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2017年8月

八月の終わり

「どうしてパンツをはかねばならないのですか・・・」、きょうも夏休み子ども相談室が、カーラジオから聞こえる。冒頭の質問は、昨日の6歳の男の子の質問だった。如何にも子どもの質問であり、回答は大変のようだったのだが、回答をする先生はすごいものだ。考えてみれば「・・・ならない」とは決まっているわけではないからナ~smile

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その子ども達の夏休みもきょうで終わり、あしたから2学期の始まりだ。と、言っても秋田県の子ども達は、先週から学校が始まっている・・・

カレンダーをめくれば、写真は「秋」・・・

きょうは8月の最終日!!!俺には短いようで、長くもあった8月・・・母の葬儀や初棚、叔父さんの一周忌と俺にとっては慌しいこの8月であった。だから、当初予定していたことはまったく実行なくして終った8月。富士山にも行けなかった、和歌山県への研修もだめだった、孫たちとの海水浴もオジャンdespair

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鳥海山には未だに少しの雪が残っている。この雪はもう今年は融けることもなく、間もなく新雪の下に隠される事になるだろう。きょうは午前中は時々の小雨、だから理髪店に行く。午後からは、雨も上がったのでまた草刈り・・・

朝夕は涼しくなってはいるけれど、日中は作業をしているせいもあってか・・・「暑い!」きょうで草刈りも70%は終わった。こうなれば気持ちは多少とも楽になる。あと1日あれば、大方草刈りも終る・・・

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畑のビニールハウスのパイプ部分にはアサガオがからんで、いっぱい花を咲かせている。昨年、自然落下した種から発芽したのだ。ただ、ブルーもあったはずだが、そのアサガオは見回してもない・・・

いよいよ・・・「秋」

地植えしていたベニサワギキョウが、様々は鉢に生育し花を見せている・・・実はこのサワギキョウも青も植えたはずだったが、これも青が見えない。

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見えないとなると、また欲しくなってくる・・・

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そろそろ・・・

 ☆物憂げな土曜日の午後とりどりに揺るる田面のコスモスに遇ふ

会議が終った帰り道だった・・・周りが一面の稲穂が出ているのに、そこの一角にとりどりのコスモスが揺れていた。多分に転作として植えられたコスモスだろう。車を止めてしばし眺めたものの、重い気持ちを払拭出来ない、俺がいた。

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転作では、現在は景観作物でも良いとされている。しかし、来年からは転作はどうなるのだろう。一般的には転作はしなくても良いことになる。つまりは自由に田んぼでは米を生産できることになる。

しかし、ご承知の通りのこと。米は現在、余っている状態だ。これに自由に作付けしたら、米価の下落は免れない。だから、頭が痛いのである・・・米の過剰な生産・・・今年の作柄はどうだか知らないが、いづれ人口減少時代である。食べる人が減っているし、食べても「お替り」する人が少ない・・・

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本来ならば農業者として、米の生産者としてよろこびの季節の到来であるはずなのだが、来年のことを思うと喜んでいる場合ではないようだ。

我が家でもコスモスが咲いている。妻の作っている畑に育っている。例年、種を蒔かなくてもコスモスは生えてくる。

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そろそろ秋というに、気持ちは重いでんでん大将である。 

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静かな朝が突然に。

普通の朝を迎えるはずだった・・・少なくても、あの緊急アラームがなる前までは・・・・。ところが、聞いた事の無いアラーム音がなったのは午前6時前だったのか。防災無線から流れて来たのは、”北朝鮮からミサイル一発が発射された”ようだとか。驚いた、同時に怒りが燃え盛った・・・

頑丈な建物に入って避難せよ!ったってそんな建物が田舎にあるはずがない。黙ってテレビをつけると・・・「国民保護に関する情報」が、繰り返し流れる。むしろ何事もなく、安全なところに落下してほしい。それはまるで祈りであった。

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それにしても懲りない国だ。国連決議もないがしろにし、他国の迷惑等考える国でもない。堂々とミサイルを発射させるのだから、国際的な一国だとは、誰が認めよう。このままでは、スポーツ世界でも参加をさせないほどの強いメッセージも必要だろう。

このようにあっては、体制を内部から破壊させること以外ないだろう・・・。噂ではトップはもう、いつでも亡命が出来る体制にあるようだとも・・・だったら不満を国いっぱいに満たしてやるのが良いのかも・・・・

このままでは、あの国の民も哀れだ。自らの弟まで殺害するトップなのだから、もうなにおか言わんやというところだ。時代錯誤も甚だしい。

そして、このメッセージが出て安心した(?)それまでは背筋の凍るような気持ちであった。キラッと空でも光ったらどうしよう、付近に落下したらどうしたらいいだろう・・・発射されたミサイルは東北地方に飛んでいると言うのだから・・・

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今回は日本は冷静であったと思う。もしも、飛行するミサイルに破壊命令が下されていたら、きっと被害が出ただろうし、それが行なわれればもっと危険な事態に至ったのかも知れない。やれやれと安堵はしたものの、再び強い憤りがもたげた。

いったい何が目的なのか、それがまったく分らない。第三者的にみていれば、いたづらにアメリカ等にちょっかいかけている餓鬼にしか見えない。このままでは蟻地獄にはまる、自らが埋没していくことを考えないのだろうか・・・

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それにしても恐ろしい朝であった。こんな朝などを経験したことが無い。また、これが夜だったら、その恐ろしさも朝の比ではなかっただろう・・・

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ああ・・・あんな国に生まれなくて良かった、堂々と自らの意見も言えないような、封鎖されたような国で生きなければならない国民が可哀想だとも言える。映像では鼓舞している姿を捉えてはいるが、きっと脅されているんだろう・・・ナ。

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まったく迷惑なきょうの朝だった。もうこんな朝は二度と迎えたくは無い。

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祭り太鼓は聞こえても・・・

2~3日前から、朝は急速に涼しさを増した。そろそろ・・・ 暑い<涼しい となり、季節は 夏<秋 に移行始めたようである。今後は、どんどんと涼しさがより増していくのだろう。

木陰に植えていたシュウカイドウ・・・2年目になった。ひとつ蕾をつけ、下には小さなシュウカイドウの芽がふいている。来年はもっと豪華になるものと楽しみが増えた。

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プランターにはコリウス。何とも面白い植物だと俺は思っている。小さな花も咲き出しているが、花は咲きそうになると摘んでいる。咲かせればきれいな葉に影響があるので、花芽を大きくしないように、何度もなんども摘むのだ。

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そうならねばいいのだが・・・そう思っていた。短歌会の月例会から帰った俺に妻が、「Y子さんが昨夕亡くなったようだ・・・」と。Y子さんは妻とは同い年、青森県の出身である。恵まれなかった育ちのようで、秋田に仕事に来ていて旦那さんと知り合った。

その旦那さんは、俺よりも3歳下であり、俺が自治会長のときに役員をしてもらったことがある。現在も同じ役員で、普請等の担当だ。実は昨日の河川敷の刈払い普請欠席だった。昨日の話で、前日に体調を崩して救急搬送されたと聞いた。

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それが搬送されてたったの1日で黄泉の世界に旅立った。どうも俺には哀れな生涯だったと思えてくる。Y子さんは旦那さんの両親のいる家に嫁いだ。両親は当初は「いい嫁をもらった」と言っていた。

それがどうしてなのか、その後は舅が「嫁の悪態」を地域の人たちにも吹聴した。やがて、Y子さんは務めていた仕事を辞め、酒に溺れてしまった。もっと旦那さんが面倒見てくれたら、このような結末には至らなかったのではないのか、本当に哀れな話だ。

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集落では亡くなれば、「お知らせ」が回る。だが、今回はないのだという。何でも”家族葬”で行なうようである。経済的なこともあってか、でも、それが本来の葬儀だろう。我が家で行なった母の葬儀のようなことはしなくていい、俺も実はそう思っている。

以前、葬儀の決算を書いたが、我が母の葬儀の収支を今一度記すと・・・頂いた香典等で160万円。支払としてお寺に45万円、お斎(飲食)に90万円、引き物代に50万円等々で約200万円を要した。俺たちも家族葬でいいなと妻と話している。

ただ・・・村で家族葬とは初めてだ。これまでのように拝みに行ってもいいものか、香典等はどうなんだろう・・・否、弔問自体が迷惑なことかも知れず、やや戸惑っているのも事実。それでも妻は「顔出し」には行って来たようだ・・・

これでまた来月の9・10日の祭典は大変になって来た。俺が最高の責任者だったのだが、母を亡くしたので忌明けもしていないことから、加わる事ができない。それに今度はYさんの逝去。旦那さんは俺がやるべきことを代わってやることにしていたのだ・・・が。

