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2017年6月

まつ子さんと短歌と・・・

6月もきょうで終わりだ・・・あっと言う間の半年間だったとつくづくと思う。

本来ならば、きょうも田んぼの草取りをし、粗方その作業を仕上げたかったのだが、以前から約束していたことがある。当初、23日の招きであったのが、俺の都合があってきょうに延期して頂いていた事だ。

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この俺に矢島で行なう短歌会の講師になってほしい、その依頼であった。元より、俺などはとてもその任は相応しくないのは分かっているが、どうしてもと歌友のまつ子さんからの頼みということもあって、俺はぬけぬけと出かけたdash車で約45分、鳥海山の登山口でもある、”花立”のユースランドが会場であった。

ほとんど会員は俺よりも先輩だ。彼これ○○年、短歌を発表してはいるものの、さほどの実績があるでもないし、○○同人誌に所属している俺でもない。たまに短歌会では入賞したりしているだけの俺なのであるが・・・

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しかし、それでも何とか、歌評を終えた・・・

出たのは30首、参加者は13人ほどであった。俺は先に定例会の短歌会で発表した1首

  バーグマンとふバラのあり一輪の赤きが初夏の庭支配する

を出していたが、互選では8人から選んで頂き3位であった。何とか、講師としての面目も立った感じであった・・・

矢島短歌会では、牽引しているひとりにまつ子さんがいる。そのまつ子さんが、先頃、随筆集を上梓された。タイトルが「みちのく「小さなえき」まつ子の部屋」である。

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きょうは短歌会に、その1冊を持って来てくれることにしていた。帰宅して、早速、目を通したが、結構面白い1冊。しかも写真が多く、目でも楽しめる構成になっている。

まつ子さんは元々は青森県の大間町の出身だ。そこで教師の旦那さんと出会い、結婚した。旦那さんは秋田県の矢島の出身であった。ところが旦那さんが、30代で急逝・・・やがて、旦那さんの里に入り、生家で姑さんと暮らす。

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仕事も矢島駅にある売店で働く。いつも明るく、地域での話題の持ち主。そこでの地域の皆さんとのふれ合い、また、鳥海山ろく線で来られる方々への温かいもてなしで、たちまちに人気者に。本書ではそんなことが綴られているのだ。

まつ子さんを知ったのは、某短歌会の席であった。独特な詠い方、さらには考え方に俺は共鳴し、ともにそこの歌会で数年過したが、指導者の考え方に違和感が生まれ、まつ子さんと俺はそこを退会した。

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その後はいっしょの短歌会ではあうこともないが、きょうのような短歌会があると呼んでくれたり、俺も矢島に行ったりすれば、駅に立ち寄り名物の桜茶を頂く。そこにある「まつ子の部屋」はいつも賑わっている。

短歌がきっかけで、こうした生まれた縁、有難いことである。

   本書の発行元は、”由利高原鉄道株式会社”である。

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取ってもとっても・・・

浴後に今夜もトクホン3枚、背中に貼ってもらった。どうしても利き腕を使うので、その後の背中に痛みがある。田んぼの草取りをして、きょうで5日目である。

作業の早い人はすでに中干しに入っていて田んぼに水がない。そこに培土機を使って、溝を作る。秋の収穫時の田んぼを、今から締めておくことと、今後しばらくは水ではなく、水分があればよいので、その溝を使って素早く水をまわす、そのために行なう。

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中干しをするのは根に酸素を与えるという役もある。また、干すことによって、根はより深く張って丈夫にもなる。土中深く根が伸びていくのだ。これを行なうと、株全体の葉が広がり、受光体勢が良くなる。

ただ、干すと雑草もまた根を深く張ることになって、なかなか以後は抜けなくなってしまう。そこで俺は、大方の雑草を取ってから中干し、培土機での作溝作業を行なう計画。妻にも応援を頼んで、ふたりで草取り・・・これがきょうで5日目なのだ。

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我が家の田んぼは、雑草は多くはないものの、田んぼに入るとやはり雑草はある。田植から除草剤は2回ほど使っている。雑草に手を伸べるとおたまじゃくしが逃げて行く。除草剤と聞くと、あのベトナム戦争時の枯れ葉剤を連想する人も多いようだが、除草剤を散布してもどじょうもいるし、おたまもいる、時折、フナなども田んぼに入ってくる。

我が家の田に隣接している某氏の田んぼ・・・一面の雑草、どれが稲なのか区別がつかないほど。こうなってはふたたび除草剤だ、しかし、これだけの発生だと果たして効くのか、そう思ってしまう。

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出来るのなら、除草剤を使わないにこしたことはない。俺の場合は年間、除草剤で約25万円だ。でも散布しても、こうもなるのだから、あとは手取りということになるが、とてもとても取り切れることはない。

今夜、NHKのニュースで石川県のホタルが紹介された。田んぼの中のホタルであった。その方は除草剤を使わないで、田面に雑草の発生を抑える為に、特殊な紙を敷き、それに苗を植えていた。

俺たちもかなり前にその方法で行なったこともあった。しかし、田んぼが均一でないと大変であったから、我が地域では実用化されなかった経緯もある。いづれ、米作り・稲作りは雑草との闘いである。

俺と培土機を共同で使っているKさんは、先に培土をかけた。まるでライダーのように・・・機械の名が「田面ライダー」だ。しかし、これも楽ではない。ぬかるむ田んぼにすり足での運転だし、Uターン時は持ち上げて、方向転換だ。

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草取りを終った田んぼ70aに、俺も培土機をかけてみた。これまた汗が滴る。

取ってもとってもある田んぼの中の雑草、ああ・・・あと100aも残っている。

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夢のフジ棚

「おまえナ~、夢見る年ではないだろう?」と言われるかも知れない、否、きっとそう言われるだろう・・・でも、もしかして庭への夢は最後かもしれないし・・・

植木屋さんにお願いしていた、フジの棚が先週末に完成した。なかなか植える場所がなかったのだが、”ここがいいだろう!”ってなって、そこに作ってフジも植えてもらった。俺の懐からしては、いささか値が張ってしまったのだが、最後になるかも知れない「」としてのものだから、由としよう。

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そこには鉢置き棚もあるのだが、あまりにも日当たりがよくて、夏には遮光ネットをはっていたりしたから、丁度いい日陰を作ってくれるだろう・・・

棚は白、しかも窓の高さを勘案したことから、2m50cmはあるだろう。

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この棚から、いつの日か薄紫のフジの花穂が垂れる・・・

しかし、そのフジはまったくの若木だ。しかも1m少しだから、咲くとなると何年かかることになるのやら?あの枇杷を植えたときも笑われたが、今度も多いに笑われる事だろう、フジを植えたと言えば。

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でも・・・俺の夢は俺のもの、人様に迷惑を及ぼすことでもない。笑われようが、ばか者扱いされようが、俺は俺の夢を実現したまでのことだ。例え花を見ずして果てようが、それはそれで仕方ない。

夢はあしたを考えることである。あしたを思わずして、生きているとは俺の性には合わない。少しの贅沢で、夢を叶えることが出来たこと。それでいいではないか!

やらないで「やるべきだった」と後悔するよりも、「やって失敗だった」との後悔がいい。俺の若い日のこと、ふたたび思い出す・・・

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どうせ農業を継がねばならないのら、花栽培をしてみたい・・・そう思って名取市へ研修に出かけた。数年でそれは失敗に終ったのだが、あのときに、「やってみたいが、やれなかった」では大きな後悔だったと、きっと悔んだに違いない。

夢を実現するには、色んなリスクを伴うことがある。しかし、それだけを考えているうちに、老いてしまうだろう。熟慮は大事ではあるが、先ずはやってみるという姿勢も大事ではないのか、これは勿論、俺の考え方である。

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いづれ、俺のひとつの夢は叶ったのである。

<花の写真は上から”ブローディア”と”夏のシュウメイギク”>

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我が家の初物

食卓に「えんどう」が上がった。そのえんどうの味噌汁が今朝の食卓だ。我が家では初物。俺はこのえんどうが大好き!

