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2017年7月

覚林和尚

目覚めたら午前3時半・・・背中がまた苦しい!苦しくて目が覚めたのだ。実は昨日から、止んでいた痛みがまた始まった。だから鍼に行こうと電話したら「休み」とのこと・・・だから、我慢していたのだが・・・

2階の書斎の窓が、やがて明るくなった・・・穏かで風もなく、虫や鳥の声もしない。静かな朝である・・・朝焼けの空がきれいだ。

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きょうは雨もなさそうだ。被災地ではこころ重くしながら、後始末を始めていることだろう。あと10日もすれば穂の出る田んぼが水を被り、野菜や花なども今年の収穫は望むことが出来ないだろう。農業とはこんなものだ。自然相手の仕事ゆえ、場合によってはこのような自然の牙に泣く。

痛みに耐えながら、10時には象潟の蚶満寺へrvcarきょうは、覚林和尚の功績を記す、看板の除幕式。尊敬する先輩T氏が、この会の長であることもあって、俺もこの会の会員なのだ。そして、この看板立てが今年の最大行事であった・・・

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看板には「歌枕の地”象潟”を守った蚶満寺24世覚林和尚」のタイトルの元、その足跡が記された。この会は、その”覚林和尚を顕彰する会”なのである。

きょうは除幕式のあとに、T氏の文章にK氏の切り絵の紙芝居も披露されたのだが、内容は何故今にして天然記念物の九十九島が残ったのか、そのストーリーであった・・・

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松島に並ぶ景勝地であった象潟、それが地震で海が隆起し、陸地に島々が残った。そこで時の政権が、田んぼとして開田事業を始めたのだ。しかし、残された風景を後世に残さねばならないと立ち上がったのが、「覚林」という蚶満寺の和尚だったのだ。

しかし、政権にたて突いたことを理由に捉えられ、5年余を牢獄に入りそこで牢死したのである。でも、彼は死を賭して島を守ったのだと伝えられている。そのことを顕彰し、不明な部分を埋めていこうと立ち上がったのが、この会なのだ・・・

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紙芝居が終ってから、覚林和尚の墓参り・・・

この会が元気に活動している最大の要因は、尊敬するT氏の行動力だ。今でも各地のマラソンに出たり、場合によっては当市の観光案内人になったり、立ち止まっている時間が彼にはない。そんなこともあって、俺は知己を頂き交流を続けているのである。

歴史を残すのは勝者だ、弱い庶民などは歴史のひとコマにも登場しない。でも、わがまちには、このように権者に立ち向かった人物がいたことに感動する。或いは事実とは多少は異なるかも知れないのだが、自分のためにではなく、たかが島を残す為にいのちをかけた人物いたとは、どのように表現したら良いだろう・・・

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折りしも蚶満寺境内にたった一輪咲いていた泰山木の花、それはまさに島を守った覚林の化身のように俺には見えた・・・

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まちも大地も・・・

ああ何と言うことだろう・・・

恐る恐る開いた新聞、もう観るだけで涙が出てくる悲惨な状況・・・

NHKテレビの「ニュースこまち」でも大きく取り上げている(きょうの写真はそのテレビから)

我がまちでは今回の水害は免れた・・・被災地の方々には申し訳ないのだが、正直安堵している。俺の近くではなかったものの、市内の一部の地域には「避難勧告」が発令された。このまま白雪川が増水し、氾濫でもしたらどうなるんだろう・・・一時は背筋に冷たいものが走った・・・

動けない、認知症の母が家にいる。避難や指示勧告が出されたらどうすればいいんだろう、母を背負って逃げる事になるかも知れない、もう頭の中は大混乱の状態だった。妻の内心は計り知れないものがあったに違いない。

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娘は大仙市に住んでいる。今朝も書いたのだが、自治体から娘のところには「避難指示」が発令され、公民館に避難したようだ。きょう電話すると、避難先では5歳の孫が大変だったらしく、幸いにも浸水を免れた自宅に戻ったとか。

でも、自宅も寸前だったらしい。今回の水害で最大の被災地はこの大仙市だった・・・あまりの被害の大きさに調査は進んでいないらしく、判明すれば被害はもっと大きな数字になるかも知れない。

大仙市等は、もうまちも大地も水の中。道路も川もその境界が分からないようだ・・・

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今回のこの水害では、被害の面積等は未曾有のものだったが、幸いにも犠牲者がでなかったことは奇跡にちかいものだっただろう・・・

このような状態の中に、秋田県のトップは宮城県まで行ってゴルフをしていたことが判明した。「天気予報は見ていたが、ここまでの雨になるとは思っていなかった、見通しが甘く反省している」と釈明したが、長く地位にいれば自らの判断には甘さが付きまとう。

今回のこの事態を県民はどのように評価するのか・・・

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例えば突然の地震などは仕方ないにしても、本人が言っているように、雨の予報は出ていたし、知事が宮城県に向うころには県北では被害も出ていたはずだ。それを承知の上で、しかも県外に行ってゴロフとは、どのような釈明も聞く耳を県民は持たないだろう・・・

しかも、ゴルフのあとは飲酒・・・俺も晩酌するので、その気持ちが分からなくはないものの、スタートする時点の判断が責められるのだと思う。いくら公職と言えども人間でもある。しかし、今回の場合はやはりスタートのときに脳裏に県民の姿を思い描くべきだった・・・

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きょう雨はほぼ収まった・・・雄物川の危険水域もなくなったようである。しかし、溢れた水は下流に流れる。そのためか、出された避難勧告・避難指示が解除されない地域もあるようだ。

秋田県に甚大な被害を発生させた前線、今度はどうやら南下しているようである。どうぞ、皆さんの地域には被害のなきことを願っています。

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大変なたいへんな1日・・・

皆様、お早うございます。

まだすっきりしないものの、今朝は曇り空ながら穏かです。大変なたいへんな昨日でした・・・

大仙市にいる娘からは、これから「避難する」との電話が、早々にありました。地域の公民館に避難すると・・・と。「避難指示」が発令されたそうです。話では家の前まで水が来ている、下の方にある花を栽培しているビニールハウスはやられた、田んぼはどうなっているのか分からない、自分はこれから小と5歳をつれて避難とか・・・

市の職員をしている夫は招集されたまま、帰って来ない・・・

秋田県は、ほぼ全域で多かれ少なかれ、このような状態で右往左往の1日でした・・・

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わがまちの鮭の上る川、川袋川も一時増水し、地域に「避難勧告」が発令されました。でも、有難いことに(スミマセン)、我が家の傍の白雪川は危険な状態スレスレながらも、氾濫もなく1日を終えました・・・