あと10日余りでくるわが自治体が当番丁の祭典・・・子ども達のシャギリ太鼓の音が、夜風にのって届いてくる・・・でも、祭り太鼓は聞こえても・・・sign02

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日曜日の普請

居間から見上げる電線にはツバメがいる。「おい大将・・・そんなにあくせくしていいんかい?」そんな言葉を投げかけるように、俺をみているような気がするeye

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確かにそうなのだ。実は、昨日息子家族が来たのだ。「じぃは?」って、ひぃちゃんは妻に尋ねたと言う。だが、俺は朝方の防災訓練から帰宅してから、従兄弟の家での叔父さんの一周忌、それにおばあさんの33回忌があって家にいなかったのだ。

お盆に遊びに来たからまだ10日ほどだが、そんなことで昨日は会うことができなかった。案外俺は孫たちから人気がある(?)。甘いからなんだろうが、一緒になって遊んでやるところも人気のある原因だろう・・・(?)孫の目線になって遊ぶからなのだと思う。

だったら・・・会食から早めに帰ってやれば良かった・・・俺もひいちゃんとななちゃんに会いたかったよweep

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そして今朝・・・俺はツバメに見られたのだ・・・

今朝は涼しい朝となった。暑いあついと言っても、季節は夏<秋に限りなく接近しているのだ。この涼しさに我が家の庭木も鉢物もゆったりした思いを抱いているような気になる。我が家のアサガオも大きな花を開いている。

日曜日・・・きょうは河川敷等の刈払い普請だ。田舎にいなければ、日曜日の朝だからとのんびり出来ようが、田舎にあってはそうはいかない。年何回かの普請があり、それにみんなから出てもらおうと、普請は日曜日になる。

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出席しないと「出劣金」と称して罰金がかけられる。1日だと6,500円だ。でもそれも仕方ない。罰金がないと誰も出ないだろう。しかし、それを出せば休めることになるのだが、やはり人がいないとどうにもならない。

朝方こそ涼しかったものの、日中は気温が上がった。その暑さの中、河川敷等の草刈りだ。流れ出るほど汗がでる。その汗が目に沁みる・・・春も刈ったのだが、あれから二ヶ月だ。ススキなどはすっかり硬くなっているし、クズの蔓が簡単に切れない。ススキなどはもう1mを超えている。

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休憩は午前、午後に各1回。休憩時には缶ジュース等が出るものの、堤防も刈っていてここは斜面だ。だから、足を踏ん張って刈らないと危険でもある。他に山中の道路沿いの刈払いもやって、終ったら午後4時。

きょうの普請は「210日の普請」として、8月の下旬に毎年行なわれてきた。大方が農家だったことから、無事に210日が過せる事を祈ったりしていた。今ではその名が残っているが、実質は草刈り普請だ。

暑さもあって皆クタクタ・・・出来ればこのような天気の中の草刈り、やりたくは無いのだが、村に住んでいれば仕方のない普請である。

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「おかえり」

凡そ一ヶ月間続いた池田修三木版画展・まちびと美術館「おかえり」が終った。毎年、行なっているゆえ、俺はこの欄に何度か記述している。

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池田修三は大正11年に生まれたわがまちの版画家である。平成16年に86歳で亡くなったが、情緒あふれる子ども達の情景やメルヘンチックな絵柄から、最近とみに注目されている。まちでも彼の作品をタクシーのラッピング、公用車にラッピングしているので、まちの随所で彼の作品には出会うことができる。

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まちでは、池田修三の絵で言わばまち起こしをやっている。ただし、立派な美術館があるまちでもなく、また、建てる計画も無い。そこで考えたのが「まちびと美術館」だ。古くから、彼の絵を贈りあう風習があったこともあり、商店などに彼の作品が残っている事もあり、まち全体が美術館と言う設定なのだ・・・

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この「まちびと美術館」も今回、遠方からも来られている。東京・横浜など首都圏からも、わざわざに来られているようだ。

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メイン会場は元の象潟公会堂、今回は単色での作品を主に公開していた・・・

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なお、常設している場所もある、象潟郷土資料館の一室である。また、今後、仙台でも開かれる予定であるとか。お近くの方は是非足を運んで下さい・・・

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落水期

俺は昨日から田んぼの畦等の草刈りだ。肩に掛けて刈払い機械で刈るのだが、結構疲れる仕事だ。それに、昨日は小雨の中の草刈り、相まってきょうは暑い日差しの中での草刈り・・・午前中3時間、午後3時間ほどにしている。熱中症も考えての労働時間である・・・

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刈り後をみるととても気持ちよく、それが自らへの励ましのようなものだ。水筒とジャムパン1っ個のおやつを持っての草刈り、きょう終わって全体の1/3ほど終った・・・

草刈り終わるとシャツもパンツもびっしょびしょ・・・(´Д`;≡;´Д`)アワアワだから、1日2回は着替えする。それでも有難いのは、大きな被害が出ていないこと。昨日から、秋田県では大仙市などにふたたび避難勧告。先月、決壊したあたりが、また決壊したようでテレビの画面に水没した田んぼを見ると涙が出てくる。

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収穫を目前にしてのこのような水害に、泣くに泣けない心境だろう・・・幸いと言ってはなんだが、娘の嫁ぎ先の田んぼは被害を受けなかったようだ。

水田は丁度「落水期」。収穫まで1ヶ月にもなったから、田んぼの水は払った。昨日の雨もあったから、尻水口からはどっと水がはけていく・・・

ただ、今年は1枚の田んぼでも、生育の差が大きい。俺の田んぼでも、水口の稲はまだ出穂していないものもある。これでは収穫は望めないし、諦めるしかない。どうしても水温が低いわけだから仕方ない。同じ稲でありながら、水口に植えられた稲の宿命だ。その様は上の写真でお分かりだろうか・・・

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そんな田んぼの周辺には、夏を惜しむように咲いている花がある。大好きなツユクサ、遅れ咲きだろうか、アザミもある。また、ツリガネニンジンだろうか、頭を持ち上げて咲いている。いづれも自らを誇らしく咲いているような花でないように見える。

でもこうして咲く野の花、山の花に目が留まるのは俺も年なんだろう・・・

クズもまた咲いていて、ああ俺の人生もこうなんだろうな、こうであっていいんだよな、田んぼの周辺の淡い花々をみるとそう思う。クズの花からは、懐かしい香りがした・・・

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この時期になって目だってきたのが、田んぼの中のヒエ。農家にとっては憎き存在だ。これの対策に除草剤を使っているのだが、敵も手ごわい。最終期になって、首を出してくるは・・・ただ、俺の田んぼには今の所、ヒエがほとんど見えない。

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某氏の田んぼである。稲よりもヒエの方が旺盛に生育しているように見えてくる。これまで、春から今日までの、農家の足の運んだ数の応えが、今の時期に出ているんだよな・・・なんていうと叱られるかな~

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ギフチョウの危機

特別に昆虫等に興味を持っているわけではない。ただ、農業をやっていると色んな虫等には遭遇する。農業にとっては、それが益虫であったり害虫であったり・・・だから農薬で退治する虫も多い。

断っておくのだが、昨今の世の中、無農薬栽培とか、有機農業とか、そんな農法があって、農薬や除草剤を使っていると、さも危険なものを使っているだのと声を上げる人もいるのだが、安全基準にのっとってやっていることを申し上げておく。

例えば食品にも様々なものが使われている。それだって安全基準があり、それを守っているのと同じだ。やみくもに農薬等を使っているわけではないのである。それを言うなら化学肥料がより?だと思う。それは作物の中に吸収して効果を発揮するのであるが、そのメカニズムが解明されているわけではないからだ。

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さて、前置きが長くなってしまったが、上の写真はWikipediaから頂いた「ギフチョウ」である。実はこのチョウのことが、3日前の秋田魁新報のコラム欄に載っていた・・・

このギフチョウは鳥海山麓が生息地の北限となっていると言う。このギフチョウ、所謂絶滅危惧種のチョウらしい(俺はこうした知識を持っていない)。ところが、地元の住民もそのようなことはよく分からないでいる。

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そんなことからか、県外の収集家たちが捕獲しようときているようだ。このままでは乱獲されて、激減することが心配されているとコラム欄に載っていたのだ・・・

そのコラム欄にはさらに書かれている。収集家が来るようになったのは10年前から。その数は年々増え、1日に20匹も捕る人もいるようだと・・・。このようなことから、地元でもパトロールを実施してようだが、乱獲を防ぐ規制がないことから、マニアにとっては「捕獲天国」になっていると警鐘をならしている・・・

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ちなみにギフチョウは「春の女神」と呼ばれているようだ。カタクリの咲く頃に現われて、その花が枯れる頃には姿を消すらしい。このギフチョウ、小型のアゲハチョウの仲間で、日本固有種と言うのだが・・・

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秋田県の子ども達の夏休みはきょうで終わりだ。俺の子どものころの夏休みとなれば、よく昆虫セットなどを買った。注射器なども入っていたし、展示板、薬品など入っていた記憶があり、トンボをとっては注射などして、それらを展示したものを休み明け後に提出したものだ。

あのころ・・・ギフチョウも或いは入っていたのかも・・・網をもって駆け回った少年の日が俺にもあった・・・

     写真3枚は・・・

        朝にカーテン引いたら、網戸にセミが・・・

          庭や電線のトンボ

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不戦を誓う・・・戦没者追悼式

午前10時から、本市の「平和祈念戦没者追悼式」が行なわれた・・・先の大戦で故国のためにと散った方々を追悼するとともに、二度と戦争をしてはならないという、平和祈念の式典であった・・・

