻の画家とも言われたとなれば、おそらく知る人は多くはないだろう・・・

秋田県には多くの著名な画家がいる。寺崎広業とか、平福穂庵や百穂、福田豊四郎等は俺にも分かっていた。しかし・・・橘小夢とは・・・???

004 その彼の作品が、横手市にある「秋田県立近代美術館」で公開されている。俺は、先に旧池田氏庭園での紅葉を観たあとに、そこに出かけた。

この案内が秋田魁新報に掲載されている。それによれば・・・

小夢は、明治25年秋田市に生まれた。中学校卒業後上京、大正から昭和初期にかけて、雑誌や小説の挿絵等描いていた画人だ。

可憐で叙情的な美人画が全盛期の大正ロマン、その時に妖艶耽美で幻想的な画風を確立したとある。

しかし、軍国主義的風潮下、一部の作品が発禁処分などの目に合い、第2次大戦後は表舞台から姿を消したという。

そんなことからいつしか”幻の画家”と呼ばれていた。それから約90年、小夢の芸術は現代の感性に受け入れられ、再評価されている。今回、県内で発見された初公開の作品も一挙に公開され、美術館は賑わっている。

この催しは今月の27日までで、併せて夢二や淳一、専太郎などの作品も展示されている。

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このように死して再評価されたという事は、やはりそれだけの実力があったからとも言える。代表的な「地獄太夫」、細やかな線で、見事な着物、それに瓜実顔と簪、本当に迫力を感ずる絵であった・・・

昭和45年、小夢は鬼籍に入ったようだが、このような画家が秋田県にいたとは誇らしい。

 

午前中の雨が上がった、丁度昼時・・・窓の向こうに虹が見えた。急いで外に出てcameraを向けたものの、ほどなく虹が消えた・・・

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庭では、今年最後の花になるのか、バラがつぼみを膨らましている。だけど、この後の天気予報では「snow」のマークも出ている。今後の天候如何だと思うが、果たしては花になるのか、寒さのためにつぼみのままで終るのか・・・

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はかなく消えた虹を見、小さなつぼみのバラを見たら、あの小夢が思い浮かび、きょうは新聞の写真を借りての記述になったところである。      

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大将・・・美に触れる

正直、妻も俺も娘の帰省を待っていた、ところが連絡も無い。妻は午後から連絡があるかもと、それでも待つような気持ちのようだったので、俺はひとりで秋田市に出掛けた。秋田市までは約60k、rvcarで1時間15分はかかる。それでもどうしても行きたかったdash

実は「漫画家・矢口高雄の原画展」があり、この11日までなのだ。日曜日の混雑する中を行かなくても、俺は農作業も終ったから自由な時間はある。しかし、急な用事が入るかも知れないから、思いたったら・・・だ。

矢口氏の作品を常設している「増田まんが美術館」はあり、2度ほど入館したことはある。ただ、先日、彼の「山魚女群泳Ⅲ」の陶板が秋田空港に飾られたとのニュースがあった。それにきょうは本人が来て、サイン会もあるのだ・・・

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矢口高雄は秋田県の増田町(現在は横手市)に生まれ、一時、銀行マンになったのだが、漫画家を諦めきれずに自作品を投稿、やがて「長持唄考」が少年サンデーに掲載された。単身で上京・・・「釣りキチ三平」が掲載されると、一躍人気作家となり、釣りブームが・・・

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俺も持っているが、彼の書いたエッセイ「ボクの学校は山と川」を読めば、田舎の貧乏な村に生まれたものの、豊かな自然に育まれていく彼の生い立ちがわかる。映画にもなった「釣りキチ・・・」だから、大方の皆さんにはおなじみだろう・・・(写真は、きょう求めてきた葉書きとファイル)

次に入ったのが「 寺崎広業展」。彼も本県出身であり、日本画家である。いわゆる日本画壇の巨匠のひとりだ。伝統的な画法と写実を融合させた格調高い絵を描いた。歴史画、美人画、風景画と幅広い作域に優れた作品を残した。彼の作品展は、明日までが前期の作品展で、12日からは後期の展示に入る。

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どうしても観たいもう一つ美術展があった。県立美術館で開催されている「斉藤真一展」だ。さすらいの画家として著名なかの画家である。

彼の作品は「赫」に秘めた思いだ。その色は彼にとっては「赤」ではないのだ。それ以上純粋な色として抱いている。ご存知の通り、盲目の女性芸人、いわゆる”ご女”の哀しみを描いた作品はあまりにも有名だ。冬の越後の山並みを染めるその色に、哀しいご女を重ねたのだ。

パンフレットから・・・

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個性の強い作風だ。独特の哀しみの色・・・本展では、ご女や明治の吉原、さすらいをテーマにしている。どの作品にもそれが滲んでいた。

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夢ひらく舞台・・・「げんない」

素晴らしい舞台であった・・・

由利本荘市の文化施設で行なわれた、「奇想天外歌舞音曲劇~みゅーじかる  げんない」。その名のごとく、舞台は活気に満ちみちた舞台であった・・・・

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このミュージカルは「わらび座」制作で、今回の作・作詞・演出は横内謙介、作曲が深沢桂子、編曲が前嶋康明、振付はラッキィ池田・彩木エリ。昨年には、「わらび座」の「為三さん」を観て紹介させて頂いたことがあった。

