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2017年3月

春の味

5時間足らずの就寝だった・・・午前6時前には起床した。そして、pcに向った・・・きょう31日は秋田市の弥高神社で募集している、献詠歌の締切日なのである。短歌の制作は俺はpcだ。パソコンでやれば、言葉の入れ替えも楽に出来る。

これまでに5度代表歌に選んでいただき、神社に献詠されている。例年250首ほどの応募があり、その中から10首が代表歌になって、古式ゆかしく献詠される。あの宮内庁の歌会始めのように・・・

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今朝、ひらめいたのは仕事を辞めて、帰農者になったときのことを思って31音字にまとめた。そして、朝一で速達にして送付・・・選んで頂けたらうれしいのであるが・・・sign02

今朝は、その1首の推敲もし、のちにきょうの短歌会での31首すべてに講評しなければならないので、じっくりと読み感想をメモにした。きょうの兼題は「相聞歌・恋の歌」だ。きょうの俺の歌は・・・

     君乗りし夜行列車を見送れば為せぬことばの悔いては擡(もた)ぐ

集団就職列車に見送ったあの人・・・好きだったけれど言葉も出なかった。純情だった若き頃?あの頃を思って歌ってみた。

     無言にてわが手に包み渡し去る君のあの日の瞳忘れず

ある人から好意を寄せられた。でも、俺には好きな人がいたので、そのことを話したら、後日、俺に包みを持って来られた。オルゴールであった。俺は現在の妻に恋をしていたから、そのこを話させて頂いたのであった・・・

さて・・・きょうのテーマは「春の味」のことである。春の味は総じて「苦味」「辛味」等がある。紹介するのは「フキノトウ」だ。秋田ではフキノトウを「バンケ」と読んでいて、斜りにはいっぱい顔を出している。春を告げる代表的な花、それがバンケだ。

さてこのバンケ、ポリフェノールがいっぱいとか。農業試験場に視察に行った際も、そのことを聞いた記憶がある。だからからだにはいいとも言っていた。実は、このバンケの食べ方は色々あるんだろうと思う。代表的な調理はバンケ味噌、天ぷらなどか!・・・

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勿論、天ぷらも美味しいし大好きだ。如何にも”春”ってな味、今年も取ってきたら妻は天ぷらにして卓に出してくれた。食べればからだが瑞々しくなるような感じになる。正しく長生きできるような感覚に陥る。

他に俺は、ジューサーでバンケを砕いて、それに牛乳や蜂蜜、ユーグルトも入れてさらに攪拌する。これだけでは以前はとっても飲む勇気もなかった。しかし、慣れても来ている。ヨーグルト等を入れるといい味になり、ゴクンとやる。

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このバンケのジュース、妻が作ってくれるのだが、昨今はとても呑み易くしてくれる。目を瞑って俺は呑むのだが、これをいっぱい呑めば、その年は脳卒中にならないとも言われている。良薬は口に苦しである。だから必ず3月はバンケのジュースを飲むことにしている。

今年もこの飲み物をたしかに頂いた。

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遠藤さん、今度は”ノーベル賞”を!

このニュースを知ったのは、昨日の新幹線”こまち”の電光ニュースであった。とうとうやったな、凄い人物が近くにいたもんだな、きょうの新聞にも大きく載っているし、テレビでも大きく報じている。

人物の名は「遠藤章氏、東京農工大特別栄誉教授」。コレステロール値を下げる物質であるスタチンを発見したその人である。そのことによって、今般、医学分野で重要な発見をした科学者に贈られる「ガードナー賞」に選ばれたのだ。

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この賞は、所謂ノーベル賞への登竜門のひとつと言われ、何度か話題になっていたのだが、今回の受賞で一歩夢のノーベル賞に近づいたと言っていいだろう。今秋の発表が楽しみになって来た。

遠藤氏は、血中のコレステロール値を下げる脂血症治療薬の原型となる「スタチン」を、青かびから発見し、心不全などの病気の予防と治療に繋げた功績が高く評価されたのだ。実は俺もこの薬のお世話になっているのだが、世界でも何千万人の人が恩恵を受けている。

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国内では、ノーベル生理学・医学賞に 輝いた大隈良典氏、また、山中伸弥氏が受賞し、のちにノーベル賞を受賞している。よって、次はノーベル賞をと期待されている。

遠藤氏は隣接のまち由利本荘市の出身である。合併以前では東由利村。実は、妻の実家は妹が継いでくれているのだが、その妹の夫がその遠藤氏との親族だ。だから、遠藤氏のことは以前から俺も知ってはいたのだが、妹の夫からもいろんなことを聞いていた。

昨日は身内のお恥ずかしい話を記述し、皆さんには不愉快な思いをさせてしまったと悔いてもいるのだが、きょうは俺との血縁等はまったくないものの、妻の妹といささか関係があることから、とても嬉しいニュースとなった。

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報道によれば、このガードナー賞の賞金は約830万円(10万カナダ・ドル)らしい。また、授賞式は10月にトロントで行なわれるようである。いづれ俺のまちの隣りまちの出身であり、妻の妹の夫と近縁であれば、俺のよろこびもまた一入のものだ。

     ~写真はNHKニュースより~

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大人の常識?

大宮発4:46新幹線bullettrainこまちは8時12分、秋田駅に到着。そこからは約1時間10分、従兄弟の運転する車で無事に帰宅・・・疲れてしまった・・・

ところで実は今でも多少の呆れさが残っていて、腹の虫が治まっていない。到着早々に愚痴になってしまうのだが、きょうはそのことを記述しようと思う。

言いたいのは「大人の常識」と言うことだ。都会の方々が皆そうだとは決して思わないし、俺だけが立派だなっても言う事ではないのだが・・・

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俺が埼玉に出かけたのは、叔父さんの連れ合いが亡くなったので、通夜や告別式に参列しようと出かけた。勿論、叔父さんから出てほしいとの「知らせ」もあった。ところが、近くに住んでいて、昨秋父親を亡くした従兄弟も出たいというので、ふたりで埼玉に向った・・・

連れ合いを亡くした叔父さんとは、俺の父親、従兄弟の父もまた兄弟なので、俺たちは従兄弟と言うことになる。

昨夜は通夜が行なわれた。終って親族の会食があった。当然、叔父さんの子どもも俺たちとは従兄弟になる。その従兄弟とはもう40年も会ってはいない。更には俺と一緒に行った従兄弟とは初めてであったかも知れない。

そこでまた思ったのは、会食は叔父さんの娘家族の7人だ。これに俺と従兄弟、さらに従兄弟の弟と総勢で叔父さん含めて11人ほどだ。だから喪主である叔父さんは、自分の娘や家族を、また、俺たちを紹介してくれると思った、でもなかった。

さらには喪主の挨拶もない、娘さんらもわざわざに遠路を伺ったのに、「遠いところを・・・」等との挨拶もない。娘さんの旦那も一言もない。だから、会食時にいっぱいどうぞともない。俺から言わせてもらうと社会常識がないとしか見えなかった。

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きょうの告別式のあとのお斎もだ。隣りにいても一言もない、どうぞも「遠方から」もない。都会の方はとは言わないが、俺は呆れてしまった。

また、家族が上席に座りわれわれは末席・・・家族で食べて呑んで、お客は蚊帳の外なのだ。若い方なら経験も少ないだろうと立腹はしないが、娘さんは50代も半ばだ。娘さんの旦那だってどこかに勤めているだろう。であれば社会常識とは持っているのだと思うが・・・

昨日・きょうと何から何まで納得の出来る葬儀ではなかった。その式では、叔父さんが俺より一回り違うので、俺が年齢的には次だ。だから、教えてやった方がいいのかと思ったが、俺はひいてしまった。

年を重ねれば不祝儀への参列はある。そのときに、俺が喪主になったらなどと考えないのだろうか。人様のそうした仕草や挨拶など覚えようとしないのか、俺はそうした席にでればよく観察?し、おれだったらとも考えるのだが・・・