ただし、秋田県では交通網はズタズタ、鉄道は羽越本線等が運転見合わせ、高速道も国道も土砂災害等で通行止め・・・

こんなことから、来ることになっていた秋田市にいる妹は来られませんでした。施設から出された母が別の施設に入ることが出来たのに、7月の週末は混んでいて、土日は自宅に戻されています。今回、一昨日から母が戻りました。

従って、また妻から介護をしてもらっています。食事はだめで寝たっきり・・・主治医の診療所の先生は、この雨の中、朝夕の点滴に来てくれます。土日、そしてこのような雨の中でも往診に来てくれて・・・頭が下がります・・・

妹が来ないし、妻は家から離れることも出来ず、この雨だから俺は家にいますが、それでも付き合いもあって、昨日は先生の叙勲祝賀会でした。祝う会の委員でもあり、こんな最中ですが、欠席も出来ず・・・

大変なたいへんな1日でした・・・秋田県において、地域において、娘にとって、我が家にとって、それでも何とか1日を終えました。

心配して下さった皆さん・・・有難うございました。

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大雨になりまして・・・

不安な夜を迎えている・・・rain

今は雨は止んでいる、止んではいるものの「大雨洪水警報」「土砂災害警戒」が発令されたままだ。県内では、多くの自治体で避難勧告・避難指示などが出され、住民の多くは学校等に避難をしている・・・

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隣りのまちでは、1時間に100mmの雨があったところもあったようで、もうどんなに不安な夜を過しているやら・・・どうか、無事に朝を迎えてほしいものだ・・・

朝のうちは、我が地域では雨が降らなかった。だから、庭の草取りでもしようと思ったほどであった。ところが、午前9時過ぎから雨となった。更には雷鳴もあって、雨は大粒になった。

最初のうちは、庭木々や草花は天然のシャワーと思っているだろう、だから随分と気持ちよかっただろうに。俺だって、どことなく気持ちが落ち着き、きょうは雨だから休もう、そう思ったほどだ。しかし、徐々に雨脚が強くなった。

我が家の近くを流れる白雪川も増水、2階から見える川は濁流の流れになって見える・・・

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白雪川は急流だ。大雨が降るとすぐに川は増水する。これまでも何度か堤防が決壊し、被害を被っている。俺が記憶しているのは、小学1年生のときの氾濫だ。周辺の田んぼが水浸しになって無くなった・・・

以来、このような水害はないのだけれど・・・不安だ。

観たいとは思わないテレビだが、大雨の情報を得るために今夜はつけっぱなし。今の情報だと、隣りまちの川が氾濫したようだ。大事に至らなければ良いのだが・・・

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海開き

わがまちには4箇所の海水浴場があるwave

小砂川・象潟・赤石・平沢の4箇所だ。一番大きい象潟海水浴場では、既にオープンしているが(先日のトライアスロン大会・スイム会場)、他の3箇所の海水浴場の「海開き」がきょう行なわれた・・・

きょうはそれに相応しく(?)朝から暑い・・・33~34度ほどの真夏日になったようだ。家の中に居ても30度を越したdespair

午後1時からは、平沢海水浴場のオープン。そのセレモニーが行なわれた。先ずは期間中の安全を祈願しての神事。

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海の傍まで行って・・・

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さらにはテープカット。

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子ども達はきょうが1学期の修了式、明日から長い”夏休み”だ。俺たちの子どものころは、近くの白雪川で水浴びしたり、魚をとったりして毎日遊んだ。その頃は、鮎やカジカを箱メガネを使って、ヤシで突いたりした・・・

その後、鳥海山の水蒸気爆発によって川の水は酸性化して、魚はいなくなった・・・それが、昨今ようやく魚影も目にするようになった。

海水浴場がオープンしても、昨今の子ども達は海になかなか入らない。ベトベトして気持ち悪いとか、水が汚いなどと言って・・・

そう言えば、海のない山間の学校では、バスでやって来たものだが、今はそんな光景をみることはない。海に対する意識が大きく変わっているようだ。

茨城に住んでいる、俺の3番目の孫は遊びに来ると、毎日のように海に行くyachtその孫が来るのは来月のお盆だ。或いはそろそろ年頃になって、もう海には行かないなんていうのではないかナ~

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ねむの花ひらく

わがまちの花は「ねむの花」である・・・かつて、俳人・松尾芭蕉が奥の細道で訪れたときに詠んだ1句にちなんでいる。

  ☆「象潟や雨に西施がねむの花」

そのねむの花が、至るところで花を開かせている・・・

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写真は、きょうの前川集落で撮影したもの。こういったねむの木が、道路の法面、田んぼの畦、農道などに育っている。いわゆる自生したものだ。従って、こんな光景だ。

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畦等を刈っていると、すくっと育っているねむの木、大方は俺は刈っているのだが、それでも伸びてくる。畦にあったねむの木の一本は、いつだったか根元から切ったのだが、それでも伸びてくるのだから、生命力が強いのだろう・・・

きょうも草を刈っていて、ねむの木の小さなものは何本か切った・・・田んぼが日当たり悪くなれば困るからである。しかし、それでもbud

ねむの木は南方系の植物だと聞いたことがある。従って、秋田県でもこんなに多くのねむの木が自生しているまちはない。このことからも、わがまちは沿岸部で、気候が温暖だからと言うことが出来よう・・・

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きょうも暑かった・・・全国の各地では、もーれつな暑さを観測した地域もあったようだ。わがまちでは、30度くらいの気温だったか?

この暑さの中を俺はきょうも草刈り・・・

JAの指導では、きょうまで草刈りを終えるようにとのこと。俺は午後7時10分・・・肩に掛けていた草刈り機のエンジンを止めた。とうとう暑さの中を頑張ってきた4回目の草刈りを終えたのだ。

水筒の水も何度もなんども飲みながら・・・とうとう終った!幸いなことに、これまで痛んでいた背中の痛みも和らいで、気持ちよく草刈りを終えた。しかし、草は刈れば伸びるから、稲刈りまではもう3回は刈る事になるかも知れない。

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俺が耕作している田んぼ の畦はご覧のように・・・その奥の中にあるのも、ねむの木である。

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富士山は遠い・・・

今朝は「頭がいた~い」と反省している。夕刻からの研修会、そしての懇親会の冷酒が効いたようだ(?)