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以前は「戦没者追悼式」であった。俺はこのことで意見を述べさせて頂いたことがあった。戦没者を本当に追悼するのであれば、平和を祈念すると言うことが一番大事ではないのか・・・と。そんなこともあってか、本市の場合は「平和祈念」という文言も入った。

この式典に来られる遺族の方々の高齢化は進んでいて、亡くなられた方、もう会場まで足を運べない方、等々で会場への参加は年々少なくなっている。きょうはたまたままちの幹部の方が俺の席の隣りであったので申し上げた・・・

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「平和への誓い」として、きょうは地元の高校生がそれを述べた。だったら、会場に何らかの形で生徒の参加もできないだろうか・・・と。平和は確実に維持してゆかねばならない。だから、こういった式典にも出て頂いて、平和を考えてもらう機会にしたらいかがか・・・と。

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それは良い考えだ・・・ということだったが、果たして実現してくれるか、そうあってほしいと願っている。

先の大戦から72年・・・わがまちでは、830人の尊い命が奪われたという。全人口の約2万5千人だから、少なくはない戦没者数だと思う。俺はいわゆる団塊の世代だ。父がやはり出征し満州にも渡った。

父が帰国して俺が生まれた・・・だから、戦時中の苦難も戦後の苦難も知らない。でも、有無を言わせずに戦争に国民を向かわせたのは為政者だろう。もう二度とあってはならない、ふたたび起こしてはならない、人間同士の戦いは。

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きょうもまた、コーラスの方々が思いを込めて歌ってくれた・・・

    還らざる 人を思えば 青雲のうえより ただに来るがに思う  (作詞 大黒富治)

きょうの式典では、戦争を体験された方、戦争で親を亡くされた方、過去を語ってくれた。俺は思う。過去を過去として語るだけではなく、未来の平和を祈念するための過去を語るべし・・・と。

   新たなる決意を持ちてともどもに不戦の誓い強く訴う

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植えてはならないが頂くのは良い・・・

まったく分からない謂れが我が家には残っている。否、我が家のみならず、集落の親族にもこの謂れが歴然として残っている。

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それは”「ユウガオ」を植えてはならない”と言うことである。だから、我が家では、そのことを守ってきた。母もそうだったし、妻も一度もうえたことがないユウガオ・・・何故なのか、その謂れは伝わっていない。

ただし、頂いたり食べたりしてはならないかと言えば、いくら頂いてもいいし、また食べてもいいという謂れだ。この謂れを知る集落の方は、従ってユウガオを届けてくれる。ユウガオは正月用に塩蔵したりするし、保存の効く野菜である。煮つけなどにはよく使うのがユウガオだ。

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こんなことなので、年によっては2本、3本と頂く。謂れはまったく都合のいい話なのだが、ダメだと謂われていることに、敢えて破るつもりもない。

ミョウガはかつて植えていたが、宅地には俺は樹木や花等を植えているので、今はほとんどない。だから、これも我が家では頂く野菜である。俺はこれの漬物が好きだし、うどんやソーメンの薬味にも使う。

それにしてもきれいな色である。

今年のエダマメは良くない。盆には生育が遅れて食べる事ができなかった。昨今、漸くマメらしくなったので、夕方のいっぱいにはいいツマミである。

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このように食べ物にも季節が漂っている。

花にも次ぎの季節が窓を開けているようだ。下の写真のオミナエシ、サワギキョウ等いかにもそうである。

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いづれも我が家の鉢植えである。

ところが食卓にも・・・

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夏は大きく秋に向かっているようである・・・

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こんなにも青かった空ネムの咲く

本市で行なわれる全国的規模の催しには「トライスロン大会」があり、「全国俳句大会」がある。

前者は当日にそれをブログに載せたが、後者の「第34回奥の細道象潟全国俳句大会」は、道の駅”ねむの丘”を会場に開催された。当日の選者は長谷川櫂氏。俺は昨年の夏に、矢島町に出かけて、歌仙があっては長谷川氏の話を聞いた・・・

だからこの日はその会場に出かけたかった・・・まして、俺の投句したものが”佳作”と案内もあったので、参加したかったのであるが・・・母の葬儀を終えたばかりでもあって、欠席せざるを得なかった・・・008 

通知があって入選したのでということで、出欠の再確認があったときは驚いた・・・短歌は○十年やっているのが、俳句は新人の類だったから・・・。が、短詩形で始めたのは実は俳句が先であった。元々中学生の頃詩を書き投稿していたら、隣りのおじいさんから俳句会に誘われた。

あのときの一句

   冬の夜は童話を運ぶ窓辺まで

が互選で最高点だったことは今でも記憶に残っている。

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さて、今回の作品は699句、その中からの佳作30句(特選は3句、秀逸は15句)に選ばれた俺の句は・・・

   こんなにも青かった空ネムの咲く

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で、佳作の5番目に選ばれたようだ。どこが良かったのかは自分でも分からない。ネムの花の写真は7月25日の覚林和尚の顕彰碑の除幕式のときのもの。いづれ本市とネムの花は切ってもきれない縁になるものだ。青空にピンク色のネムの花がとても印象的だったことから作句したものだった。

この日の午前中は、「西施祭り」が蚶満寺境内で行なわれた・・・これにも出たかったのだが、俳句大会同様に欠席した。忌中でもあり、参加するにはこころが痛んだのだ。写真は昨年のものである。地元の高校生が、西施像の前で踊りを披露するのだ・・・

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さて・・・何で「ネムの花」?何で「西施」?

今から320年以上も前のこと、「奥の細道」の目的地のひとつが象潟であったらしい。東の松島、西の象潟は当時の景勝の地であったのだ。芭蕉が象潟に入ったのは7月だったようだ。その時、象潟は雨で、雨にうたれるネムの花に、中国では悲劇の絶世の美女だった西施に思いを浮かべて芭蕉は一句詠んだ。

  象潟や雨に西施がねぶの花

現在は1804年の地震で陸になった島々、当時は大小百数十島を浮かべていて、古くから能因や西行が歌に詠んだ歌枕の地・象潟であった。他にも源内、一茶、真澄、花袋らが訪れた記録がある。

記録と言えば、今般の句の入賞で市からはほしいひとにと贈られたのが、象潟町史などの分厚いもの、俺は資料編とともに頂いた。

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こんなことがあるなんて、たまたまの出した句がこんな評価を頂いたことは驚きである・・・

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夏祭り果てて・・・

秋田県の大きな夏祭りもほぼ終った。あとは今週末の「大曲の花火」ということになる。

先ずは秋田市の竿灯・・・

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夜になれば、提灯に火が入ってとてもきれい、何でも稲穂を表現していると聞く。

湯沢市では絵どうろう・・・美人画などの絵で、それは優雅な祭りだ。

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鹿角市では花輪ばやし・・・豪華絢爛なまつりは日本三大ばやし。

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羽後町では、優雅にして不思議な盆踊り「西馬音内盆踊り」、顔にふくめんつけて踊る。

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以上、ネットから頂いた写真だ。この中では西馬音内盆踊りは俺はまだみたことがない。

こうした祭りは夏に別れる、言わば季節の変わり目を現しているのだが・・・

きょうも朝から暑い!半ば怒りたくなるような暑さだが、でも太平洋側では寒いと言うから、この暑さに文句は言えないのかも・・・それにしても、今年の天気も異常なことだ。

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しかしながらも、日中は暑いのだけれど、夜になって網戸からは涼しい風が忍び込んでくる。やはりどうやら季節の変わり目にあるようだ。上の写真は”朝焼け”、下は象潟海水浴場。さすがもう海に入る人はいない・・・

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俺はきょうは休む事にした。ウイング・モアで田んぼの畦をかったから、あとは刈り残している部分を肩掛けの刈払い機械で刈る事になる。しかし、午後からは庭の除草や掃除にて汗をかく。

外に出るとすぐに蚊が飛んでくる。だから長袖・長ズボン、靴下も厚手のものを。しかし、それでも手袋やシャツの上からも蚊は刺す・・・だから外に出れば必ず何箇所かやられる。こんなジジィを刺さなくてもと思うのだが・・・

2階の書斎には「ひまわり」の油絵、市内の某氏が若い頃に書いたものだ。この絵もそろそろ替えねばならないナ~ 

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”ケンタ”もここに・・・

母が亡くなって3・七日・・・朝食の前に妻と墓参り。もう早いもので20日か。どんどんと日は過ぎていく。

今、顔を出しているのは「キツネノカミソリ」。そんな目で見るからだろうか。何とも毒々しい色に見える。墓参りに行くとまわりにもいっぱいのキツネノカミソリだ。

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でも・・・考えてみれば、この花だってせいいぱいに生きているのだ。例え墓地であろうとなかろうと、生まれた命を花と言う形で見せているのだ。

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今では墓はほとんどが黒御影石。豪華だと思う。我が家のそれには「○○家代々の墓」と掘っている。新しく作ってもらうとき、誰から書いてもらおうか、そう考えたときに浮かんだのは、成人過ぎてから書道を学んだが、あの先生が・・・先生の名は「郷雲」。依頼したら、石にほれば筆先が生きない。だから・・・そう断られたのであったが、何度かお願いしたらOKとなった。

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墓参りすれば必ず行く場所がある。墓地の奥まった場所だ・・・実はそこには、何年か暮らした柴犬の「ケンタ」がいるのだ。俺が忙しくなると思ったのか、そんなおれの邪魔したくない、そう思ったんだろうか。

ケンタは俺の腕の中で、息を引き取った。まだ4~5年だった。あれからもう8年になろうとしている・・・

ケンタは俺が教えることは、日を置かずして覚えてくれた。だから、俺は愛しくて仕方なかった。予防接種もやったし、医者にも行った。田んぼ周りすれば、俺に同行した。軽トラの助手席がケンタの席でもあった・・・

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きょうも母の墓参りしてから、俺と妻はその場所へ・・・「ありがとう、ケンタ・・・」言葉を飲み込んできょうもまた、そう言った・・・

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さあーダッシュだ!草刈りだ!