だから、ある程度の年齢になれば、教えてもらうということよりも、自分で考えなければならないだろうと思う。同行した従兄弟もまた、やはり呆れていた。今回の叔母さんの不祝儀では、常識と言うことを改めて考えた次第である・・・

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横綱の涙

NHKでは朝のニュースでもトップを飾った。それだけ国民に感動を与えた優勝だった。俺もつい涙が出そうになったが、やっとのことで涙を抑えた・・・

絶対絶命の大ピンチのなかで、まさかの優勝。横綱稀勢の里は、けがと痛みに耐えに耐え、栄光を勝ち取った。きょうは涙を許してほしい・・・横綱の目からは、あふれ出る熱いものが頬を濡らしていた。

頑張っていれば良い事がついてくる。普段から努力を続けていれば、いつかは報われる。今回の優勝ほど感動を与えた優勝もないだろう・・・

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それまで連勝を続けていた。そのまま全勝優勝もささやき始めていた。その矢先に天は勝利を奪い取った。誰もがふたたび日本人横綱の2連覇を信じて居た時であった・・・

よもやの敗戦、しかも土俵に落ちた横綱の顔は痛々しかった。救急車で取り組みにhospital搬送されたので、もう明日は休場だろう。それも大方の予想であった。ところが翌朝に出場を決めた。彼らしい判断、横綱としての責任、でも無理はさせたくないということも本音であったはずだ。

彼は並の横綱ではなさそうだ・・・

千秋楽には両親も観戦・・・どんな思いで土俵に目を投げていたか、考えるだけで胸が痛んだ。

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横綱の父親は横綱に昇進したときに、「早く引退してほしい」といったと言う。負ければ横綱の責任が問われ、絶対に負けられない、そんな状況からはなれて・・・親とすれば本心だろう。土俵に上がる子をみて、胃がキリキリしていると推察できる。

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横綱は努力の人と称されている。責任感は人一倍強いとも聞く。そんな彼だって、あの敗戦でガクッと来たのは確かだろうと思う。ただ、そこからが他の力士と違うところだと思う。もう優勝出来そうにないと思えば休場だ。

だが、彼は真面目なんだろう。力の限りやってみよう・・・その意気込みが勝利へと導いたのだ。天も見方したとしか思えない・・・

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そうした努力を、勝利の女神は見捨てなかった・・・本割と決定戦で連勝!!!まさかまさかと誰もが思っただろう。勝ってほしい、出来たら優勝してほしい、そう思いそう願っても現実はそうはいかないだろう・・・大方はそのように思ったはずだ。

それが賜杯を堂々と受けた。自分の力以上のものが出たと言う。しかし、日々の精進が見えない力を後押ししてくれたに違いない。抱く腕はまだ痛みはあるのだろう。賜杯を抱える左腕は持ちということより、抱いているようだった・・・

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先ずはよかった、よかった・・・いつもは厳しい顔の横綱、涙を滴らせたのち、笑顔を見せてくれた。横綱稀勢の里関、優勝おめでとうございます。

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          写真はNHKお早うニュースから

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3月26日

久々に青空が広がった・・・あの日の3月26日のように、雲ひとつない春の空だ。もう○十年前のあの空と同じである。

あの日、妻が俺の許に嫁ついで来たのだ。農家の跡取り同士ゆえ、妻の祖母からは最後まで反対され、披露宴にも出ては頂けなかった。”好き連れは泣き分かれ”にもつながると言う理由もあった・・・つまり恋愛結婚はいつかは冷めて、結果として泣くことになるとの持論でもあった。それだけ孫娘の行く末を案じていたからなのだろう。

それでも一緒になれたのは、妻の妹が跡取りをするという犠牲の上に立った俺たちの結婚であった。あのころは地域では初めての合同結婚披露宴で、ふたりの家からの中間地として、由利本荘市の某神社の斎館で行なった・・・

親戚方がバスで斎館をでたあとで、俺は妻を車に乗せて妻の実家に向った。許してはくれなかった妻の祖母に、妻の晴れ姿を見せる為であった。俺は、妻の祖母に両手をついて詫びて謝り、なきながら我が家に急いだ・・・

玄関に入ろうとしたら、甘酢っぽい香りがした。見上げたら、我が家の白梅が満開であった。あの日以外は、その白梅が3月中に咲くことはないことを思うと、暖冬であったのだろう・・・きょうもその白梅を確認したが、まだ一輪も咲いてはいない・・・

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白梅の下を通って玄関に向おうとしたら、大きな声の「長持ち唄」。俺と妻を迎える祖父の喜びだったのだろう。俺を取り分け可愛がってくれた祖父だった。それをあの唄で表現したのだ。祖父は村でご祝儀があると、その長持ち唄の名手で、頼まれたりしたようだった。だが、あの日は、あの祖父の唄が疎ましくさえ思ったものだった。

でも、その祖父が亡くなって久しい。あの日、あれだけ疎ましく思った祖父だったが、今ではとても懐かしく、3月26日になるとどこかから、あの祖父の声が唄が聞こえて来る・・・

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管内には農業青年の機関誌「学農」があった。俺はこの誌面に「農家の跡取り同士の恋愛」で何度か雑文を寄稿したものだった。大方は、当時のそれの成就は少なかったのが、俺たちがいっしょになれたのは、上述のような妹の理解があったからなのだ。

その妹は養子を迎えて、今では4人の孫の祖母になっている。息子は近くに住み、学校から帰れば、孫が毎日遊びに寄っている。幸せに暮らしているので、俺もどことなく安堵している。

それまでの結婚式と言えば、嫁を出す家での儀式があり、また、嫁を頂く方での儀式と両家であった。それを一箇所で行なうのが、合同結婚式・披露宴だ。今ではそれが普通なのだが、当時は家同士の絆をむすぶものでもあった。

俺たちは合同披露宴を行なったが、初めてのころであり、我が家では3日間の宴が続いた。村の若い男性や女性、さらにはじいさん・ばあさんも招待しての3日間であった。だから、新婚旅行に出たのは、妻が来てから3日目のことだった・・・

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あれから・・・○年・・・俺たちはジジになりババになった。歳月の早さを感じている。日々がもう特急のような早さで過ぎている・・・

3月26日、忘れられない日である。また、この日は母の誕生でもあるし、また、もうひとつ忘れられない日になるだろう・・・

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俺は、先日に「まさか」とう記事を書いた・・・横綱稀勢の里のことだった。あの日、ついに黒星になってしかもけがをしたようだった。だけど頑張ってほしいと願ったら、出場するという。そして、きょうは優勝決定戦に持ち込んで・・・「まさか」の勝利、「まさか」の優勝である。

一時遠ざかった夢、無残に砕けたようで、あの敗戦で何か抜けるような気持ちでいた。

他の力士だったら、けがをした時点で休場となっただろう。だが、稀勢の里は違った。痛いと一言も口にせず、黙々と土俵に上がる姿は痛々しくもあった。だが、相撲ファンでなくとも、きょうの結果は驚いたと思う。そして、並の力士でないことを強烈に印象付けた・・・

正しく執念の優勝、諦めなかった勝利への執着心が為させたものだろう、これもまた彼の人柄であり、今回のことは永遠に語り継がれるだろうし、記録のなかにその名を轟かせたことになるだろう。

俺の頭の中の「3月26日」にも、新しいことが刻印された・・・

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同期会がありまして・・・

3月も下旬、彼岸も過ぎたから季節は「春」のはずである。ところが今朝もうっすらと白い。路上は凍っている部分もある。春なのに、春のはずであるが、この寒さ、雪の光景は本当に春なんだろうか・・・

朝食を摂って日が差すのかと思ったが、それは一瞬であり、ふたたび雨になってすっきりしない空模様だ。きょうで3日目、春らしいsunがほしい!