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それも庭に散水したら、今は気持ちもこころもすっかりした・・・

昨日の朝の俺は、地区一番の早起きだった。午前3時半には目を覚まし、4時には草刈りをしたのだ。周辺や見渡す範囲で、他に草刈りをしているひともなく、つまりは一番の早起きだったようだ・・・

早起き?・・・

実は背中が苦しくて、寝てはいられなかったのだ。飲んだ痛み止め”カロナール”も、その頃には効果が消えていたようだ。苦しくて布団でもがいているよりは、起きよう!って仕事に出たのが正直なのだ。

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しかし、それで思いのほか草刈りがはかどった。予定した範囲よりも多くを草刈り出来た。ただし、昼前には予約していた”ハリとマッサージ”へ・・・はりがひけているといわれたものの、大きな湿布も2枚はられて帰宅。

そして午後からふたたび草刈りへdespair

汗だらだらになって田んぼから帰ってシャワー・・・

こうして夕刻の研修会だった。

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今年こそは6度目の富士山行きを描いていた・・・今週と来週をターゲットにしていた。しかし、諸行事が重なり、母のこと、さらには自らの背中のこともあって、もう今年も断念した。俺にとっての6度目の富士山は・・・遠い・・

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日野原先生さようなら・・・

草刈りを終えて帰路につく車中で、カーラジオから流れた「日野原先生の逝去」、105歳ということであった。

100歳を超えてからも、講演活動などをされて、不死身な存在だと思っていたのだが、日野原先生にしても、終章はあったのか。先生は生きることは=時間を生きることだと話しておられたが、その時間が閉じられたことになる・・・

日野原先生ありがとう、お疲れ様でした・・・俺もそのように言いたい。そして、どうぞ安らかに、ゆっくりと休まれてください・・・とも。

(写真は”NHKニュースウオッチ9”より)

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先生はたくさんの本を著されている。「生き方上手」のように、大ベストセラーになった1冊もあるのだが、俺の机のそばに今あるのは「いのちを創る」という文庫本だ。

この最初のページには「時の流れの岸辺に立つ」として、こんなことが記されている。

私たちはみな、老後に向って歩いています。日々の積み重ねが、老後にもつながるのです。若いときの姿勢は、人生の最後のステージに反映してくるのです。

   「人生のはじめあるは終わりのためなり

このように100歳を超えると、人生の達人とも言える。発することばは、どれもが輝く。そして、生きて来た中からの発言だから、言葉の重みがちがう。

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生きるとは時間を生きること。先生の書をまた読んでみよう・・・俺の最終ステージも、先が見えてきたし、その時間は俺らしく。

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孫の笑顔に

農家にとっては、日曜日も祭日も無い・・・でも、日中は暑さもあって休息したり、雨が降ったからと休む事も出来る、言わば自由業とも言える部分がある・・・

今朝は雨の後なので、残りの草刈りに午前5時には出かけた。日もないから比較的涼しさもあって、草刈りは快適であった、だから、きょうはこのまま作業を続けることが出来れば、この後どんなに楽になるだろう・・・そう思った。

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幸いにして・・・きょうの予定は何も手帳に記されていなかったはずであった・・・ところが、先日に火葬を行なった某さんの葬儀。同じクラスになったことはなかったのだが、近くの集落の同期生である。

地元の寺で午前10時から、葬儀は行なわれた。何年か前に癌がみつかり、その後入退院、抗がん剤治療と苦しんだそうだ。誰もが終末期は穏かに迎えたい、そう思うだろうが、某さんは病魔と闘って散ってしまった・・・

母のこともあって、まして自分の年齢からくるものもあって、新聞に掲載されている「お悔み欄」には目を通す。それで知人の訃を知る事も多い。今般の某さんの逝去もまた、知ったのは新聞のその欄であった・・・

そのお悔み欄を見れば、人の寿命の差の大きいことを思う。きょうのその欄をみても、104歳で亡くなられた人、5~60代、或いは30代の人もおられて驚く。若い方の死は本当にいたましいのであるが、逆に104歳の方の最期はどうだったんだろう・・・母のことを思いながら、その方の最期も思ってしまう・・・

母のことを知って、息子と娘が孫を連れて我が家に来た・・・腕白盛りの男孫、幼稚園児と歩き慣れた幼児と、我が家はいっきょに賑やかになった。でも、これがいい、沈んでいる我が家にとっては救いのようなものである。

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特に1歳半のこの孫娘ななちゃんには救われた・・・

    <花はヒメロカリス>

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「皆に風が吹いている・・・」

この度は、母のこと、介護のことで、つい愚痴っぽくなった記事で、不愉快になられた方もおられたでしょう・・・現実は現実として受止めなければなりませんし、生きていればそれに立ち向かうことが肝心だと戒めています・・・

それにしても母は幸せものだと思います。自らは何も知らないでいるでしょうが、皆さんに生かされているのだと思います。例えば、朝方には主治医の先生が、悪天候の日曜日にも係らず往診され点滴、そして、夕方6時半にはふたたび見えて点滴を見て下さいました。

丁度、その頃俺は夕食でした。俺は罪人のような気持ちでした。先生がこうして往診に来られているのに、ぬけぬけと食事していることに、申し訳なくて、まさに罪人でした・・・

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妹達が午後から見えました。でも、妻に代わって今夜は泊まってやろう、そんな妹はいませんでした。だからと言って何も言う事はありません。妻と俺は、黙々と現状に向き合うことで、これからも対応するつもりです・・・

皆さんには俺の背中の症状や母の介護に伴う、激励やらコメントを頂き嬉しく思っています。今夜は2日目の夜です・・・

   

       sports     flag     run

さて・・・

写真の容量が重かったようで、古い写真は削除したので、俺のブログにふたたび写真が入るようになった、きょうはその初日、今後も随時写真を挿入したいと思っているので、今後とも訪問して頂ければ嬉しいですね~

わがまちの恒例のイベントである「トライアスロン芭蕉レース象潟大会」が、本日に開催された。今回で30回目、記念のレースとなった・・・

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俺はこの開会式にお招き頂いていたので、象潟海水浴場に・・・ところが、その時はどうにか保ってた空からポツリポツリ・・・回復の兆しもないとして判断、今回は”スイム”は中止となった。

開会式での挨拶に・・・「きょうのこの風は、みなさんに吹いています・・・」印象的であった。良い意味では送り風でもあるだろうし、逆に向かい風かも知れない、しかし、それは平等にみんなに吹くんだ、だからこの天気をめげる事無く、くさることもせずに頑張ってほしい」、そんな挨拶として俺は受止めた。

どんなに著名な方の挨拶や歴史的な格言があろうとも、現場で聞く言葉には頷けるものがある・・・「風はみなさんに吹いている」

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開会式を終ると俺はすぐに戻って、地元でのボランィアの一員だ。交通整理をして、アスリートが気持ちよく走行できるようにするのが仕事、自転車は我が家の前を通ることから、近くでのボランティア。村の方々も応援に出るheart02