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えんどうの味噌汁は、汁自体もおいしい。本当はお替りもしたいところであるが、塩分の摂取の事もあって、味噌汁は1日2杯。朝と夕方摂ることにしている。

今朝は他にも豆がある。先日の短歌会の仲間から頂いてきた「スナックえんどう」だ。一般のえんどうと違って、シャキシャキ感がある。特別にうまいという味ではないのだが、生の野菜を食べているような感覚だ。

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デザートは?等との高価なものでもなく、この間来た娘や孫に食べさせた残りの「スイカ」がデザート。俺が食べるのは、今年は初めてだ。うっとおしい天気であれば、スイカを食べたいとはおこらないが、暑くなればやはりスイカを食べたくなってくる。

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初物はことさらに美味しい。しばらく忘れていた味と言うことになるから、それは美味しいのだろう。えんどうもスイカも、我が家にとっては「初物」。特に、えんどうは妻の作った味であり、しばらくは楽しむことが出来るだろう・・・

きょうは終日、田んぼの草取り。これで3日目、ほとんど中腰のせいもあって、腰は痛いし背中が苦しい。背中にトクホン3枚貼ってもらった。それでも。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

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見てござる・・・

NHKニュースを観ていたら・・・

テロップが流れた。これまで連戦連勝・・・未だ負けを知らない14歳の棋士・藤井四段が、19歳のホープである増田棋士を破ったと。これで破竹の29連勝、とうとう新記録を樹立した。将棋のこと等まったく知らない俺でも、この数字には驚くだけである。(写真はNHKニュースより)

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新聞等でプロフィールをみると、幼い頃から始めた将棋であったが、集中力が凄いという。それに負けじ魂も並ではないようだ。負ければ泣いたとも言うし、それが彼を大きく飛躍させた要因だろうか。驚くのは冷静さ、それに謙虚さだと俺は思う。

若い子だから、「scissors」とでも応えるのかと思ったら、「幸運だった」「苦しかったが我慢した」という。自分の力からすれば、「僥倖」としか言いようがない・・・とは、何と言う少年だろう、これもまた苦しい修羅場を通ってきたからだろうか・・・いづれ清々しい少年である。

みんなみんな見てござる・・・

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今朝、我が家のバラにて、じっとこちらを見ていたeyeカエル。

カエルにはもっと、見てほしいものもある・・・

先頃、どこかとお偉いさんが、自分の秘書を罵倒し、暴力も振るったとか。肩書きをみれば、超一流の大学を卒業し、その後は国家公務員。更には実力があったのだろう、国会議員になった。だが、報道されるとまるで雲隠れ、入院したらしい・・・

そう言えば、国家の財布を我が物顔で、自らの知人のためにご意向を示されたり、お友達に国家の財産をただ同然でくれてやったりした人もいた・・・本当だとすれば、公私混同であり許せない行為と言わなければなるまい。

そうしたお偉いさん、でも取り巻きもまたどうなんだろう。時間をなくして有耶無耶にしようと企み、事実かその調査もノロノロ・・・大きなネズミをみんなで隠そうとしている。

こうした皆さんには、是非とも藤原四段のような謙虚な姿勢に、自らをカエル必要があるだろう。国民だって、目を持っている、耳を持っている、今朝のカエルのように黙ってはいるが、目の奥で耳の奥で、こうしたことを焼き付けているのだ・・・

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我が家の居間にはドクダミが飾られている。愛でられる花でもなく、むしろ毛嫌いされる方が高い花だ。だが、薬草でもある故、その花に潜んでいるものを見るべきだろう。

みんながみんなが見てござる。

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次女への約束

次女はどこかしら個性的考えを持っていた(そう俺は思っていた、そのせいか絵がとても得意であった)。

中学生のころだったか、誕生日プレゼントにほしいものを聞いた・・・すると「ハリネズミの縫いぐるみ」との答が返って来た。何かかわいいものがほしいのだろうと予期していたのに、その回答にはいささか驚いたものだった・・・

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                    ~写真はネットから~

しかし、娘のほしいものだとあちこちの店でそれを探した。結果は、勿論なかった。従って、娘に謝りながら、大きな白クマの縫いぐるみをプレゼントした記憶がある。

でも、俺の頭の片隅にはいつも「ハリネズミ」が消えることはなかった。そんなとき、今月初めに小岩井農場に寄ったとき、木製の加工品が販売されていた。その製品を順序に見て歩いた時だった・・・

「あ!」・・・小さな写真立てとして「ハリネズミ」を俺は見た。飾り棚にそれが飾られていた・・・「あった!」俺はこころの中で叫んでいた。縫いぐるみではなかったが、確かにハリネズミで俺はそれを、手にとって求めた。

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そして、昨日に遊びに来た次女に「ハリネズミ」をプレゼントした。次女には、お土産があるとは伝えていたものの、品物は言ってなかった。思えば、凡そ20年目に、俺は娘の望みを叶えた。希望した縫いぐるみではなかったのだがpresent・・・開けて喜んでくれたweep

娘にはもうひとつのプレゼントを用意していた・・・

我が家の鉢植えのサクランボ、たったひとつぶのcherry、前に書いたように鳥から守る為に、ネットを張っていたcherryである。

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きょう帰る前に、俺は娘から収穫してもらい、孫とひとつぶを分けあって食べてもらった。「おいしい!」cherryその言葉がとっても嬉しかった・・・

嫁ぐ前に、娘の喜ぶ貌がみたくて植えたサクランボだった。それが実のならないうちに、嫁いで行ったのだ。親とすれば、3人の子はそれぞれ可愛かったのだが、末っ子の次女とはしばらく一緒に暮らせるとばかり思っていて、「結婚したい」そう言われたときはショックだった。

いつかその日は来る、遠い話ではないだろう、そのようには思ってはいた。だから、本来ならば喜んでやらねばならないことだった。しかし、勝手なことだったが、もう3~4年は、それはないだろう、そう思っていた。

幸いにして、地元のhospitalに就職が決まり、たまたまそこに入院していた時は、仕事の終わりには病室に寄ってくれたりした。だから、まだ将来を共にするような人が近くにいるとは、まったく予想していなかった・・・

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娘は夕方に、孫2人とともに帰って行った・・・俺は午後から、知人の叙勲の祝賀会に出ていたために、見送ることは出来なかったが・・・weep今度は、お盆にまた遊びに来てくれるだろう。

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”モウモウ”がいっぱい

我が地域は和牛の産地として有名である。だが、今でこそそこそこの名も広がっいるが、かつては大変な辛労を重ねて来た農家や指導者がいた。

ブランド名は「秋田由利牛」という。「秋田牛」として、統一されながらも、その中の「由利牛」ということになる。従って、俺たちが地元で食べる場合も、他の牛肉よりはやや高くランクづけされている。

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きょうは生産者の技術や管理をどのようにしてきたか、その評価を受ける・・・「第19回 由利畜産共進会」が市内で行なわれた。

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昨今のわが地域の牛の価格は上昇している。聞くところでは、平均で1頭が85万円前後。従って、上の価格が100万円をオーバーする和牛もいるらしい。俺が稲作をしているが、300aの収入を牛では3頭いれば、匹敵することになる。

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しかし、今の時代は収入が高いだけでは魅力がないらしい。確かに生きものを飼う事になれば、365日休む事ができない。祝日も祭日もないのだ。

それに経営となれば、臭いが問題になる。どうしても、集落内では飼えないし、かと言ってあまり自宅から離れていると、リスクは多くなる。

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いづれ家畜を飼うには課題が多い・・・

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きょうは、「若雌牛1区」「 同2区」「「繁殖雌牛」「肉用牛」「肥育牛」「ホルスタイン」「ジャージー種」等々の区分で、審査基準要綱にて審査され、終わりに優秀な牛の飼い主に賞が手渡された。

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            上の写真はお父さんに代わって、娘さんが賞をいただいたところ

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たった1個のサクランボ

サクランボの季節である・・・cherry

秋田県の産地では、先月の降雹で大きな打撃を受けて、ほとんどのサクランボに傷がついてしまったらしい。そこでこのままでは、生産者の懐が大打撃を被るとして、きょうその対策が打ち出されたようだ。

その策のひとつが、”ふるさと納税”をしてくれた方への謝礼品として、傷がついたことに理解を頂いた上で、そのサクランボをお返しにするという・・・

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サクランボは傷がつくと、そこからどんどんと傷みが広がる。その対策はどうなのかは、ニュースで聞いたことだけなので、詳しくは知らない。いづれ、納税者にはご理解を頂くということしかないだろう・・・

子どもは、いちごと同様にサクランボが大好きなようだ。先日に遊びに来た息子家族。4歳の孫も好きなようで、7個も8個を口にした。種をぷっと吐き出すのが難しかったようだが、でも何度かしているうちに上手くなった。

俺は子どもたちが小さいときに、何度か生産地に家族でサクランボ狩に出かけたことがある。中でも次女のサヤは、サクランボが大好きな娘であった。そんな娘のために、20歳のころであったが、サクランボの苗木を鉢植えした・・・自宅でも取れるようにと・・・。

品種は「佐藤錦」cherry何年かして、そのサクランボは実をつけた。だが、その時はもう娘は嫁いでいた。俺の悲嘆は大きかった。以後も毎年、サクランボは実をつけたcherryだが、鳥達の恰好の餌になって、実はたちまち無くなった・・・

そこで・・・今年はたった1個しかならないサクランボの実、その実を小さい時分から、ネットで囲んだ。たった1個だけのサクランボをcherry

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しかし、たとえ1個でもサクランボはサクランボだ。日々、赤味を帯びて、今では一丁前のサクランボになっている。

そのサクランボ大好きな娘が、あした孫を連れて遊びにくるとの電話が入った。3月以来のことだ。娘は、このサクランボを見て喜んでくれるだろうか。たった1個だから、まさか食べようとは言わないだろうが、喜んでみてくれることを願っている・・・

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九十九島の危機!