午前中は20日までの締め切りの宿題を仕上げ、某短歌会への応募する短歌2首を作り送った。今ではメールでも応募できるから、締め切りの消印を気にしなくてもいい。こんなんだから、なかなか賞に入らないweep

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午後には気を取り戻して、軽トラにウイング・モアを積み込んだ。ガソリンタンクも持ってdash田んぼに出るのはしばらくぶりだ。母のことあって、出不精にもなっていた。

田んぼに行くと案の定、草が随分と伸びている。この草を果たして刈れるのか、エンジンをかけて向かってみる。するといける。先月、エンジンの馬力が弱くなったので、農機具屋にみてもらい、エア・クリーナー等を修理してもらっていたのが良かったようだ。

長くなっている草も結構刈る・・・午後2時頃からスタートし、180aの田んぼの畦を刈った・・・だが、気がつくとうっすらと暗くなっていた。区切りのいいところでやめて、モアを積み込んで家に帰った・・・

午後7時のNHKのニュースが始まっていた。やはり10日、草刈りが遅れた。10日前なら、もっとスムーズに刈れただろうが、俺は初棚でもあり、身動き出来なかった・・・

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田んぼの畦刈りはこれで5回目、稲刈りまではもう1回やることになるι(´Д`υ)アセアセ

午前中のことだった。明日は太平山の代参だ。我が家がこれの別当になっているので、まだ忌明けはしていないのだが、やるしかない。だからその準備もあった。そのことで隣りの集落に行くと、某氏の庭に初雪草が咲いていた。

如何にも涼しそうな色合い、見ているだけで本当に涼しくなった。同じ某氏の小屋では、女性が6~7人、エダマメの選別をしていた。今年はエダマメの出来が良くないようだ。我が家でも盆に食べようと植えたらしいが、今ようやく実が入ったようで、夕食にそれが出た。

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秋田県は「エダマメ日本一」をスローガンに掲げている。しかし、他の作物同様に天気に大きく左右される。ここで選別していた女性に声を掛けると、「今年のマメだば、えくなくてナ~」と。花咲くころに雨がなかったことが原因と言う・・・

そう言えばニュースでやっていた。関東や東北の太平洋側では天候が不順で、日照も不足だったと。だから野菜は思うような生育をみせていないらしい。仙台では28日間、雨が降っているようなニュースもあった。

こんなことから野菜が大幅に高騰しているらしい。消費者の方は当然安いものを求める。しかし、生産者側ではそれを売って生活をしている。不足したからってすぐには成長しない。俺も農家だから生産者の立場になるが、せめて最低価格が補償されなければ、こうしたことは今後も起こるだろう。

米だって同じだ。余っていると言われると、何だか悪い事をしているのかとつい思うこともある。農家だって生きねばならない。あまりにも安くなって踏み潰すこともある。勿体ないと思ってもある程度の価格が補償されない限り、こうした状態は続くだろう。

冒頭の写真は、我が家の野ボタンだ。今年、植え替えたら死んでしまったので、新しく求めたものだ。紫色が何ともいえない・・・

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新幹線とクマが衝突など・・・

おやおや・・・玄関の引き戸に”カエル”がいる。ガラスにぴったんこしているカエル。家が恋しいのか、家の中に入りたいのか、小さなカエル。ふと・・・母がカエルになって、帰って来たのか等と考えたり・・・

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残っていた母を供養した道具もすっかりなくなって、元の座敷や茶の間・・・こんなに広い畳敷きだったのかと、不思議に思う。ほぼ半月、否、ほぼ20日・・・ここで何があったのか、不思議な気持ちになっている。その傍らで、仏壇の前で母は笑っている・・・

きょうからは出直しだ!そう自らに言い聞かせてるが、からだが動かない。先ずは溜まっている新聞を開いてからと、紙面に目をやる・・・

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クマの出没情報は毎日だ、それが畑の野菜物が食べられたり、自動車とぶつかったり・・・驚いたのは、秋田新幹線で”こまち”がクマと衝突との記事もある。もう人間以上にクマの頭数が増えているようだ。

記事を見ると、14日の午後8時頃、雫石~赤淵間で、東京発秋田行きの秋田新幹線こまち29号がクマを跳ねて緊急停車したとか。運転士の話だと、線路上にクマがいてブレーキをかけたらしいが、間に合わなかったとか。でも、記事にはクマの生死は書いていない。

別の記事では、車と衝突したという事故。ここではクマが死んだと言うから、新幹線でのクマは逃げたのだと思う。

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動物に関した記事は他にもあった・・・

上野動物園で生まれたパンダが、体重が3キロ超えたとか、東京電力福島第一原発事故の影響で、生後間もない福島県飯館村から岐阜市に預けられていたわんちゃんが、11回目の試験で災害救助犬に合格したとか・・・

ちなみにこの犬は6歳で雑種の雄で名を「じゃがいも」という・・・

母の初棚があってほとんど目を通していなかった新聞、見れば新聞には俺の日常以上の忙しい記事がいっぱいである。

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新しい始まり・・・

長かったと思う。夢中だったから、それでも短かったと体は思っているのか?・・・いづれ、母が逝去してからの葬儀・新盆と一連のことが続いたことから、疲れはこのあと出てくるのかも知れない・・・

きょうは盆送り・・・かつては祭壇に上げたもの、盆馬も白雪川に流したものだ。今では、それらは可燃物のゴミとして処理される。

朝から、妻は初棚の片付けだ、仏具なども箱に入れたり、座敷や茶の間の掃除もした。俺はそんな妻の補助。もうしばらくは使うことがないだろうから、それらを物置に運んだ。今度、使うとなれば俺が初棚に飾られるときか、等と思いつつ・・・・

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実際には49日が終っていないので、座敷や茶の間には神官からお払いしてもらったお札がはってある。このお札を外す頃になれば、稲刈りが始まるころか・・・

飾っていた初棚がJAで回収に来た。盆馬も引き取ってもらって処分してもらうことにした。だから、もうすっかり元の座敷に戻った・・・

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いっぷくには頂きものの桃が出た・・・おいしい!

新盆に来ていた息子家族は昨夜に帰って行ったが、今夕は次女が孫とともに帰って行った。小5の孫は、我が家がお気に入りのようでまだまだ泊まっていたいと言い、俺はうれしかったのだが、そうもいかないだろう・・・

孫達は海にも行きたかったのだが、今年は新盆故に妻に止められた。俺は孫が折角きたのだからと、容認する気持ちでいたのだが、何か起こったらそれも恐ろしいので、ガマンしてもらった。

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その孫達が帰ってからは、居間などを掃除し、ソファーなども元の位置に収めた。こうしてだんだんとこれまでの日常に戻っていく。テレビなども、久しぶりにNHKにチャンネルがあった。ニュースも観る事が出来た・・・

あしたからは、もう普段通りの生活に戻る。家族も妻とふたりだけに戻る。もう介護する仕事もなくなった。自由な時間をこなすことが出来る。嬉しいはずだ。有難いと思う。ふたりだけの生活だから、多少のわがままも出来るだろう・・・と。

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でも・・・でも・・・本当の意味でのふたりっきりの生活は初めてのことだ。隠れてしまった母が顔を見せることはない。毎年の誕生会も1回がなくなることを実感するのはこの先だ。

赤いミニバラも今年二度目の開花。とても鮮やかであり、可愛い形をしている。人生がふたたび展開することはないのだけれど、先日も書いたけれど、花の返り咲きを見ると羨ましくさえ見える。

ハギが咲き初め揺れている、そろそろ秋がしのび寄っている我が家の庭である・・・母を送って、母を遠くに送って、新たな俺たちの生活も始まる。俺たちにとっては、「新しい始まり」だ。寂しいっておもうのももう少し先の事かも知れない・・・・