午前10時半ころが我が家の前はピーク。細身のアスリートたちが通りぬけていく。「がんばれ!」の応援に手を振っていくもの、「ど~も」と声を発していくもの・・・きょうは340名がエントリーされている、そして支えるボランティアの1000人heart04

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次々に風になって通過して行った・・・

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ババ・ババ+ジジ暮しに

午前5時・・・眼前の巾山からsunが上る。だが、俺はもうその時間帯には畦の草刈りをやっていた。朝の涼しいうちに、少しでも多く刈りたい、俺の本音である。背中の痛みが消えたわけでもないが、ロキソニンをのんでの作業である・・・

朝食のために帰宅したのが午前7時40分・・・食べる前に新聞を広げて驚いた・・・”お悔やみ欄”に、俺の同級生の名があったのだ。抗がん剤治療を受けていることは聞いていた。しかし、3月には同期会に、元気な姿をみせていたのに・・・

隣り集落の同期生に電話すると、10時から火葬だといい、これから出るという。だったら、俺も行こう・・・ふたりで斎場に出かけた。やがて同期生が6人ほど見えた。わがまちでは、火葬を行なってから葬儀となる。

斎場から帰ると・・・

施設からまた電話があり、もう限界なので退去してほしいとのこと。そして、もう長くはないようだから、自宅で看取ったらと言う。エアコンのない部屋、寝たっきりの母、引き取ってやれれば一番だろうが、何もかも大変なことになる。

施設では亡くなったりすると、警察沙汰になるので、このまま居られると迷惑なことのようだ。ご飯も食べれない、勿論歩けない、しかも点滴中なのに、それでも退去とは・・・主治医に連絡し、紹介状を書いてもらおうと俺は提案したが、きょうは出せないとか・・・

結局、我が家に引き取った。最期を自宅で看取ることは理想だ。最高のことだと思う。だが、俺たちには農作業もある。妻は食糧の買出しにもいけない。100歳の母と高齢の俺たち、このままでは生活の維持が出来なくなりそうだ。

明日は妹が来るらしい。妹は言うだろう・・・家で看取ったらと・・・。しかし、前述の通りの実態であり、理想を果たそうとすれば、俺たちがまいる。ほとんどが妻の介護、ほとんど来ない妹等に現実は分からないだろう・・・

今夜は妻は母の部屋に泊まりこむ。2時間おきに、からだの位置を替えてやらねばならないとか。更には下の交換、妻は実母のように介護し、愚痴も言わない。このように大変な事が、他の人にはわからないだろう・・・

明後日は葬儀だ。故人とは妻も俺も同期生、だから会葬にでるべきだろうが、妻はそれも出来ない。

改めて、長生きは幸福なのか、周りを幸せにするのか・・・ついつい考えてしまう。今夜から、ふたたび、「ババ」「ババ」と「ジジ」の老老介護が始まった。

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秋田も暑いです

午前4時半に目が覚めた・・・暑苦しくよく眠れなかったみたい、それでもふたたび眠る事もできない。傍らの妻に悟られないように起床し、草刈りに行く・・・

露を置く草は刈り易い、草刈り機械の刃もとてもよく切れる。朝の草刈りは随分と捗る。

朝食を終えてふたたび草刈りに行く。徐々に暑さもまして、俺も精が切れて・・・何度もなんども水筒の水を飲む。雨に見舞われた地域の皆さんには申し訳ないが、わが地域には一雨がほしいところだ。

午後からは集落内の某組織の役員会。1時間ほどで終ったが、まったく興味のない組織だ。だが、小さな集落にいると、加入を断れない状況だ。こんなところが、田舎がいやな理由だ。自由に暮らせたらどれだけいいんだろう・・・

帰宅してもこの暑さだ・・・夕方まで出ないことにした・・・

きょうも全国的に暑く、兵庫県の豊岡で36.9度、北海道でも津別町で37.6度だったとか。この暑さで、700人近くの人が熱中症で救急搬送されたらしい。

午後4時過ぎに田んぼに・・・ふたたびゴクンゴクンと水を飲みながら・・・帰宅すれば冷たいビールが待っている。この1本の為に日中汗しているようなもの。ことさらにうまい・・・

夜、ふたたび背中が痛くなり・・・鎮痛剤をのんだ・・・

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背中が痛たたた・・・

俺は昨日、子ども奉納相撲を観てから、マッサージに行った。何しろ起床したら、背中が苦しいし、後を振り向けない。整骨院に行くよりも先ずはマッサージだと判断したのだ。

師は俺の背中を押しながら・・・「良くもこれまでガマンしていたな!」と一言。さらにこれは肩こりではなく炎症を起こしている、腫れてもいると言う・・・

背中は元々苦しさは多少あった。だから時々は妻から湿布薬を貼ってもらっていた。しかし、一昨日で終った2回目の培土が効いたのだ・・・方向転換で機械を持ち上げる際、かなりの泥が付着し、持ち上げるのが実は大変であった・・・あの時に背中が!

いづれマッサージをしてもらい、針を打ってもらって帰宅した。帰宅しても、昨日は仕事に向う気力もなし、背中は苦しいし・・・

そうしているうちに、俺の状態を嗅ぎつけたのか?次女から電話があった・・・用件はほかの事ではあったが、背中の窮状を話すと・・・「お父さん・・・年を考えたら」とあけすけに言う。俺は「お前達には世話になりたくないから、頑張るしかない」と返すと・・・「そんなに頑張ってたら死んじゃうよ・・・」と。

確かに娘の言うとおりかも知れない。しかし、農業はやらねばならないし、かと言って人には頼めないし、農作業には時季がある。いつでもいいとは言えない。これから20日までは、「草刈り一斉運動」として、草刈を行なうようJAから指示がだされている。

カメムシの対応策なのだ。だから、昨日は休んだものの、きょうから3回目の草刈りだ。湿布や針が効いたのか、きょうは昨日に比べたら背中も幾分楽になっている。

俺がおれなら・・・昨日は、母を預けている施設から、母のことで電話だ。きょうも具合が良くなく、もう施設で預かるのは”限界”だというのだ。つまり、施設から退去してほしいとのことなのだ。しかし、そうであれば家に引き取るか、或いはhospitalしかないだろう。

家だと部屋にはクーラーもないし、また、寝たっきりを引き取れば、妻も俺ももう大変なことになるだろう・・・もう長くはないだろう母ではあるが、俺たちが生活できない状況になるならば、もう3人共々に倒れるしかないだろう・・・

