
投稿していた拙文が新聞に掲載された・・・12月の半ばに投稿していただけに、「掲載はないな」そう思っていたから、驚きであった。昨今、投稿がなくてその紙面を埋めるという事だったのかも知れないな~( ´艸`)内容は以前に、わがブログにも記載したと思ったが、「笑顔もTPOが必要だろう」という主旨だ。
菅総理の学術会議の会員任命の拒否にあっては、十分な説明がないままに笑った・・・こんなに重大な事案に笑うとは何事だ、如何に総理であっても、否、総理であるがゆえにこれを重大な事と考えていない、俺はそう思った。口癖は「国民に分かりやすく、また丁寧に説明する」等と言いながらも、これまでなにひとつ十分な説明は行っていない、なのに笑うとは・・・呆れて物が言えなかった。
もう一件。某ニュースでは某大学の先生が、新型コロナウイルスの現況、この後の予測を説明するときににっこり笑うことだった。良い方向に進むのであればまだしも、どんどん感染が広がることを笑顔で話すこともまた不見識、まるで予測を楽しんでいるように見えて、俺は不愉快だった。だから、今でも彼が場面に出るとチャンネルを換える。妻は「地顔だから・・・」という。俺もそう思った。
だが識見のあるはずの学者。そんなことは自覚すれば顔も締まるはず、それを笑顔で語るとは・・・これまた呆れた。例えば人に最後の別れを言う時に笑顔になれるのか、ニュースのアナだってそんなニュースにあっては笑顔を見せないのに・・・あまりにも不愉快な場面だけに投稿したものだった。
掲載されたら、3人の方から”確かにそうだ、私も実に不愉快に思っていた”と連絡が来た・・・・俺などはいつも仏頂面だから、逆に笑顔にならねばならないのだが、努めてそうしようと俺も反省しながら・・・自らに言い聞かせた。
・・・と、ここまでは良かった。良かったのだが、さすがお偉いさんを批判したせいだろうか?悪態はいうもんじゃないね・・・ほんのちょっぴり痛い目にあっちゃったよ!几帳面でおっちょこちょいの俺だ。きょうも籠り部屋で作歌したりしていて、プリントしたら失敗したのだ。それでその紙をゴミ箱に入れた。そこまでは良かったのだが、起き上がって振り向きざまに・・・がが~んと左の目の横をしたたかに書棚にぶつけてしまった。手をやると血が付いた。妻からケアリーブを貼ってもらった。7mmほど切れていたようだ。
あ~あ・・・人様の、お偉いさんの悪態を言ったが様のこの負傷・・・悪態はつくもんじゃないナ~( ´艸`)

ところで、きょうも薄曇りで少し日も差した。気温は昨日よりも上がったようだ。それで我が家の屋根から大きな音がした。落雪だ。きょうも秋田県内では、その落雪で死亡事故がまた発生した。雪の怖さを知らない人はどうして?って思うかも知れないが、降り始めの雪の多くはふんわりしたものが多い。が、その後どんどんと締まっていく。まして、湿っぽい雪になったり、小雨があればなおさらに締まる。
気象台で言うには、例えば1m四方の雪の重さは100kgという。ところが、雪が締まると重さは3倍になるとか。つまりは300kgになるのだ。これが屋根から落下してくる。加速もついてくる。それが一気にくるのだから、この落雪に遭えばたまったものではない。もう被れば見動くもとれなくなるのだ。
新年ももう半月になろうとしている。元旦に計画を立てたが、反省も出始めている方もいるかも・・・?俺は酒はほんの2回ほどでマアマアなのだが、それに半比例して食が進んでいる。だからもう冬豚に近い。運動は朝のラジオ体操のみ、場合によっては雪寄せ。それ位だから、体脂肪は減らないのだ・・・
ただ、ブログは更新しているし、日記も何とかつけている。
昨年の暮れの朝日新聞に「壇蜜のまんずまんずセレクション」(地方版)が掲載されていた。内容は日記についてのものだった。失礼ながら彼女は繊細で聡明な女優だとは知っていたが、文章も実にうまい。その中にこんな文章があった。日記は日々のあれこれを忘れず明日に備えるもの、しかし、ある時・・・忘れるためにつけるという気持ちになったとか。要は辛い事、悲しいこと、それを日記に書いてあとは忘れる・・・だから、日記は忘れるために書いていると・・・
俺などは忘れたくないから記録しておこう、そんな気持ちで書いている日記だが、それもまた前向きに生きるためには良いのかも知れない。書いてあとはさっぱりとして前を向いていく、それもまた考え方であるだろうな、そう思ってしまった・・・
1月9日には、秋田魁新報でも日記を取り上げていた。「日記や運動の習慣化を!」であった。それには、1日の終わりに、その日誰と会って、何を買い、さらには当日に怒ったような事件を記し、自分の思いを書きつづければ、翌年の期待や目標も具現化できるだろう、そのためには先ず書く習慣をつけた方が良い・・・そんな内容だった。
いずれ忘れたくないと思いながらも日々の事は忘れる。それで良いのだと俺も思う。ただ、忘れるにしてもその日を考えて1日を終えることも悪くはない。こうしなければならないという決まりがあるわけでもないから、思いのままに綴ったっていい、自分の好みで書くのが一番だろう。俺はブログを書くのも、日記を書くのも、書くということの訓練でもあると思っている。

きょう俺は村に住むふたりに手紙を書いた。歩いて尋ねればいい話であるのだが、コロナ禍にあっては例え同じ集落に住んでいても躊躇うこともある。まして二人は病を得ているのだ。いずれも俺よりも年配なのだが、二人は歩くのが大変な状態なのだ。この二人に俺はこれまでどんなにか世話になったことだろう。俺が日の当たる道を歩いて来られたのも、二人からサポートして頂いたからなのだ。
今では二人とも村の行事にもまったく出て来ない。あれだけ若い頃はあれこれ議論したり、時には口論もした。タクシーを村に呼んでまちへ二次会として繰り出したことも、一度や二度ではない。いずれ俺を含めて”村の三羽カラス”と言われたことがある。あんな日々が楽しかったし、春になったら会いたいな~会おうよ、いっぱいやろう!等々書いた。
残されている時間は多くはない。俺にとっては恩人の二人・・・もう会う事が叶わないのだろうか・・・
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