こんな天気だから外での作業は気が進まない。よって28日の新幹線のチケットを予約する為に駅に、けれどそこはあくまでも取次ぎのようだ。27日にはまたそこに行かなければならない。

田舎にいれば、何もかにも不便で仕方ない。特に県境あたりに住んでいれば、新幹線に乗るのも、飛行機に乗るにしても、そこまで行く時間が遠い。いづれも凡そ1時間はかかる・・・

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午後からは、小学校の同期会。市内の金浦の「虎丸」という料理屋で、◎◎会以来の10年ぶりの同期会。でも、その時に参加しなかった人とは、もう◎0年ぶりともなる再会になった。だから俺も代わったが、特に女性の名前は出て来ない・・・sign02

それでも一献傾けあえばすぐに打ち解ける。それが同期生・同級生というものだろう。当然、幼かった当時のことが話しに出る。今では考えられないだろうが、俺たちの小学校時代にはテイッシュなどなかった。

洟が出れば新聞紙でふいたりしたものだ、だからその後は鼻が黒くなったり、また、袖で洟を拭いたから、袖はすっかりと白くなったりしたものだ。そんな時代の少年期、人様のいうことなど聴く事もなく、ただただ夢中になって遊んだものだ。今では考えられないことだろう。

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我が家の縁側では、未だにマンリョウ・センリョウが赤い実をつけている。本来なら外において、鳥などから食べられるという幸もあるんだろうが、こうして家の中におけばそれなりに見応えもある。

ただ・・・

俺たちの同期会のメンバーはそろそろ引退の時期にさしかかっている。赤い実をいつまでも保持できる年齢ではない。だったらいっそうの事、赤い実だったら鳥に食べられると言う幸いもあるのだろう。だったら戸外に出すべきなんだろうが、この寒さを考えればそれは可哀想でもある。

同期生とは今後いつ会えるのか分からない。だからこそ懇親を深めた。約90名の同期生、きょうの参加者はそのうちの25名だ。俺の締めの挨拶でお開きになったが、楽しいひとときであった。残念なことは、俺の初恋の人が見えなかったことだ・・・weep

ほとんど話など交わしたこともなかったし、第一とても頭が良かったから話しかけることもためらわれたこともある。今はどこで暮らしているんだろうか・・・どんな家族といっしょになっているんだろうか・・・幼い日のことが脳裏を駆け巡るvirgo

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「まさか・・・」

人生には坂ながらも「まさか」という坂があると言う・・・

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起床すると・・・外は白い。もう”春”と安心していたのに、そう言えばここ2~3日寒かったし、雪もチラホラ舞っていた。しかし、今朝はうっすらだが白い景色・・・「まさか」こんな冬のような光景になってるなんて・・・

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まだ3月じゃないか、こんなことも良くあることだと思っても、正直なところもうたくさんだ。折角、草木が芽吹き始め、花も咲き出しているのに、きっと身をすくめているだろう・・・

早朝に電話があったようだ。携帯に着信履歴があった。埼玉にいる叔父さんからだ。同時にmailtoも入っているようだ。開いてみると奥さんが亡くなったという。驚いて電話すると、午前1時半過ぎのようだった。

10日ほど前に、入院したとの連絡があった。一人では生活出来ない状態だったらしい。何でも難病だとの診察を受け、その後転院したとも連絡があった。しかし、「まさか」入院早々に亡くなるなんて・・・

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叔母さんが我が家が祭典の当番だったときに、遊びに来て親族写真に納まっている。あれから20年・・・あのあとに叔母さんは色んな意味で変わったようだ。従って、叔父さんもまた可哀想なほどの生活を送っていた・・・

叔父さんは俺の父の弟、叔母さんは俺の母の妹・・・

通夜は28日に、また葬儀は29日に決まったようだ。だから、これに合わせて俺は埼玉に行く。おりしも近くに住んでいる俺の従兄弟(俺の父の弟の子)も、昨夏に父を亡くし叔父さんから葬儀に来てもらったとのことで、俺と一緒に行くと言う。

だから、28日は従兄弟といっしょに新幹線「こまち」に乗って弔いに行く・・・

小屋でslateを聞きながら作業をしていると、国会中継から相撲中継に変わった。しばらくそうしていると、新横綱稀勢の里の登場となった。相手は日馬富士。対戦成績では稀勢の里は分が悪い。

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結果・・・押し倒されて初黒星。新横綱としてのプレッシャーを感じさせる事なく、昨日まで連戦連勝、このまま突っ走って全勝優勝との噂も出ていただけに、「まさか」敗戦とは・・・。しかもけがをしたようで、明日は出場できるのか、気掛かりである。

しばらくぶりのでの日本人の横綱、ここに来て「まさか」のいっぱい。多くの日本人もまた、きょうの黒星に愕然としたことだろう。何とかあした出場できる体であってほしい。そして、ハンディ負いながらも「まさか」の勝利を勝ち取ってほしいものだ。(相撲はNHKニュースから)

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月+凸・・・何と読む?

人間とは楽しいことを考えるものだ・・・新聞を読んでいると、こんな記事が載っていた・・・

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「手」をふたつ並べて「デート」、部首の肉・月と「凸」を組み合わせて「メタボ」、門構えに「帰」を合わせて「ただいま!」・・・いつだったか、こんな遊びをtv”笑点”でやっていたことを記憶している。

日本の漢字には「意味がある」と言う、そのように聞いて納得したこともあった。今回の上述した漢字は、勿論辞書にはない文字だ。つまり、これらは”創作漢字”なのだ。その創作漢字が、京都の祇園「漢検 漢字博物館・図書館」で、来館者から考案してもらった約300字を展示していると言う。

とっても面白い企画だと思う。頭の体操にはなるような気がする。だが、俺などには簡単には思いつかない。昨今は、pcなどの普及から難しい漢字も出る。例えば「沢」が「澤」、「斉藤」が「齋藤」などだ。

中国では漢字の簡略化が進んでいるのに、日本では旧漢字が台頭していて、漢字がどんどん難しくなっている。pcの普及がなければこうにはならないのだろうが、一応読めても書けない漢字が多くなって来た・・・

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さて、過日、天気も安定して来たと書いた。ところが積もることはないのだが、昨日もきょうも小雪がちょっぴり舞ったり、雨になったり、風が出てきたと思えば雷が鳴ったり・・・さらには寒くてさむくて・・・

午前中はサツキの鉢置き台を作ったり、また、再度ベランダに塗装したり・・・外にいるときはマスクを当てている。幸い、まだ症状はたまにクシャミ、たまに鼻水程度なのだが、俺は花粉症もちなのだshock

午後からは市内の社会福祉法人の評議員会だ。頼まれるとついつい引き受けてしまう。そろそろそのような頼まれ事も、セーブしなければと思ってはいるのだが・・・区切りをつけないと楽しい人生送れないと。任期は4年である。

そうか・・・「人」に「願」と書いて、断れないと読んでもらおうかm9(^Д^)プギャーdelicious

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”赤い靴”

息子の嫁さんから・・・「きょうお外デビューしました・・・」とmailtoがあった。孫が初めて靴をはいて、散歩したとのことだったshoe

孫は先月に初誕生日を向え、その前から歩いていたのでもうすっかり上手になっている。俺たちは、日曜日の午後から息子のマンションに行き、そしてデパートに出かけた。孫に「初めての靴」をプレゼントするためであった・・・

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足は12cmほどだ。それでも足を測ってもらってから選んだ。上の孫はおしゃまで「あれがいい」「これが似合う」等々まるで自分の靴を選ぶような感じである。そして、選んだのが「赤い靴」であった・・・

ついでに上の孫は来月誕生日だ。その孫にも一足早く、誕生日プレゼントとして靴を買ってやった。よろこんだのは言うまでもない。来月から幼稚園に入るので、この靴をはいていくんだと張り切ってsmile