診療所の先生から診察を受け、また採血の結果から、施設の方に話をして頂き、何とかまた預かってもらうことになったのだが・・・いつまた施設から電話があるやら。きょうも妻は母の点滴で午後から母に付き添った。

こういう状態だから、田んぼは体をだましながらひとりでやるしかない・・・田んぼは、あと三ヵ月、この三ヶ月を超えれば農作業は終る。終るのだが、その前には秋の例大祭が、わが集落が当番丁、俺がその総代としてこなさねばならず、もう少し頑張るしかない。

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子ども達の”ハッケヨイ”  ②

昨夜は、表題の記事を書き、例のように写真を掲載して、更に進めていた・・・ところが、写真がapしない。いよいよ小学生の登場となって、佳境に入りかけたところで、俺はdown・・・

何しろpc操作だって、何とかかんとかやっている身、技術もなく知識もなく・・・sleepy

このままでは、しばらくは写真無いままの記述になるかも知れない・・・ご容赦を!

      pc・・・・・weep

これまでの約7年半、大したものでは勿論ないのだが、記事数は2,758件、頂いたり応えたりしたコメント数が8,800件・・・

よくも続けてきたものだと自らを呆れています。時には酔っ払いながらも、書き継ぎ恥じもかいた記事も相当数あっただろう・・・これまたご容赦を・・・

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子ども達の”ハッケヨイ”

7月12日は、秋田県の農聖と言われた斎藤宇一郎を祀っている斎藤神社(仁賀保神社)の大祭だ。宇一郎はわがまちの出身であり、例年のこの日には神社の境内に子ども達の奉納相撲が行なわれている。きょう俺はカメラを持って神社に行った・・・

行ったら張り紙があった、悪天候のために奉納相撲は公民館に変更したとある。早速、そこに俺も移動した。館内はいっぱいの応援者で熱気に溢れていた。大会会長の挨拶があってから、程なく相撲が始まった。

前段は幼稚園児・・・

黄・青に分かれてのトーナメント。会場はやんややんやの大喝采・・・

次いで小学4年生からの登場となった・・・全校応援だろうか、歓声も一段と高くなって、取組みの一番いちばんに黄色い歓声だ。

すみません・・・どうやら写真のアップが思わしくありません。後で続きを書きます。

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わがまちの自慢の天然岩牡蠣

暑い・・・(;´д`)トホホ…今夜は、日中の火照りも残っていて、どうやら熱帯夜になりそうな我が家。2階の部屋にはエアコンもなく、寝苦しい夜か(´Д`;≡;´Д`)アワアワ

俺は5時半には起床し、残る2枚の田んぼ60aに培土機をかけた。汗びっしょり、更には泥んこになって終了だ。この暑い中、田んぼにいる人はほとんどいない。でも、俺はやると決めていたので、田んぼにはくっきりとした溝が出来て、俺はゆっくりした・・・ただ、心配なのは明日の朝に雨とのこと、雨が降ればまた溝が潰される、そのことが心配の種。

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この暑さの中に、我が家では鉢植えにしたバラが咲いている。「ピース」という品種。俺がバラに惹かれたきっかけを作ってくれたのがこの「ピース」だった。色がやさしくて、これなら俺にも向くんではと、勝手に決めたバラだった・・・

午後からは、由利本荘市での神社関連の大会。俺は今秋の祭典当番丁の氏子総代ということで、きょうの大会に参加を求められていた。このこともあったので、培土は早朝から行なったのだ・・・

今年は2月の「建国祈念祭」にも出席したので、この関連では2回目の参加となった。不思議に思ったのは、”君が代”の斉唱だった。同じ歌詞を2度歌うのだ。最初、俺は国歌に2番もあったのかと訝しがったが、2度歌うのだった・・・

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会場のホテルから代行車で帰った・・・帰ると従兄弟から頂いたという「岩牡蠣」があった。夕食は、この牡蠣を食べた・・・この時期、酢醤油やレモンをかけたりして食べるのだが最高の味smile

岩牡蠣はわがまちの特産的なものだ。天然のもので、他地域では冬場に食べるのだが、わがまちの岩牡蠣は夏場に食べる事ができ、わざわざ遠方から食べに来られる人もいる。

岩牡蠣・・・それは海の牛乳とか、ミネラルとよく言われる。これが何故?夏なのか・・・

わがまちの岩牡蠣は、鳥海山の伏流水が育てている。伏流水が日本海に湧いていて、それで夏場に食べられるのである。頂いたのは小ぶりだ、だが、殻からとって持って来てくれたようだ。

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わがまちでは、岩牡蠣漁が最盛期に入っている。漁師らの1日の採る個数は決まっているらしく、以前は200個と聞いたことがある。道の駅にいけば、いつも食べられる天然の岩牡蠣、しかし、最近は価格が高騰していて、1個600~700円もするようだ。

海の傍に住んでいる故、生牡蠣が食べられる、これもまた 有難いことである。

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友人が熱中症!!!

秋田県は初めての”猛暑日”sun(´Д`;≡;´Д`)アワアワ、山沿いや内陸部では、軒並みに猛暑になったようだ。俺のまちでも、最高気温が前日よりも高くなったようだが、所謂”猛暑日”には至らなかったようだ・・・

わがまちは海岸部だ。それ故、日格差は小さく、極端な高温や低温にはなりにくい。しかし・・・かと言っても暑い!

俺は昨夕から2回目の培土を掛け始めた。消防大会では、懇親会を辞退して5時頃から田んぼに・・・畦にはいっぱいのウミネコが、俺を待っていた?

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その続きとして、今朝は5時半には田んぼに向った・・・培土を2回やる人はそんなにはいない。一回でも大変なのに、2回やるとはこれまたクソマジメと言うべきか。でも、一回だとその後溝が崩れていたりしているし、気持ちがすっきりしない。だから俺は仕上げとして、二回目を行っている。

培土をかけると気持ちも良い。掘った溝を水が小気味良く流れていくし、払ってもきれいに引いていく。秋には、その効果も出来るし、翌春の明渠にもなる・・・

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今朝の仕事を終わり、帰宅しようとした・・・昨夕は遠方からだが、友人の田んぼに培土機も見えていた、明日は続きをやるのだろう、だから、培土機械もおいているんだろう、そう思っていた。そして傍を通ったら、田んぼの隅の方の稲が倒れていて、そこに培土機・・・何かあったのだ、事故でなければ良いが・・・胸騒ぎがした。