国指定の天然記念物「象潟」(九十九島)は、何度かわがブログ「でんでん大将のひとり言」で紹介した。

鳥海山のふもとに点在する島々。それは・・・紀元前466年、鳥海山の山体崩壊の跡なのだ。つまり、山頂からすべり落ちて来た岩塊の集積である。その島々が多いことから「九十九島」と名づけられている。

しかし、以後、この島を開墾しようとした企てた藩があった。それを阻止しようと、命を賭して護った人物がいた。名を「覚林」と言う。寺の住職である。このことはあとで記そうと思う。

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              ~写真はにかほ市のHPより~

しかし・・・覚林が護った島々であったが・・・松島は笑うがごとし 象潟は恨むがごとし   当時は松島と並ぶほどの景観だったらしい。その入り江に浮かぶ島々が入り江の隆起で、地の山に化したのは1804年・・・。象潟大地震であった。”象潟は恨むがごとし”となったのだ。

それで2mほど隆起し、九十九島は干潟に浮かぶ山となったのである。そこから開墾の話が持ち上がったようだ。しかしながら、島の周辺の田んぼに水が張られると、今でも当時を彷彿さえるような光景となる(水張り田には鳥海山が映る、これも以前に紹介した)。

ところがである・・・

かつての海を思わせた田んぼに異変が起きている。島自体は市の財産になっているが、田んぼはあくまでも個人の所有だ。その田んぼが荒れてきているのだ。今朝、俺はその周辺を軽トラで移動し、カメラを向けてみた。

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それは昨今の農業事情によるところが大きい。つまりは高齢化が進んで、耕作を放棄している農家が多いのだ。まして、島があることで基盤整備が出来ないこともある。加えて米価の下落、転作の割り当て・・・田んぼが荒廃するのは、今日の課題と重なる。

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稲株があることからして、昨年は稲が植えられていた田んぼもある、それに今年は作付けされていない。ああ・・・放棄地はこのようにして進行するのだ。

こんな光景のなか、ヘルメットを着用している人が見え、それはまるで島を護る現代の覚林さんのように見えた・・・九十九島の草刈りをしているのだ。

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天然記念物の九十九島。それを避けて高速道は通ったのだが、島を護っていくのは、島だけでは解決しない。同時に周辺の田んぼも護っていかないと、後世に天然のこの姿を残すことが出来ない・・・

何か、良い方策はないだろうか・・・難しい夢だが、一体を常時水を張って、かつての入り江の再現をとの夢だった。転作としてカウントできれば、それもひとつの案だろうがsign02・・・

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山菜いろいろ・・・

山菜が美味しい時期である・・・それを採るために山に入り、クマの犠牲になられた方もいた。入山を慎むように伝達しても、それでも山に入っていくのは、お金のためでもあり、山の味を食したいという願望もある。

クマとかち合うのは「ネマガリダケ」、チシマザサの子ということになる。秋田では単にタケノコと言っているが、山形ではガッサンダケと言っているとも聞く。

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鳥海山に行けば7月半ばころまで採れる。俺は婦人部の皆さんと出かけたり、また、仲間たちと出かけて採ったことがあった。笹の葉がでていれば、そこには大方タケノコは出ている。俺たちは採ってから、持って行った味噌に入れ味噌汁にして食べた。

山のものを山で食べる、最高の味、今でも忘れられない味である。

山の味と言えば一般的なものには「ワラビ」がある。日当たりのいい場所からワラビは出る。また、野焼きした跡から出るワラビは柔らかくして最高だ。ただ、ワラビの出る辺りにはヘビもいて、俺はワラビ採りには行かない。

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今年はAさんから、何度と無く頂いた。そのワラビはもっぱら茹でて食べる。上に生姜をのせたり、マヨネーズをのせたり・・・我が地区には、そのワラビをたたいてどろどろにする「ワラビたたき」というものもあり、ご飯にかけて食べるのだ。

だが、俺はそれは食べる事が出来ない。だから、俺が居ないときは、妻はたたいて食べているようだ。たたきたいのはワラビだけではないかも知れないが・・・・delicious

呑み会などすると、今の時期に漬物として出てくるのは「ミズ」。正式名称はウワバミソウ、つまりはヘビクサで、水辺に成長する。漬物だとシャクシャキしてて美味い。道の駅に寄ったら、それが束にして売られていた。

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これを葉や根をとって漬ける、浅漬けとして・・・

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実はこれも”ミズタタキ”として食べる。だが、これも俺はどうも・・・downただし、昨今はどろどろにして販売もされているようだ・・・

他には「フキ」がある・・

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俺の好きな山菜は「サシボ」だ。俺たちは「サシボッコ」と呼んでいるが、イタドリの若芽をそう呼び、食べている。だが、同じ秋田県でも、これを食べるのはわがまちとその近辺らしい。

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当初、俺はこのサシボもダメだった。ところが妻の実家で祭典があったときに、出されて断り切れずに食べた。そしたらおいしい!独特のヌメリがあり、茹でる事のほかに天ぷらが実にいい。

以来、俺は頂くと天ぷらにして食べている。

さて・・・このサシボには色んな効果もあるようだ。

新芽に含まれる酸味は、肝臓の働きを助けるとか、利尿作用もあるらしい。また、根は便秘や月経不順、膀胱炎の改善にも効果ありとある。さらには、乾燥させた葉などは咳を止めるとか、葉には止血作用もあるようだ。

ただ、同じ種類かは分からないが、世界の侵略的外来種ワースト100に指定されてもいるようである。

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バラに包まれて・・・

  バーグマンとふバラのあり一輪の赤きが初夏の庭支配する

バーグマンとは、かの女優イングリッド・バーグマンであり、彼女の名前が冠されたバラである。Photo 

女優・バーグマンは1915年、ストックホルムに生まれ、スエーデン王女の名にちなんでイングリッドと名づけられたらしい。しかし、3歳で母を、13歳で父をなくしたようで、寂しい年少期だったようだ。1942年の映画「カサブランカ」が、彼女を大スターにした・・・

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このバーグマン、俺の大好きな女優だ。何と言ってもあの潤んだ目がいい。俺がまだ生まれていないときの女優だが、白黒映画の「カサブランカ」は3度ほど映画館で、リバイバルしていたときに観た・・・(上の2枚はネットから)

いづれバラには高貴な方の名がついたり、著名な方の名がついて、俺には無縁な花だと思っていた。あまりにも気高い雰囲気は、とても近寄り難かった花だった。そのため庭にはただ1本のバラしかなかった。

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ところが昨年の春に「ピース」という淡い黄色のバラを見つけ、何ゆえか惹かれるものがあって、求めて来た俺だった。以来、バラに興味も持って、他にも2本のバラを鉢植えにした。その「ピース」の開花は遅れている・・・世の不安を絶妙に感じ取っているのかも知れない!

先日の「父の日」には、妻も例年のように、また、「母の日」のように、実家の父にプレゼントを持って行った。その帰りがけに妹から、多くのバラを頂いてきた。それを居間や洗面所、洋間にと飾っているので、バラの香りいっぱいの我が家だ。

妻の妹は、妻が俺のところに来たので実家の跡を継いだ。何よりもガーデニングが好きで、バラも何種類も植えているらしい。そのバラを頂いて来たのだ。

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 土の香を日々纏ひたるわれなればバラの気高き花を畏るる

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共謀罪などもなく、核もない・・・バラが素直に開花できる世界であってほしい。 

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月曜日はからだに悪い(?)

某さんのブログを拝見していたら、枇杷を頂いたとあった。どんな味かとコメントすると上品な味だったと応えてくれた・・・

そうか!枇杷は今が収穫期なのか、俺は実が熟れるのは秋かとばかり思っていたのだ。昨年の秋、俺は恩師の句集「枇杷」に惹かれて、枇杷の苗木を求めた。かれこれ3千円もした。それを鉢に植えた・・・

その枇杷は大きな葉を広げて盛んに成長している。品種は、冷涼地でも育つという「田中」。だが、物の本によれば実がつくまでは13年かかるという。そんなに時間がかかるとなれば、実をみないままに・・・と思ったりしてdown

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だが、それも改良されて7~8年で実がなるという人もいる。そうであれば嬉しいのであるが・・・

俺は昨年までは、枇杷など古臭い、何であんな実が・・・調べもしないでそう思っていた。だが、先述した「枇杷」によれば、味は上品な味であると書かれていて、単純細胞の俺はすぐに苗木を注文したのであった。

苗木を求めてから、枇杷の絵も探してついに色紙を探し出した・・・それを今朝、裏口の壁に掛けてみた。

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枇杷はからだにとても良いらしい。漢方薬にも入っていると聞いた事もある。

ところで・・・きょうは月曜日。勤めていた頃は、月曜日の朝などは仕事に行きたくない、そう思ったりした、思えば腹が痛くなったり、まるで月曜病ということもあった。特に、左遷されて本部異動になった際は、激痛ものだった。

先日、秋田魁新報の記事に、「月曜日は心臓に悪い!?が載った・・・

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これは、愛知県のある病院で調べた全国の207人のデーターだという。これによれば、月曜日の午前は、他の曜日と比較すると心臓への負担が極端に大きいということが分かったのだとか。

その「心臓への負担の変化」というのが上の表だ。これで月曜日の午前は、他の曜日よりも血圧や心臓への負担が大きいことが分かった、と言うのである。休み明けのストレスというものか。月曜日はからだに悪い・・・?だったら枇杷の実を!

