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2019年1月

ああ・・・迂闊でした。

NHK”N9”を見ていたら、関東方面、東京23区でもこれから明け方にかけて、降雪がありところによっては1~2cmの積雪になるかも知れないとのニュース。雪国からすれば、そんな量ではニュースにはならないものの、慣れない雪に事故等の発生がないようにと願っている。

今年は”暖冬”と予測された事から、冬囲いも例年よりは簡単にした人もいたようだ。しかし、油断は禁物。これまで秋田県では、雪に関連して数名の方が亡くなっている。例えば屋根の雪下ろしにともなった事故、除雪してその雪を流雪口に捨てる際に発生した事故等など・・・

今年も「雪下ろしには命綱をつけよ」とか、「単独での除雪は避けよ」とか、自治体から情報が発せられる。また、暖気になれば屋根の下の通行は要注意、逆に冷え込みが強いと水道の凍結注意とか、車のスリップに注意とか・・・

それでも冬季間には、雪に関連した事故が起きる・・・

秋田県の中でわがまちは、一番雪の少ない地域になっている。海岸に近いということもある。だから、春の訪れも秋田県では一番早い・・・

ところで雪は、凍結も恐ろしい事には変わりないものの、解け際もまた要注意なのである。むしろ、この暖気の方がより危険とさえ思う。降った雪はさほどの重さではないものの、暖気によって解けると重さが数倍にもなるのである。

だから・・・俺も要注意!と思っていたのだが・・・迂闊だった、油断してしまったのだ・・・

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鉢物の冬越しのために作ったビニールハウス、約2坪と小さいものだったが倒壊してしまった。暖気になって、それまでに降っていた雪が雨になったのだ。それで週末に降った雪が解けて、重くなったビニールハウスが潰れてしまったのだ。

20cmも降った雪、このようにならないうちに屋根の雪を下ろせばよかったのに、後の祭り・・・実は、冬とは言えたまには日の照ることもある。あればハウス内の気温は上がる。小さいハウスだと、異常な状態になる。

それを懸念して、屋根に簾を上げていたのだ。それで屋根の雪が落下しないで、簾の上に残り、雨の重みで潰されたしまったのだ。あの日も午前中には用事があったので、午後から雪を下ろそう、そう思っていた矢先の事だった

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屋根の雪は解けて、ビニールには水のふくらみが出来ていた。このままだと完全に潰されて、鉢植えの木々の枝が折れたり、幹も危険だ・・・もうビニールはどうでもいい、あと一ヶ月、廻りにビニールがあるだけでも寒さは違うと、ふくらんだビニールに穴を開けた。

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開けた穴からは勢いよく水が落ちる・・・仕方ないしかたない、鉢に被害がなかったことでよしとしよう・・・ハウスは諦めるしかない。JAから3万円ほどで求めたハウス

ここで教訓だ、安易だった自らに、油断していた大将に自戒を込めて・・・「思ったらすぐに行動すべし・・・」 と。

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”こんな夜更けに・・・”

映画は似たような内容のものはあるが、当然ながら同じような映画はない。また、これまでも障害者を扱った映画はあったと思う。だが、今回のこの映画は異色としか言いようがない。暗い内容ではなく、むしろ主人公の障害者には憎たらしさ、傲慢さに辟易するのだ・・・が・・・

この映画は実話から生まれた1冊、それから生まれた映画だ。それが、「こんな夜更けにバナナかよ」である。

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俺はまだこの映画の原作本読んでいなかったので、映画がスタートしたとき、主人公の横柄な態度、わがまま三昧の姿に正直むかついた。もう自分は殿様で、ああだこうだと命令調で指示を出す・・・

その自分は幼少時から、難病である”筋ジストロフィーを患っていて、車椅子の生活。自分のからだは、首と手だけで、あとはボランテイアの世話になっている。そのボランテイアに、しかも夜中に「バナナが食いたい」買って来い!なのだ。

思わず思うだろう・・・こんな夜更けにバナナかよ・・・??

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写真はいずれもこの映画のチラシだ。このチラシには、いろんな方々の感想が述べられている。そのなかに、アナウンサーの有働由美子さんの感想も載っている。

       生きるのに、何カッコつけてんの?って
       言われた気がした・・・
       憎たらしくて
       愛おしすぎて、泣いた・・・

とある。俺も主人公の彼に・・・お前は何様なんだよ、すべてを世話になっていながら、感謝のひとつくらいあるのが当然だろう・・・そう思っていたのだが、映画が進んでいくうちに自分の目頭があつくなり、そして濡れていくのが分かった。

だから、終わっても直ぐには席を立ち上がれなかった・・・

彼は車椅子ながら、ひとつの夢を持っていた、だが、それを果せないままに亡くなっていったのだが、彼のその考えは彼を支えてくれたボランテイアの胸に種を蒔いた。むしろ、考えてみれば支えていたはずのボランテイアの人たちが、大きく支えられていたことになる。

今回、この映画を見れば「支える人」と「支えられる人」が確かにいて、それは社会の縮図のようなものだとさえ思う。だが、裏を返せば「支える人」も一面においては「支えられる人」であり、「支えられる人」もまた、「支える人」なんだと思う。

まだ・・・ご覧になっていない方には、お勧めの映画である・・・

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?のワイン

携帯電話がプルルンと鳴った・・・俺の師からである。年齢は俺よりもほぼ一回り違う。障害者施設の社長でもある。

「ハイ・・・」と出ると・・・「いいものが出来た、すぐに来い」とか。俺は急いで出向いた。いろんな意味での師なのである。

施設に到着すると・・・

「これだ!、ようやく出来た・・・」と机にその逸品を並べた・・・

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このワインは「イチジク」であり、りんごとの混ぜ合わせたワインだった。100%のイチジク、あとは80%、70%、60%。どれが君の口にあうかとのこと。確かに100%がうまい。純粋な感じがする。

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他のものもそれぞれの味がする。吟味しながら、口に含むと他のものは、ふたつの味がするし、60%ではりんごの味が強い。・・・と言いながらも、ほぼ1本は空けてしまった。ワインを呑んだのはしばらくぶりのこと。

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実はこの施設ではA型施設、言わば利用者がこの施設で学習して社会に出る。この会社では農業を行っている。それに加工も加えて、先の就労を考えている、施設なのだ。最近、ここではイチジク栽培に力を入れていて、ワインもその加工の一部という事になる。

イチジクは他に”お茶”、さらには”ジャム”、”干しイチジク”等にも加工し、ジャムはすでに店頭に並んでいる。

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実はこれもまだ試作品の段階のようだ。少々見た目がいまいちという感じもするし、噛むと歯に付着したりして、もう少し研究の余地がありそうだ。

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それにしても社長は元気印だ。この情熱は見習う必要がある。いくつになっても夢を抱き、実現させる為に、北海道に行ったり、東京で出身の大学に行ったり、先日はイチジクの葉のお茶を開発する為に静岡まで出掛けたようだ。

俺も行動派と思っていたが、俺以上の行動派の師である。

あとはどの混合割合のものを製品化するのか、ネーミングは・・・発表会はこの春を考えているようである・・・

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月例会と全国短歌大会

今年初めての短歌会・合評会・・・9人がいつもの公民館に集合。拙いながらも例によって、俺が冒頭の挨拶。先ずは健勝にて新年を迎えたことに感謝し、今月は短歌にからんだ大きな催しが開かれたことに話を触れた・・・

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そのひとつは「歌会始め」であり、ひとつは「NHK全国短歌大会」のこと。いずれにも俺は今回応募し、前者は落選し後者には入選し、その後者には参加してきたことを話した。そして、いずれの短歌も先ずは平明に詠っている事、また、前者には社会詠や暗いテーマはなじまないこと、後者にあっても淡々と日常を詠んだ作品が多かった事等を話した。

そして、自分たちの短歌も決してヒケをとってはいないのだから、チャレンジのつもりで今後は応募しよう、そのような内容で話をして、合評会に入った・・・

今月の題詠は「改」・・・

大方は予想したように、「年改まる」のような短歌が多かった。それが悪いわけではないものの、如何にして人様から共感を頂けるのか、それを考えたら個性がないと受けないし、共感をよばないだろう・・・

今回の俺の一首には6人から選を受けての最高点・・・

 ☆改元の迫れば「平成」愛おしく関わる新聞記事を切り抜く

当たり前のように過ごしていても、それが終わるとなればどこか寂しいもの、時代も同じで今回はその時まで明らかなので、そうなるとこの時代が愛おしい。新聞には関連した記事が多く掲載されているので、それを切り抜いたという内容だ・・・

             

さて・・・またまた東京でのことを書かせて頂く。これまでも何度か記したように、今回の上京の目的のひとつは、「NHK全国短歌大会」に参加するであった。東京に夜行バスで到着した俺は、荷物を預けて上野公園・ボタン苑を巡ってから、NHK会館に向った。

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まだまだ開場の時間には間があると思っていたら、多くはもう受付を済ませており、11時頃に受付をしたら座席は1階の後部であった。開会は1時なので、ホールの前の書籍コーナーで短歌に関した参考書1冊を求めた・・・

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開会・・・そして、特選の作品が朗読され選評がなされた。

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特選の1席にはこのような1首もあった・・・

 ☆ うんち出たとおまる抱えて来たる子と天に向って万歳をする

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短歌は日常を詠むのがいい、改めてそう思った。それも平明で、声を出しても流れるようなものならさらに良い、今回の模様は2月2日にテレビで放映されるのだが、実際の場面でないと感じる事ができないものもあると思う。

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それは短歌大会に限らず、コンサートにしろ講演にしろ、やはり”ライブ”の力と言えようか。今回の入選した俺の1首・・・

 ☆ 大鱈を背に担ぎて日本海の香り連れ来る春を告げ来る

今回の応募は20、574首、内入選は約2千首、その中に入ったのだから喜ばねばならないだろうが、同時にさらに上に目標を起きたいと自らを鼓舞させた・・・

   

          

短歌をやっても何になるものもない。苦労して作ったものが酷評されると、情けなくなったり自分を卑下したこともあった。だが、短歌をやり始めてからは細かなことに疑問をもったり、調べるということも多くなった。

今後も上達はしないだろうが、努力すれば昨日の大相撲の優勝力士玉鷲のように、花が開くことがあるかも知れない。それを脳裏に描いて過ごすことが出来れば、残りの少なくなった人生の時間も有意義な生き方が出来るだろう、そう信じたい。

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寒タラ揚がる!

