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青春時代の放浪記

俺にとっては忘れられない「6月12日」。アルバムをめくると、若いわかい俺がいる。北海道を歩いてげっそりとやせ細っている俺がいる。その恥ずかしい俺の青春の1ページを今夜は書こう・・・weep

あの年の6月12日、今頃の時間には函館駅にいた。泊まるところも確保していなくて、否、泊まるお金もなく、駅に泊まろうそう思っていたのだ。だが、12時近くになってそこを追い出された・・・

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俺は両親に1枚の手紙を残して、あの日の朝、確か4時過ぎだと記憶しているが、キャラバンシューズにリュックを背負い、部屋の窓から外に出て家出した。前日には、父名義の口座から1万円ほど払い出していたのでそれを財布に入れ、見つからないようにして・・・

途中、トラックに乗せてもらってから青森に・・・青森からは青函連絡船に乗って海を渡った。あの時、俺の手紙を見て父母は動転してあっただろう、今になれば本当に申し訳なかったと思う。手紙には一ヶ月ぶらっとして帰るから・・・そう記していた。

ただ、俺はそうは書いたもののどこかで、死のうとの思いもこころの中には持っていた・・

生きていくには自信がなかった、生まれた宿命を受け入れる器もなかった、農家の跡取りとの立場を遺棄したかった、短大に合格はしたもののこの先、農業をやっていく方向に向えなかった、農家の跡取り娘を忘れることも不可能だった・・・

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人生の先に明るいものを見出せない俺であった。だから、一度、知らない場所を歩いて、知らない道を歩いて、自らを変えようとも思った。今から思えば無鉄砲この上ない俺だったのだ。

函館駅を追い出されたものの、夜は歩けない。今なら、いっぱいと呑み屋にでも入るのだが、何しろ金がないのだ・・・朝になって歩き始めた。この日から、俺は1日2食に決めた。パン1っこが常の食事、トイレは駅や公園。洗濯等あまりしないで歩いた・・・

だが、時にはユースホステルに泊まって入浴し洗濯をした。当時は1泊2食で500円だった。夕食が終れば、ペアレントのもとに集められ、歌やゲーム、そしてペアレントの話・・・

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バス亭にも泊まった。でも、クマの話を聞いて眠れずに過した晩もあった。夜になって、寝る場所がないほど悲しいものはない、そう思ったりしたのがあの頃だ。

夏の北海道は”カニ族”が集まった。そのカニ族が歩くコースは、大方定番になっていた。菱形の北海道ゆえ、大体歩き方が同じようになっていたのだ。だから、どこかで会った人とどこかでまた会う、そしていつしか顔見知りになる。

ヒッチハイクで廻っていた俺にも、いつしか顔なじみも出来た。

こうして歩いているうちに、どこかしら明るいものがこころに灯るものを感じていた・・・

礼文島・摩周湖・然別湖・美幌峠・・・壮大な景色にも癒された。

ニセコでは”チセハウス”に3泊した。俺はここでは本当に癒された。でも、今ではもうなくなっているようだ。俺はここの家族を今でも探しているのだが、なかなか手掛かりはない。役所に問い合わせたりもしたのだが、まして昨今の個人情報とかで、どうにもならない。

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人に会い、景観に救われて俺はふたたび青函連絡船に乗って、今度は故郷に向った。俺は特急に乗り、鈍行に乗り換えた。羽後本荘駅から乗って来た人と目があった。母だった、偶然とはこんなことを言うのだろう。母は俺の傍に来て、「○○○・・・」俺の名を呼んだ・・・

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その後にどのようにして、帰宅したのかはまったく記憶にない。いっしょに故郷の駅で下車し、ともに帰ったのだっただろうが・・・それが7月7日だった。

こんな無鉄砲な行動派の俺、それは今でも変わってはいないようだ・・・

ちなみに悩んだ恋の相手が、俺の妻になっている。

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コメント

短編小説を読んでいるようでした。当時色々な思いがあったでしょうが、こうして回顧録を書けるのもそのような事が糧になって成長した自分があるのではないでしょうか。
私のサラ―リマン生活、家族の呪縛から逃れることの出来なかった65年の人生とは比べ物になりません。今はほとんど本など手にしませんが若い時「青春の門にかぶれ五木寛之全集まで購入、かなわぬ夢を本の中に夢をみていました。内容は違いますが高校のとき読んだ、同県の秋田県出身の石川達三の「青春の蹉跌」のタイトルを思い出しました。