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帰る母

昨夜、布団に寝たのは午前0時を回っていた。月が煌々と耀き、横になって寝ながら月を観た・・窓から目映いほどの月が目に入った・・・でも、今夜は観えないようだ。

母の新盆も終った・・・きょうも数人の方が、拝みに来て下さった。有難いことである。ただ・・・葬儀が終って、間もなく新盆を迎えるための準備、そして新盆だった。だからこの凡その半月、休みがなかったわけではないものの、正直・・・俺は疲れた。妻は俺以上に疲れが溜まっていることだろう・・・

だが・・・終ったという安堵もある。

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それに続いている暑さ・・・1日に3度、庭に鉢にと散水しているものの、暑さは瞬く間に蒸散する。従って、適宜に散水できなかったこともあって、鉢物の4~5鉢はダメになってしまった。小さい鉢物にとっては、想像以上の過酷な現実だったのか。母のこともあって水どころでなかった日もあったし・・・

ただこの暑さを喜んでいるのが、サルスベリやムクゲ。キョウチクトウは深く剪定したこともあって咲く気配がないようだが、夏が大好きなふたつの花。

きょうは地域にあっては色んな事件・事故があった・・・

先ずは午後1時半頃。地域で火災が発生したと言う放送があり、外に出てみると遠方に煙が見えた。我が家のそばにある消防ポンプ舎、やがて消防団員が2名集まった。ところがである。エンジンが掛からず、バッテリーアップ。そこで俺は車を出して、バッテリーにつないだ。しかし、それでもスターターは反応しない、我が家に来ていた妹の婿さんも手伝ってくれて、やっとエンジンがかかって、現場に出て行ったdashが・・・。

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外から帰って居間にいると、けたたましい音!!!何と我が家の居間から見えたのは、車がビニールハウスに突っ込んでいる。それも水路を飛び越えての事故らしい。幸い、ドライバーにけがもなかったようであるが、ブレーキ痕もなく何が原因だったのだろう・・・

こうして、母の新盆もあっという間に終った、これで多少の余裕は生まれるかも知れない。

夜は、恒例の「うちわ餅」、朝は「ぼた餅」だったから、朝夕の食事は餅になった。

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今夜は平沢で夏祭り、夜になって花火が打ち上げられた。その花火が我が家の居間からも見えた・・・

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  ☆ 母よ来よきゅうりの馬に乗りて来よ縁者ら集う我が家の座敷に

そろそろ夏も終るんだろう・・・明日は牛に乗って帰る母である。

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返り咲き・・・(続)

途中で切れてしまった・・・

その年に咲いて、再び咲く花を「返り咲き」等と呼んでいる。花後に剪定したり、また、充分な養分があったりした場合に咲くのである。花木では、例えば何らかの影響ですっかり葉が落ちたりした場合、花芽が出来花が咲くことも案外多い。

クレマチスは案外返り咲くことがあり、珍しいことではないのだが、盆中に、しかも母の新盆に咲くとはとても嬉しく思う。

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俺は結構、孫に弱いジジである・・・息子の女の子、つまり俺の孫には同じ年齢のように扱われている。俺は孫と同じ目線で遊んでやっているので、ジ~ジだなど思っていないのかも知れない。

4歳と1歳半の孫娘の・・・いいなりになっているsmileそれに、午後から来た次女の男子2人にもまた同様だ。よく言えば遊んでやっていると言う事だが、「言いなり」になっていると言うのが正しいのかも・・・

だから俺にとってもどの孫も懐いてくれて・・・weep

夜はわいわい言い合いながら、家族花火大会を行なったshine

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返り咲き・・・

盆も2日目に入った・・・きょうも親戚や知人、俺の仲間達からお出で頂き、午後からは俺が拝みに出掛けた。葬儀に参列できなかったり、知人宅に出たのである・・・きょうは思いがけない方もわざわざ来て頂き、しばしの間に話が出来た・・・

002 左の写真が初棚だ。仏壇の脇に、ここ1年の間に亡くなられた人がおられる場合、施餓鬼を背景にして遺影や位牌を盆中飾るのだ。

このような棚はどこの家でもあった。我が家にもあったのだが、土蔵の解体したときでも破棄したのだろう。

探したが見つからず、この棚をJAから借りた。昔は初棚でなくとも、この棚を盆中では飾ったものだ。だから、この棚に飾るハマナスの実なども取りに行ったものだ。

このように我が家で初棚を飾るのは、父の逝去以来のことである。

午後、俺が拝みから帰ると、次女も孫を連れて帰っていた。葬儀を終ってまだ幾日もしていないのに、今度は盆と大変だろう・・・でも、我が家にとってはうれしいこと、ジジとババの暮しが賑やかになったのである。

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母は大往生だったことは、何度か書いた・・・来客される皆さんは、それは良かったと口々に良い、更には妻の介護を湛えてもくれた。有難いことである。親を看取るのは、子の大事な仕事ではあるものの、やりきったという思いで俺たちもいっぱいだ。

鉢植えのクレマチスが、春からまた花を咲かせた。まるで母の新盆のためのように、今朝、一輪咲いていた。「返り花」「返り咲き」等というのだが、1年に2回の開花をみることはとてもうれしいもの。

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母の新盆

8月13日・・・母の新盆だ。葬儀からまだ10日余りであるのだが、母の遺影は初棚に飾られた。これ以上の笑いがないような、母の遺影である。妻や娘たちが、ディサービスに行っていたころに撮った写真をそれにしたものだ。

俺は直接聞いたことはないのだが、母は民謡が上手であったらしい。そう言えば母の親は三味線等をひき、また、民謡もうまくこなしていたらしい。その母の血が俺にも入っているのだが、民謡には興味もないし、歌うとなれば歌謡曲でさえdown

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きょうは親戚や集落の方、母に係りのあった方が拝みに来る。従って、昨夜に帰ってきた息子家族らと先ずは墓参り。そして、お客様が来られるので、茶の間で待機・・・

来られる皆さんが、「良い写真だ・・・」そう言ってくれる。母は、かの世界に旅立ってもう10日。名も「古月○白蓮明道大姉」になった。

俺は来られた皆さんに、暑い日においで頂いたこと、葬儀では大変なお世話になったことへのお礼などして挨拶する。そして、冷たいものを進める。集落の方には冷たいビールを。

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初の棚の脇には、仏壇があって1歳半の孫が「アムアム」している。孫たちにとっては、仏具もまるで玩具、まあそれも良いだろう。それを黙ってみている俺・・・甘いおじいさんなのだ、俺は。

一般的には、拝みに来てくれるのはきょう・あすだ。

8月13日は、かつては墓で、中学生がリーダーになって迎え火を焚いた・・・「精霊たち、精霊たち、この火の明りで来とうね、じっこもばんこも、この火の明りで来とうね・・・」と歌いながらnotes・・・それが今では子ども達がいないわが集落。もう限界集落に近い・・・weep

今朝は起床すると珍しい光景が窓から見えた。俺はカメラを持って外に出た。霧が川面に発生し、流れのように見えた。わが地区で霧が発生する事はほとんどない。海岸部ということもあるだろう。少し幻想的でもあった・・・

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朝夕はすっかり涼しくもなったが、日中はきょうも暑かった。座敷や茶の間にはエアコンもないから、汗が滴る。ここ数日は、太平洋側は気温がやや低いようで、日本海側は高いようだ。きょうなどは東京よりも秋田の気温が高かったようだ・・・

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馬と牛・・・新盆の準備

朝から新盆を迎える準備に追われた1日。妻は、花を買いに出たり、明日の接待の準備、更には”初の棚”にあげる馬と牛を、きゅうりとナスで作った。俺は、庭の除草に汗だく・・・

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わが地域の盆は旧盆だ。明日から3日間の盂蘭盆会ということになる。かつては子ども達の行事として、墓で13日は迎え火を焚き、15日は送り火が行なわれたのだが、子ども達がいないことから、しばらく途絶えたままである。

「初棚」・・・わが地域では新盆をこう呼ぶ。昨年の8月7日以降、今年の8月6日までに亡くなられた御霊を棚に上げて、祀るのである。49日法要あとでないと新盆にならないとも言うが、我が家では仏送りでその法要も終えている。初棚には遺影や位牌、他にきゅうりの馬やナスの牛も・・・更には縁側にも馬。

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今ではこのような馬を作れる人が少なくなったという。新盆でなければ、草だけの質素な馬を飾ったものだが、現在は誰もやってはいない。こうした風習もこのあと果たして続けられるのか、初棚を飾らない地域も出ていて、馬の風習もいつかは途絶えるのではないだろうか・・・

007 馬を作るのは足が早いので、それに乗って来いと言う、言わば早く会いたいと言う気持ちを表している。逆に牛は足が遅いので、それに乗って帰れと言う、名残惜しい気持ちを表しているのだとか・・・