きょうはその「月曜日」・・・皆さんは如何だっただろうか?月曜病には???

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息子よ、娘よ・・・ありがとう。

きょうは”父の日”だ。全国のお父さんたち、パパたちが子どもからいろんなプレゼントを頂いたにちがいない。実は俺もそのひとりである・・・

息子家族からは・・・

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感謝状つきの様々なおつまみセット。これで当分、酒のつまみはこれで済ませそうだ・・・あしたからのビールの友だちだweep

長女からは・・・

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これからの時期には重宝なサンダルだ。いつものように小まめにも、手書きの1枚が入っていた。夏休みに行くからとのこと。一番故郷を遠くに暮らしているのに、老夫婦を思い至っての事だろうweep

そして、次女からは・・・

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手作りのケーキ。忙しい中を良く作ったものだ。そのときには、俺の顔を一瞬思っただろうし、舅や姑とも同居しているのにとホロリとしたweep

このように毎年まいとし父の日にはプレゼントが届く。子育て真っ最中で、色々と出費も重なっているだろうに、有難いこと、嬉しいことである。

「もういいよ!」って言っているのだが、3人の子ども達は今年も・・・present。ふと俺は、このように子ども達からプレゼント頂いていいのだろうか、子ども達に何か残してやれてあったんだろうか、果たして親として責任を果たして来たんだろうか・・・ついつい振り返ってみた・・・。

振り返ってみれば、俺などは本当にプレゼントを頂けるような父親だったのか、自信を持って背中を見せることが出来たのか・・・それを思うと子ども達へこそ、感謝をしなければならないのは俺なのだ。

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長女には初めての子ということで、期待をあまりにも大きく求めてしまった。だから厳しく、それは長女にとっては意地悪やいじめとしてとったかも知れない。だから、福島の短大卒業後は、俺から逃げるようにして茨城に向った。

長男に対しては仙台の学校を卒業し、仙台市内に勤めをする気持ちになっていたのを、俺が大きな病気をしたこともあって、秋田に帰ってもらって、秋田市での就職になった。俺が俺の描く先を父が潰したと半ば憾んでいたのに、俺が今度は息子の夢を潰してしまったのだ。

そんなこともあって、次女には柔軟な姿勢で接し、少しでも長く一緒に暮らしたい、そう願っていたのに、早い年齢で結婚し、俺の元を離れた。

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他にも様々な事で、子ども達との接する時間もなかなか作れなかった・・・某組織への勤務、村では自治会役員(会長も)、生産組合役員(組合長も)、消防団の役員(消防支部長も)、PTA役員(会長も)、それぞれ10余年やっている中で、かなりの心労でもあった。他に自営の農業であった・・・

恐らく子ども達は、俺の背中を見る時間などなかっただろう。しかし、それでも子ども達は、素直にそれぞれ良い子に育ってくれ、やがて、皆結婚した。俺には孫も6人となった。

息子家族は、あの田植以来、約一ヶ月ぶりに遊びに来た。午後から、息子家族とともに鳥海高原花立に遊びに行った。ジャージー牛の牧場にもなっているし、子ども達の遊び場もあった。

4歳と1歳4ヶ月の孫、ふたりの孫は元気で、黙って座っていることなどない、歩いてあるいて、それについて廻って、こちらも相当くたびれた。息子家族は、寂しく暮らしているだろうと、慰めに来てくれたことだと知っている。

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あしたからはまたいつもの二人暮しになる。

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秋田草刈り唄・・・全国大会

          note朝のでがけに どの山見ても
           霧のかからぬアリャ山はない

かつて草刈り場への道すがら、馬上にて時には手綱を引き、草刈り場への行きかえりに、その時の気分や情景を歌った唄・・・それが、草刈り唄と言われている(大会のチラシより)

草刈り唄は、昔は広い地域で歌われていたという。昭和30年代で草刈り作業がなくなるとともに、唄も途絶えたたが、当時は男ならだれでも歌い、盆踊りには女も歌ったという。

現在歌われている唄は、昭和28年に地域の民謡研究家が、元唄を尺八にもあい、抑揚を持たせ、新しい唄に仕上げ、以来今日まで歌い継がれていると説明されている。

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そして、この「秋田草刈り唄」の発祥地は本市にかほだと言われてもいる。その秋田草刈り唄を広げようとして、全国大会が毎年行なわれ、今年は22回目として、きょう開催された。

元より俺は特に民謡には音痴!好きだということもなく、むしろ他のジャンルよりは嫌いな方だ。哀調在る節や歌詞には引かれるものの、特にどんちゃんの賑やかな民謡は、俺の性には合わない。

ただ、俺の母は民謡が好きで、また、母の実家の息子、つまり俺の従兄弟は大好きでしかもとてもうまい。母の実家の母の父親は三味線も得意で、民謡をかなり好んだようだから、そのDNOは俺には組まれていないようである。

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この「草刈り唄」はその中では嫌いな方ではない。あのドンパン節などはとても好きにはなれず、それよりはビートルズを好むのだが、この草刈り唄などは哀調がある。詩情もあるので、あのこぶしは苦手ではあるものの、どこかしらうら寂しさが残っている。

       note峰の白百合 揺れたと見たら
        草刈るおばこの アリャ頬かむり

俺が会場に入ったのは午後1時半、午前9時から始まっていて、丁度、大賞の部の予選通過の発表が行なわれていた。ほどなく年少の発表があり、その後、大賞の部の決戦が始まった。

同じ歌を延々と歌うという大会、多分、俺には飽きがくるだろう、そう思ったがしばしステージに目と耳を傾けた。すると素人ながらも、各歌い手に評が沸いてくるし、同じ歌だと比較方式で前の唄との比較が出来てくる。

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でも1時間ほどで、他にもする事したい事があるので帰宅した。

きょうは大賞の部・高齢の部あわせて116人、年少の部では12人、それぞれの美声を会場いっぱい響かせて。あのような声しきで、あのように堂々と歌えたらどんなに気持ちいいんだろうか・・・

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高校を卒業したときには、我が家にも馬が1頭いた。集落では馬のいる家には採草地を割り当てた。そのころは刈るのは鎌、鎌で草刈したのとち、1週間もすれば刈った草を上下反対にした。そして、最後には束ねて、納屋に格納した。採草するということは、冬期間の家畜の餌ということだった。

そんなことから集落の集まりでは、配分を巡っていろんなトラブルや口論もあったようだ。やれあの場は石が多いとか、道路からかけ離れているとか、日当たりが悪いとか・・・1年間の採草地の配分だったから、それは相当なものだっただろう・・・

機械が入ってきて、草刈りがなくなった。だから、鎌での草刈り等は1年か、2年しか俺には経験がない。

          note俺とおまえは 草刈り仲間
            草もないない アリャ七めぐり

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ビオラも”パンダ”も・・・

6月半ば・・・さすがにやや疲れて来たように見えるものの、ビオラもシンビジュームもまだまだ見られる。いつもならもう花壇もプランターも夏の花へと替える時期なのだが、まだまだ見られるから植替えをしていない。

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もうビオラなどは、昨秋からのもの。冬には雪を被ったから花はみられないものの、春からはふたたび勢いづき、今日にいたっている。考えてみれば、こうした花が元気と言うのは、気温が低いことに関連する。

6月に入って、雨や曇り、そして気温が例年より低い。きょうだって15℃前後であり、半袖だと寒いほど。言わば”梅雨の走り”という事かも知れないが、それにしても低い・・・

当然、田植した苗の生育も鈍化している。中には、深水だったところの苗は消えてもいる。本来ならば、生育は一番旺盛な時期なのだが・・・従って、今の時期ならば、稲の命取りともなりかねない”いもち病”の発生が気になるのだが、感染に好適なじめっとした暑さもないから、発生も確認されていない。

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生育不良ということは、茎数(穂数)が増えない、つまりは穂のつく茎が少なくなる、よって米の粒数も少なくなるということで、結果として不作ということになるのだ。

この先の天気はどうだろう・・・気温は上がるのか!日照は回復するのか、ここに来てふたたび日々の天候が気になっている・・・

それでも大局的には、季節が進んでいる。きょうもわが地域では山間部でクマの目撃情報と注意を促す、安心・安全メールが届いている。

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そうそう・・・

例の雪形の「パンダ」。やはり俺のように、パンダとしてみている人がいた。新聞にその写真を投稿していた。この寒さもあってか、そのパンダの表情も変わらずに見える・・・

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  ☆きょうはこれから所用で外出、帰宅も遅いので早々の更新です。

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「唇山」にて・・・

「然別」と書いて「しかりべつ」と読む。俺はきょう偶然に広げた新聞の「たび」という一面に、北海道然別湖・・・”天空の湖に映える唇山”の記事を見た・・・懐かしかったweep

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新聞は「赤旗」、6月18日号である。

先日に記述した家出をして渡った北海道、そのコースで俺はその湖に立ち寄ったのだ。実はこの湖は知らなかったし、読むことさえできなかった。ただ歩いていて、白糠あたりでこの看板を見た、見て何だか惹かれたのであった。