冬の味覚の寒ダラが、金浦港で盛んに水揚げされている。タラは冬以外にも獲れるのだが、鍋などで重宝されているので、この時季のタラを”寒ダラ”と言っている。日本海の冬の荒波に揉まれた寒ダラは実にうまい。

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この記事新聞にも載っていたので、妻は早速漁協の直売所に出向いた。kg当り、約1,500円らしい。妻は娘の嫁ぎ先に送り、実家には車で届けた。いずれも5~7kgほどのタラを、例年のように・・・

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我が家にはザッパを買ってきたと昼に煮た・・・大きなタラを買ってきても、家では捌けないし、2人暮らしには大きなタラは余り過ぎる。

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魚はザッパが一番でザッパ汁ほどうまいものはない。更には子炒り、近年、これを食べたいばかりに、わがまちに来られる人も多い。それはオスの白子、ここではダダミと呼び、刺身が最高だ。よって、寒ダラはオスの方が値が張る・・・

それにしても今朝の雪は・・・かれこれ20cmは降った・・・降ったあとの芸術品は

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外に置いた軽トラは、まるで覆面を被ったような・・・吊り鉢はかき氷みたいに・・・

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簾は着物の柄のようだし、枝にはおにぎりのような形もある。

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居間の窓にはテレビの画面が映って・・・

きょうの雪、量はあったものの、凍りはない・・・この寒ダラが奉納される「タラ祭り」は来週だ。それが終われば”立春”である。 

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「みなと未来」の”スーパームーン”

朝からつんつんと雪が・・・おいおいそれはないだろう?昨日の予報では、午前中時々「」マークがあったんだからと、ひとりごちているとやがて雪が止み、太陽が顔を出した・・・

冬だって、いくら寒くたってが見えれば有難いし、嬉しいし・・・ふと・・・あの夜を思い出した。

        

俺にとっては、半年振りの横浜であった。頬にあたる空気はどことなく心地良かった・・・あの日も1万歩を超えた夜、やや疲れた顔には、横浜の冷気はむしろ気持ちよかった。桜木町・・・何度か下車したことがある。今夜も見上げる空には、どうどうと聳え立つ高いビル・・・

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聞くところによれば、ここら近辺は元々は”海”であり、それを埋め立てたということだ。人間の力はすごいものだと思う。山があっては均して平地とし、地盤が低いと土砂を入れて盛り上げる・・・つくづくと人間の力という、計り知れないものを思う。

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いつもながらの大観覧車・・・刻々と変化する位置、色・・・田舎にあっては、絶対に見る事の出来ない光景だ。俺は寒さも感じる事無く、その変わりゆく光景に立ちすくんだ。そして、何分経ったであろうか・・・

まさか?でも?・・・

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観覧車の脇に、見えたのは「月」だった・・・上京中、まったくテレビも見なかったし、新聞も購入していなかった。ネットもほんの少し見ただけで、この月が”スーパームーン”だったと後から分かった

それにしても大きく明るい月だった。たまたま居た横浜で、このようなまるで演出されたようなタイミングで、月を見るとは想像もしていなかった。

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観覧車は、自らを変えていくように時間を追いながら変化していく。そのすばらしい光景にシャッターを押したものの、俺のカメラは所詮安物だし、その綺麗な場面をすっかりと捉える事ができなかった。

このような光を巧みに駆使し、場面を盛り上げていくのも人間の知恵と夢想だ。それがあるから実現させようと、人間は努力する。俺等は、その些細な部分さえも、担う事ができないのだが、変化していく光と時間に、改めて人間の計り知れない願望を思った。

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ただ黙って見ているだけでも飽きがない。この観覧車には乗ったことがないのだが、それから見るスーパームーンだったら、どんなに幸福な時間であっただろう、ふとそうも思った。

        

同じ夜でも・・・今夜はクラス会。12月に亡くなったアツオ君を偲び、また、昨夏に亡くなったふたりの追悼を含めたクラス会だった。もう、クラスで鬼籍に入った同級生は10人近い。昨年は3人とは、少し早過ぎる。

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集まったのは13人・・・料理には地元の食材が並んだ。春を先取りしたような”ひろっこ”も出た。生きて居ればこそ親しめる料理、仲間と同席の呑み会だけに一味違う。話では金浦港には”寒ダラ”も上がり始めたらしい。

そう言えば、来週は初午があり、掛魚祭り、そして立春と進む・・・

この会に、みいちゃんも、さこちゃんもアツオ君もいたらこの年齢になれば、女も男も意識などない。まるで家族のようなものだ、同級生は・・・

PS・・・月の写真に影、ひょっとして飛行機?

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長勝寺のバラ

朝から雪が舞った・・・それは静かにゆっくりと、まるで降るのを楽しむように、空中を彷徨うように、雪が舞った。こんなボタン雪を見れば、少しだけ暦は春に傾いているように思う。俺が不在の時に降った雪が、脇に高くなっていた。俺は朝食後、その雪を家の前から移動した。

雪国の冬は黒白(モノクロ)の世界だ。空と地上の境目さえはっきりしない。

            

あの日、俺は妹宅を出てから鎌倉に向った。2~3年前に訪れたことはあったものの、いささか不安であった。かと言って同行してくれる人などいない。俺は京浜東北線・横須賀線と乗り換えて鎌倉に到着。だが、出口は東西ふたつある。

東口に出たら観光案内所があったので、聞いたほうが早いと思ってそこに入った。そこにはバスが出ているという。3番線だとか。少し待ってからそのバスに乗った。乗ったがどうしたらいいものか?聞くとスイカでタッチするんだとか・・・

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向った先は「長勝寺」だ。日蓮宗の寺である。俺は寺を確認後、材木座霊園に向った。長い上り坂であった。標高50mの小高い」丘に、霊園の管理事務所があったので、俺はそこに入って、俺の探している人の墓の場所を聞いた。

手向ける花と線香を求め、それに手桶を持ってさらに上って行った。やがて、俺の探していた人が納骨されている墓に・・・供花と線香を上げて合掌した。墓誌には・・・俺の探していた幼馴染のさこちゃんの名が彫られていた・・・

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俺はその墓誌をぶっては涙した・・・老いた母より先に逝く娘があるか!自分よりも8歳も上のダンナサンを残して、先に逝く妻があるか!涙は止めがたく俺の頬を伝わった。亡くなったとは言われても、この墓誌をみるまでは何か夢見たいな感じでもあったのだが・・・

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さこちゃんとは小学校から中学校までの9年間いっしょのクラスだった。小学校は2クラス、中学校は8クラスもあったのに、ずーっといっしょのクラスだった。チャーミングなさこちゃんは男子の憧れであった。それに頭も良かったし・・・

でも、俺等は恥ずかしくて話しかけたことはほとんどなかった。33歳の年祝いの時だった。偶然にも座る場所が隣りであった。もうその頃は、いささか俺も度量がついていたのか、さこちゃんと話し込んだ・・・

読書家でもあったさこちゃん・・・俺も結構本は読んでいて話も合った。あの日、話の中心は、ヘデインの「さまよえる湖」のことで、話し込んだことを記憶している。その後にさこちゃんはクラス会にも出席しなかった。

さこちゃんのお母さんから聞いたのであったが、義母の世話や介護でなかなか帰省できないことを知った。そのこともあってか、子どももいなかった。

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その後のさこちゃんと会ったのは、3年ほど前に弟さんが逝かれたので、弔問に行ったらさこちゃんがいた。俺はさこちゃんのお母さんとは、仕事で世話になっていた。婦人部関係の役員をされていて、俺もそれにからんだ仕事をしていた。娘の同級生ということからか、面倒を見て頂いていた。

俺が弔問を終えて家を出ようとしたら、お母さんとさこちゃんが俺にすがってこられて泣いた。勿論、俺もとても我慢できずになくしかなかった。

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一昨年に俺の母が亡くなった。その盆のことだった。俺は鉢植えの植え替えなどしていた時だった。ごめんください・・・との声に顔をあげた。一瞬、誰なのか名もでなかったのだが、あれっ!さこちゃんだった。母の初棚に見えたのだった。型どおりのはなしをし、帰って行った・・・