これもまた、以前は新盆でなくとも作っていた。我が家では毎年作っているが、この風習も継続しているのは我が家だけらしい。

しかし、先祖を敬ったり、精霊を招く風習だ、難しいものでもないのだから、続けていくのが良いように思うのだが・・・

このようにして、我が家の新盆を迎える準備は整った・・・

幸いにも朝方の雨が止んだから、俺の仕事の範囲の庭の除草も予定した範囲を終る事が出来た。しかし、外は蚊が多い。虫除けスプレーなどやっても蚊にやられる。畑もそうだと言う。妻も蚊がひどいと嘆いていた・・・

午後5時過ぎであった。除草していたので、作業着は泥んこになっていた。そこに・・・同級生だった清風さんが現れた。始め誰かと分からなかった。それが清風さんだと分かるには、少し時間を要してしまった。

清風さんは、昨年の12月に弟さんを亡くされたので、新盆で帰省されたようである。その清風さんが・・・俺は、昨年清風さんの生家を弔問した。葬儀が済んでいたので、清風さん、それにお母さんとも少し話をしたのだった。

清風さんはキュートな面立ちで、男性達の憧れであった。頭も切れたし、愛くるしい笑顔が一段と魅力的であった。しかし、俺は話をした記憶がない。話を交わしたのは33歳の年祝いのとき。以来、会った事もなければ、話もしたことがなかった。

たまたま清風さんもブログをやっていて、交流が始まった。時々、メールにて故郷のことを知らせたりする程度のことだ。それが、昨年の弟さんの不祝儀があり、おれが弔問・・・それが約○年ぶりの再会であった・・・

清風さんは、義母の介護に明け暮れの日々だったようだ。96歳まで頑張ったらしく、俺たちの比ではないようだ。だから、今回の母を看取ったわが妻を労うこともあったのかも知れない。その清風さんの思いがけない来宅・・・有難くお受けさせて頂いた・・・

新盆は、亡くなった母を呼ぶものだが、懐かしい人をもめぐり合わせてくれるようである。

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トレッキングシューズは動かない・・・

目を覚ましたら・・・「あっ!!!痛いいたい・・・」。俺の声で妻が寄ってきた。こんな痛みは久しぶりだ。コムラガエリである・・・despair揉んでもらったりしてもらって、間もなく正常に戻った・・・老化が原因だろうsad情けない、残念だ、悔しい・・・

きょうは国民の日である「山の日

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新聞にもそのことが特集で載っている。また、テレビでも特番だ。テレビなどほとんど観る事のない俺であるが、今夜はNHKの番組に見入った・・・

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山はいいな~山に行きたいな~

今夏は、富士山に行く計画を持っていた。しかし、母の体調が良くないこともあって迷っていたのだが、とうとう母は亡くなった。それでもう行く事が出来ないことが決定的になった。6度目の富士山はなかなか遠い・・・

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写真は3、776m剣が峰、お鉢めぐりをしたときの写真。ふうふう言って上った記憶がある。余談だが、富士山の高さ3、776mは「みななろ」と覚えるといいらしい。

初めて行ったのは登山ツアーだった。まったく山の知識がなかった俺は、デニムのズボンを穿いて上った。そのためでもあったと思う。6合目あたりで足が上がらなくなった。同時に高山病も・・・それでも休憩先の8合目までは何とか。しかし、そこで俺はインストラクターから、「あとは下山しろ!」ngと言われた。

上った途中でダウンしたら、緊急ヘリだ。それは自分持ちだ。だから下山しろと・・・ところが、午後11時半、山小屋を出発する頃になったら、体調が良くなった。リュックの缶ビールもおにぎりも棄てて、身軽になってふたたびツアーの一員になって8合目を出発したのだった。

そして・・・午前4時半、俺は富士山での御来光を拝んだのだったfuji富士山は、夏であっても100mごとに0.6度下がる。従って、平地で30度あっても山頂では4~5度。だから、山頂でのカップラーメンの美味しかった事!

昨年は、また富士山に行こうとトレッキングシューズを買った。シャツやズボンも新調した。しかし、行く事が出来なかった。昨年は、仕事の関係で時間を作ることが出来なかった。俺のトレッキングシューズは黙ったままだ。そのシューズが・・・玄関に並ぶweep

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年々体力は衰えている。そのことは実感している。先月に痛めた背中等の痛みはまだすっかりとは治っていない。それを自覚させるような今朝のコムラガエリ・・・

妻が言うには、忌明けするまでは登山はダメだと・・・。確かにそうだろう・・・山には神様が祀られている。その山に行くには、忌明けがないとやはりいけないのだろうナ。それにしても行けないとなると行きたいことが強くなる・・・

きょうは「山の日」というに鳥海山は隠れたままだ。最近の鳥海山をアップさせていただく。

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未来は今日始まります。

      逝きし師の導き胸に刻印し最終章をわれら生きなん

昨日の恩師への弔辞で、恥ずかしながらも俺は自らの愚作で締め括らせて頂いた。もう俺たちにも残されている時間が少ない。言わば1冊の本を人生と例えるならば、最終章に入っている俺たち。立派な生き方はできなくとも、恥ずかしい生き方はしたくない。それを1首にしたものだ。

その昨日の秋田魁新報にあった「きょうの言葉」。それがきょうのタイトルで、その言葉には続きがある。「未来は今日始まります。明日始まるのではありません」と・・・。この言葉は、第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の言葉である。

      その解説には・・・わたしたちは「今」を生きている。今が楽しいのは
      過去があるからで、今が辛いのも過去があるからだ。そうした過去が
      様々に重なり合って、時々の「今」は楽しかったり辛かったりする。

      過去が今につながってきたように、今は未来につながっている。過去を
      通らない今がないように、未来は、今この瞬間から始まるのだ。確実な
      ことは、「自分の未来」は「自分の今」によって作られるのだ。

恥ずかしながら、わが秋田県のトップが、県内で大水害で被害が発生しているのに、県外でゴルフをし、更には酒を飲み、翌日の対策会議に遅刻したというお粗末な行為、しかも現職の部長2人も同行していたといい、当初はそれを隠していたことも判明し、県民の中でも「辞任すべし」という声があり、「先ずは被害対策に本腰をいれることが重要で辞めなくてもいい」との声もある。

どうも俺には前者の意見が強いような感じがする。どちらかというと俺は当初から「辞任すべし」だと考えている。いくら土・日とは言え公人だ、それが「公」を外して「個」を優先させたことは、県民の生命と財産を守る立場の人間としては失格だ。

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いくら陳謝したって、そのことは消えることはないし、県民からみれば信頼できないと分かったのだから、即刻辞めるべきだ、俺はそのように思う。かつてわがまちの市長が市長選の報復で、相手候補の責任者の組織に補助金を削減し、前近代的なまちとして全国に発信された。

今回は、それ以上の恥だと言える。これまでは人の良さそうな知事、田舎丸出しの言葉などには、むしろ誠実・信頼という雰囲気を持っていたのだが、秋田市長をやり、県知事をやり、ことごとく圧倒的な支持を得て来たのだが・・・

やはり驕りが出たのだろう・・・

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そこまでもして、ゴルフをやらねばならなかったのか、水はどうなっているんだろうか、被害などないのか・・・そんなことが頭の隅にもなかったのか。あの日、わが市長の行為を笑った知事。それが今度は反対ではないのか・・・

きょう午後1時半からは、県議の全員協議会がこの件で開催され、ネットで中継された。一般の傍聴は許されず、マスコミだけが許された。これもまたおかしなことだ。自らが選んだ県民、その県民の傍聴されないとは・・・

協議会の中からは、辞任すべきとの厳しい意見もでたのだが、知事はとうとう辞めるとは言わなかった。むしろ今後も県政を担当し、挽回するというような考え方であった。一度、信頼が崩れれば、あとは下るしかないのだが・・・

こうして半日、ネット中継で見ていたのだが、きょうの言葉が脳裏に浮かんだ・・・

写真はいづれも「NHKニュースこまち」からのものだが、きょうは華やかな「今」も目にすることが出来た。

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秋田出身のフラガールのデビューというのだが、実はわがまちの出身の女性だ。春に入って、とうとうフラガールとして初舞台を踏んだのだ。あの福島のスパリゾートの舞台を・・・。若い頃二度ほど行ったことがある。当時は「常磐ハワイアンセンター」であったと記憶しているが・・・

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秋田美人の彼女・・・観客から愛されるダンサーになってほしい、遠い地元から応援したい。

未来は今日から始まるのです・・・

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先生・・・さようなら

昨日はどうしても出なければならない会議があった。終っては懇親会だ。一応、俺は母の49日法要をやっているからとの思いもあって、それにも参加した。酒が入ればいろんな事が出される場合もあるからである・・・(酒好きの言い訳かも?)