今みれば、付近は然別spaの一角らしいが、俺が泊まったのは「然別YHユースホステル」。たまたまそこに泊まった5人、その5人で舟に乗って、山の方向に向けて進んだ。そして、山に上った。

瀬尾さん、堀江さん、横山さん、榎本さん、それに俺の5人。上った山が「唇山」と呼ばれた天望山。その山が湖面に映るとまるで唇。そこから唇山と呼ばれていたこの山。

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いっしょに上ったのはグループだったのか、或いはたまたまいっしょになったのか、ただ、ふたりの女性は広島県の三次市だったとの記憶はあるのだが、もうあいまいになっている。あの日、あの中では多分俺が一番若かったのだ。写真を何枚か、撮りあった・・・

中の一枚・・・俺が笑っている・・・ヒッチハイクの俺が、北海道で笑っている写真等多くはない。リュックには悩みがいっぱいだったから・・・

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この湖が「天空の湖」とは当時、言われてあったのだろうか・・・それも記憶にはない。ただあるのは唇山ということだけだ。

この湖、標高が800mらしい。天然の湖としては、最も高所にあるのだとか。それにいつでも湖面に唇が現れるとは限らない。やはり波のない、静かな時間帯でなければ、唇をみせてはくれないのだ。

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世は”一期一会”だという。その書を俺は洋間に飾っているが、まさしくそうなのだ。あの4人とはあの日のたったの1日の出会いだった。不思議に思うのは、あの日の4人、また、その後層雲峡などで出会った北野さん等、あの日のままだったらすぐに俺は分かるだろう。

若い日の記憶はなかなか消えないもののようである。あの日にかえってみたいとは思わないものの、あの日の4人には会ってみたいものだ・・・

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「ほの葉まま」

秋田ではごはんを「まま」と呼ぶ・・・

だから、「ご飯だよ!」は「ままだよ!」となるし、「ご飯を食べれ」は「まま、け!」となる。蛇足ながらこの「け」という意味は、他には「痒い」ということだったり、「こっちに来て」となったり。かつて秋田県の観光ポスターには「け」という一文字、つまり秋田においで下さい、その意味になっているた。

さて野山は新緑から深緑に変わっている。薄緑色の初々しい葉が深い緑色に変わってきた。その葉を使った”まま”がある。葉は「朴の葉」、その大きな葉にごはんを入れて束ねて、その後葉を開いてご飯を食べる。

その朴の葉・・・先日、妻はその葉を取ってきた。今までとっていた木は大きくなって、葉が取れないと言っていたが、先日、低いところに葉を付けていた朴の木があって、そこから取ってきたのだと言う。長さは40~50cmもあった。

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この葉を広げて、ままを盛る。そのままに黒砂糖の入った黄な粉かこうせんをまぶして、また葉で包み込む。

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しばらくして葉を広げると、ままにほのかな朴の葉の香りが移り、更には黒砂糖が溶けていて、それはそれはうまいのだ。かつては田植等したときは、おやつとして振舞われたりしたものだ。

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今朝のままは、このような「朴の葉まま」、我が家では「ほのはまま」と言っているのだが・・・

こんなものを作るのは、集落内では妻ぐらいしかいないだろう。山育ちの妻だから、こうした作りを覚えているんだろうと思う。田舎のいわゆる”ごちそう”ということになるのだが、都会にあっては食べることの出来ない逸品、懐かしい味である。

我が家では今「ウツギ」が満開だ。先日、忌み花としてのタニウツギの所でも紹介させて頂いたウツギ、あのウツギの他にも咲いている。いづれも名はすっかり忘れている。

例えばこのウツギ・・・

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もう高さは3mほどだ。色合いのいいウツギで、実は昨年は全体を捉えてアップした。そのあとその写真を拡大したら・・・Σ( ゜Д゜)ハッ!何と一番上の枝先に蛇が写っていたのだ。慌てて削除したことがあった。

写真を撮るとき、俺は目も悪いので気が付かなかったのだ。昨年も、そうすれば今頃の時期だったのだろう・・・

玄関には鉢植えのウツギ・・・

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これは白いウツギ。白と言うと梅花ウツギもあり、大好きな花。まるで白いバラを思わせるような花だが、今年は残念、咲かないのである。

きょうは日中には日も照ったのだが、夜になったら気温がまた下がっている。こんな天候だと稲のいのち病の発生はないだろう・・・

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肌寒いこの頃

ここ数日、どことなく肌寒い。きょうもとてもt-shirt1枚では・・・朝の我が家の居間は19℃だったし、夕方に裏口にある温度計は9℃であった・・・そう言えば、昼のニュースでは北海道では「-」気温だったと報じていたようだ・・・

涼しいから草刈りをしても汗をかかないし、恐怖の蛇も穴から出て来ないようで、それだけは嬉しいのだが、深い田んぼに植えられた苗は消えているものも多い。今もっとも分けつが旺盛で、茎数が増えていく時期なのに、これでは作がよくなることはない・・・

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こんな涼しさでも、毅然と咲いている小さな花、確か「ヒメツキミソウ」だと思った。俺が当初植えたんだろうが、今ではあちこちの鉢に生育し咲いている。直径が1cmにも満たないのだが、じっくりみるとやはりツキミソウのミニチャーみたいだ。

その花よりも大きな斑点を花びらに見せているのは、ペチュニアの新品種?「ナイト・スカイ」。俺は初めて植えたものだ。よく観ればその斑点が☆ということらしい。

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名もまた素敵であり、よくも名付けたものと感心する・・・

庭にはこれまた旺盛な「ニワフジ」、どことなくフジのようなことから付けられたらしい。鉢植えにしてもよく咲くし、色は優しい。

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ところで・・・「?」

この花は何と言うのだろう・・・俺の小さい頃から、我が家の石段脇などに咲く花だ。この花は飾り気もないのだが、どことなく温もりが感じられる。一度、無くなったと思ったが、いつの間にかまた咲き出して、存在感を見せる花だ。

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涼しい!寒い!っても6月のもう半ばである。

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青春時代の放浪記

俺にとっては忘れられない「6月12日」。アルバムをめくると、若いわかい俺がいる。北海道を歩いてげっそりとやせ細っている俺がいる。その恥ずかしい俺の青春の1ページを今夜は書こう・・・weep

あの年の6月12日、今頃の時間には函館駅にいた。泊まるところも確保していなくて、否、泊まるお金もなく、駅に泊まろうそう思っていたのだ。だが、12時近くになってそこを追い出された・・・

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俺は両親に1枚の手紙を残して、あの日の朝、確か4時過ぎだと記憶しているが、キャラバンシューズにリュックを背負い、部屋の窓から外に出て家出した。前日には、父名義の口座から1万円ほど払い出していたのでそれを財布に入れ、見つからないようにして・・・

途中、トラックに乗せてもらってから青森に・・・青森からは青函連絡船に乗って海を渡った。あの時、俺の手紙を見て父母は動転してあっただろう、今になれば本当に申し訳なかったと思う。手紙には一ヶ月ぶらっとして帰るから・・・そう記していた。

ただ、俺はそうは書いたもののどこかで、死のうとの思いもこころの中には持っていた・・

生きていくには自信がなかった、生まれた宿命を受け入れる器もなかった、農家の跡取りとの立場を遺棄したかった、短大に合格はしたもののこの先、農業をやっていく方向に向えなかった、農家の跡取り娘を忘れることも不可能だった・・・

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人生の先に明るいものを見出せない俺であった。だから、一度、知らない場所を歩いて、知らない道を歩いて、自らを変えようとも思った。今から思えば無鉄砲この上ない俺だったのだ。

函館駅を追い出されたものの、夜は歩けない。今なら、いっぱいと呑み屋にでも入るのだが、何しろ金がないのだ・・・朝になって歩き始めた。この日から、俺は1日2食に決めた。パン1っこが常の食事、トイレは駅や公園。洗濯等あまりしないで歩いた・・・

だが、時にはユースホステルに泊まって入浴し洗濯をした。当時は1泊2食で500円だった。夕食が終れば、ペアレントのもとに集められ、歌やゲーム、そしてペアレントの話・・・

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バス亭にも泊まった。でも、クマの話を聞いて眠れずに過した晩もあった。夜になって、寝る場所がないほど悲しいものはない、そう思ったりしたのがあの頃だ。

夏の北海道は”カニ族”が集まった。そのカニ族が歩くコースは、大方定番になっていた。菱形の北海道ゆえ、大体歩き方が同じようになっていたのだ。だから、どこかで会った人とどこかでまた会う、そしていつしか顔見知りになる。

ヒッチハイクで廻っていた俺にも、いつしか顔なじみも出来た。

こうして歩いているうちに、どこかしら明るいものがこころに灯るものを感じていた・・・

礼文島・摩周湖・然別湖・美幌峠・・・壮大な景色にも癒された。

ニセコでは”チセハウス”に3泊した。俺はここでは本当に癒された。でも、今ではもうなくなっているようだ。俺はここの家族を今でも探しているのだが、なかなか手掛かりはない。役所に問い合わせたりもしたのだが、まして昨今の個人情報とかで、どうにもならない。

