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涙・・・祈りと悲しみ・出発と歓喜

朝からあの日の祈りが始まった・・・あれから6年、あの一瞬が多くの方々の人生を変えた。たくさんの夢ある人々の命が消えた。肉親の命も同級生のいのちも瞬く災害で消えてしまった。残された方々は強制的にふるさとを追われ、クラス内では虐めがあったり、更にはいまなお、原発から避難されている人も多い。

ニュースを見ていたら・・・「何で、あの日だけは海が・・・」と泣き崩れた老婆がいた。伴侶が流されたのか、子や孫が流されたのか、いづれあの日が未だに大きな傷として、脳裏に刻まれているのだろう・・・

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未曾有の大惨事になった「東日本大震災」、未だに不明の方も多い。この震災をさらに大きくしたのは原発だ。重機や資材を投入すれば解決できるようなものでないだけに、災害を悲惨なものにしている。

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先日の報道だと、この震災の語り部が忘れてはならないとして、ようやく語り始めたと言う。幾つかの建物は震災遺構として残るとも聞く。その建物に辛い気持ちでいる人も多いだろう。見るたびに苦しくなるという人もいるようだ。でも、この悲惨な災害を後世に伝えねば、また不幸な事になりかねない、奪われたいのちを無駄にはされない、その思いから建物を残すことに同意した人もいるようだ。

願わくば、不明の方が一日も早く救助されること、原発の稼動を停止しエネルギーは自然再生エネルギーに舵を切ること、このふたつの願いが先ずは達成されることを願うのみである。

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きょうは10時から、母校である中学校の卒業式にお招き頂いた・・・きょうの卒業生は約120名。1クラス30人未満。俺たち団塊の世代では、1クラス48人、それが8クラスもあった。だから、俺たちの時代からは1/3ということになる。

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卒業証書授与式は、館内に設置しているスクリーンにも写しだされた。それは卒業生を正面から捉えたものだった。どうやら校長先生が、一人ひとりに話しかけているようだった。生徒がにっこりした顔がとっても清々しかった・・・

俺はこの学校を◎◎年に卒業した。実は、卒業式の前々日あたりに高校入試があった。俺たちの試験は9科目、2日間行なわれた。ところで初日、帰宅したら祖母が亡くなった。親戚などが集まるし、2日目の試験はどうだったのか。そんなことで卒業式も練習にでなかったから、いったいどんな有様で臨んであったのか・・・・

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卒業式では証書の授与もいいのであるが、祝辞などもまた感動する。校長先生の話や在校生の送辞、卒業生の答辞、どれもがきょうもこころに沁みた。ここの校長先生の祝辞は、本当に良い。

きょうも万葉集からの一首を読みながら、祝辞に入る。「石ばしる垂水の上のさわらびの・・・」ほれぼれするような祝辞であった。俺は小学校のPTAを6年間やったのだが、俺の趣味の短歌を挨拶の最後にいつも入れた。卒業する子ども達への贐としてのものだった。

授与式の終わりには、卒業生の「大地讃歌」、「旅立ちの日に」・・・

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良い卒業式だった、卒業生にエールを、そして次のステップに向って頑張れと激励したい。

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コメント

津波の恐ろしさを初めて目の当たりにして言葉にできないくらい衝撃を受けました。

あの衝撃を無駄にせず、これから起こるとされる南海トラフ大地震には人命第一に素早く避難するよう心掛けたいと思います。

大きな可能性を秘めた未来に向かって頑張って欲しいものですね。

投稿: 京じじ | 2017年3月12日 (日) 07時22分


京じじ 様

6年前のあの日も卒業式に出ていました。午後からの卒業式で、あの時間は生徒が答辞を読んでいたいたときでした。体育館が揺れましたが、まさかあのような津波が発生したとは、あの場所では想像もしていませんでした。あれから6年・・・早いものです。

投稿: でんでん大将 | 2017年3月12日 (日) 23時48分

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