東京で生まれた「わらび座」、それが秋田県田沢湖町に根を下ろした。もう63年になるという。日本では”劇団四季”や”宝塚歌劇団”に次ぐ規模であり、民謡・民舞・歌舞を始め、ミュージカルも得意で、それも昨今は秋田県人を取り上げている。

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今回の「げんない」は勿論秋田県人ではないものの、秋田県とも関りのあった人物だ。舞台は夢に向かって進んでいく源内を捉えていた。特にこの中では、源内役の三重野葵、吉次郎役の鈴木裕樹、お千世役の鈴木潤子の歌がこころに響いたshine

今回の準主役のお千世役の鈴木潤子さんのファンにはたまらかった。俺も彼女のファンだ。なぜファンになったのかと言えば単純だ。俺の生まれた月日が同じだからだ。だから、いつか彼女の舞台をと念願していた。それがきょう実現、しかも会場から出ると役者の皆さんが見送りしてくれて・・・

潤子さんもいて握手したhappy01「生まれ月日の同じ○○です・・・これからも応援します」と。もう感激であったweep

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かつての「わらび座」は、俺たちが小学生の頃、学校によく公演に来られた。その中には寸劇あり、歌唱指導もあった。「雪山賛歌」「アルプス1万尺」等を習った記憶がある。

74年には、「わらび劇場」が完成、そこではほぼ毎日上演している。今は、秋田県の初の女性代議士・和崎ハルを描いた「ハルらんらんnote」だ。近いうちに観に行こうと思っている。常設の会館は仙北市で、俺の家からは約2時間だ・・・

歌の中で、note「未来よ、やって来い。過去は変えられぬ 今もままならぬ ただひとつ 人のチカラで 未来は変えられる」の一節があった。本当に共鳴できた歌詞。俺も年ではあるが、夢は持ち続けて生きたいものだ、そう思いつつ会館を後にした・・・

    写真は頂いたパンフレット等から

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歌仙も楽し

    短夜の雨に親しき矢島かな (登)

      鳥海山に香る笹ゆり(櫂)

    表より裏のおもしろ何につけ(和宏)

このような”ことば遊び”があるとは知らなかった。昨日、矢島町で開かれた「公開歌仙」。おおよそ130人がこれに集まった。そのひとりが俺である。

当初、参加するつもりはなかった。歌仙とはどんなものなのか、何が面白いのか、人が集まるのだろうか、そんな思いでいたら、矢島の短歌会の会長から「是非、出席して頂けませんか」との電話、それで参加を決めた俺であった。

歌仙とはそもそも、優れた歌人を選び、その名や歌をあげたもの、または優れた歌人の事を言うようだ。業平などの六歌仙、三十六歌仙等は有名だ。最初は発句として「5・7・5」、次に脇として「7・7」、更には第三として「7・7」これを3人で詠うのだ。

例えば上述のようにである・・・

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今回、来られた先生方は、作家の辻原登氏、歌人の永田和宏氏、そして俳人の長谷川櫂氏。 この3氏は5年ほど前から、この歌仙を行なっていた。だが今回が締めといい、初めて一般公開の形式をとったものだ。

今回は、冒頭のように即席で交互につないでいく、いわば言葉遊びと言ってもいいだろう。時に社会を風刺したり、また、地元に係る言葉も入れていくのだ。

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そして、3時からは先生方を囲んでの懇親会。今回、矢島を開催場所に選んだのは、作家・辻原氏の労によるところが大きかった。辻原氏は、小説「遊動亭円木」を書いた。その中では矢島が舞台になっていて、それが縁で一昨年は講演会も行なわれた。

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それには勿論、俺も聞きに行った・・・

懇親会になって、俺は真っ先に辻原氏のところに席を移し、昨年に読んだ「冬の旅」のこと、小説の素案は・・・結末は最初から考えているのか・・・など等質問をした。

3氏は多少酒が入った時点で、きょうの歌を筆にした・・・

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初めての歌仙を目にしたが、なかなか面白いものであった・・・

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献詠祭(短歌考)

秋田市の千秋公園内にひとつの神社がある。「弥高(いやたか)神社」である。ここに祀られているのは、国学者・平田篤胤、経世家・佐藤信綱。篤胤は、本居宣長等国学の四大人と呼ばれている。008

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弥高神社では、例年5月1日は宵宮祭が行なわれている。最大のイベントは、公募した短歌の中から10首を選び、神前に選者の先生方を中心にして、古式にのっとって歌い上げられる。

上の2枚の写真は昨年の模様だ。篝火が焚かれ、巫女の舞の奉納のあと、10首の歌と氏名が読み上げられる。俺はリタイア後を中心に、これまで5回、代表歌10首に選ばれている。そして今年も朗報を待った・・・通知が来ない、やはりだめだったか、自信があったのに?