そんな昨夜は小雨だったが、今朝は起きると曇っている・・・そして涼しい・・・慌てて昨日、ブログ更新していなかったことを思い出したので、俺はpcに向って記事を書いたのだった・・・

台風5号は温帯低気圧に変わった。だが、それにしても悪い風だった。丁度、田んぼの稲は出穂期、この風がどのような被害をもたらすか、恐らく無傷では終らないだろう・・・葉が擦れあったから、黒くなるかも知れないし、一部ではこれから実の入る粒が零れたらしい。

朝食後も俺はpcに向った・・・

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実は、午後からかつて担任のような先生の葬儀がある。俺の直接の担任ではなかったから、実の教え子の誰かが読むんだろうなと思った。思ったのだが、待てよ、もしも誰もいなかったら・・・恩師である故人に最後のお別れの言葉がなかったら・・・

迷ったがかくことにした。もしも読む人が多かったら俺は読まない、そう心に決めて俺は弔辞を書上げた。そして、それを懐にして、矢島の祥雲寺に向った。同期生を4人も乗せて・・・

葬儀は午後1時に始まった。俺の宗派と同じになっているものの、やり方がまったく違う。

受付で弔辞は何人かと聞くと4人だという。それに先生の教え子からの弔辞は・・・・と聞くとないという。それならと俺の読む順番は最後だ・・・そして、弔辞が始まった。

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故人の先生は、俺のクラスとは別の「梅組」の担任、俺は「桜組」だった。しかし、俺たちの当時の担任は、若くして旅立ったのだ。従って、同期会などを行なうときは、きょうの故人の先生が、「梅」も「桜」も関係なく、昭和○卒業年生全員の担任として・・・

弔辞の奉読は5番目となった。先生を退職後は、公民館関連や歴史保存などの会で、様々な要職につかれた。そんなこともあって、弔辞1番は市長代理が、続いて元校長の会、と続いた。1時半過ぎに、俺の番がきた・・・

俺は弔辞とは言え、周辺の方に聞こえなければ意味合いもうすれるので、声は高く、抑揚つけ、間合いを作ってゆっくりと・・・俺は、弔辞を読む場合は、このようにこころしている。きょうは終ってから、お世辞も当然入っていると思うが・・・

泣けた・・・感情がこもっていた。そんなことを何人からか、聞いた・・・

俺は母を失ってきょうが10日目、涙と汗まみれになった喪服がまだ届いていない、涙もまた乾かないうちに、また涙になっている

こんなこと読み、最後に短歌一首を奉じて弔辞を終えた。

俺は「弔辞係り?」と言われているようだ。これまで、同期生がなくなると・・・「おい・・・○○弔辞よんでくれ、そういわれと断れない、損な性格なんだろう・・・もう10人ほどは、奉読している。

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それでもお別れはきちんと・・・と思っている。

自分でもそう思うときもある。でも、あっても約90名の卒業生のひとりも弔辞を読まなかったではどうなんだろう。せめて感謝の気持ちも出すべきだろう、今回、それを果たす事が出来て、ほっとしている。

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出穂の頃

どうやら台風は温帯低気圧に変わったようである。我が家の庭木が揺れていないのを見ると、もうその影響がないのか・・・否、このあとに何らかの影響が出てくるのか・・・・(9日、午前6時)

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それにしても、台風5号は各地に被害をもたらしたようだ・・・

わがまちでは、7日夕刻頃から風が強まって、更には8日いっぱい風が吹いて、夕方には小雨になった。雨の伴わない風は、これまた被害を大きくする。特に、農作物には被害を大きくする。

つまりは脱水状態にするのだ。それでも田んぼには、出穂期のために水を張っているので、やや緩和されるのだが、畑の場合はなす術がない。我が家の畑、妻が丹精込めて作ってきた野菜は風に煽られて倒伏したり、また脱水状態になって干乾びた・・・もう壊滅的だ。

折角ここまで来たのに・・・農業はやはり自然との闘いなのだ。到底勝てる相手ではないのであるが、収穫寸前のものも多い・・・

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8月7日は、わがまちでの稲の穂の出る平均的な頃合である。今年も走り穂はあったものの、大方は穂が出ている。その田んぼが揺れた・・・この大風で・・・

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今、穂が出ているこの時期に・・・

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花の咲いているこの時に・・・

この風がどんな影響を及ぼしたのか・・・今はまだ分からないが、このあとどんな被害となって表れてくるのか、不安がいっぱいだ・・・

こんなときは水を田んぼに張る、これくらいしか対応策はない。自然の猛威をふさぐ手立てなどなく、ただただ早く通り過ぎるのをみているしかない・・・

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葬儀の決算

8月7日、わが集落では例年、「墓払い」と言って墓掃除することにしている。きょうも午前5時過ぎから、声が聞こえる・・・俺も例年、墓払いに出ている・・・のだが、やはり朝はきつい。どうしても体が堅いせいもあって、痛みが出現する・・・

従って、今朝は俺に代わって妻からそれに出てもらった(;´д`)トホホ…

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墓払いが終ると、我が家では墓参りに行く・・・帰宅すれば黒飯とぼっちゃん南瓜の煮付け。南瓜は小さいのだが、美味い・・・・

時折、来客があったものの、きょうは頂いた香典等を先ずはpcでまとめた。あとでこれを生紙に書くのであるが、取り敢えずは・・・

今回の母の葬儀に関しての会計は以下の通りだ。皆さんのところではどうだろう・・・

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今回「知らせ」を出したのは、母の実家や孫の家、母の兄弟とその子たちで37人。そして、香典等を頂いたのは、128人からの約160万円だ。

大まかな支払は・・・

今回の母の戒名が「古月○白蓮明道大姉、これによって戒名料が15万円、2人の和尚さんに20万円と10万円のお布施祭壇利用料金が1万円。お棺等いっさいの葬儀に関しての料金が35万円お斎に65万円酒等に8万円引き出物等に30万円

従って、頂いた香典等160万円から、支払った金額184万円なので、総計で約24万円の△ということになる。今回は母だったので、それでも200万円を割った。これが男だったら、交際範囲も広いので250万円はかかるだろう・・・

終ってみて、これで良かったのか、色んな課題も残された。お寺のお布施のこと、お斎のあり方、引き出物などのこと・・・田舎ゆえ、なかなか家族葬などには踏み切れないし、飲食に相当な額が嵩む・・・

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秋田では夏のイベントの竿灯が4日間の幕を閉じた。他にも湯沢の絵灯篭、能代の不夜城、夏は夏で色んな催し物が開かれた。しかし、もう「立秋」だ。稲の穂も出始めている。気掛かりなことは台風だ・・・

今年は野菜が大打撃を被っていて、枝豆なども不作らしい。これに台風で稲の穂もやられたら、稲作の被害も明らかな者になるだろう。先ほどから、風も強まっている。

   <写真は秋田魁新報>

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きょうからはまったくの2人暮し

母の祭壇の前で寝ていたのが、昨夜は仏送りもしたことから、自分たちの部屋で寝た・・・ところが、背中の痛みが消えたら今度は股関節、従って俯きにはまだ寝られない。そして、今度は腰や膝に痛みが移動している・・・

今朝は柱に手を添えて、漸く立ち上がった・・・「痛いいたい」と顔をしかめながら・・・

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そんな俺を笑うように・・・居間の窓からトンボが見えた・・・

ただその痛みも起床後はほとんどなくなった。これまで新聞にも目を向けることができなかったのだが、きょうは先月の30日からの新聞に目を通した。そうしていると・・・ピポンとnotes

ドアの前にたっていたのは、マギレモナク従兄弟だ・・・もう祭壇はなく仏壇の方に写真も置いている。もう49日法要も終っているから、かもいに上げても良いと言うのだが、間もなくお盆でも在り、上げてしまえばまた下げることになる。従ってこのまま仏壇の前に置くことにしていた遺影を拝んでもらった・・・

昼食はナスの揚げ物、そして好物の漬物も・・・

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食べていると妻が言った・・・「ほんとうにきょうからはふたりなんだ・・・」と。介護で疲れていたはずなのに・・・「もう介護しなくていいから楽になった」と言うべきだろうに・・・しみじみと言う妻の言葉からは、寂しいという思いを感じた・・・

自分のことはさておいても、先ずは母をよく見てくれた。仲間の集まりも何度か欠席し、更には同級生の一泊慰安旅行も行かなかった。だから、「・・・ああ、楽になった」と言えばいいのに・・・

午後からは、祭壇もなくなったから、座敷・茶の間などの障子を夏用に替えながら、葬儀の前の状態に戻す。幸いにもこの頃は痛みもなく、それでも注意しながらの、葬儀の後始末にくれた。

JAの葬祭センターからも見えて、仏具等を引き取って行った・・・また、花輪やその他の葬儀に使ったものを持って帰った・・・約35万円の請求書を置いて・・・

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暑い1日だった。島根では39.3度もあったようで想像するのも嫌な温度である。我が家も暑かった・・・居間も30度を超えている。今夜で竿灯も終ったし、そろそろ小さな秋でもほしいところだ。

夕方、虫刺され用の薬を買うこともあって、帰り道は海沿いを走った。折りしもの夕焼け・・・ジーンと来る暮れの色だった・・・

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母は父の許に・・・

きょうも暑かった・・・ほぼ1週間ぶりに俺は田んぼに出て水を入れた。早い田んぼでは穂が出始めている・・・日中は暑いものの、新しい季節が動き始めたのかも知れない。

秋田市での竿灯は3日目。明日までなのだが、連日のこの天気を喜んでいるんだろう。だが、秋田では、この竿灯祭りが終れば、夜はきちんと涼しくなり、小さな秋へと季節が動く・・・