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帰ってから、居間で早速はきこんだ。孫にとっては初めての靴である。それをはいて歩いた・・

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ただやはり初めてはく靴だ。どことなく気になるらしく、下を向き向きして歩いたshoeそれでも、何度か歩いているうちに慣れて来て、どんどんと歩く・・・

俺にもすっかり慣れた、時折「抱っこ」してと来る。こんなジィジにも手を伸ばしてくるとは、多少のおべっかいか?なんてことはないだろう。素直に喜んだ俺であった。

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きょうはこの赤い靴をはいて外に出たようだ。車に乗せようとすると、拒否されたとか。歩き始めのナナちゃん、今後は毎日でも外に行こうとお母さんにせがむ事だろう・・・

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春呼ぶラテス

ようやく春も安定してきたようだsun俺はとっくに夏タイヤに交換しているが、きょうもタイヤ交換している人もいて、もう雪はないだろうと思う。

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東京ではきょう「桜が開花」したとか。全国に先駆けての開花のようである。我が家の庭にも、春を告げる花が開いている。もう福寿草は満開だ。クロッカスは終っているのも見える。キバナセツブンソウも満開だ。これは園芸種なのだが、昨年はいっぱいだったのに、今年は3花のみだ。

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先週から、時間を作ってはラテスに「パンジー」と「ビオラ」を植えていて、一先ずは終った。早春の花と言えば先ずは代表格の花だろう・・・他には、「デイジー」「ノースポール」。

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丁度、田んぼの方の作業も重なって来たので、まだまだ植えたいのであるが、また時間を見計らって植えることにした。こうして3月・4月の俺の小遣いは花の苗代に消えてゆくのだ。

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浸種

昨朝は電車に乗る為に5時過ぎに起床、今朝もまた5時過ぎには目が覚めた。覚めたというよりは、横腹が痛んでもう寝てはいられなかったのだ。なぜ・・・??起床して見上げた空には、半月があったmoon2

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起床して、妻から湿布を貼ってもらった。痛みがでたことに思い当たることがあった。土曜日の午後から、注文していた肥料をJAに取りに行ったのだ。そして、それを家の前に積み上げた。それで痛んだのだろう・・・

一昨日の仕事が、今朝に痛みがでるとは・・・やはり年なのか、1日置いてからの痛みとは、情けない話である。肥料は昨秋に注文していた。要望しないとJAで配達してくれる。だが、引き取りに行けば割引のサービスがあるのだ。俺は元肥・追肥など約70袋注文している。

だからこの数量を、自らが引き取りに行けば約8千円安くなる。それに保管しなくてもいいから、俺は自己取引を希望しているのだ。

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そしてきょうは、「種籾の浸種」を行なった。かつては塩水に種籾を浸けて比重を計った。後、種籾の消毒をし、さらに水に浸種したのだったが、現在は比重もみなくてもいいし、また、消毒も薬剤を使わない、温湯消毒されているので、すぐに水に浸種できる。

俺は5kg入りのものを27袋浸した。ただ、集落の某氏から25aの耕作を頼まれたから、その分、種籾を確保しなければならない。

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例年、この作業は「春分の日」に行なって来たが、今年も例年通りの作業だ。

浸種後、彼岸の中日なのできょうは「小豆だんご」、これを墓参りに持参し、先祖の供養を行なった。ただし、現在では墓に供え物は持ち帰らなければならない。不衛生になるからで、我が家でも拝んでから持ち帰った次第。

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尚、このだんごを茹でた湯、これで俺は例年手を洗う。この湯で手を洗うと蛇に齧られたりしないという謂れが残っているからである。

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リゾート”しらかみ”に乗る

仲間5人で、秋田から青森の日本海側を走る、「リゾート しらかみ」に乗った。ブルーの日本海と空。そのコントラスト、絶壁、山と海の間を走る”五能線”・・・それはそれは快適な旅であったことは言うまでもない。

現在、この区間を走っている「リゾートしらかみ」の車種は3つある。「青池」「くまげら」「ぶな」だ。俺たちが乗ったのはその中の「くまげら」、全席が指定席になっている。

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秋田駅から乗車・・・dash

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この五能線に添って、3年ほど前に俺は妻と1泊のドライブしたコースと、ほぼ平行して走る。若い頃はこの線もSLが走っていたので、それをおっかけで走ったこともあった。海岸線は能代を越えてから、それまでの砂地から岩礁の海岸線になって、風景が一転する。

絶景と言われる地点で、電車は最徐行してのサービス。背景の白神山が残雪を抱き、光っていた・・・

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俺たちは、Wespa椿山で下車し、不老不死温泉。そこで入浴やランチをして、再び電車に。次に下車したのは深浦。資料館などに足を運んだ。

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仲間との旅は楽しいものだ。きょうは先ずは電車に乗ることが主目的だったが、これから農作業も多忙になる。その前の俺にとっては、いのちの洗濯のようなものだった。

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一歩のいっぽ

春の光りの眩しい中に、認定子ども園の卒園式が行なわれた。きょう卒園する子ども達は30人、賑やかななかにもさわやかで明るい卒園式だった・・・

自分の名前を言って園長先生の前に・・・

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初めてのことだ、皆緊張している様子もある。頂いた卒園証書を掲げて、お父さんお母さんにもポーズをしている。周りから大きな拍手が、一人ひとりに起きる・・・・

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園長先生・・・きょうが子ども達にとっては、長い人生の一歩の一歩だ。暖かく見守っていきましょう・・・と挨拶。

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みんな頑張ったね~みんな立派な卒園者だった。この子供たちが来月には、小学校生になる。ランドセルを背負う子ども達を想像した・・・さあ、次の一歩に向ってがんばれ!

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2/3は春だろうが・・・

暑さ寒さも彼岸まで・・・とは良く言う言葉である。確かに「彼岸」は季節の分かれ目と感じてきた。春彼岸は、冬から春への分かれ目であり、秋彼岸は、秋から冬への分かれ目、確かにそうなのだと思う。しかし、自然はきっちりとは線をひくことは出来ない。

きょうから「彼岸入り」だからと言って、総てがそのように傾斜できない事と同じように、徐々に「らしく」なっていくのが自然なのだと思う。だから、きょうも大方は春の方向には向きを変えていても、時々雪もある。言わば、春はまだ2/3と言ったところだろう・・・

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それでも、設置されていた「防雪柵」は、格納された。冬を象徴していた施設、それが取り除かれたのは、もう春が2/3になっているからこそと言う事か。

道端には、蕗の薹が顔を見せている・・・

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きょうは居間から続いているベランダに塗装も行なった。2年ぶりの塗装、これをすると木材も腐敗はしない。あいにくきょうは塗った後に雨や霙、雪が降った。しかし、それでも油性の塗料だけに水をはじいている。

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足場を確保するために、手前はあとで塗ることにしたが、作業が終れば気持ちはいいものだ。出来ればもう少しあとで降ってくれたらよかったのだが、そうもいかないのが前述のような自然だ、春が2/3になっているが、残りの1/3はまだ冬も残っている。

そうは言ってもきょうは「彼岸の入り」だ。我が家ではきょうから、彼岸の終わりまで連日団子を作って、仏壇に供え、また、墓にも毎日詣でることになる。それを妻はきちんと守ってくれる。このように季節の節目は、目に見えるような形で我が家は動いている。

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黄な粉の団子、いかにも春を告げるような色合いではないだろうか・・・

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金のなる木が「金」を?