     ☆坂の名は御堂坂とふ若者の意気に担がれ御輿が上る

通知が届いたのは、先月の25日、案内では代表歌ではなく、「佳作10首」に入選とのこと。しかし、代表歌にならないと献詠されない。だから、今年は欠席した。しかし、宅急便でこの5日に土鈴が届いた。代表歌になれば「絵皿」なのだが、佳作だと土鈴らしい。

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002 可愛い巫女の土鈴だ。俺にはまた新たな宝物が加わった。自信があったなんて思い上がりだった。そんなことだから、代表歌にはあと一歩及ばなかったのだろう。

この献詠祭への短歌の応募は例年200首ほどだ。ところが今年は135首と激減したようだ。選者の言葉を借りると応募者も高齢化し、それが要因ではないか、そのように述べている。

確かにそれもあるだろう。俺は毎月、歌会を主宰し講評しているのだが、若い人など短歌に振り向く気配はない。俺は10代から作歌し、当時は一番若かったが、今でも歌会では一番若い方だ。

考えたりするのが面倒だからか、でも、日頃の思いや感想をどう表現しているんだろう。社会に対する思いでも何かあるだろう。

安保関連の事だって、声を出さないでいれば、為政者の思うつぼだ。先ずはだめなものはだめ!って声を出さないで、世の中は変わらない。声でなくともいいだろう、その思いを十分に訴える事ができるのも短歌である・・・

父に次ぐわれ猿田彦なり祭礼の道払いてゆかな

  数年前の代表歌になった俺の短歌である。祭典の巡行で俺は猿田彦(天狗)になったときの歌だ。猿田彦は俺の父も行っていた。

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衝撃的なセーラー服歌人

母が入院して3日目、母のところに行った妻に「建物変わったんだが~」と聞いたという。先日までいたショートシティの施設だと思っていたようだ・・・と妻。「ここは病院だから、点滴などを抜いてはだめだよ」妻は母に話して帰ったとか・・・

母の入院した日に連絡もなく遊びに来た娘。ところが風邪をひいている。おまけにふたりの子どもはインフルエンザと湿疹・・・病原菌を持って我が家にやってきた。従って、昨日・きょうとhospitalに出掛けた・・・

さてきょうの花は・・・

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こんな数の花はこれまでなかった、シャクナゲが8輪ほどの鮮やかな花を見せた。茶の間の縁側から見ると豪勢に見える。昨年、花柄を一所懸命に取り除いてやったせいだろうか、花も大きいからより立派に見える。

冬越しが成功したふたつの花・・・ロベリアなど

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でも、昨日といいきょうといい、風が結構冷たい。暑がり屋の俺でさえ、t-shirtの上に作業用シャツを着て仕事をした。

午前中は、短歌会の定例合評会。今月の兼題は「桜または梅」、他に自由題含めて37首。それを全て講評、場合によっては添削である。きょうは419回目、かれこれ35年、仲間に入れ替わりはあったものの、この1回目からの参加はおれひとり。そんなこともあって、俺の主宰の短歌会でもある。

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学生時代は詩作にふけった。短歌は石川啄木をまねて作ったものだ。社会に出ては、隣りのじいさんから誘われ俳句を3年、のち元の小学校の校長先生から短歌に誘われた。今、思うと有難い先輩方であった。

道浦母都子さんの歌集「無援の抒情」を読んで、短歌は”今”を歌うことが大事だと思った。啄木の失恋や貧乏を嘆く歌に、疑問を抱いていた俺にとって、その歌集は衝撃だった。

のちに渡辺淳一氏の「冬の花火」を読んだら、それは歌人の中条ふみ子さんの生涯だった事を知り、彼女の歌集「乳房喪失」を読んだ、これまた衝撃だった。のちに俵万智さんの歌集「サラダ記念日」を読み、ああこんなことまで短歌に出来るんだと衝撃だった。

006 歌人・鳥居さんのことを新聞で読んだのは、3月29日のことだ。その時は、そんな歌人もいるんだなと思っていたが、先月、息子の子の誕生会の帰路、本屋に寄ったら写真の本があって、その帯を見てあまりにも衝撃的だったので、それを求めた。

「セーラー服の歌人・鳥居」という1冊だ。拾った新聞で字を覚え、やがて図書館で穂村弘氏の歌集と出会ったという。

母の自殺、小学校中退、施設での虐待、ホームレス生活・・・そんな彼女が生きづらい日々を短歌で癒やす、本書は彼女の半生綴ったものだ。

彼女の歌集は「キリンの子」、これはまだ読んでいないが、本書にもいくつかの短歌が紹介されている。

いつまでも時間は止まる母の死は巡る私を置き去りにして

振り向かず前だけを見る参観日一人で生きていくということ

彼女は実名も年齢も明かしていない。大人になってもセーラー服だ。学校の勉強をやり直したいからだという。孤独な時は短歌をよもうの思いをいつも抱いているという。

世の中にあっては、彼女の半生は哀れと見えてくる。けれど彼女は、短歌と出合って短歌を詠んで、生きることを知ったのだと思う。近々に歌集「キリンの子」を読んでみようと思っている。

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