盆が終わってそろそろ東京に戻るんだろう、そう思って俺はさこちゃんの実家を訪ねた。お母さんとともに笑顔で俺を迎えてくれ、3人で談笑しあった。別れ際に初めて握手し、またね・・・ともに言い合った。だが、これがさこちゃんとの最後となってしまった・・・

お寺に行くと入ってのお参りは出来なかった。通常、どこの寺でも自由に入られるのに、やはり都会では無用心という事か・・・境内に赤い花が見えた。近づくとそれはバラであった。赤いバラであった。

さこちゃんは花が好きだった。特に山野草が好きだったようだ。俺のブログをみて、それはキチジョウソウというとか、シラユキケシだとか、ブログの中では交流が続いたのだが、そのブログを書きながら、すーっと消えてしまった。

         

雪が降る1月・・・でも、ボタン雪のきょうだ。これからぐーんと春に接近とはいかないだろうが、でももう一ヶ月になれば、3月に入れば、雪国にも春が来る。2月生まれだブログに綴られていた。だから”夏に弱い”と書いていた。そして、そのままに消えて行ったさこちゃん。

明日は、クラス会だ。12月に亡くなったアツオくんを偲ぶ同級会だ。その席では当然、さこちゃんのことも出るだろう。俺にはあの日の長勝寺で見たバラが、墓参に来てくれて有難う、その俺へのお礼だったのではないかと思っている。

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上野東照宮のぼたん苑

午前5時10分、俺は故郷のバス停に足を下ろした。まだ夜の明けない空。その空からとめどなく雪が降っていて、時折吹雪いた・・・昨日まで背に浴びていたがわが故郷にはない。そして寒い・・・

ああ・・・寒いさむいと家に入った。18日以来の我が家・・・上京するときは何の疲れもなく、到着した朝から俺は行動したのに、帰郷のバスは少し疲れた目的を何とか果したい、そして果してきた安堵感があったのか・・・

さて・・・

19日、東京に着いた俺は上野駅に荷物を預け、先ずは食事。そして、ぶらりと上野公園を散策、散策しながら開園時間を待った。

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ぼたん苑に入る前に”上野東照宮”に入った。ここには初めて入ったのだが、その豪華な造りには圧倒された。以前に参拝したときは工事中であったので、中には入れなかったのだが・・・

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細かな彫刻、活き活きとした彫り物・・・

そこを出て、東照宮の手前にある”ぼたん苑”に入った。ここは、昭和55年日中友好を記念し、開園したとある。当初は70品種だったようだが、現在は110酒00株のぼたんがあり、冬は40品種200株が栽培されている。

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絢爛たるぼたん、それは人の優しさを象徴するように、皆々”わらぼっち”で労われている。いくら冬咲き品種であれ、東京でも夜間は冷え込む。その寒さを労わってやるからこそ、このような花を見せてくれるのだ。

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尚、参考までにリーフから拾いがきすれば、冬ぼたんの開園は1月1日から2月中旬、この期間は無休らしい。

話をふたたびきょうに戻すと・・・やはり疲れが出て、何をする気にもなれない。さらにはバスの中のシートに座りっぱなしの約8時間ということもあって、腹の収まりも良くない。加えて睡眠不足

横にでもなって眠れればいいのだろうが、寝るのも億劫・・・いっぱい重なっている郵便物の整理、たまっていた新聞を読んで切り抜き・・・

こうしていたら、空がやや明るんで来て、日も少し顔を出した。そうか、俺のズボンのポケットには東京の青い空、明るい太陽のかけらが入っていたのだ、それが故郷の空に広がって日を誘ったのか・・・そう思うような午後の空だった。

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有難う、そしてさようなら…東京

俺は間もなく東京を発つ、天気と友人に恵まれた東京であった。こんな暖かな場所から、一夜明ければ雪のわが故郷だ。少し億劫な気持ちにもなるが、故郷に帰らねばならない。

東京の最終日もまた、歩いた。きょうも1万歩は越えた。

どうしても果たしたい場所があり、そこに出掛けた。俺が行きたい場所、そこは千葉県の香取市の佐原。そうかの伊能忠敬の記念館のあるまち。歴史上の人物で、俺が崇拝しているひとり、それが伊能忠敬だ。昨年は、俺にとっては辛酸極めた事があった。

だが、まだある時間だと思い、伊能忠敬の生涯に学ぶべき何かがあるだろう、何かを感じたい、それが強くて、今回の上京の目的の3番目だった。

それをきょう果たした。勿論、才覚のない俺ではある。それはどうにもならないのだが、ほんのささやかなものでも、今後の生きる時間の支えにしたい、そう思ったのだ。

彼の生家にも入った。何気ないその生家に、俺にはジーンと来るものがあった。俺も負けてはいられない、自分に負けない気持ちを奮って、故郷に帰ったら生きていこう!

東京よ、友人よ…有難う。

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歩いたり、18、243歩

きょうも東京は晴れ時折の風が心地よい。もう梅も咲きだし、早い品種の桜開花も見える。あっちこっちの🚃に乗り継いでいると、田舎者だけど、東京に住めるかもしれない、なんて思う┐(´-`)┌

自宅に電話すると、きょうも⛄らしい。きょうは電気屋がみえ、残りの照明の取り付けを終えたらしい。それに建具屋も見えて、ドアなどの取り付けも終わったようだ!俺が帰れば、もうすっかり籠り部屋は出来ている。

東京のの下、きょうは新宿御苑を散策。きょうの歩数は18、243歩、この数字は上京して最高だ。いよいよ明日は最終日、果たして予定している最後の一ヶ所にたどり着けるか…天気は明日も良さそうだ!

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墓参

きょうもまたよい天気の東京地方自宅に電話を入れたら、きょうも吹雪らしい。同じ日本であるのに天気だけは不平等だな
…なんて思う。

9時には妹宅を出た🚃妹夫婦は俺を歓待してくれ、見送りまでしてくれた。手を振ったら、胸に込み上げてくるものがあった。妹は俺とは10歳も離れている、俺の兄弟の末っ子だじょうぶになったら、今度は秋田に来いよって笑顔はみせたものの…

上野駅に荷物を預けて、京浜東北線、横須賀線等を乗り継いで、鎌倉駅に到着🚃今度はバスにのって長勝寺に向かった。そのお寺はバス停で下車すると直ぐだった。お寺に向かう前に、材木町霊園に🚶先ずは向かった。

事務所でお墓の場所を聞き、供花と線香、それに手桶を持って坂道を上った。俺の探していた墓地はすぐに分かった。花と線香を手向け、石塔に水を…墓誌の横面には…あったのだ、懐かしい名前、俺の同級だったさこちゃんの名前が…下には年齢も…とうとう来た、とうとう出会った。

俺は石塔のさこちゃんをぶった。老いたお母さんを残して、自分よりも8歳年上の旦那さんを残して、先に逝くやつがあるか、何でなんでと俺は墓石をぶつしか…なかった。そして、何かにとひとりつぶやいた。

墓参りにしては時間がかかるな、そう思ったのだろう、管理人の人がこちらに視線を向けたのが分かった。墓参りにしては、時間がかかるな、或いは不審者の懸念を感じたのか。いづれ小高い丘の霊園、眼下には海が広がり、さこちゃんが眠るには相応しいと思った。

小一時間はぶつぶつ言いながら墓前にいただろうか。何時かは俺たちも旅立つ、その日までお母さん、旦那さん、それにクラスメートをみまもってくれよな、そう言って俺は霊園を離れた。こうして、俺は上京の目的だったふたつめも果たすことが、できたのだ。

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東京の2日目

昨日、東京に出てきて妹宅に泊まった、そして今日また泊まり、明朝にふたたび、東京に戻る予定だ!
上京の目的のひとつには、妹の旦那さん、つまり義弟が昨夏に手術しているので、その後の元気な顔をみることもあった。当初は元気をなくしているのではないか、そう心配していたのだが、杞憂であった。体重が少しは減っているとはいえ、すこぶる元気であり、昨晩に続いて今夜も少しはビールと酒を酌み交わすことができ安堵。今日などは好天に誘われるように、3人で散歩をした。

当初はきょうは香取市の伊能忠敬記念館に脚を運ぶ予定をたてていたのだったが、妹宅とは往復で6時間はかかるらしく、予定を変更して妹宅で過ごすことに。そこで3人で市内を散策。天気が良いこともあって、歩いたら少し汗ばんでくるほどの天気。こんな天気を出来るものなら、そのなん分の一でも良いから持ち帰りたい、そう思ったほどだ。

明日はここ妹の家を出て、鎌倉に向かう予定。これもまた、上京の目的のひとつ、同級生だったさこちゃんの墓参りをするためだ。

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東京です…

午前6時10分…

暗い夜明け前の東京に無事に到着です。上野公園を散策してから、NHK会館に向かいます。
全国短歌大会なんです。単なる入選ですが、その雰囲気を味わうためにやって来ました。
晴れとの事ですが…
じゃ~また

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東京へ・・・

寒い・・・寒い・・・ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ

昨日から断続的に秋田は、わが地域も時折吹雪いたりしている。子ども達の3学期が始まる頃には、例年こうした寒波がやってくる。それまでは例年にない、穏かな天気が続いていたのに、皮肉なものだ・・・