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友人宅に寄った。奥さんがいて、話を聞いて驚いた・・・

昨日の昼過ぎに熱中症でhospitalに救急搬送された。7~10日は入院の診断だと話された。彼もまた、2回目の培土機を掛けていたらしい。その培土機をUターンする際に、田んぼで倒れたようだ。

幸いにも機械には巻き込まれずに済んだが、エンジンも掛かったままだったというから、発見が遅れたら一大事になっていたかも知れない。

奥さんは、昼になっても帰らないと、あちこちの田んぼを探したようだ。しかし、見つからず、結局は発見した近くに軽トラがあったことから、目を凝らしたらしい。発見して、人を呼び、更には救急車を呼ぶなど、大変だったらしい。

実は、昨日の消防大会。そこはわがまちの消防本部があって、緊急車はそこから出る。それが出るのを俺も見ていた。熱中症で田んぼで倒れている人がいたようだと聞いたが、俺の友人だったとは夢にも思わなかったし、救急車と工作車も同時に出たのが、何だろうと気にはなっていた・・・

しかし、一週間ほどの入院で治まってくれたら、不幸中の幸いとすべきか・・・

山には夏の花、栗の花が咲いている・・・俺も気をつけねば。

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消防大会にて

7月生まれの俺なのに、暑さにはめっぽう弱い。昨夜は、我が家に知人が来たこともあって、呑みすぎた。それに暑さもあって、寝苦しいものであった。何しろ青田廻りの懇親会後に、某氏が我が家に寄ったのだった・・・

午前8時から、消防グランドにおいて、恒例の大会が行なわれた。昨年は風があって肌寒く、「寒いさむい」と過したものだったが、きょうは気温がぐんぐんと上がって、午後には30℃を越したようだup

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炎天下のもとに、きょうの参加団員は420名。わが市においても、消防に入る若い人が少なく、市の団員定数も削減している。

かつては俺も団員の一人であった。集落単位で当時は「部」体制で組織されていた。有無もなく、「入らなければならない」のが消防であった。命令調のことばに違和感をもったりし、それでも入らなければ”村八分”的に扱いされたものだ。

でも、いざということになれば、やはり「命令調」でなければ、進まない・・・そんなことも、年をおっては理解した。役職も年々upまた責任も・・・最後には、組織を管理する「部長」にまで立たされた。こうして20余年・・・その年に病気をして退団させて頂いた・・・

退団にあたっては、消防庁長官よりの感謝状、退職金約50万円・・・

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消防には反発心があった。まるで軍隊調も否であった。しかし、退団したあとで分かった事は、いろんな意味で育ててもらったという気持ち、あの消防時代もまた、俺の青春だったとも言える。

きょうは、規律訓練と言われる「訓練礼式」の部、また放水も行なわれる「消防操法」のふたつで、大会が行なわれた・・・

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役職が伴ってからは、号令の順序やことばを車運転しながら、何度つぶやいたか。たまには入賞もし、思えばあんな時代が良かったのかも知れない。

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きょうの最後は、俺の仲間の発声「ばんざ~い」できょうを締めた。 

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カモシカを見た・・・

早いものである・・・

一面の青田だが、あと二ヵ月ほどで黄金の稲穂の地域に変わる・・・

俺は午前中、草刈りに出た・・・

出たのだが・・・あれ?何だ!何か!

車に積んでいたカメラを向けてパチリ・・・

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何と・・・「カモシカ」だ・・・

午後からは、恒例の「青田回り」。

遅れていた生育も、ここに来て平年にこぎつけている。

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鳥海山の残雪も少なくなっている・・・

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七夕・絆

結局、寝たのは午前3時に近かったclockそれでも、朝は6時には起床・・・だから、睡眠は3時間半ほどだった。妻もそうだったはずだ。起きると頭がクラクラすると言ったsad

妻はきょうはとても田んぼには行けないとか。従って、俺はひとりで田んぼに行った・・・作溝作業が残っていた2枚で60aの田んぼだ。そこで俺はきょうも田んぼのライダーだ。

きょうは朝から眩しい天気sun田んぼにもさわやかな風がある。でも、作業の俺は汗をかく。でも有難いsunだ。ここ数日で稲は遅れを取り戻したように思う。できるならもう2~3日はこんな日がほしいものだが・・・

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俺が培土機に乗っていると・・・妻が来るまで田んぼに来た。おばあさんがまた体調悪くて、診療所に連れて行かねばならない・・・と。昨日のきょうだから、まだ治まってはいなかったんだろう。自らの体調も不調なのに、またまた母に振り回される・・・despair

ι(´Д`υ)アセアセ・・・11時には、作溝作業も終えた・・・あと、もう少し田んぼが乾いたら、もう一度作業を行なって仕上げしたいと思っている。

きょうは7月7日・・・「七夕」だ。俺はいつもいるパソコンの部屋に、先日買った七夕人形を飾った。8cmほどの小さなものだ。でも飾っても自己満足だけ。誰からも見てもらえないし、妻も知らない。

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階段には、いつものように妻が飾り付けをしているshine

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子どもでもいれば喜ぶのだろうが、これまた静かなままに・・・開けている窓からのささやかな風に、ほんのりと揺れたりして・・・weep

短冊には、何か書いたんだろうか・・・

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午後3時からは、宮城県松島町と本市にかほ市との夫婦町締結30周年としての、記念植樹、更には祝賀会にお招き頂いたので出席した。

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本市はまだ合併以前、旧象潟町だったころ、松島町と昭和62年8月に「夫婦町盟約書」を取り交わしたのだ。以来、スポーツ交流、文化や観光による交流等々で絆を深め、東日本大震災にあっては、本市から逸早く給水車や物資の支援を行い、また、復旧のための職員を今でも派遣している。

松島町と本市とは俳聖松尾芭蕉の”奥の細道”での係り、また、本市の象潟から松島町に嫁いだとされる谷女の伝説もあることから、夫婦町を締結したのだ。

それが今年は30周年、きょうは本市の木である「ネムの木」を、両まちの代表が植樹した。

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この木に花が咲く頃は、締結の金婚式となるだろう・・・両まちの絆もまた、より太いものになっていることだろう・・

牽牛・織女が1年に1度の逢瀬も”絆”なら、両まちの締結も”絆”か。今夜は静かであってほしいものだ・・・

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眠る母

もう既に日付は変わっている・・・正直、疲れてしまったdespairしかし、妻は俺以上に疲れたであろう・・

俺は朝7時からの、中学校でのあいさつ運動・・・朝食後は、田んぼの草取り、培土機による作溝作業と泥んこになって帰宅したのが午後6時少し前、妻からも手伝ってもらったので、ふたりで帰宅した。