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人に会い、景観に救われて俺はふたたび青函連絡船に乗って、今度は故郷に向った。俺は特急に乗り、鈍行に乗り換えた。羽後本荘駅から乗って来た人と目があった。母だった、偶然とはこんなことを言うのだろう。母は俺の傍に来て、「○○○・・・」俺の名を呼んだ・・・

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その後にどのようにして、帰宅したのかはまったく記憶にない。いっしょに故郷の駅で下車し、ともに帰ったのだっただろうが・・・それが7月7日だった。

こんな無鉄砲な行動派の俺、それは今でも変わってはいないようだ・・・

ちなみに悩んだ恋の相手が、俺の妻になっている。

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庭に樹木が増える訳

<昨日は300件に近い、アクセス頂き有難うございました>

庭の最後の夢(フジ棚から垂れるフジ色の花房)として、俺はこれを抱いていた。昨年から、頼んでいる植木屋さんに、フジの苗木を頼んでいたら持って来てくれた。だったら、植えてくれないか、棚も作ってほしい、そう頼んだ。

作る場所はどこに???植木屋さんはここがいいだろうとのこと。サンルームの脇の場所である。ただし、外壁には電気メーター器が取り付けてあり、棚はそれより高くしなければとか。俺はその植木屋さんに任せることにした。見積額は結構高い。しかし、最後の庭にかける夢だ。踏ん張ってそれでやることにした・・・

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今の我が家の庭の主役は、サツキとヤマボウシである。特にヤマボウシは惹かれるものがあって、酒田市の園芸店に買いに行った、あれから20年は経過した。毎年、白い花をいっぱいみせてくれ、秋には赤い実も・・・

その後、届けられる苗木のカタログで、赤いヤマボウシがあることを知り、求めて植えた。ただ赤と言っても艶やかな色合いではなく、ピンクに近い色のヤマボウシだ。俺はこうだから、植木も花も増えるのだ・・・

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白いのが良いと思っていると、他の色もあるとつい求めてしまう。従って、どんどんと増える、そうなっているのだ。

花ではシランが咲いているが、白もあってそれも植えた・・・

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こんなことだから、庭には植木や花類が増えて、庭を狭くしている・・・

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忌み花・嫌われ花

人は花に癒される・・・花を見て怒ることなどない。特に悪い環境の中にあっても、咲いたりする花には感動さえ覚えることもある。

ところが・・・

同じ花でありながらも、忌み花と呼ばれたり、嫌われるような名の花もある。しかし、それでも花が咲く。改めて植物の生命力に驚くばかりである。

平地では今の時期、ほとんどもう見かけなくなった花、「タニウツギ」が昨日出かけた高原では花盛りであった。このタニウツギが、我が地域では”忌み花”として扱われている・・・

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タニウチギはスイカズラ科タニウチギ属。田植の頃に咲くことから”田植花”とか、”早乙女花”と呼ぶ地域もあるようだ。

一方では、花が燃えるように咲き山火事にも見えるとのことで、”火事花”、そして、火葬ではこのタニウツギの枝で骨拾いしたことなどから、”死人花”や”葬儀花”と呼ぶところもあるらしい。我が地域でも後者のことから、「忌み花」とされ、家中に飾ったりすることはご法度になっている。

花にはいわゆる罪もないのだが、人が勝手に名づけたのである。このタニウツギ、我が地域では他に、”ガザ”とか”イワシバナ”とも呼んでいる。まったく花には迷惑なことだろう・・・

可哀想な名と思うのは・・・今、畦になっている”ヘビイチゴ”

Hebiichigoq2

こんなに可愛い実をつけるのに・・・

また、刈っても刈っても伸びてくる・・・ ”ブタナ”、俺の地域では”ブタクサ”と呼ぶ。

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また・・・”ドクダミ”、それに漬物では大好きな”ミズ”、我が地域では”ミズタタキ”として食べるのだが、正式には”ウワバミソウ”。同じ蛇としては”マムシソウ”もある。

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可哀想にと思うのは・・・「オオイヌノフグリ」、「ヘクソカズラ」か。

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以上、これらの花はネットから頂いたものだが、畦を刈っていると見かける草花だ。

何でこんなに可愛いものを、何でなんでと思うのだが、名を変える事など出来ないのだろう。人間は場合によっては改名が許されることもあるのに、草花は嫌われるような名をつけられたり、忌み花などとして呼ばれたり、可哀想だと俺は思うのだが・・・

きょうは田んぼに出かけたら、thunder雷。午後になってtyphoon竜巻警報が市内に。どちらも怖くて家に籠もった。しかし、夕方には草刈りに・・・

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ところで昨夜は満月だったfullmoon俺はその月を眺めながら帰宅したのだったが、実は昨晩の満月は同じ満月とは言いながらも、今年一番小さい満月、さらにはやや赤味を帯びた満月だったようである。今夜は、月も見えない・・・

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菜の花&鳥海山

久しぶりに朝の更新である・・・何故?それは皆さんのご想像の通りだヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ

この秋の産土神社の例大祭に当番丁はわが集落になっている。俺はその実行委員会の副委員長であり、氏子総代になっている。昨夜は、この24日に例大祭に絡んだ集落の常会を招集している。従って、昨夜はその委員会であった・・・

なかなか施主を希望する家がなく、それは集落の会館で行うことで話を進めてきたが、ここにきて某氏がやると伝えて来たようだ。しかし、過去にも某氏は手を上げたものの、最終的には奥さんの反対で流れた経緯がある。

今回は・・・?しかし、一応手を上げたからには無視もできない。そんなこともあって、昨夜の委員会はかなり時間を要した。その後の懇親となって、帰宅が午後11時・・・満月に照らされての帰宅となり、その後、pcに向かいSDカードを差し込んだままにダウンしていたdown

昨日の午前中・・・

鳥海山が見えている、しかし、あしたは雨との予報だ。しかもあしたは土曜日。そんなこともあって、おれはcameraを持って軽トラに乗り込んだ。先ずは行く先を鳥海地区の桃野。例年、ここでは「菜の花祭り」が行なわれ、色んなイベントがある。ただし、今年は春先の低温等で花がイマイチとのことで、中止になっている。でも・・・俺は出かけた。

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カメラではしかし良い感じで納めた・・・

それから鳥海高原をぶらりと・・・

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色んな場所からの鳥海山の光景、いつもの構図であるが、俺のお気に入りの場所からの撮影だ。

きょうもわが「でんでん大将のひとりごと」を見て下さり有難うございます。

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あしたの「楽」のために・・・

朝から雨になった・・・

合羽を着てまでも仕事をする勇気もなく、部屋の整理や溜まっていた雑誌に目を通したり・・・きょうはがっちり休もうそう決断し、作業着も着ないで過していた。

ところが午後4時ころ・・・雨が上がった。早急にやらねばならない仕事ないし、2時間もすれば夕方だし・・・迷った。迷ったが作業着に替えて、俺は軽トラに乗って田んぼに向った。田植後の畦の草刈りが、130aほど残っている。

雨が上がったとは言え、空は暗くていつまた降り出すか分からない状況だ。だったらやはり、きょうは「」をした方が良いのではとも考えた。が、きょう「楽」をすれば、あしたは「」になりかねない・・・

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ウィング・モアでは刈れるところは刈り終えている。あとは刈払い機での残った部分を刈り、畦にトリマーをかける、それが130aだ。結局、草は日に日に伸びるのだから、きょう「楽」をすれば、あしたは難儀することになるのだ。

それも誰かがやってくれるわけでもない。自分が難儀するだけだ。だとするならば、あした「楽」をするために、きょうは頑張ろう・・・そう思って俺は出かけたのだった。

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父が亡くなり農業をしなければならなくなって以来、そう思ってこれまで農作業をやってきた。きょうやれるものはきょうやっておこう、あしたあしたと延ばすのはかえって難儀するのだからと。だから2時間余りの時間だったが俺は作業に向ったのだ。

田んぼの周辺にはクワの実が鈴なりに・・・まだ、熟してはいないようだが、俺たち子どものころは学校帰りなどに食べたものだった。帰宅してもおやつなどない時代だった。山になる実などが小腹を満たすものだった・・・

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そして畦と転作田の草刈りと終ったのが午後6時半・・・

しかしながら2時間半の仕事は、半日分の仕事をしたと思う。曇っているから暑くはないし、こんな天気では蛇との遭遇もないだろう。だから?仕事もはかどった。

帰宅後の缶ビールは美味かった、やはり仕事のあとのビールは格別だ。しかも堂々と呑める。お前はそのために仕事をしたのかと言われそうだが、確かにその部分がないとは言えない。

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妻はきょうはフラワーアレンジ。その成果が上の花。

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40%の”壁”

俺が若い頃の夜のテレビは、週3日は”プロ野球のナイター”中継だった。対戦は巨人:○○。つまりは総てが巨人戦であった。だから選手はおろか、他のチーム、他の選手はほとんど知らなかった。チームすらも・・・巨人以外は。

「巨人・大鵬・卵焼き」と言われた時代であった。そう言われるほどプロ野球では巨人が圧倒的に強く、ファンも絶大であったと思う・・・反骨心旺盛の俺は、そんなことからアンチ巨人ファンとなり阪神を応援した・・・