白鳥はもう帰ったらしい・・・周りの田んぼにも白鳥の姿はない。妻は、4~5日前の早朝に、白鳥の声を聞いたという。その声がまぎれもなく、帰って行く声だったのだdash見送りたかったが仕方ない。白鳥は日本海を渡って行く、先ずは無事な飛行を祈りたい・・・

明日は彼岸の入りだ、雪国秋田も急速に春に向かっている。俺は囲っていた鉢物を外に出した。まだ寒い日もあるだろうが、寒さにも慣れてもらうしかない。ただ、この時期は乾燥が激しい。折角の花芽、葉芽を傷めてしまうことがある。よって日に何度か霧吹きで湿らせるか、枝を濡らす散水をしてやらねばならない。

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ところが夕刻には霰が舞った・・・一時、鉢はうっすらと雪を抱いた。今の時期だから、こんなことはよくあるパターンだ。それにしても、きょうはめまぐるしく天気が変わった。日が照ったと思えば、雲ってきて小雨になったり、そして夕方には霰・・・まだ春は安定していない。

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まだまだ快適な日々とは言えない。それでも「暑さ寒さも彼岸まで」である。その彼岸の入りのあした、予報だと曇りながらも日の射すらしい。

居間の暖房も朝のみになった。その暖かさがほぼ1日残る。断熱サッシの窓、断熱床・壁・天井・・・その効果が大きいようだ。その居間に小さな花を咲かせているのは・・・「金のなる木」。

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懐が寒いときは、この花をみればどことなく、懐が膨らむような思いになる。幸せ効果が、効いてくるような気になるのだhappy01だから縁起のいい花、ということになる。

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この「金のなる木」、本来はカゲツ(花月)と言う。古来、遊び心で新芽に5円玉を挟んだ。するといかにも金がなっているように見えることから、金のなる木と呼んだようで、縁起のいい植物になっている。(上の写真はネットから)

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この花、果たして我が家に金をもたらしてくれるのか、それともどうなのか・・・否、そんなことどうでもいい。健康が何よりも大事であって、お金などは暮らせるだけのものがあればいい。あの世にも持ってはいけないのだから、暮しに困らない程度でいい。

それにしても、中には9億円の価値ある土地を、8億円まけてもらった人もいる。そんなことをして学校を建てても、うまく経営が出来るのか。そうではないだろう。難儀もせずに、額に汗することなく大金を得ても、世の中はそんなに甘いものではないと思うのだが・・・

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男(俺)の買い物?

新聞を広げた・・・投稿した俺の短歌が掲載されている。こんなことが出来るのは、まだ農作業が本格的でないからだ。農繁期に入れば、このように悠長には構えていられない。今週もまた投稿しようかなと思っている。

子どもらの神楽太鼓の響くなか鱈五十一匹奉納さるる

今朝の味噌汁はうまい!happy01何といっても春の”旬”が入っている。これまでも何度か、このように春入りの味噌汁を飲んではいたものの、特段においしさを感じるのは、短歌が掲載されたこともあるのだとは思うが、昨夜の酒のせいもあるだろう・・・?

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「春の味」、それは”アオサ”。海が近くにある故、海の旬は結構はやく味わえる。やはり食の豊かさのひとつは海と言うことか?幸せなまちであると実感した。

さて、いい訳にはなるのだが、昨日は夕刻に元の同僚で作っている「◎◎OB会」の役員会であった。久しぶりの元同僚たち・・・従って、bottleが美味かった・・・美味かったから、さらには話も弾むから、酒も進んだ・・・

”逆流性・・・”以後、家での酒はほとんどやっていなかった。しかし、元の同僚ともなると自制も効かない。ただ・・・

ある短歌賞の応募の締切りが昨日だった。でも、日中は会議もありそれが長引いたので、帰宅したら午後4時。だから、作歌の時間もなかった。だったら夜に作歌し、pcからメールで送ればと考えて、OB役員会に臨んだ・・・

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ところが浅はかな考えであった。確かに、いつもよりは控えた酒であった。帰宅も午後8時半、だから作歌ができる時間もあった。でも安易だった。作歌しようという思いが希薄で、頭が回転しない。

想像力も湧いて来ない、意欲が出ない・・・

やはり酒の力が、意欲を削いだとしか言いようもなく、諦めた・・・まあ、時間ぎりぎりに作ったって良い短歌等作れない、だったっらヤメヨウ・・・あっさりと諦めた。

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居間には昨日届いたらしい荷物があった、あれっ?何注文したっけ?通販に注文していたものが届いたのだった。あけると”革専用クリーナー”、注文してあったんだよナ~、まさか、認知症ではないだろうナ~、男(俺)の買い物等こんなものだろう。

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小さな小学校の卒業式

山間の小さな小学校で卒業式が行なわれた・・・

ここは2年前に俺の母校の小学校を吸収して、新しく◎◎小学校になった。全校児童で160名ほどの小さな学校である。

わがまちには小学校は6校あるのだが、来年はまた統廃合があり、4校になることが決まっている。きょうの卒業生は、あの東日本大震災のときに入学したことになる。あれから6年・・・

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卒業生は30人。中学生の制服も学生服・セーラー服がとてもお似合いだし、どこかしら大人びて見えてくる。凛々しくもある。

小さい学校ゆえ、卒業証書授与前に壇上で、ひとりづつ思い出や将来の夢を語った。皆立派であったと思う。夢の中にはサッカー選手になりたい、看護師になりたい・・・そんな中で努力し常に挑戦する人間でありたいと述べた子もいて、俺は驚いた。

俺の小学校卒業はどうだっただろう。無邪気な俺だったから、考えると恐ろしい気がする。だから、とっても自信がないから、思い出すまい!

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校長先生の式辞がとても良かった。卒業生の目標は「ぜんしん」だったという。なぜ?平がなだったのか、それを校長先生は説かれた。ぜんしん=「全身」であり、「前進」であり、「善心」だったとか。更には中学校では、少しは夢の第一歩に近づくのだから、また新たな目標に向って「漸進」してほしい・・・

そのことを昨年のリオ五輪のメダリストのインタビューを交えて話されたのだ。メダリストは、先ずはコーチや国民、家族に感謝した、また、直ぐに次の目標を持っていた。皆さんもきょうの卒業の意味を考えて、感謝する生徒になってほしい、目標を立て達成したら次の目標を・・・。

俺はとっても感動して聞いた。このように卒業式にお招き頂いて、本当に有難いと思っている。

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お別れに卒業生全員が前に出て、「街は光りの中に」歌った。中には涙ぐむ子もいて、学校は小さくとも感動の大きい最高の卒業式であった。30人は、卒業証書を抱いて式場を後にした・・・

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今後も「ぜんしん」だよ・・・

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紅梅が咲きました・・・

小屋の中で冬越しをしていた紅梅が咲いている。まだ、地植えの梅は咲いていないから、やはり室内に置いていたから、早い開花なのだろう・・・その鉢を表に出した。

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この紅梅は5~6年前、とても鉢替えなどは出来ないからと言うので、俺に上げるとのことで叔母さんから頂いた紅梅だ。品種等は従って分からない・・・でも、品種などはさておいても、このような花を目にすると、やはり「春が来たんだナ・・・」と実感する。

このあとは日増しに花も咲くだろう・・・しかし、この季節乾燥には要注意だ。だから、木の芽起こしの雨ならぬ、適当に枝に霧を吹いたりしなければならない。

会議から帰宅して、今年初めて田んぼに行ったdash雪解けの水が、低いところに滞留している。また、昨秋にコンバインの轍、それにも水が残っている。この後の乾燥で水はなくなるだろうが、少しでも早く水を抜きたい。それで、残っている倍土機の溝を鍬で、明渠にしてやる。

更には暗渠の排水溝を点検した。どうやら詰まってはいないようだ。かつてはその暗渠の普請をするのが、3月の恒例の行事であった。しかし、今はそれもない。こんなに下がっている米価だから、”やる気”が薄れているのだ。

しかし、3月は前半に荒れ模様だったから、4月は反動で天気も良い日が続くだろう。それまで少しづつ、手を加えて田面を乾燥させるように足を運ばねばならない。

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午後5時15分、西空が夕焼け色を見せている。昨夕見えなかった、その夕日をきょうこそは見ようと田んぼから真っ直ぐに、金浦港に出かけた。田んぼからは金浦港まではほぼ2km。そして、いつものところに着いた・・・のだが。

海上に湧いている雲に夕日が遮られて、ほんの一部しか見えない。昨夕といい、今夕といい、ツイテイナイ。それでも雲には夕日が反照していたので、カメラを向けて・・・撮った。

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わがまちでは朝焼けの太陽を見ることはあまりなく、もっぱら夕焼けだ。俺は子どもを連れて、よくこの金浦港に行き、夕日を見た、そして言ったものだ・・・・「ホラ・・・静かに夕日を見ていろ!海に夕日が入るとき、ジューンと音がするから・・・」と。まるで火の玉のように見ていたから・・・( ^ω^)おっおっおっ

日本海側では、海に沈む夕日を送って一日を終る。

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玄関の靴だなには、長女が高校生の時に書いた色紙を飾っている。紅梅も咲き出し、俺も田んぼに初出勤、「春」である・・・

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秋田にも春?