俺はその泥んこの作業着を替えて、ふたたび田んぼに向かうつもりだったが、そこに電話が・・・telephone

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母を預かってもらっている施設からだった。施設からは、「施設は看取りの場所ではないこと、いつでも連絡が取れるようにしていてほしい」そういわれていた。しかし、農作業の場合、若い人のように携帯を首につけてもおけないし、田んぼでは例え受けても泥んこだから、直ぐに出るなど出来ない・・・

きょうも何回か電話したのだとか・・・

電話の内容は、母の「体調が悪い、吐き気ももよおしているようだ、食事を受け付けない」とのこと。早速、いつもの診療所に電話するがもう時間外、主治医の携帯に掛けるも出ない、とうとう妻は施設に向う。

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その妻から連絡在り、総合hospitalの救急に向うとのこと。俺もその後を追い病院に・・・X線、CT等などの検査が終ったらもう午後11時、説明だととどのつまりは”便秘”。いっぱい体内にたまっているとのこと。それで食事の受付はだめで、しかも吐き気をもよおしていたようだ。

母は認知症だし、施設でもただただ眠ってばかりいるようだ。先日も妻が行って起こすのだが、すぐに眠るという。眠ってばかりの母、ただただ寝ているのみ、これならば便秘もするだろうし、排泄する力ももうないようなのだ・・・

だから医師からも、いつ旅立ってもおかしくない、そう言われている。だから、妻は家を空ける事は出来ないといい、先日の同級会も欠席した。このままでは俺もこの7月・8月は長期の不在は出来ない。

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処置を受けたら便通もし、もういいと言われる。帰りは介護タクシーで帰った方がいいだろうとのこと。しかし、タクシーに電話するともう営業時間外とのこと。仕方なく、施設に電話したら運転手を探してから連絡するとのことだ。しかし、それもなかなか来なくて、とうとう病院にいるうちに日付が変わったのだ・・・

まさか俺の地域だけだろうか・・・こんな様は?総合病院は診察科目は様々に制限があるし、診察も曜日ごとだったり、また、先着○名などもある。田舎に住めば、命まで縮めることになる。やはり住むなら日本人は東京が良いのだ・・・

田舎にいれば満足な治療も受けることが出来ないのだ・・・

これで地方創生?地方を重視する施策?地方に住めば、文化もほど遠いし、命まで短くなる、これでは若い人が地方から離れるのは当然だ。だからこそ国の施策に期待するのだが、もう自らの立場を護る事でせいいっぱいの様子・・・

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今夜は遅くなった・・・施設に預かってもらったから、少しは負担も少なくなったが、その費用は大変だ。父の軍事恩給があるので助かっているが、お金がなければ施設にも入れないのだだ。

このようなこともまったく知らずに、母はふたたび眠っているだろう・・・生きていくのは大変だなどもないと思うが、介護する身も本当に大変なんです。

   <写真は我が家のスカシユリ、ホタルブクロ、ヤグルマソウ>

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植木屋Sさん

九州の方では大雨による被害が出ているようだ。被災された皆様には心からお見舞い申し上げる。早く雨が上がって、平穏な日に戻ることが出来るようにと願っている。

       club    bud    cherryblossom    maple

植木屋さんの鋏の音が清々しい。一定の間隔でリズムを打つように、チョオッキン・・・薄曇の空の下、とても小気味良く響くclub

昨年からこの植木屋さんに、我が家の乱雑な庭の剪定などをお願いしている。この間は、フジ棚を作ってもらい、サツキ等の低木の剪定をやって頂いた。そして、きょうは松の木等の剪定を・・・

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この植木屋さんには、年間を通して木に合わせた剪定等をお願いしている。これまでは7月頃に他の方に頼んでいた。しかしその方が病気でとても仕事はできないとのこと。途方にくれていたときに、きょうの植木屋さんを知った・・・

仕事がとても丁寧だし、早いしきれいだし、言う事も無い。これまでは一斉にどの木もそのときに剪定をしていた。しかし、今度の植木屋さんは木の状態を見ながらやってくれるというから、花も充分堪能できる。

従って、今盛りの夏つばきやヤマボウシ、サンゴジュ等はこのあとに剪定するという・・・

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とてもいい植木屋さんと出会ったと喜んでいる・・・

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プロだから、鋏は凄くいいものを使っているようだ。植木屋さんにとって、鋏はいのちということになるんだろう。植木屋さんは俺よりもいささか若い方だ。会社員を早期退職して、独学で仕方を覚えたようだ。それに造園師の資格も取ったというから、かなりの努力家でもある。

彼と仕事の合い間に言葉を交わしたりしたが、様々な人との出会いに恵まれたと言っていた。それは逆から言えば、彼は信頼があったから人との輪が広がったのだろう。仕事もやはり人とのつながりか・・・

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そんなことを思いながら、剪定の終った庭を眺めた・・・

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参道の草刈りボランテイア

集落の後方に標高80mほどの山があり、頂きには太平山のお堂が建っている。秋田市にある太平山三吉神社を分祀しているのだ。これの別当が我が家であり、先祖代々が護ってきたものである。

かつてはこの太平山神社で講を組織していて、講員も200名を超えていた。しかし、昨今は辞めていく方が多く、もう30名弱の組織になっている。講中では、例年、講員によって代参が行なわれ、その古い記録が我が家には残っている。

太平山は荒神様として知られ、力の神様として祀られている。この講中は、我が地域のみならず、秋田県下いくつもが組織されていた。特に戦争が行なわれた時代にあっては、勝利祈願として信仰が広まったらしい・・・

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参道の始まりには、石の山門が建っている。建立された時などを見ると、「昭和○○年7月」と刻印されている。それは俺が生まれた年月であり、良くは知らないものの、俺がこの家に生まれた記念に建立されたようなのである・・・

つまりは、俺は家系をみれば八代目だ。その八代目に男子が生まれた、その出生を祝って、どうやら建てられたらしい。

だが、昨今は信仰が自由になった。皆疑うこともなく入っていたのだが、離れる人も増え、のちに講員としての確認をしたら、代参にあたればどうもということもあってか、辞める人が続出している。今年は10巡目の代参の4回目だが、あと6回の代参が終ったら解散しようと思っている。

我が家の9代目の息子も離れて暮らしている事もある。当然、担当を継いでくれとは言えない。だからもう俺の代で括るしかないのだ。

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前置きが長くなってしまったが、ほとんど参道を歩いて拝みに上る人もいない。だから荒れるままになっていた。ところがもう15年はなるだろう。俺が職を辞めてから、遊び仲間を募ったら7人が応えてくれて、俺は「百生倶楽部」を結成した。