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上の写真は一昨日のもの。太陽がぼんやりし、雪が黒くなって写っていた。きょうはこのような状況ではなく、太陽の片鱗も見えない。また、下の写真も同じ日の午前中に撮ったもの。風車が浮かんで見えたが、きょうはこれまた見えない。

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今朝の我が家の玄関の戸は、雪が付着して何にも見えなかった。昨晩にはやはり吹雪いたのだろう・・・

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俺はこれから東京に発つ。いつものように夜行バスだ。日中の移動は勿体ないし、かと言って飛行場には遠いし、てっとり早いのはバスだ。料金は電車の半額、窮屈なことを8時間我慢すればいいのだから、今回もバスだ。地元を発つのは午後10時5分

明日の朝には東京駅だ・・・

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誠実さ故に・・・2

昨夜は失礼しました。何だかとても疲れて、「誠実さゆえに・・・」を途中で止めてしまいました。全く誠実みのない俺ですきょうは、家の前の除雪も終わりましたので、昨夜の続きを書かせて頂きます(*_ _)ゴメンナサイ

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稀勢の里は、記者会見で「土俵人生において、一片の悔いもございません」。こう述べたと報道された。彼の足跡をみれば、15歳で初土俵を踏んでの17年、青春真っ只中を相撲で生きてきた身であれば、そう述べるしかなかっただろうし、そう述べざるを得なかったような気もする。

藤沢周平の1冊に「蝉しぐれ」がある。あの主人公の文四郎が、切腹をした父・助左衛門を思って友人に言う・・・父にむかって自分は後悔している・・・」と。それに友人が言う。「後悔しない人間はいない、人間は後悔するように出来ている」と・・・

俺はあの場面が好きで、何度か読み返しよみかえし、自らを慰めたことがある。ああ・・・過去に悔いを持つのは俺だけではないのだ、誰もが過去に悔いをもっているのだ、それで救われた・・・

だから、稀勢の里にもきっと一片の後悔だけではなく、むしろいっぱいあったのではないかと推測できる。ましてや横綱という立場にあっては、むしろないのがおかしい。しかし、その立場もあり、そう言わないと自分を納得させることができなかったのだ(と俺は思う)

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協会にあれば、納得できなくても従わねばならない。相撲と言えど興行であり、ショー的な面もある。当然、相撲人気がなくなれば、力士も暮らしていけなくなる。あの頃はどうだったのかは知らないが、外国人力士が上位を占めていて、そこで和製の横綱が必要だった。そのチャンス?を掴んだのが稀勢の里でもあった。

当然、相撲人気は高まった。特に白鵬に向って行く相撲は館内を沸かせた。特に24歳の九州場所では、白星を重ねていた白鵬をストップさせた。従って彼の人気は絶大になった。ただし、彼はここ一番ではプレッシャーに弱かった一面があった。

しかし、徐々に花開いて30歳で初優勝、そして横綱に昇進。そのまま一時代を切り開いていくものと想像された。だが・・・横綱になった翌場所、負傷しながらも逆転優勝・・・本人も感激極まって涙を流したが、国民みな等しい思いを抱いた(と思う)

益々稀勢の里の人気は高まった。この時、週刊誌にはこの無理をして出場、さらには優勝した事が致命的なものになると報道された事を記憶している。ほとんどの人はそう思わなかったと俺は推測している。だが、今を思えば確かにそうだったのだ。

彼は誠実な力士である。横綱となれば、責任もある。ファンの為にも、何がなんでも出場しなければとの思いが、無理なからだであっても土俵に上がらねばならなかったのだろう。そのことが、結果的には横綱としての実績を積む事ができなくなってしまった(のだと思う)

大相撲は格闘技でもある。勝負の世界である。負けが続けば、理由がどうであれ、その道を退くしかない。彼を見たいがために観覧に行く、彼を応援したいがために観覧席に足を運ぶ。それが興行的には客を呼んでもいるが、客が入れば良いとも言えず、稀勢の里は勇退した・・・

思えば、彼は相撲界において一種の悲劇を負った力士だったかも知れない。対抗軸として選ばれ、それをこなそう、期待に応えなければと負傷しながらも頑張ってきた彼に俺は感謝したい。彼のそうした誠実さにひかれてのファンも多いはずだ。

まだまだ1/3の人生だ。ひたむきに誠実に生きてきた彼には、まだまだ長い先がある。決して満足なものではなかったかも知れないが、この1/3の人生が残る2/3の人生に生かしてほしい、そう願っている。

      ~写真はNHKテレビから~

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誠実さゆえに・・・

我が家の冷蔵庫の扉には・・・

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4力士のマグネット・・・昨年の1月場所の蔵前国技館に初めて入り、その時に求めてきたものだ。相撲ファンの妻とJAの相撲見物のツアーに参加した、ただその時はもう中日あたり、従ってもう激しい星の潰しあいは中盤であって、俺達が入ったときは白鵬も稀勢の里も休場していた。

一番見たかった力士は稀勢の里だったので残念だったが、仕方のないことだった・・・

その稀勢の里が、昨日、引退届けを出して土俵を離れた・・・そのニュースがきょうの新聞に大きく載っている。

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歌会始め

皇居では平成最後の”歌会始め”が行われた。俺はそれをテレビで拝見した。短歌を趣味とする人間にとって、この会に出席できる事はあこがれのひとつであるだろう。毎年は約2万2千首の応募があったようで、その中から10人の短歌が選ばれて、独特の言い回しで読み上げられた・・・

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その中には秋田県の鈴木さんの1首も選ばれ、皇居で読み上げられた・・・

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面識はないが、彼は建設工事をしている人のようだ。県大会等には出詠されない方で、若い頃は兜太氏に俳句を学ばれたことがあったと聞く。題は「光」・・・”ひかり”と詠ってもいいし、”こう”と詠ってもいい。いずれ短歌の中に「光」が入らねばならない。また、俳句と違って季語の挿入は不要だ。

鈴木さんは・・・

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震災で被災された相馬に、風力発電の風車を組んだと言う。それはさも、復興から立ち上がる人々の思いを重ねた1首。この歌会の歌は、個性の光る歌よりもオーソドックスな短歌が取られる。短歌というよりも和歌のようなニュアンスの歌が多いようだ。

俺も今回応募したのだが、まったく箸にも棒にもならなかったようだ。今回は2度目のチャレンジだったが、もっともっと勉強しなければならないようだ。即興で詠んでいるような俺の歌はもっともっと深く詠みあげなければ・・・

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読者の中には、この歌会始めに応募してみようという方がおいでかも知れない。歌は一首。半紙に筆で書くのが基本。書けない人はそのことを事前に通知が必要だ。内容だが、新年に相応しく短歌がいい。暗い内容や哀しいものの短歌、こういった短歌はまず第一に除かれる。

出詠するにあたっては、どんな短歌大会でもその開催趣旨が記されているはずだ。そのことを年頭にした内容にしないと、良い短歌であっても振るい落とされる。鈴木さんの今回の歌は希望があり、これが先ずは評価されたんだろう・・・

ちなみに天皇陛下の御歌は・・・

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被災地の子どもから送られたひまわりの種、それが初夏の光に生え揃ったという喜び、また、ひまわりがすくすくと成長していく事を詠まれた。天皇陛下はその姿を見ながら、思いを被災地に寄せ、復興をいのっているような御歌になった。

皇后陛下の御歌は・・・

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控えめにして、自身の心境と思いを繊細に表現されておられる。寡黙な滲むような御歌かと思う。

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夢に向って走っていた頃・・・

1月15日、かつては「成人の日」であり、我が家では小正月であった・・・大正月で半分、そして小正月を向かえて”年”を取るのだと子どものころは言われた。従って、かつては午後に茶の間で朱塗りのお膳で、12月31日のように会食した・・・

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今ではかつてのようなことは略したが、餅をトイレにも上げ、農舎にも上げた。あの頃はこの餅を、農機具や車にも上げ、また囲炉裏や馬小屋にも父は上げていた。小正月は仏様の正月だとも聞いた記憶がある。

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また、16日の早朝には、元旦のように雑煮餅を食べた。だが、小正月の雑煮には鶏肉もない精進雑煮餅だったと思う、それは仏様の正月だったからだろう・・・

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15日、茶の間で会食終われば、年賀葉書きの抽選があった。俺は切手収集をしていたので、切手シート当るのが一番の喜びだった。

その後はNHKテレビで「青年の主張」が行われ、家族全員で見たものだった・・・

俺は20歳のとき、そのNHK青年の主張秋田県大会に出場し3位になった。今でもあの日の事は記憶にある。確か、5分の発表だった。原稿用紙だと7枚ほどだった。俺は口は重いのだが、書くことは億劫でなかったし、高校時代には農業クラブの会長をやらされ、琵琶湖で行われた全国大会にもでたりと、発表に躊躇することはなかった。

農業を継がせようとした父とは諍いしながらも、父の希望に抗し切れず進学した農業高校。それでも農業にはさほど関心があったわけではなかった。だが、やるんだったら稲作には魅力が見出せず、俺は花卉栽培をやりたいと思った。