我が家では、亡くなった母の初七日、そして、「仏送り」だ。きょうは、蚶満寺にて「西施祭」があって案内を受けていた。そして、午後からは「奥の細道全国俳句大会」があって、応募した俺の1句が佳作に選ばれたと言う。選者が長谷川櫂でもあったから、出席したかった・・・

ところが、菩提寺と仏送りを相談すると、きょうの9時ということ。従って、どこにも行くことができない。その法要をふたたび自宅で営んだ。本来ならば、親戚に案内して供養、そして、お斎をしなければならなかった。そうなればまた仕出し屋である。

盆を前にして親戚の方々も忙しくなっている。そこで、俺は村の親戚には、身内だけで行う旨を話し、粗品をお渡しした。だからきょうの法要は、叔父さんや俺の妹ら10人で行った。修証義1・2章を皆で読経してから墓参り、そのあと菩提寺に白木の位牌を持っていく。

昼をはさんで折り詰めにて会食、そののち祭壇の解体や、借りていたものの返却、頂いたものの形見分けなどして終ると・・・眠い、疲れて動くのは億劫だし、何をする気力もでない。

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写真は葬儀のときのものと、仕出し屋にてのお斎・・・ここは料理のボリュームで名の知られたところ。当日も魚料理や牡蠣もついて・・・豪勢だ。誰かが言う、まるで結婚式の料理のようだと・・・

結局、皆は食べられずに持ち帰ることになる。そんなことまですることが必要なのか?こんなに豪華なことでいいのか?なかなか村での改善は進んでいない・・・

この一週間・・・あっというまの事だった。どたばたと過ぎてしまった感じ。それでも間に「友引」があったりしたので1日準備にかかることが出来た。いづれ本欄で経済的なことも書こうと思っている。

いづれ母は、自宅で自らのベッドで遠い世界に旅立った。あとほぼ半年で満100歳ということだったが、母の最期は大往生だったと言える。理想的なものだったとも言える。しかし、妻の大きな献身的な介護があったからこその大往生であり、妻には感謝しきれない。

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我が家からはきょうは息子家族が帰って行った。これでとうとう我が家には、妻とふたりだけになった。俺たちは母の誕生日に結婚した。今でのあの日の母の笑顔が脳裏に浮かぶ・・・

夕方の空には月が出ていた・・・今頃はあの世で、父と27年ぶりに母は再会しているんだろう・・・

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ユリが咲きネムの花咲き・・・

今夜も集落のおばあさんたちが来られて、母の最期の夜を念仏で供養してくれた・・・

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鉦の音を拍子に、昨晩に続いて33番まで詠んでくれたのだ、哀調あふれる御詠歌・・・99歳の生涯の母、母はこの方々との人生を歩んで来た。そして、最期に送られたのだ・・・

きょうも蝉時雨・・・・

いよいよ明日が初七日、そして”仏送り”だ。母が亡くなって以来、祭壇の脇で寝ていた叔父さんや妹、それが一人またひとりと帰って行き、昨晩からは妻とふたりの座敷に寝ていたが、それも最期の夜である。

母は幸せだった(と思う)、自分の部屋でベッドで眠るようにして逝った、言わば大往生だろう。ただし、長い生涯と言うことは悲しみや寂しさもその分、多いのかも知れないが、それでもやはり総じて長生きすれば、幸福度合いも高いと思う・・・

「老衰死」・・・母は理想とされる生涯を閉じた・・・

思えば、昨年は8月末に父の弟が死去し、この1月もまた父の弟、また、3月には母の妹と近い身内の方の死が相次いだ・・・そして、母である。今頃はあの世界で、既に先立ったその方々と再会しているだろう・・・

夫(わが父)とは27年ぶりだから、分かるだろうか・・・等と思ったり。

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ユリが花咲いて、強い匂いがあたりに漂っている。家の中ではあげられた花籠の中にもユリがあって、それは座敷に匂いを放っている。本来の予定では、今夕に関西空港から故郷に戻る予定だった。どうしても行きたかった研修なので、それが本当に残念だ・・・

そのユリの匂いのする座敷で、今夜も母の遺影の下に眠ろうか?

    <我が家のカサブランカとオニユリ、そしてきょう開いたネムノ花>

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御詠歌うたう”念仏”

葬儀の終った我が家からは、あんなにあった靴の数々がどんと減っている・・・

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ここは裏口で、身内の方が入ってくる。そこはもう隙間のないほどの靴の数だ。それが、叔父さんが帰り、妹家族のひとつが帰り、午後には娘家族が帰って行った・・・。だから、祭壇の前で寝るのは、妻とふたりだけになる・・・

昨夜までは、9人が雑魚寝していた座敷はガラガラ・・・仏送りまで、母が飾られている祭壇の前。それも明日1日となる。

今夜と明日は、村のおばあさん方が見えられて「念仏」が行なわれる。西国33番所の御詠歌33番が歌われる。今夜は13人が集まってくれ、約30分、1番から独特の節で歌われる。短歌形式なので、趣味を短歌にしている俺にとっては、感動的なものだ。

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終ればジュースやスイカ、お菓子などが振る廻られる。中にはビールの人もいるがほんの一杯だけ。従って、残り物は俺の胃袋だ・・・

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昨日までの緊張が緩んだためか、何のやる気も出ない。時々弔問を受けたものの、ぼんやりとして・・・こんな1日であった。

梅雨の明けた秋田県は暑い!庭には3度ほどの散水。田んぼの稲も穂を孕んできたので、水がほしいだろう。すっかりと水を張っている田んぼもある。だから俺も水を入れに行きたいところだが・・・gawk

孫もそれぞれの家族とともに帰っていったが、小さな4人が残っていて、悲しい我が家であるのだが、その賑やかさ・・・その孫等のはしゃぐ声に救われている。

仏送りが5日の9時に決まった。あと2日しかない。頑張っていくしかない。

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弔いのことばを有難う。

きょうは母と別れの日だ。午前4時半には起床して、礼服に着替えて茶の間にて待機。やがて、弔いの来客がみえられた。俺にとっては、親を送る最後の大仕事だ。

その後、午前9時には裃に着替えて、ふたたび茶の間に待機した。菩提寺の住職・副住職さんが見えられて、予定どうりに葬儀が進み、告別式。当方から「知らせ」の案内を出したのは57人、12畳の茶の間、8畳2つの座敷、それに6畳の下座敷がいっぱいに・・・

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今回の葬儀・告別式は自宅で行なった。というよりも、俺は父の葬儀も我が家で行なった。こんなことも想定して、田舎の家は大きく作っているのだ。だから迷いもなく、母も我が家から見送ることにした。

喪主である俺は、暑い中の参列や焼香に感謝し、また、仏前への供物や香典への謝辞、さらには生前の母に代わって、これまでのご厚誼に感謝した。また、子どもとして親を送るのは大仕事であり、それを果たしたきょうにいささか安堵している気持ちも述べた・・・

母は99歳、あと半年もすれば「100歳」であったのにそれは残念であったが、息子(俺)の嫁に抱かれるように、しかも眠るような大往生をとげ、これ以上のよろこびはなかっただろう、間もなくお盆であるが、それよりも早く皆さんにお会いしたかったのだろうか・・・

母も満足なら、俺たちも満足だ。最後を自宅で看取れたし、これ以上の最後はないだろう。だからか、俺たちには最後のわかれになったものの、涙も出なかったし、むしろやりきったという半ば充足感さえあった・・・

それでも今後は妻との新しいふたり暮しになる。どうか、これまで同様にご厚誼とご指導をお願いしたい、そのような内容での挨拶をした。

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わがまちでは、火葬後の葬儀になっている。従って、昨日の火葬につづいてのきょうは葬儀と告別式。年齢的にも同級生などもいないので、弔辞はなかった。ただ、母にとって最初の孫である、俺の長女がお別れの言葉を述べ、来客の涙をさそった・・・

家での葬儀等が終ってから、葬列を組んで墓への納骨だ。暑い日差しの中の葬列。

母はとうとう土に還って行った・・・

お斎は金浦の仕出し屋で行い、葬儀等を締め括った。

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終ってから・・・反省はいっぱいだ。

今回は俺の本家が病気のために来られない。集落内には12軒ほどの親戚がいて、実はこのようなときに互助会的に補完しあう。おれはでも出来るだけ世話にならないようにと気配りした。結果、何もかにも俺の肩の負担になった。

例えば、親族等への「知らせ」、葬列やお斎の場合の席次、ほかにいろいろと指図しなければならず、妹達、その連れ合いや、俺の子どもたちなどに大きな負担をかけてしまった。それでも色んな落ち度もあったし、失礼なこともあったと思う・・・

親を送る子としての大仕事、それは様々な落ち度を重ねて終ってしまった・・・

        banana   cherry

それでも、こうしたブログを通じて、色々な方から弔いの言葉を頂きました。有難うございました。

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