一昨日、クロスロードのタイヤ交換した・・・そしたら、昨日は雪!それも10cmはある。予報は「sun」だったんでは!しかしその雪も間もなく融けた。だから卒業式もそれで行ってもよかったのだが、まだ冬タイヤを装着している軽トラで出かけた俺だった。

帰宅する頃はsun、そしてきょうは良い天気!先ずは雛人形を納屋に運び、そののちラテスなどに塗料を塗った。花を飾るための準備として・・・俺には待望の春!農作業が忙しくないこの時期が一番良い!

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また鉢棚にもクレオソートなど塗った。簡単には腐らないようにするためだ。

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昨日の雪もすっかりない。どうやら急激に春が来たような感じ。ただ、明日は晴れるようだが、明後日の予報には「snow」もついている。でも・・・そんなことがあっても運転できるように、軽トラのタイヤ交換はもう少し先の予定だ。

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この晴天ゆえ、夕刻の鳥海山は赤味を帯びていた。急いでカメラを構えてみた。それから夕日を見たくって金浦港に軽トラを走らせたが、水平線の上には雲があって、夕日を見ることは出来なかった。

玄関の靴棚の上にはミズキが飾っていた。妻が枝を切って浴室に置いていたものだ。だから一足先にその花が開いた・・・

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ところで関東方面では、河津桜等様々な桜が開花しているようだcherryblossom染井吉野もそろそろではないだろうか。昨日の気象会社が今春の桜の開花予想を発表したが、西・東日本では、「平年並みかやや遅い」という。北日本では「平年並みかやや早い」との予報だ。

ちなみに秋田では「4月16日の開花予想」だ。秋田市でこうであれば、わが”にかほ市”は4月13日頃になるだろう・・・

雪国・秋田にも、どうやら春が駆け足でやってきたようだ・・・

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涙・・・祈りと悲しみ・出発と歓喜

朝からあの日の祈りが始まった・・・あれから6年、あの一瞬が多くの方々の人生を変えた。たくさんの夢ある人々の命が消えた。肉親の命も同級生のいのちも瞬く災害で消えてしまった。残された方々は強制的にふるさとを追われ、クラス内では虐めがあったり、更にはいまなお、原発から避難されている人も多い。

ニュースを見ていたら・・・「何で、あの日だけは海が・・・」と泣き崩れた老婆がいた。伴侶が流されたのか、子や孫が流されたのか、いづれあの日が未だに大きな傷として、脳裏に刻まれているのだろう・・・

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未曾有の大惨事になった「東日本大震災」、未だに不明の方も多い。この震災をさらに大きくしたのは原発だ。重機や資材を投入すれば解決できるようなものでないだけに、災害を悲惨なものにしている。

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先日の報道だと、この震災の語り部が忘れてはならないとして、ようやく語り始めたと言う。幾つかの建物は震災遺構として残るとも聞く。その建物に辛い気持ちでいる人も多いだろう。見るたびに苦しくなるという人もいるようだ。でも、この悲惨な災害を後世に伝えねば、また不幸な事になりかねない、奪われたいのちを無駄にはされない、その思いから建物を残すことに同意した人もいるようだ。

願わくば、不明の方が一日も早く救助されること、原発の稼動を停止しエネルギーは自然再生エネルギーに舵を切ること、このふたつの願いが先ずは達成されることを願うのみである。

      bud     bud     bud

きょうは10時から、母校である中学校の卒業式にお招き頂いた・・・きょうの卒業生は約120名。1クラス30人未満。俺たち団塊の世代では、1クラス48人、それが8クラスもあった。だから、俺たちの時代からは1/3ということになる。

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卒業証書授与式は、館内に設置しているスクリーンにも写しだされた。それは卒業生を正面から捉えたものだった。どうやら校長先生が、一人ひとりに話しかけているようだった。生徒がにっこりした顔がとっても清々しかった・・・

俺はこの学校を◎◎年に卒業した。実は、卒業式の前々日あたりに高校入試があった。俺たちの試験は9科目、2日間行なわれた。ところで初日、帰宅したら祖母が亡くなった。親戚などが集まるし、2日目の試験はどうだったのか。そんなことで卒業式も練習にでなかったから、いったいどんな有様で臨んであったのか・・・・

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卒業式では証書の授与もいいのであるが、祝辞などもまた感動する。校長先生の話や在校生の送辞、卒業生の答辞、どれもがきょうもこころに沁みた。ここの校長先生の祝辞は、本当に良い。

きょうも万葉集からの一首を読みながら、祝辞に入る。「石ばしる垂水の上のさわらびの・・・」ほれぼれするような祝辞であった。俺は小学校のPTAを6年間やったのだが、俺の趣味の短歌を挨拶の最後にいつも入れた。卒業する子ども達への贐としてのものだった。

授与式の終わりには、卒業生の「大地讃歌」、「旅立ちの日に」・・・

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良い卒業式だった、卒業生にエールを、そして次のステップに向って頑張れと激励したい。

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原発に追われた子ども達

NHKスペシャル「15歳、故郷への旅」が今夜放映された・・・

現在15歳と言えば当時は9歳、小学校4年生か。その子ども達は原発から追われて、故郷を離れた。東日本大震災での原発事故。追われるように故郷を離れなければならなかった。

安全の面から、避難指示区域への立入りは制限されている。我が家であろうと入れない。ただし、一時帰宅は認められている。それも年齢制限があって、許可が出るのは15歳からのようだ。

きょうは15歳になった当時の4年生が、親と共に故郷に向う姿を追っていた・・・

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学校やなじみの公園、保育所、そして自宅に向った15歳の子ども達・・・

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その子ども達のコメントが痛々しかった・・・「この思いはずーっと引きずっていくんだろう」「もう宿命なんで受け入れるしかない」、笑顔で語る子ども達がむしろ胸に突き刺さって来た。

見るも無残な自宅・・・

そこでみつけた、笑顔いっぱいの家族写真。春になれば着るはずだったセーラー服。ピアニストになることを夢見て、懸命に練習したピアノ。

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いたたまれない気持ちになった俺だが、現実に向き合っている子ども達の姿の責任は大人達が作ったものだ。夢の電力と喧伝され、大人たちは原発を作った。当時は、誰もが素晴らしい、夢の電力と信じて疑わなかった・・・

俺も青年会当時、研修視察に東海村まで行ったことがある。その抱いた夢が、とてつもなく子ども達に大きな負担をかけたことになった。震災は自然災害とも言えるが、原発事故は人為的な災害だ。

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夢を見る盛りの15歳、その15歳の胸に重い思い出を残してしまった大人の責任・・・俺も改めて原発の怖さを認識したし、原発のあり方ではみんなで考えなければならない問題だろう。

     <写真はNHKスペシャル ”15歳故郷への旅”より>

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妻は”洗濯魔”