強者を応援するよりも、その次ぎを応援する。今でもそんな気骨の俺。

ところが今、巨人は12連敗、順位は4位?5位?。いづれ泥沼にはまっているし、昨今の優勝もない。弱くなった巨人、弱ければ応援することになる。しかし、あの巨人のこの停滞は何が起因しているんだろう・・・

最年少棋士・藤井4段はきょう3連勝し、公式戦連勝記録を「23」に伸ばした。まだ中学生の棋士はいったいどこまで連勝を伸ばすのだろう。こんなに強い棋士の行く先はどんな世界に入って行くのだろう・・・

連勝も、また連敗もその歯車、特に敗戦も何か歯車が狂ってしまって、何をやってもいい方向に回転しないのだと思う。だから、何かを変えなければならない。同じことをしていては結論も同じだろう・・・

002 話はいささか旧くなったのだが、5月31日は”チャレンジデー”だった。ほぼ同じような人口規模の自治体同士で、15分以上の運動した住民が、総人口に占める割合を競うものだ。

今年は全国128の市町村が競ったようだ。秋田県では全市町村の参加で、結果は「28戦 19勝9敗」、秋田県では最も高かったのが横手市で103.6%。

これは市外から働きに来ていても加えることが出来る。従って、100%を超えたりする。

さて、本市・にかほ市はと言うと、「41.9%」秋田県の中では、下位から2位だった。このようにわがまちでは、例年40%台でなかなかこの数値から脱却できない。

こんな数値だから、勝つ事等ない。

特別技術が必要だとか、体力がものを言うなどと言う類のものではない。15分の運動をすれば良いのだが・・・

俺は当局にこの原因がどこにあるのか、何故勝てないのか、今後どのようなことを考えているのか、何年参加しても同じ結果ならばやらない方がいいのではないか、そう質した・・・ところが当局では「勝たねばならないのか」と言う。

勿論、勝つことだけが目的ではない。しかし、3町合併しても未だにまとまっていない。こうした行事を踏まえて、こころを一つにする工夫が必要だ。作戦も必要だ。毎年、同じようにしていても結果は変わらない。結果を変えるには経緯を変えなければ・・・その工夫が必要ではないのか。

俺が集落の代表になったとき、避難訓練と併せてラジオ体操をして、チャレンジデーに参加する計画を立てた。それが今でも続いていて、年々参加者が増えている。俺は盛岡に出かけるその朝に、集落の一員となっての参加。

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しかしながら、まち全体としての参加率は41.9%。俺から言わせてもらうならば、やはり当局に”やる気”がないとしか言えない。俺が質した翌年は勝利した。でも、ふたたび・・・負け続けている。

たまには勝って、みんなで「勝ったぞ!」という喜びを味わう。そうすることで一体になったまちになるのではないのか、一体感を醸成できるのがこのチャレンジデーだ、俺はそのように思っているのだが・・・

”壁”は乗り越えようとしない限りいつまでも眼前に立ちはだかる。その為には色んな工夫と努力がなければ超えることは出来ない。無理だ、大変だ、出来そうにない、そう言い続けては壁を越えることは出来ない。

しかし、それはとてつもない難しさとは言えないのだ。みんなであと一歩を合言葉に、「まとまろう」との気迫があれば、40%の壁は乗り越える事ができる、そう信じている。

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愛しき子ツバメたち

草刈りを終えて帰宅すると、どことなく賑やかだ・・・空を見上げるとツバメが飛んでいる。それも数羽の群れだ。そして、枝垂桜の枝に止まった。1・2・3・・・5羽で、どうやらまだ孵ってまだ日が浅いようだ。

時折、親鳥が餌を運んで来て、枝に止まっているツバメに餌を与えている。

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我が家の農舎にはツバメの巣がある。例年、ここから数羽が孵って巣立っていた。俺も妻もそれをとても嬉しく思っていた。今年もツバメが来るのを待った・・・そしたら、4月半ばにやって来た。ところが、丁度、折悪しく農舎には俺が居た!

ツバメは農舎に入ったとたん・・・驚いて逃げていった。農舎に俺がいたからだ。特に俺は驚かせるつもりは毛頭なかった。タイミングが悪かったようだ。でも、その後また来るだろう。そう思っていた。

しかし・・・来ない、田植が終っても姿を見せてくれなかった。ところがこれまた偶然だった。5月に入ってから、ふたたびツバメがやって来た。ところが近くにいた俺を見つけて、急ターンして逃げていったのだ

・・・・・

・・・・・

そのあとはいくら待ってても来ることがなかった。人様のブログでは、ツバメが孵っただの、巣で餌を待つ愛らしいツバメの子の写真が掲載され、今年はもう我が家に来る事はないだろう、俺たちは諦めていた。

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俺に驚いたツバメは、どこか近くで子を産み子育てをしたのだろう。でも、何故?我が家に・・・ふと思った。その親は昨年、我が家で生れたのだ。そして、我が家で今年は親になるつもりだったが、俺と遭遇し驚き他で親になった。しかし、我が家が忘れられず、子を連れて里帰りしたのだ・・・そう思った。

今は飛び方などを指導、その合い間をぬって実家に寄った、そうだとしか思えない。今夕は離れてみていると農舎にも入っていく。或いは1泊でもしていくのか、否、そうあってほしい。ツバメたちを見ていると飽きない・・・

だから、今夜の農舎はシャッターをあけたままに・・・

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庭の花は次々に移っていく。キングサリ、ナデシコ、アヤメ、アルメリア・・・

諦めていたツバメたち、そろそろ帰って行くんだろう、その前にもっともっと我が家で遊んで行ってくれ!!!ジジとババのふたり暮しには、ツバメは孫同様にかわいい・・・

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アザミの恩返し

6月は卯の花の季節だ。山沿いにはタニウツギが、可愛いピンク色を見せている。ただし、その花は我が地域では「忌み花」として扱われ、家に飾ってはいけない花。・・・その謂れは兎も角として、ウツギにも色んな種類がある。

今では我が地域に珍しくはなくなったハコネウツギ(源平ウツギ)、この花を植えてもう30年は過ぎただろう。我が家から1本、また1本と枝を持っていく人が多く、案外、我が家がこの地域のハコネウツギの先祖かも???

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紅白の花はどこかやさしい。他にも梅花ウツギだとか、他のウツギも植えているのだが、いづれ6月は卯の花の季節。

田んぼはもう青くなって、田面に鳥海山は映らない。その鳥海山・・・しばらく見えなかった。雨があったり、風があったり・・・そして、肌寒かったが、やはりそうであった。山頂に雪がある。新しい雪だ。昨日も14℃と寒く、居間には暖房のエアコン入れたところだった。

この2~3日、どうりで寒かったわけである。

妻が田んぼに補植に行くと言う。これで3日目だ。大方は根付いて、分けつを始めているが、深水だった場所の苗は消えていたりしてもいる。また、1本のみの所もあって、今後消えるかも知れない。そう思うと3~4本足してやりたい・・・つまり補い植えるのである。

以前は田植が終れば一斉に補植したものだが、昨今はほとんどする人もいない。我が家でもほとんどしなかったのだが、ここに来てあまりにも欠株(植わっていない)も目立ってきたので、妻は補植なのだ。だったら俺はそこの田んぼの畦の草刈りにといっしょに田んぼに出た・・・

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田んぼの畦にはアザミが色づいている。特にここの田んぼの畦にはアザミが多い。俺はそこの畦の草刈りでは、アザミを刈り残していた。折角に蕾を見せているのに、花を開かせることなく、刈ってしまうには惜しく、俺は注意しながら残していたのだ。

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人様はわざわざ刈り残して・・・と呆れることだろう。でもそれでも良い。刈り残してやったお蔭で、俺もその花を楽しめたのだから・・・花を見せてくれたのは、言わば「アザミの恩返し」なのだ。

ちなみに・・・

日本には50種類ほどのアザミがあるという。地域的な種があるようだが、共通するのは鋭い棘があること。

富士山にも特徴的なアザミがあって、「フジアザミ」というらしい。実は、鳥海山にも個性的なアザミが知られている。花が大きく、下向きに咲く特徴がある「チョウカイアザミ」だ。

田んぼに行って、こうして花を眺めることができるのは嬉しいことだ。しかし、刈ってしまったらこの嬉しさを感じる事はなかった。

他の田んぼでは、ウミネコが遊んでいた・・・

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ちょっと肌寒い・・・明日はどうなんだろう?