高卒後、俺を農学校に進学させたことに引け目を持った父だったかも知れない。俺が花をやりたいことに反対はしなかった。俺は県から派遣の形で、花卉の研修に出させてもらった。研修先は宮城県の名取市であった。そこで特別研修生として三ヶ月の実習を積んだ。

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名取市はカーネーションの温室栽培だった・・・そこには2人のお嬢さんがおられて、下のお嬢さんが俺になついてくれた。4~5年前に、所用があって仙台に出かけた折に、久々に俺はそこのお宅に寄らせてもらった。

そこには上のお嬢さんがお婿さんを迎えておられ、下のお嬢さんは県内に嫁がれていると聞いた。お母さんは丁度、デイサービスに出るところであり、俺があの時に世話になったことを話したら、涙を流された・・・

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名取市での研修を終えてから、俺は県の後継者育成資金を借りて、30坪のビニールハウスを建設した。わがまちでは、このような施設は初めてであったことから、視察も来られたり新聞に載ったり・・・

実は俺が青年の主張で述べたのは、このような経験をして将来は花卉農家になりたいとの夢を語ったものだった。新しい試みだっただけに、審査員の注目を浴びたのだったのか、3位の入賞だった・・・

その年の8月には、県で募集した若者の懸賞論文。これに応募したら1席。知事から賞を受けたのは、確か県立体育館。翌日に俺の論文が大きく秋田魁新報に掲載されたのだった・・・

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ああ・・・あの頃が懐かしい、夢の実現に向って走っていたころが懐かしい・・・あの日の1月15日が懐かしい。情熱的に生きていた自分が、とても懐かしい・・・ 

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冬晴れの「成人の日」

朝からとても良い天気これが1月、寒の内とは思えないほどの天気!

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道路にはまったく雪がないし、日陰のところにいささかの雪がのこっている程度で・・・まるで3月のような1日だった。この晴天に誘われるかのように、散歩している人の姿があり、それは1人や2人ではない。親子の姿があり、高齢者と思われる人も杖をつきながら歩いていた。

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妻も散歩に出たという。俺はまだまだ終わっていない部屋の整理に終われ、その窓から歩いている人を見ている。こんな日はを伴って散歩したら、どんなにか気持ちいいだろう、そう思う。

仕事を辞めたらを飼おう、以前飼っていたのケン太のような柴犬を飼おう、そう思っていたのだが、俺の生活からはきちんと散歩は出来そうにない。そうなればが可哀想なので、飼いあぐねている。

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居間の窓から見える白雪川、その川床を年末から堀りあげているバックフォー。それが稼動している・・・あれ?きょうは祝日なんだよな、でも現場の作業は休みは日曜だけか・・・でも、一瞬何の祝日だっけ?

001 一瞬、思い出せなかった。俺たちにはず~っと「成人の日」は1月15日だったのだから、頭のなかでは、それをなかなか更新できないでいるのだ。

それにわがまちの成人式は昨日行われ、それが新聞に載っていた・・・

わがまちと同じく、秋田県では4市のみが昨日成人式だった。式自体はいつやらねばならないとの決まりもないわけで、終わったら懇親会か。

それの疲れを癒す為のきょうの祝日になっているような気がする???

秋田県では、この4市以外の市町村では夏に成人式を行っている。冬だと県外から帰省する場合なにかと不便だし、また、正月に帰省してまた来るのも大変だ。

それならと夏場に行っているのだ。それに軽装でも出席し易いことなども、理由に挙げている。着物を着ると経費もかかるしとの事だ。

今年は秋田県では、9,649人が新成人となった。ちなみに、左は秋田魁新報からの記事であるが、20年前からみると4割減少しているとか・・・

ちなみにちなみに、俺は戦後生まれ、ベビーブームと言われた時代に生まれた。だから、合併以前の仁賀保町だけでも350人の同年生がいた。

それが合併して市になったものの、つまり3学校を併せても186人・・・隔世の感である。これだから人口がどんどん減少しているのだ・・・

俺たちの成人式・・・

その前日には泊り込みだった。今のような公民館もないし、勿論、300人から入る施設等学校の体育館くらいだった。式はその体育館で行われたのだが、前日に町のトラックが家々を廻って泊まる人の布団を集め、学校に運んだ・・・

14日は、成人講習会・・・何を勉強したのと今の若者からは揶揄されるが、町のことや選挙のことを聞いた気がする。終われば、教室に入りそこに布団を敷いた。今ではもう忘れたが、多分夜通ししゃべっていたんだろう・・・

成人式、当時は町が主催であった。俺は、その町に対して代表して謝辞を述べることになった。果たして自分で書いたものだったのか、書いたものを渡されて読んだだけだったのか、それさえも記憶になくなった。

ただ・・・覚えているのは当日の吹雪、そして、隙間から雪が落ちて来た事、不思議な事にあのことだけは鮮明に覚えている。あの日、いっしょに成人式を迎えた同級生・・・もう人生の後半だからと言えばそれまでだが、昨年の後半だけで3人が鬼籍に入った。そのひとりは東京在住だったので、線香も上げていない。俺が今週に東京に向うのは、その人に線香をあげるためでもある・・・

成人式・・・はるかはるか昔のことになった・・・

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風力発電に思う

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昨日に続いて良い天気になったそして、明日もまた晴れるという。1月の秋田の天気にしては珍しいことだ。もうこのまま雪はいらないと思うのだが、雪がなければ田んぼの水の事が気掛かりにもなる。程よく降ってくれれば一番なのだが・・・

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それに冬が温暖だと、このしっぺ返しがあることは、これまでも経験している。夏の冷害も心配なのだ。でも、雪がないと暮らしは確かに楽である。雪寄せもしなくて済むし、気持ちもどこかしら明るくなる。

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巾山の風車も、時折光ってまるで春のような景色だ。夕方には、月もきれいな形を見せた。そういえば、日脚も伸びたと実感できる。午後5時になっても明るい。

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わがまちのキャッチフレーズが”風の見えるまち”であった。つまりは風車が廻るので風を実感できるということだ。この風車は秋田県ではわがまちが逸早く設置した。まだ再生可能エネルギーなど叫ばれていない頃の事だ。そこで、鳥海山と風車を重ねた写真が人気となり、新しい風景として人気が出た。

しかしながら昨今は秋田県の沿岸部には、かなりの数の風車がならび、今度は景観的な問題、健康面での問題等々が生じている。また、海上にも建設する話が出ていて、賛成・反対の考えが対立している。

設置すればまちには固定資産税が、長期間入ることになり前向きな自治体が多い。これに対しての異論もあり、行く末が注目されている。特に海上への建設には、サーファーからの反対意見、地上にあっても健康面での不安が広がり、加えてわがまちでは周辺の自治体と”鳥海山・飛島ジオパーク”の認定をうけていることもあって、大きな論争が起きている。

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俺も設置計画には賛成はできない。確かに原発にも反対だが、さりとて如何に自然エネルギーであっても、地域に闇雲に建てることは、後世に悔恨を残すことになるだろう。30年の利用を経たあとでの撤去もまた、簡単にはいかないはずだから、万が一放置でもされたらどうなるのか。

昨年、九州では太陽光での発電の中止もあった。再生可能エネルギーとは言っても、供給過剰になれば、また問題が発生してくる。風力発電も、多方面から見直す考えが必要になっていると俺は思う・・・

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小さな来訪者たち

東京には初雪があったと言う・・・俺の地域からすれば、東京に雪が降ると「春が近い」と思う。そして、この頃の天気は太平洋側と日本海側とは裏表だ。そのごとく、秋田は午前中は日も差すほどの天気となった・・・

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俺の新しい籠り部屋・・・まだ、ドアが設置されていないし、の移動もまだしていない。書類の数も多い。部分的には廃棄するもの、保存するもの、これらを区分けしながら片付けているのだが、ほぼ10年も手をつけていなかったから、ゆっくりと整理を進めている。

部屋のドアを開ければすぐの所には、友人が手縫いしてくれた俺の短歌と、また友人から頂いたカレンダーを飾っている。カレンダーは東京の公園のもの、その中の公園の幾つかには入ったことがある。

その東京に来週、凡そ半年振りに出かけることにしてチケットを予約した。風は寒いとも聞く。丁度、1年前には妻とツアーで大相撲見物と都内観光で行った。が、今回は半年前に手術した義弟との再会、また、亡くなったさこちゃんの墓参、さらにはNHK短歌大会に参加するための東京だ。

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俺の部屋はまだ中途だが、妻の部屋は半日賑やかであった。離れの「絵本の部屋」であり、きょうもまた開催した・・・天気がよいこともあってか、多くの子ども達が集まってくれた。我が家には小さな、元気な来訪者である。

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俺はその部屋をちょっと覗かせてもらった・・・

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その後、また見えて今度はカルタ取りなどをしていた。このような遊びは、今の子ども達はすることもないだろう。我が孫たちも正月に来たときは、朝から晩までタブレットなどに向っていたから、おそらくこの子ども達も家ではそうして遊んでいるのか。

従って、こうしたカルタ取りなどは逆に新鮮に感じるのかもしれない。また、こんなに集まることもないだろうから、結構楽しんだようだ。

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子どもといっしょに親の参加もあった。これも良いのかも知れない。俺はここ10余年、妻から色々サポートしてもらった。今度は俺がサポートをする役目だ。