同じ集落に住み、死ぬまでここで暮らすことになるのだ、だったら楽しい行動を共にして長生きしようと結成したのだ。この仲間で、「かかし祭り」を10年行い、実は参道の整備も仲間から協力を頂くことにした。

参道の石段を整備、のちには参道の両脇にアジサイの植栽をし、その数はもう100本を越えた。きょうは例年行なっている参道の刈払いなど。でも、仲間も年を重ねていて、参加が難しい人もいて、きょうは4人だけ・・・

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時折の雨もあったが、約2時間で刈払い等の作業を終了。のち、我が家で懇親会を行なった。

地方にあっては、色んなものを護ってきたのだが、その力も先が見えて来ている。我が家が別当として護ってきた太平山、仲間の協力頂いて護ってきたものも、そろそろ潮時に差し掛かっている。途切れることは残念であるが、人がいなくなっている現状では消えていくことが多い。

きょうは台風3号の上陸、また、低気圧の影響で大雨になって被害が出たところもあった由、被害を受けられた皆さんには、心からのお見舞いを申し上げると共に、被害が最小限に留まってほしいと願っている。

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ふたりだけの叛乱

昔の話である・・・

まちのお恥ずかしい話ゆえ、今思い出しても実は恥ずかしいのではあるが、昨日の都議選の結果を受けて、改めて思い出したのである・・・

○年前の市長選のことだ。無投票の公算が大だった。そこに大方の予想に反して、まったく無名の方が現職を批判して立候補したのだ。それも現職の後援会の役員をしていた方がである。それも告示日、ぎりぎりの立候補の表明であった・・・

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そして・・・選挙戦・・・

結果的には現職が当選した。だが、その差は約2,700票であった。そのことが、現職からすれば屈辱であったのかも知れない。もっと、大差で勝利と言う目算があったようである。それが僅少の差・・・

相手候補の責任者がS組織の代表だった、市からは運営費の一部として例年、補助金を受けていた組織であった。

選挙戦が終ってから、現職が相手候補の団体への補助金をその後削減した。そこでまちは多いに揺れた。俺もそのことは民主主義の否定であるし、運営費の削減はまちの予算を私物化していることに等しいと、市長の辞任を求めた・・・

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「総理のご意向」とした今回の与党の考えも、確かに私物化とも言える。なるほど、長期の政権が慢心になり、自らが正しいと主張するあまり、国民との考えからが少しづつ変わっていることを承知していなかったのだ。

このままでは生まれたこのまちが、物笑いされるだろう、まちの出身を恥じることになりかねない・・・そこで、俺は立ち上がった。どうしてもこのままにしては、まちは「-」イメージを纏ってしまう。

だが、俺の共鳴者はひとりだけ。結局、市民運動にも広がる事無く、むしろ俺が反市長派として捉えられ、批判が自らに向けられたのだった・・・惨敗だった。

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なんで~なんで~と言われるかも知れないが、地方とはこんなものなのだ。思いながらも口にだせない。むしろ堂々と意見を述べれば潰される・・・これが田舎なのである。俺もそのようにして、潰されてしまった。

今回の都議選、本家の言動が分家を潰したようなものである。半面、都民は目線を失う事無く、ダメなものにはダメとの意思を表明したのだと思う。考えてみれば、正しく民主主義を護ったことに他ならない。

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あのことは今でも、支持を受けないで終ってしまった、言わば「-」として忘れてはいないのだが、後悔はしていない。むしろ誉められることよりも、誰かがその役目を持たねばならなかったのだから、あの日、反旗を翻した事は良かったのだと誇らしくも思うのである。

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たったふたりだけの叛乱。棒にも箸にも引っかからなかった、思い出話である。

   写真は、最盛期のハナショウブ、そしてアジサイ。

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夏つばき咲く・・・

我が家の庭の主木である「夏つばき」が咲き出している・・・俺の大好きな花だ。一日花故、咲いては散り、散ってはまた咲く。

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何とも清々しく、清楚と言うことばがぴったり。

都議選のニュースを見ている、多くの新人が当選し、女性の進出も伸びた。あまりにも傲慢な政治に鉄拳が下された。

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政治は市民のものであること、私腹を肥やしたり、傲慢であってはならず、常に謙虚であらねばなならない。

残念ながら・・・藤井4段は敗れたらしい。30連勝はならず。それでも日本中を清々しくさせてくれた・・・

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大きなヒラメ頂きました。

いつも魚を持って来てくれるAさん、きょうは「ヒラメ」を持って来てくれたfishそれも大きいものだ、かれこれ50cmはある。Aさんは、自分で舟を持っていて、天気の良い日はほとんど海にいるという。

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こんな大きなヒラメなど、なかなかお目にかかれない。趣味でほぼ連日、釣りにでているようだが、こんな大物が釣れたら感激ものだろう・・・

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魚を頂けば、妻は難儀する。それほどの魚包丁があるわけでもなし、第一、皮を剥がねばならず、魚の調理は大変だ・・・

それでも今晩は、早速頂いた。先ずは「刺身」、さらには「ムニエル」。俺は食べていればいいのだが、頂いて有難いものの、妻にはすまないという気になる。

ヒラメは、カレイ目カレイ亜目ヒラメ科に属するとか。属には「左ヒラメに、右カレイ」と言い、日本では区分しているらしい。

こんな酒の肴があれば、缶ビールもうまい。雨が止んで、午後からは培土機に乗って作溝作業だ。妻は、元の職場の同僚との会食に出かけた・・・

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ネットで「ヒラメ」を調べていたら、面白い文言があった。それは・・・

ヒラメは海底で両目のある体を左側に向けて生活しているために、その両目は常に上を向いている。このヒラメの特徴から、自分の出世だけを気にして、常に上層部の機嫌を伺い、媚びへつらっている人間を「ヒラメ人間」と呼んで揶揄している・・・sign02

それと言うならば、与党の大方がこれではないのか!1強の中にあっても、トップはトップだ。演説では「逆風の中で闘っている」と言ったようで、それは違う話だろう・・・逆風の原因は、トップ自身にあり、慢心としか言いようがない。

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きょうの都議選の応援演説では、「帰れ!コール」が叫ばれたらしい。国民をまるでなめている与党。誤魔かしながら、国会は何と維持し閉会に至ったが、今度は国民や都民の目はどのような選択をするのか、あしたの結果を待ちたいと思う。

   昨日の花・・・アルストメリアとラベンダーでした。

  きょうの魚の人形は宇都宮で買い求めたものです。ヒラメではないのは確かですが・・・???

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