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村の日曜日

ほとんどが兼業農家ゆえ、集落の普請などは大方は日曜日だ。きょうは小雨降る中、白雪川河川敷を主とした草刈りだ。現在は、刈り払い機なので効率的だが、以前は”鎌”での作業で、それはそれは大変難儀なものだった・・・

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昨日に続いてきょうも肌寒い。だが、雨なので草は良く切れるし、また、合羽はやや重いのだが、汗もかかない。だから、天気の中での作業だったら息が上がるのだが、きょうは作業をしていると丁度いい。

河川敷の草刈り作業は、現在は秋田県から補助金を頂いている。従って、個人にいささか現金が配られる。しかし、作業をしているときは現金どころの話ではない。農家には日曜日も祭日もないのだが、普通なら雨の時は休むのである、が・・・きょうは普請なのだ。

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作業終了後は、俺が1年生の時の水害があった。堤防が決壊しそこから水があふれたのだ。ただ寸でのところで集落への流入は免れ被害はなかったものの、田んぼも畑も流失するという大事があった。そのことは以前にも記したところだ。

その後、決壊した場所に堂を作って安全祈願を行なっている。その後、俺が集落の代表になったときに、腐食の進んだ堂を石造りにした。村では善寶寺講を組織し、毎年、鶴岡市のその寺に安全祈願に出かけていて、今年もそれが終ったので、頂いてきたお札をきょうそこに納めた。

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こうして俺の日曜日は終った・・・

小さい田舎に居れば、なかなか個人は制約を受けることが多い。普請、即ち共同作業、欠けるわけにはいかない。不祝儀・ご祝儀以外であれば、欠席すると出劣り金をとられるし、また、色々非難されたりもする。でも、仕方ないところもある。出劣り金をとっても、人がいないと作業は出来ないのだから・・・

朝の食卓には、先日、雫石の道の駅で買ってきた”えんどう”が出た。この瑞々しい緑色、えんどうの好きなおれには、味といい、季節感といい、また、この緑がとても目映く映る。

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食卓の傍らには「シャクヤク」、我が家ではシャクヤクは今年はこの一輪だけだ、どうも白木蓮の下になっているから、日当たりがよくないからのようだ。この1本も、一昨日に妻は、雨にやられると思い、切ってきたようだ。

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他に「白」と「黄」もあったのだが、どうやら消えてしまったようだ。

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きょうから俺はまた農業者

往復約450kmのrvcarは確かにきつい面もあったのか?1日のドライブではなかったものの、やはり今朝はなかなか起床が出来なかった・・・「7時だよ!」の妻の声で・・・よいしょと起きた。起きてすぐに食事をした。8時まで、出かけなければならないことがあったのだ・・・

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例年、この時期にJAでは廃品ビニールの回収を行なっていて、きょうがその日であった。春先には風でビニールハウスのビニールが敗れたりしたので、それを出さねばならなかった。それに肥料袋、他に土に敷いたビニール類など・・・

多少のお金がかかるが、他に処理もないのだから・・・食後に、妻からも積み込みに応援をしてもらって、回収先のカントリーへ・・・dash行くともういっぱいの軽トラが並んでいた。中には育苗箱、それも軽トラ1台だ。おそらく農業をやめたんだろう・・・

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並んで約1時間、俺の番が来たので処理を頼んだ。これも米を搬入する場合と同じで、廃ビニを積んだまま計量し、終ってから空のトラックを計量するのだ・・・これで農舎が少し余裕が出て来た・・・

帰宅してからは、草刈りに・・・折りしもやや風が出るし、小雨も時につよくなったり・・・でも、この方が草は刈りやすい、それに肌寒いこの天気では、あの長い奴と出会うこともない。だから小気味良く草刈りが出来た・・・俺はきょうから、また通常の農業者だ。

午後には、近くで水防訓練大会あるので、2時間ほど見に行った。いつもならば静かな白雪川、この川は急流であり、一旦水が出ると洪水を引き侵しかねない川だ。かつてこの川が氾濫したことが何度かあった。

最新では昭和○○年、俺が1年生のときだった。大水となり、川には立木等が流されてくる。それが橋桁を洗い、橋がらっかした。更には堤防が決壊し、わが集落は奇跡的に被害はでなかったものの、俺たちの学校は休業、のち、隣接の集落の自治会館で何日かべんきょうしたことがあった。

田畑も流され、復旧には俺の父が会計係りとなって遁走してあった。

こんな水害は隣接でもあった。そのため近辺の集落で水防組合を組織し、団員は消防と兼ねる事になった。だから、その後、俺はその双方の指揮したことがあった・・・

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この伝統ある水防工法・・・昔も今も変わってはいない。競技順から、①シート張り工法 ②木流し工法 ③川倉工法 ④積み土のう工法 である。ただ、俺たちの頃はシートがなく、筵張り工法と言ってコモを針で縫ったものだった。

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これらの工法は、大水の時に実践した。初期の段階では確かに有効だ。きょうは時折雨もあって本番さながらであったが、出来れば今年の梅雨期も被害の出るような雨でないことを祈るのみである。

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盛岡ファンになりました・・・

目を覚ましたら午前4時半、ホテルの窓から下を見ると雨は降っていない。きょうは帰るのだから、もう寝ているのは勿体ない・・・ということで、盛岡市内の散策に出た・・・

初めにむかったのが裁判所、その前庭にある「石割桜」。観光客のためなんだろう・・・門が開いていて、それをゆっくりと拝見できた。巨大な花崗岩の割れ目から、エドヒガンザクラ伸びている。樹齢が360年以上とか。国の天然記念物に指定され、4月半ばには花を咲かせるようだ。

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傍に立つと圧倒される感じだ。ひとつの小さな桜の種が、この岩の割れ目にこぼれ成長、成長するたびに岩の割れ目を広げ、現在も目には分からないのだが、広げているらしい。植物の大きな力を見た様な気がする・・・

次に向ったのが、「三ツ石神社」。境内には3つの巨岩、これも花崗岩で圧巻だ。写真ではその大きさが、石割桜と同様に実感できないだろうが、高さが3mはあるだろう、しかも3つ・・・

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この脇には・・・

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鬼の手形?がある。それには伝説があるのだ。二度と悪い事をしないと鬼が、手形を押したと言うのである。写真はそれなのだが・・・岩手県の岩手の由来はここからついたということだ。ちなみにここが「さんさ踊り」の発祥地でもあるとか。

9時15分、俺はホテルを出た。rvcarのナビには「石川啄木記念館」を入れてdashホテルから約20分。ここには2度か3度は訪れているのだが、ひとりで入るのは始めてだ。だから心置きなく館内を鑑賞させてもらった。

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   砂山の砂に腹ばひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日

日本では知らない人はいないだろう「石川啄木」。俺が短歌を始めたのも啄木の短歌を読んでからだ。平易な言葉、やさしい表現、そうした短歌ゆえ魅了してやまないのだろう。

   東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる

俺の短歌作りは、啄木のまねから始まったといってもいいだろう。しかし、その後、俺は「今を詠う」短歌に興味が湧いた。そのひとりが道浦母都子であり、河野裕子だったり、中条ふみ子だったり・・・今を嘆く歌よりも、世の中これでいいのかとか、あからさまに自分を詠う短歌に惹かれていったが、これもまた時代の流れと言うことか。

なかなか雨は止まない、次に向ったのが「小岩井農場」。この雨だ。観光客はまばらであった。見所は牧場内にあるのだが、ゆっくりした時間はなく、木工教室等を見て土産を買った。

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そして、最後に寄ったのが「盛岡手づくり村」。ここには、南部鉄器、工房、煎餅などの伝統的なお菓子などが実演されている。また、それを体験できる。俺はここにも何度か寄った事があるが、観光客がいっぱいだ、外国人も多いようで、アナウンスも韓国語だったり・・・

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こうして220kmかけて、午後6時に盛岡市から帰宅した。

こんなことで、俺はすっかり盛岡ファンになりました・・・

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雨の中の盛岡を…

どうやらつぶれていたようだ…モジモジ(。_。*)))時計を見たら、11時45分、疲れが出たのか?先程飲んださけbottleがきいたのか?いづれベッドにゴロンしていたようである。

研修は午後5時少し前に終わった。居眠りしないようにと、自らを叱咤するように受講の席は一番前をとっていた。それで緊張感も加わったのかも知れない。

法律など普段は、縁遠いものだけに、それもさらに拍車を掛けてあったのかも。いづれ2時間ほど眠っていたようだ。

きょうの研修を終えて外に出た。朝からの雨だったが、夕刻もまだ収まっていなかった。駐車場に止めている車から傘を取りだし、傘を広げて市内の散策だ。泊まっているホテルの前は盛岡城址公園だ。このあたりは夕べも歩いていたし、また、駅までも歩いたから、周辺の地図は頭に残っている。

先ずはその公園を左にしながら向かったのは、新渡戸稲造の生誕地、俺はこの方を凄く尊敬していた。行くと椅子に背広を着て座っていた。雨に濡れてのその像、とても趣があった。

川沿いをふたたび歩いて、啄木賢治青春館(もう当然しまっていたので🏢観ただけ)、もりおか歴史文化館、煉瓦造りの岩手銀行旧本館等観ながらホテル。そして、次に出掛けたのが、大衆酒場だ。若者の威勢のいい声♪俺は生🍺にホルモン炒め+刺し身セット。🍺はすぐに無くなってお代わりだ。更には焼鳥3本、おでんと俺の体に入った。

そして、ホテルに帰った。

いい研修だった。明日も半日在るのだが、少し岩手県を味わいたい思いもあるから、朝食を頂いたらホテルを出る予定だ。少しは自分に自由な時間をサービスしようと❔思っているsmile

もう12時半を回った。みなさんに『ポチ』も『いいね』もできず、ごめんです。

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