記念撮影をすることにした。親御さん方は入ってくれなかったので、小さな来訪者たちだけでパチリ尚、親御さん方からも、HPへのアップも了解いただいたので下に載せることに・・・

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皆さん、この子ども達にメッセージ頂けたら、俺から伝えさせて頂きます。

 

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大正月終わる・・・

昨日の時折の雨で、周辺の雪はほとんど消えた・・・だが、午前中にはボタン雪・・・春のような雪が少し降った。この位の冬であったらと思うのだが、厳寒の冬はこれからだ。なんといっても大寒がやはり寒さは厳しい。

きょうは”鏡ひらき”取り立てて我が家でやるものはない。神棚にお供えした餅を頂く。やはり鏡餅も雑煮にする。以前は茶の間に飾った鏡餅、寒波でヒビがはいったりしたものだが、昨今はそんなことはない。

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今年は家でまだお神酒を頂いていなかった。茶の間で年取りをしたり、元旦の雑煮餅も茶の間で食べなかったから、すっかり忘れていたのだ。そこで、今夜は神様を拝んでから、妻とふたりで、先ずはお神酒を頂いた・・・

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屠蘇器は高価なものではないが、一応会津塗りだ。妻と会津に出かけたときに求めてきたもの。かれこれもう○十年にもなる思い出の器。

頂いてからは雑煮餅・・・

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酢だこの味が何とも言えない・・・お神酒に酒が追加された

きょうはお神酒を頂く前に、今月の短歌会の詠草を仲間達に配った。途中、冬の海に向った。

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この荒海でかもめが海に浮いていたり飛んでいたり・・・

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今年の大正月が終わった・・・

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”寒冷地仕様”

北国に住むのはやはりハンディが大きい・・・先日、秋田県知事はどんどんと減少している人口、特に若い人の県外への流出が大きいのは「息苦しいから」と発言した。若い人が何かをやりたいと言えば、年配者がダメだと否定する、こうした事に若者がうんざりしているのだ・・・こう説明を加えた・・・

若者でなくても、冬になればもっこりの雪が降り、きょうなどは除雪していた人が転落して亡くなっている。そう思うと秋田県って暮らし易いとは思えない。生活費が安いから、給料が高くとも生活費の高い都会で暮らすよりは経済的にはメリットがある・・・とも言う。

しかし・・・

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「寒冷地仕様」という言葉を皆さんは知っているだろうか・・・ウイキペディアによれば、寒冷地での使用を考慮して生産される製品であり、寒さに備えるべく高い保温性能が求められる場合等、気温の高い地域で使用する製品とは様々な違いが求められる場合がある。

その例が「自動車」だ。では、標準車との相違点はというと・・・

バッテリーの大容量化、スターターモーターの強化、ワイパーモーターの強化等々が違うらしい。酷寒冷地である北海道は、寒冷地仕様が標準装備化、価格も数万円高い。秋田県でも同様で、寒冷地仕様になっているはずだ。

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ところで・・・

俺の籠り部屋、物を色々運んでいるところだ。ドアの採寸に建具屋も昨日見えたので、来週にはほぼリニューアルもおわることになりそうだ。

8畳間を区切って、約2畳は物置にし、俺の居場所は6畳ほどだ。ここにはエアコンの設置も計画していて、配線も終わっている。あとは取り付けてもらえばいいように・・・そこで、一昨日に、市内の家電の量販店に出掛けた。

あらかじめチラシも見ていたので、6畳向きのエアコンにしようと決めていた。取り付け工事も含んで50,220円だ。しかし、店では追加工事も出る場合があるので、後日、自宅に出向いてそこで契約になると説明を受けた。

ところが、帰宅して間もなく電話がかかってきた・・・「あの~希望のエアコンでは冬に暖房をするんですね?」?????そのために求めようとしているのに、よく理解できない。続けて「寒冷地仕様でないので、厳寒期には停まる可能性がある」とのこと・・・

Photo_2 何を言っているのだ!秋田県は寒冷地だろう・・・もしもエアコンにも寒冷地仕様のものがあるとすれば、それが当たり前だろう。俺達は当然、この地域でそれを使えるものだと思っているし、冬場に停まるような機種だったら、店舗に展示したり、チラシにその旨を書くべきだろう・・・

じゃ、寒冷地仕様ならどの位だと聞くと・・・10数万円だとか。これでは、チラシで安いのを出して、実際は安い機種を諦めさせて高い機種を売ることではないか。俺は大いに声を荒げた・・・

自動車も秋田では寒冷地仕様は当たり前だ。なぜ、エアコンは、冬場に停まるかも知れないような機種をチラシに載せ、また店舗に展示しているのか・・・この大型量販店の家電、信頼ができない。俺はすぐさまキャンセルした。このやり方が納得できないのだ。

そんなこんなで北国はやはり、結論的には住み難いということだろう。

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「おめでたう」

毎週1回、秋田魁新報には「ふる里の風景」が載る。絵は切り絵でその日のテーマに関わるものが載る。きょうは”書初め”である。その絵もまた文も村上保の作品だ。

本来、書初めというのは、元旦に汲んだ水を神棚に供え、1月2日のその水で墨をすり、毛筆で年頭の抱負等を書く・・・村上保は小学校の頃、そのように先生から聞いたとか。

俺たちの冬休みの宿題のひとつが、その習字か、絵であった・・・よって、俺は時間もかからないし(遊びたいために)と、習字を書いて提出したものだった。小学校の1年生の時だった。多分、あの頃は筆など初めてではなかっただろうか・・・

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俺は父と筆をいっしょに握って書いた・・・書いた文字は「おめでたう」であった。「た」ではおかしいという俺に、父は「た」と書いて「と」と読むんだと教えた。頑是無いおれであった。どうもおかしいとは思いながらも、俺は「おめでたう」という1枚を提出した。

そのあとで担任から父に連絡が来た・・・「字はとてもいいのだが、間違っている書を飾ることは出来ない」と・・・つまり、「た」ではだめだということだ。父の時代は、旧仮名遣いで学んだから、こう書くのだと言っても始まらなかったのである・・・

書初めということを聞くと、決まっておれはそのことを思い出す。今ではそれが懐かしい。その父が懐かしい。そろそろこの俺も、父の享年に近くなって来た・・・

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これは書初めではないが、先日に日本ハム入りした吉田投手が書いたという色紙。「気概」とか。最後の☆が爽やかだ。

新年も9日目、我が家の茶の間はひっそり・・・

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我が家には囲炉裏がある。父は潰す考えだったが、俺が残してくれと頼んだ。ほとんど炭火を焚く事はないものの、1年に1~2回はそれでも使うだろうか。俺はこのような雰囲気が好きなのだ。

もう集落内でも、囲炉裏のある家はほとんどない。我が家くらいかも知れない。この囲炉裏はまるで、茶の間の臍だ。ここには横座もあるのだが、今はそれはない。囲炉裏に手を伸べながら、お茶を飲む・・・これがまたいい!

<写真の1枚目は岡山で求めた桃太郎の備前焼、2枚目はNHKで吉田投手にインタビューしたときの色紙>

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とんだ年賀状?

新年も8日目だ。もう年賀状は来ないだろう・・・形式的であり出さないという御仁もいるとは聞くが、新年に年賀状を頂くことは嬉しいこと。日頃の疎遠を詫びて、思いが行き来する事はそれなりに良い事のようにも思う・・・

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俺は今年、約300枚の年賀状を書いた。北は北海道から南は山口県の方々に書いた。中には一度もあったことのない人へも書き、それがもう何十年も続いている人もいる。

例えば、若い時分に家出して、北海道の某宅に泊めて頂いた。初対面の人によく泊めてくれたとものだと思うが、北海道の方は気持ちも大きい。泊まったのは牛舎の2階で、乾草を布団にしての宿泊だった。今はそこの主人はもう他界しているが、息子さんに毎年年賀状を出している。

山口県の某氏とも会ったことがない。その方とももう十年来、年賀状が行き来している。俺が立ち上げた”百生くらぶ”、毎年「かかし祭り」を開催していたとき、NHKテレビで放映されたことがあった。それが山口県の某氏が何らかで知ったのだろう、俺に手紙をくれたのだ。以来の年賀状の行き来なのである。

県内にもいる。これも若い時のこと。作家の五木寛之氏の講演会があった。当時は録音もOKだった。俺は録音したが余りよくなかった。そこで新聞に投稿したら、その方が録音したカセットを送ってくれた。以来、礼状をこめての年賀状になったが、お目にかからないうちに、その方が亡くなられ、今では彼の奥さんと年賀状をやりとりしている。

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今では年賀状もパソコンで簡単に作ることが出来る。現在、俺もそれを使っているのだが、せめて宛名はと手書きで今年も出した。以前は筆で書いていたのだが、もうそれは出来ない。

また、裏面は筆で書いたり、版画にしたり、プリントごっこで印刷したり、様々にやって来た。だが、今のパソコンを使ってやれば、2~3日で300枚は書くことが出来る。以前は1週間もかかっていたので、有難いことだ。

ところで、今年はこの年賀状をめぐって事件?が起きた

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新年3日目のことだった。この日も届いた年賀状は多かった。帰省していた娘が、お父さんの分、お母さんの分と区分けしてくれた。届く年賀状には、夫婦の名を書いてくれる方もいる。実はそんな1枚の中に・・・