洗濯魔”、俺は妻をそう呼ぶ(内緒です)1日一回は勿論するのだが、俺などは非力故結構作業着は汚してしまう。こうなれば日に二度三度のこともある。さらには、まだ1時間ほどしか着ていないからと言っても、さっさと洗濯だ。

妻は洗濯機ほど有難いものはないと言う。それは若いときからそうであった。子どもが生まれると夏冬、ともに午前4時には起床し、オムツを洗った。その頃は紙オムツなどは、なかった時代であった。

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共に勤めをしていたのだが、日中は両親に子どもの世話を頼んでも、また、どんなに多忙であっても、子どものオムツだけは自分で洗った。そして、午前5時過ぎの電車に乗って勤めに出かけた。しかも3人の子どものオムツを同様に洗った。

車を購入してからは、いささか余裕も出来たのだが、それでもオムツは誰にも頼まない妻だった。更には俺のものもまめに洗濯してくれた・・・

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現在は蛇口をひねれば、お湯が出るから楽にはなっただろうが、その頃はほとんどが水。その後瞬間湯沸かし器が流行ったものだが、それまでは手袋での洗濯。今のようなお湯での洗濯等想像も出来なかっただろう・・・

4年前のリフォームでは、脱衣所を広くした。そこには洗濯機も、また、汚れ物を洗う場所を設け、更には洗濯物を冬や雨天の場合は干せるようにもした。妻にとっては、当時と比較すれならば、夢のような世界ではないだろうか・・・

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それにしても洗濯好きな妻である。例えば2~3時間着たものであっても、朝には洗濯機の中でグルグル廻っている。夜に「まだ洗わなくてもいいから」と念を押さない限りは、大方は洗濯機の中。きれい好きと言うのだろうか。潔癖感が強いと言えば良いのか。

しかし、そうであるから俺もいつもきれいな物を着用出来るし、気持ちよく日々を過ごせている。

だから本当は有難い洗濯魔なのである。感謝しても感謝のしきれない、我が家の洗濯魔なのである。

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「さよなら きりたんぽ」考

3月にしてこの雪である。起床して外を見たら真っ白だ。かれこれ10cmはあるだろうか。今季は、”冬”は入るのが遅れたようで、その分後半に冬が引きずっているような感じだ。この分では、彼岸まではタイヤ交換も無理だろう・・・

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路面等は日中には融けたものの、家の周辺にはまだ今朝の雪が残っている。もうすっかり冬に戻った感じのわが郷である。

夕食時に、NHKのローカルニュース「ニュースこまち」を見ていたら、テレビドラマの”タイトルの変更”について報道され、一部の方々のインタビューも交えての内容が放映された・・・

何だと見ていると、4月から民間放送で予定されているテレビドラマ、このドラマのタイトルが秋田県のきりたんぽに悪い印象を与える、従ってタイトルの変更を求めるとのことだった。そのタイトルが「さようなら きりたんぽ」だという。

どうやら俺には全く関係のないドラマではあるが、モチーフにしているのがあの猟奇な事件「阿部定」のようだ。主人公はダメ男に鉄槌を加えていくストーリーだとのこと。しかし、きりたんぽがさも男のものを連想させるとのことで、つまりは秋田県の名物が悪い印象をうけるので、ドラマ名の変更を求める内容が報じられたのだ。

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そこでテレビ放映の会社では、秋田県民に不愉快な思いを与えた事を謝罪し、タイトルを変更することになったらしい。このことでは、ネットに色んな意見が出ている。中には秋田県民は了見が狭い、むしろさらにキリタンポが有名になっていくのではという意見さえある。

タイトルの「きりたんぽ」は一体何を意味するのだろう。やはりモチーフを聞けばそれから連想されるのは・・・・・ストーリーの紹介、或いはモチーフ等のことが分からないと、何でだめなのともなるのだが、内容を知れば、やはりなんで「きりたんぽ」となるのは当然か。

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何人も表現の自由は保障される。しかし、テレビは主として家庭向けに作られており、今回のタイトルはやはり如何なものか、俺もそう思う。了見の狭さよりも制作の意図、タイトルの設定が問われるのではないだろうか。

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もしも”電気”がなくなったら?

朝から寒い1日となった・・・それが、夕方には時折吹雪いて、しかも路面はうっすらと白くなった。3月と言うのに、我が家では福寿草が芽をだしたばかりというのに・・・これでは、冬に逆戻りしたような感じだ・・・・

かねてから観たいという映画の1本にmovie「サバイバルファミリー」があった。本は作家で読むのと同じように、映画は監督で観るのが俺である。この”サバイバル・・・”は、かつて「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」、また「ハッピーフライト」「ロボジー」「神去なあなあ日常」などを監督した矢口史靖氏だ。

今回の”サバイバル・・・”は、ある日・・・地球から電気が消滅したらがテーマ、しかし、それだけではなく、つまりは家族の再生の物語であった。

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もしも電気がなくなったら・・・等とは誰もが思ったりはする。しかし、現実にはそんなことはないだろう、そんなことになるはずがない、大方はそのように思うだろうし、俺自身もそんなことは起きない・・・正直、そのように思っている。

しかし、映画を観ていると決してありえないことでもないなと思えてきた。そして、そのようになったらどうするか、どのようにして家族を守れるか、考えても俺にはその生き方がなかなか分からない。

電気が止まったら・・・(この映画では電気や電池、バッテリーなど電気関係はすべてダメなことを元にしている)

ご飯を炊けない、冷蔵庫はダメだしテレビもラジオも・・・電車や自動車、バスだって止まる。風呂にも入れないし、暖房も取れない。

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物語の主人公は東京に住んでいる平凡な一家・鈴木家だ。そんな鈴木家を襲ったのが「停電」だった。それもただの停電と思ったのだが、次の日もまた次の日も・・・単なる停電ではない、しかし、その情報すら確認できない。

電気が止まる・・・誰もそんなことを想像もしていない、一家は突然不自由な生活を虐げられた。やがて、一家の大黒柱は「東京を出ることを決断」した。自動車も利用できないから、自転車に乗って・・・

そこから鈴木家のサバイバルが始まる・・・・

この監督はいつものことながら、常にユーモアを入れている、だが、それは哀感ののぞんだユーモアだ。実はそこのあたりが面白いのだ。笑っていても、それが悲しくもなるのである。

これからご覧なる方もおいでだろうから、それからは伏せるのだが、これは現代人が常に考えておかねばならないことなのだろう・・・

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現代においては、電気は欠く事のできないエネルギーのひとつだ。電気がなければ生活は勿論、仕事も出来ない現実がある。だから、安定した電気の供給を受けねばならない。でも、原発ではあのような事故が発生した。

だから、以後は原発に変えた自然再生エネとして、太陽光・風・地熱・水などが考えられ、わがまちにも太陽光パネルが林立し、更には風車も多く出現し、景観保護を危惧する人も多い。そんななかで、隣りの由利本荘市では、日本海の沖合いに、出力最大56万kwの風車が建設されようとしている。

完成すれば、世界有数の洋上での風力発電となる。原発よりはましだと、どんどんと進められようとしている現在、景観や周波数の関連で心配されている自然再生エネ、しかしこれもまた、様々な課題が浮き彫りになってきている。

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”虫”より先に”クマ”が出た・・・

昨日は24節気の「啓蟄」であった・・・秋田市の天徳寺では、この日に合わせて境内の木の幹に巻きつけていたコモを外したとのニュース。害虫をこのコモに呼び寄せて、このコモを焼いて虫を退治するのだ。言わば春になったひとつの行事でもある。

春も確かに接近している、我が家の庭にはスノードロップに続いて、福寿草が芽を出している。ところが、まだまだ虫等は出ていなうのに、啓蟄の前日に「クマの目撃情報」が安全・安心メールに入っていた。

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象潟の関の鳥屋森の運動広場で目撃されたようだ。昨秋はクマの餌ともなるブナの実が極端な不作だったということを聞いていた。それを思うとまだ冬眠期であるのに、空腹で目覚めて里に下りて来たのか・・・Σ(゚д゚lll)アブナッ !