投稿: マサ | 2017年6月13日 (火) 06時20分

そうですか、12日でしたか。二度と来ない青春時代、顧みて懐かしさと切なさがこみ上げる思い出があることは本当に素晴らしことですね。
長男・長女であるが故に色々な葛藤があり、自分を見つめ直す旅(家出?)に出られ、そこで色々な人との巡り合いの中で心が少しづつ癒され、整理ができたことは、その後の大将の人生を大きく変えたことでしょうね。
今、こうして青春時代を振り返れるということは、幸せな人生を送られている証ですね。
これからも元気で楽しく歩んで行きましょう。

投稿: 京じじ | 2017年6月13日 (火) 07時47分

真実は小説より・・
そのもののでんでん大将さんの青春。
まるで映画の原作小説を読んでいるような気持になりました。

それほどに悩み苦しみ
北海道放浪の経験、
そしてお母さまとの偶然とはいえ再会。

この放浪で人と人との縁とか
大きなものを得たのですね。

悩んだ恋のお相手が奥様だなんて
ほんとうに素敵。

投稿: ホシノ | 2017年6月13日 (火) 12時21分

こんにちは。
 青春時代のほろ苦い思い出と
懐かしさが走馬灯のようによぎられたことでしょう。
そして何より恋しい方heart04との永遠の結びつきは
素晴らしいですね。
いつまでも大切になさってお過ごしくださいませ。

投稿: マコママ | 2017年6月13日 (火) 13時55分

前に、ブログに載せてた話。チラッと・・
ホント、短編小説ですね。
でも、そのことがあって~
今のでんでん・とっちさんの今があるのでしょうね。
貴重な経験ですね( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: ヒナタ | 2017年6月13日 (火) 16時55分


マサ 様

お恥ずかしい青春期の一ページです。今となれば、思い出のヒトコマですが、あの日の朝の俺の手紙を見た両親の事を思い出せば、本当に心配をかけたとの詫びしかありません。胸が張り裂けそうにもなります。子供の親となって、親の気持ちを理解しました。その父も亡くなって、そろそろ🔘回忌になろうとしています。

投稿: でんでん大将 | 2017年6月13日 (火) 18時26分


京じじ 様

我が儘に生きてきました。自分勝手に生きても来ました。一面では今でも勝手な人間です。
ただ、今でも思うのは、北海道に出掛けた故に、温かな方々とのめぐりあいもありました。あのときの、一人ひとりに、ただただ感謝しています。

投稿: でんでん大将 | 2017年6月13日 (火) 18時30分

ホシノ 様

無鉄砲な青春期でした。我がまま一方の俺でした。それが今でも続いているけれど、あの頃はたくさんの方々にも迷惑を掛けました。母とは偶然でした。止まった車両に乗ってきた母…俺の名を呼んだきりで、他は何も言いませんでした。その後は俺には分かりました。住む家があり、夜には眠れる部屋があることは幸せです。牛舎の2階に泊めてもらったこともありましたね…。

投稿: でんでん大将 | 2017年6月13日 (火) 18時39分


マコママ 様

自分勝手な俺だったんです、でも、当時はそうでもしない限り、生きていく勇気がなかったと思います。両親初めたくさんの方々に迷惑を掛けました。
ただ今ではとても懐かしく、6月12日になれば、アルバムを見ています。

投稿: でんでん大将 | 2017年6月13日 (火) 18時46分


ヒナタ 様

本当に無鉄砲な俺でした。俺のために両親初めたくさんの方々に迷惑を掛けてしまいました。俺には結果として、様々な形の血や肉になったのでしょうが、そのために泣いた人もいたでしょうから、複雑でもあります。

投稿: でんでん大将 | 2017年6月13日 (火) 18時50分

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