俺の名前と並んで「真理子様」というものがあったのだ。「お父さん!これだ~れ?」と娘。さては隠し妻がいたんだねと笑う次女・・・とんだ濡れ衣を着せられてしまった俺。差出人は小学校の同級生で、千葉県にいるS氏だ・・・勿論、俺の妻は真理子ではない。

真理子さんは俺は知らない。何でこうなったのか、俺も数人には連名で差し出す人もいる。だが、昨年の年賀状を見ながら書いているはずだから、間違っては出していないと思うが・・・

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本当に人騒がせの1枚であった。でも、何でこんな間違いをして出したんだろう。この間違いのまま彼は登録しているんだろう・・・知らせないとまた来年も一騒動起きかねない

年賀状を頂くのは嬉しいのだが、名前を間違えて出すとはとても失礼なこと。・・・と言いながらも、俺はそんなことないよな、そう思いながらも自信がなくなってきた

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いづれ正月の”初笑い”になったのだが・・・用心・用心である。

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1月7日・・・

年が改まって1週間・・・きょうは「七草」だ。一般的には、セリ・ナズナ・スズナ・スズシロ等の春の七草を入れ無病息災を願い粥を食べる。ところが、雪国にあってはそのような七草は揃わない。ただ、今ではスーパーで、七草の入ったパックが売られているので、それを使う人が多いのだろうか・・・

夕方、妻はスーパーに行ったら、そのパックはもうなかったらしい。それはそうだろう・・・きょうの為に売り出しているのだから、売れ残りを考えれば、多くは仕入れたりはしないだろう・・・

そんなことで、我が家では保存していた大根の葉が入ったのみになった。そして、我が家の七草は、「雑煮粥」なのだ。だから、餅も入りご飯も入っている。それに鶏肉なども入っていてとても美味しい。俺は3杯も食べてしまってヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ

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かつて俺の子どものころは、正月は厳格であった。元旦には外に出て買い物ができない(お金が使われない)、元旦は洗濯も出来ない、爪を切ってもだめで、さらにはこの七草までは、ごはんに何かをのせて食べてはならない。例えばカレーライスなど・・・

縁起をかついだ風習であった。ただし、初詣は入浴して出かけなければならなかった・・・そんなことで、あしたからはご飯にあげものも出来る、そのことからきょうは雑煮粥にはご飯も入れる・・・言わば雑炊だ。

正月は田舎では、餅・餅・餅である。元旦の雑煮、2日目の昼はふきどり餅と言って、黄な粉をつけて餅を食べたものだ。そして、七草の雑煮餅粥、11日は鏡ひらき、15日は餅焼き、16日がまた雑煮餅、二十日が二十日正月でまた雑煮と・・・餅を食べるのが多かった

ところで7日は、昭和天皇が逝去された日である。午前6時33分、87歳の年齢であった。そこで皇太子がただちに皇位を継承され、新天皇に即位したのであった。政府は臨時閣議で新元号を「平成」と決め、当時の小渕官房長官が「新しい元号はヘイセイであります」と、額入りの元号を掲げたのであった・・・

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言わば新時代に入ったのだった。当時、俺は金融関係の部署にいたのだが、伝票の日付欄には「昭和  年  月  日」と印刷されており、翌日からは「昭和」を二重線で引き、その上に「平成」と書くなど煩雑だった事を覚えている。

そうした煩雑の事務、元号も何となく違和感があって、馴染めなかったものの、いつの間にかしっくりとからだに慣れてしまった。30年の持つ重みとも言える。

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今回は、今上天皇は4月30日に退位し、翌5月1日から新元号になるといい、その発表は一ヶ月前に発表されることで、現在、極秘された中で新元号が検討されている。もう平成も31年、平成生まれの方々が日本を背負い始めている。しかし、あと120日ほどで新しい時代にはいることになる。

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もう5月からは、”昭和は遠くなりにけり」か。俺等はこの新しい元号を何年生きられるやら・・・恐らく一番短い時代になり、この時代で消えていくんだろうな、そう思うと何だか平成と分かれるのも寂しい限りである。

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次の時代を背負っていくだろう人物が秋田にもいる。否、もう新天地に向けて千葉県に向った。そのことが、秋田魁新報にも大きく載っているし、NHKでは”ニュースこまち”で、その人物にインタビューをしていた。その人物とは・・・

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昨夏の甲子園で活躍し、プロ野球日本ハムに一位指名された、吉田輝星投手である。その彼が、千葉県鎌ヶ谷市にある日本ハムの寮に入ったのである。そして部屋は、あのダルビッシュ有投手や大谷翔平投手の入った部屋、所謂”出世部屋”に入ったとか。

新しい年号がスタートする今年が、彼にとってもスタートの年になるのである。

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ふたつの話題

縁側のシンビジュームがとてもきれいに咲いている。外はきょうも時折の小雪だったが、この寒さの中にあっても咲いているので、こころが暖められる感じだ。勿論、咲いているのを購入したのだが、半年は咲いてくれるのでとても重宝している。

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なかなか植え替えは出来ないので、毎年、二花のものを求めている。これまでは黄色の花を多く求めていたのだが、今年はピンク色にした。薄緑のものにもひかれたが、冬でもあるから暖色系にした・・・

さて・・・ニュース”バンキシャ”を見ていたら、市場で3億3360万円でマグロが競り落とされたことを取り上げていた何とkg当り120万円とか。あるところにはあるものだと、驚いてしまった・・・

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この価格は史上最高額、青森県大間の278kgのマグロである。ちなみにこの価格の約85%は吊り上げた人に入るらしいから、これもまた驚いてしまった。とてつもない金額が入るとは、これまた驚きである。

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いずれ俺等には無縁な金額である・・・

さて、元の生活に戻ってふたり暮らしの我が家。テーブルに新聞を広げて、俺は元旦からの切り抜きだ。新しい連載もあり、それはまた別のファイルにして、平成31年用には話題の記事を切り取ってファイルしていく。もう何十年もやっていることであり、案外楽しい事である。

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切り抜いた記事の中には、全国高校サッカーのものも。1回戦、2回戦と勝ち進んだ秋商ふと昨夏の甲子園の金農のことが過ぎった。あのときもそうだったが、誰もが予想しなかった活躍、あれよあれよとい間に勝ち進んだものだった・・・

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だから、2回戦では試合終了間際のPK勝ちしたときに、ひょっとして金農のように勝ち進んでいくのではとの予感がしたものだった。だが、昨日には残念ながら負けて「ベスト8」で終わってしまった。

あと一歩というところでの敗退は残念であった。秋田県民は、今度はサッカーだと燃え始めていた矢先の敗北。しかし、レベルの高い千葉県の高校相手では、涙も仕方なかっただろう。

それでも立派な闘いだったし、秋田県民にふたたびの希望を与えてくれた・・・有難う、秋商チーム。

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春祈祷

昨日のことがもう何年も前のことのように思われるきょう・・・朝食後、妻と居間の大掃除。ソファーを動かしたり、食卓を縮小したり、カーペットに掃除機をかけたり・・・

静かな元の生活に戻った・・・

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浴室は、昨夕に息子の嫁さんがすっかり掃除してくれたという。勿論、小さなふたりの孫の遊んだ玩具等も浴室にあったのだけれど、お蔭で浴室の掃除はせずともよく、有難かった・・・

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きょう5日は消防の出初式。昨年までは俺も案内をもらっていたのだが、もう俺はでなくても良い・・・俺が消防を辞めてもうかなりの年数が経つ。消防長官から感謝状を頂いて退団したものだった・・・

午後から、産土神社で恒例の”春祈祷”が行われた。俺も今年は厄年、息子と孫も厄年だ。神官から祈祷頂き、今年の厄払いをした。

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昨年は良い事以上に良くなかったことが多い年だった・・・それに夏からの半年で3人の同級生が亡くなった。もう俺もそんな年齢になっている。だが、まだまだやりたいことはある。もうそろそろ終盤とは言え、その目的に向ってチャレンジしたいものだ。

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祈祷が終わって、お札・御幣・お守り・人型を頂き帰宅した。尚、抽選で俺に破魔矢が当ったとか。それも頂いて神社を後にした・・・

 ☆ 同級のミネ子・寿子が逝きたるに淳夫よお前ももう逝きたるか

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ホッとして、寂しくて・・・

長女家族が帰って行き、また次女家族が帰って行った。そして、夜には息子家族が帰って行って、正月前の我が家に戻った。煩かった孫たち、皆帰って行ったのでやっと静かになってホッとしている・・・

昨夜の居間・・・

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それぞれの子や孫は、携帯やタブレット、ゲーム等を充電するために、コンセントは乱雑になっている。2歳の孫も、一人前にタブレットで遊んでいる・・・これが現代の子ども達、孫たち・・・朝から一日中、それを手放さない大きな孫たち・・・

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だが、居間が昨夜までの居間が、今夜は広くなって寂しくなった。子や孫の声がまったくなく、あまりにも急に静かになって、じわじわと寂しさが募ってきた・・・妻だって、てんてこ舞いだったのが、あまりの静けさに気を落としているのではなかろうか・・・

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午前10時18分、長女と孫は特急”いなほ”に乗った息子も次女も、それぞれの子を連れて見送った。「またね~」と現代風にタッチして、長女とふたりの孫娘は元気に、”いなほ”に乗り込んだ。

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俺達に元気に手を振って出発したが・・・車中どうだっただろう、いつもであればふたりの孫はしばらく泣きやまなかったと娘がくれたのだったが。どうも俺に似たのか感情的な孫なのだ。俺は、乗り込む娘と孫に・・・声を出すと泣き声になってしまうので、一言だけ・・・「風邪ひくなよ・・・」と

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昼食は味噌ラーメン・・・我が家の特製ラーメンだ息子も6年生のたっくんも、それに俺も大盛り。その昼食をとってから、次女はふたりの孫を乗せて、帰って行った孫たちはまだ我が家にいたいような素振りだったが・・・今度、来るのはいつになるやら・・・

夕食は”キリタンポ”。

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息子夫婦と孫娘2人と俺たち。12人で食事していたのが、今夕は6人・・・

食事の後、その息子家族も帰って行った・・・

帰る直前、幼いふたりの孫娘はダンスを披露してくれた。ふたりで喧嘩も何度か見せてくれたが、きょうはとても仲良しだった。小さな孫娘は来月には3歳、誕生日にはプレゼントを持って行こうか・・・

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我が家の正月は終わった。みんなみんな帰って行って、またまたジジ・ババのふたり暮らしが始まる

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平成最後の正月の夜

12人の生活は大変だ。食べ物にしても暮らしにしても、正直なところ大変である。妻は目の廻るような忙しさというべきだろう。だが、それも妻にとってはよろこびかも知れないとは思うのだが・・・

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我が家の正月、12人の暮らしも3日目となった・・・

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食卓に食べ物が並べば、あっという間になくなる。例えば焼きおにぎりも、ひとつの皿に複数の手が伸びて、瞬く間になくなってしまう。孫たちはちょうど伸び盛り、食欲も旺盛なのだ。

だが・・・難儀をして作った茶碗蒸しなどには手が伸びない。孫たちが敬遠するものは、俺の口に・・・俺は消化係り?。入浴となれば俺は終い風呂。年頃の孫もいるから気もつかう。それに電気等も確認して寝るのが俺である。

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電気というと元旦の夜のことだった。午後6時過ぎに・・・停電した外を見ると外灯は点いている。我が家だけの停電のようだ。丁度、息子家族が入浴中で、俺は電灯をもってブレーカーを見た。見たが下がっていない???

使用量オーバー?居間の暖房を止めて、ブレーカーを入れ直した。そしたら無事に点灯した。やはり容量のオーバーだったのか。我が家はほとんどを電気に頼っている。浴室・脱衣所の暖房、このときはドライヤーも使っていたようだし、脱衣所は洗濯物干しの乾燥機、さらには居間の暖房、2階のエアコン・・・

息子にはアンペアを変更せと言われたが、これまでこんなことはなかった。こんなに一時的に電気の使用などなかったのに・・・人の多い暮らしから来たトラブルであった

話をふたたびきょうに戻す・・・10時頃、恒例の御獅子様が廻ってきた。「お頭おいで・・・」と口を二三度開けてザクザクとする。初穂を持って、我が家では全員玄関に出る。そして、孫たちは頭を御獅子の口に・・・健やかな成長を願ってザクザクザク・・・

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2歳のまごのななっぺは怖いのだ、必至にしがみついて(つд⊂)エーン

夕方は12人で外食・・・

帰宅してから、娘と息子の嫁さん、俺の3人で明日になれば、皆帰ってしまう。今度会えるのはお盆かも・・・言わば平成最後の正月、その夜なのだ。

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賑やかだった毎日、足の踏み場もない居間・・・あしたはもうすっかり片付いて整然となるだろう・・・ こんな孫たちの姿もしばらくみられなくなる

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ただ今、我が家は12人

新しい年になって2日目・・・正月の2日の我が家では「納豆汁」のしきたりだ。今朝も納豆を入れた味噌汁、具は塩漬けしていたキノコが入る。これを食べるとからだが温まる。暖房もよくなかった時代は、こうしたことで体を温めていたのかも知れない。

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朝の居間には、その納豆汁の香りが立ち込める・・・

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食事は2班体制だ。先ずは孫たち6人が席に就く。そして食べ始める。だが、今の子ども達は、あれは嫌だ、これは食べれないなど、ご飯だけではなくパンの孫もいる。さらには牛乳だ、ジュースだと妻や親達はてんてこ舞い

さらには泣いたり笑ったり・・・賑やかな食事風景だ。ああ・・・これが平和なんだ、これが幸福というものかふとそう思う。孫たちが終われば大人が座る。1回で座れないこともないのだが、やはり窮屈になるので2班に分かれての食事・・・

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俺の孫は6人、男子が2人で女子が4人・・・年齢に近いもの同士がペアになって遊んでいる。ただ、一番小さい2歳の孫は一番大きな孫に遊んでもらっているものの、気に入らないと大きな声で荒げる。

それでもおやつタイムなどには、ニコニコ顔・・・

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午後のおやつタイムの時だった・・・テレビでは全国高校サッカー選手権が行われ、秋田県からの出場の”秋田商業”が映っていた。我が家でも応援に力が入り、居間に頑張れなどとの声援が飛ぶ

大晦日には、四日市中央工と対戦し2:0で勝っていた。秋田県の高校としては、6大会ぶりの得点で、14大会ぶりの初戦突破となったのである。あの日も、家族で応援し勝った時は、野球の金農に続けと盛り上がっていた。

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写真はテレビから頂いたものだが、見ると応援席にはあの”ナマハゲ”もいるではないか。結果、きょうの2回戦も富山第一を1:0で撃破。秋田商業は3回戦に進むことになった。3回戦は佐賀県の龍谷との対戦のようである。

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今年の秋田県のスポーツは元気だ!この調子で、ふたたび「秋田旋風」を巻き起こして欲しいものである。我が家では12人の応援団が、居間に控えている

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新年おめでとうございます。

   新年おめでとうございます。
   皆さんには希望の叶う一年でありますとともに、健やかな日々で
   ありますよう祈念致します。

   今年も”でんでん大将のひとりごと”を宜しくお願い致します。

                       平成31年元旦

さて、平成31年の幕開けとなった。5月には年号が改まることから、平成31年は約120日となる。その後はどのような年号になるのやら・・・「平成」と示されたときは、なぜか馴染めなかったし、起票のときは違和感さえ抱いたものだった。あれから30年だ・・・

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もうすっかり定着した年号・・・それがまた変わることになる。果たしてどんな年号になるのやら・・・

我が家の元朝は”雑煮餅”、家長が早く起きて餅を焼く、そして雑煮が出来る寸前に妻や家族を起こす、起きた皆は”口祝い”として、お茶を頂いた。それから神様を拝んでから、座卓で雑煮餅を頂いた・・・

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他に並ぶのは、納豆や漬物、これが朝食だった。それはきょうも同じだが、餅を焼いたのも雑煮を作ったにも・・・実は妻だった。昔は、せめて正月は妻を家事から解放させようということだったと思うのだが・・・俺は出来なかった

また、雑煮餅を食べ終わらないと、玄関の開錠もしなかったし、窓のカーテンもひかなかった。だが、現在はこんなことはしない・・・しないのだが、むしろ厳粛な朝だったのかと思う。テレビをつければ”春の海”が流れていたが、今はワイワイガヤガヤ、お笑いなのかよくわからない、ただただうるさいとしか感じない。

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9時からは、集落のみんなが集まって「一礼式」、新年の挨拶を行い、今年の多幸と無事を願っての乾杯だ。最近の自治会長のあいさつは、どこか侘しい。集落のリーダーだから、もっともっと住民を鼓舞するような力の入った挨拶を期待したいのだが・・・

自治会館から帰り、届いた年賀状に目を通した。今年は昨年よりもいささか少ない、やはり職を離れれば少なくなるのだろう、おそらく来年はもっともっと少なくなるのだと思う。昨年は喪中であり、2年ぶりの正月なのだが、納得しながらもどこか寂しいものだ。

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11時・・・長女、長男、それに孫たちの総勢9人で集落の神社に初詣。社内の参拝名簿に名を記載し、神官からお神酒を頂いた。神官は俺の幼馴染だ。

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神社を出ると青空・・・眩しいほどの初日だ。元旦がこんなに穏かなことは、そんなにあるものではない。そう思うと今年は、何か良い事がありそうな気になってくる。

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それから今度は俺ひとりで、太平山に参拝した。我が家はこの神社の別当であり、毎年ここにも参拝だ。

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帰宅してから孫たちに”お年玉”

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ふたりの小学6年生には、昨年より3千円アップして1万円・・・ジジがしてやれるのは、お年玉を上げるくらいか・・・

こうして始まった平成31年・・・ふたりの孫は中学生になる。それに一番大きな孫は成人となり、成人式を前に写真撮影があるとのこと。娘からはそのときは見に来てくれとの案内を受けた。

おれ自身は・・・今月にはクラスメートだったさこちゃんの墓参り、NHKの全国短歌大会、そして伊能忠敬記念館に足を運びたい、先ずはそんな計画を描いている。人生のラストステージをどう生きたらいいのか、そのヒントを得るためにである。   

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