Σ(゚д゚lll)アブナッ !・・・北朝鮮がまたも挑発するようにミサイルを発射した。わが国には幸いにも被害がなかったようだが、本県男鹿沖の350km付近に着水したとのこと。これがもう少しそれていたなら、わがまちに着水したかも知れない。これまた恐ろしい話Σ(゚д゚lll)アブナッ !

まるでガキの悪遊びのように、次々にミサイルを発射する意図は何なのか。指導者の頭はどうなっているのか。しかし、まるで狂気の国には理由等聞かずともいいか。呆れた国である。呆れてものも言う気にならないのだが、世界の平和を乱す行為は断じて許されるものではないだろうΣ(゚д゚lll)アブナッ !

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Σ(゚д゚lll)アブナッ !危ない次の話は浴室での事故である。俺は2月の下旬に、知人の葬儀に出た。俺よりも1歳若い彼であった。癌と闘いようやく癒えて、これからは人生を謳歌するはずだった。詳細は分からないものの、村で法要があり多少呑んであったらしい。帰宅してから入浴・
そのまま溺死したのだ。たまたま奥さんが出張しており、当日は彼は一人だったらしいΣ(゚д゚lll)アブナッ !

Σ(゚д゚lll)アブナッ !その数日後、その隣りの集落では俺より2歳の先輩が、やはり浴室で亡くなった。これまた詳細は分からないのだが、俺の同級生の兄だ。彼は日頃はおとなしいのだが、酒が入ると元気者。いつだったか、ホテルに向う車中で酒が入り、バスの中は大騒ぎになったということを聞いたことがある。酔うと田中角栄の真似も得意であったΣ(゚д゚lll)アブナッ !

Σ(゚д゚lll)アブナッ !浴室での事故は今月に入ってもあった。市の保養施設で、大風呂に沈んでいたとのこと。たて続けての浴室での事故・・・Σ(゚д゚lll)アブナッ !

Σ(゚д゚lll)アブナッ !浴室で亡くなるのは、データーを調べると年間1万5千人が亡くなっているようだ。いわゆるヒートショックによるものが多いのだろうが、特に年配者にとって浴室は危険な場所のようであるΣ(゚д゚lll)アブナッ !俺も気をつけねば・・・・

こんなこともある。例年、わがまちでは一番にロウバイの咲く家があった。昨年、俺はそこの家にで、真黄色に輝くその花を撮らせて頂いた。そこでもう咲いているだろうと、きょう午後に出かけた。そうしたら花は見えない。よく観ると枝枝が切られていたり、花がまったくなかった。この家はもう空き家になっていた( ´;ω;`)ブワッ

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さて我が家のロウバイである。鉢替えをしなければならないのだろう。蕾がさほどついていない。一応、ヨシズで囲ってはいたのだが、寒さにも起因したのか、それでも先日そのヨシズを開けてみたら、黄色の芽が出ていた。

これからはドンドンと蕾を膨らませ、俺の期待に応えてくれるだろう・・・

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孫たちに教えられ・・・

あやすと笑う、とんとんと居間の中を歩く、俺たちを忘れていなかった、人見知りは卒業したようだ・・・先月1歳の誕生会をした孫娘。あれから約3週間・・・

まだ言葉はほとんど出ないが、俺たちに抱っこしても泣かない、随分と成長したなと思う。ニコニコ顔で、俺たちにもかまってくれというようにちょっかいをかけてくるhappy01

短歌では孫の歌は歌うな、そうよく言う。つまり「めんこくて、どうしようもない」というような短歌が多いからである。感情に溺れたような短歌はどうしても好まれない・・・でも、こうして孫を見るとめんこくての気持ちは充分に理解できる。

その孫を連れて、お昼前に息子家族がやって来た。我が家に遊びに来たのは正月以来だ。我が家の「お雛様」をみたいとやって来たのだ。というよりも、淋しがっているジジ・ババに気を使って来たのだろう。息子もまた嫁さんも親の気持ちを察知しているのだ・・・

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記念に写真を撮りたいと息子も俺もカメラを向けるのだが、黙って取らせてはくれない。いくらあやしても、1歳の孫はなおさらで、一寸とも黙っていない、正しく活動派である。でも、子どもはこの位元気があればいい。黙っている子よりもいかにも子どもらしくていい。

さて・・・

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この「大内人形」も一種の雛人形だ(と思う)。山口に行った時だったか、山陰に行ったときだったが、妻に土産として買ってきたものだった。大きなものではないのだが、漆塗りで結構高かった。確か1万円よりupだったと記憶している。

今年は色紙を求めた・・・

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きょうは久しぶりに我が家にも、子どもの声が響いて、ああこんな日が続くならと夢のようなことを思ってしまったweep

上の孫ひいちゃんは来月から幼稚園の1年生だ。きょうも一所懸命に「じじに勉強教えると」塗り絵に色を塗らせられた。そばで「それは違う」とか、「こうやって塗るんだよ」等とさらには指導を加えられて・・・

でも、孫に教えられるのも実は楽しくもあった俺である。

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浅春?

天気のまだ定まらない浅春である・・・sign02

小雨があって、やがて霙になった。そして、小雪になって一時地面がうっすらと白くなった。それでも、再び雨になり、後に薄日も射した。目まぐるしく変わったきょうの天気。更には何度か雷もなって・・・annoy

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午前中はそんな天気でもあり、書斎に閉じこもった。多忙にまぎれて部屋中が煩雑になっているので、書類をファイルにしたり・・・でも、後方からはラジオが気を紛らわしてくれた・・・

午後1時からは集落内の親戚での法要だ。33回忌と27回忌。そこの家は昔風の格式にある座敷、ふと今の建物もいいのだが、こんな古風な家もいいな、どこしらこころが落ち着くし、不思議な安堵感さえわいて来た。

我が家も座敷の方はふるいのだが、きょうの家のような立派さはない。我が家は余裕のなかった時代の建物だ。俺が小学校1年生の時の建てたものだ。ただ、その後何度か改修し、新築するほどもかかったのだが・・・それでもそこの家の類ではない。

自宅での法要は約45分、その後墓参りをして、なおらいはホテルにバスで向う。市内のこのホテルはお馴染みだ。娘の結婚式もここでやったし、祖父の33回忌の法要もこのホテルでやった。

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胃を病んで以来、家ではまったく酒をのんではいなかった。でも、こうしたことがあれば、仕方もないことと酒をのんだ。ビールがほとんどだから、酔いはほとんど感じなかった。5時には帰宅した。今では日脚も伸びて、この時間では明るい。

帰宅したら友人からの土産として、仙台の「萩の月」が届けられていた。このお菓子がまた美味しいのだ。二刀流の俺は早速それを頂いた。このふぁふぁ感、コーヒーがまたうまい。

ブロ友のブログで、明日は虫も出てくるという「啓蟄」ということを知った。そろそろ天気も安定してほしいと願っている。

ところで・・・まだ早いと思うのだが、携帯のメールに・・・「クマ目撃情報」が入っていた。今年初めてのわがまちのクマ情報・・・クマった話である。昨年も多くの報告があった。幸いにわがまちでは、その被害はなかったものの、こう早くては警戒が必要かも知れない・・・Σ( ゜Д゜)ハッ!

あしたは午後から息子家族が遊びにくる・・・happy01

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雛まつり

きょうは「桃の節句」・・・だけど、秋田は朝から風もあって肌寒い、まだまだ冬の恰好からぬけだせない。一時はうっすらと雪も舞ったほどだ・・・

昨日からきょうにかけてはとても多忙であった。帰宅してコーヒーを飲んでいたら、そのまま食卓にうつ伏せになっていたようだ。帰った妻に起こされたときは、もうすっかりコーヒーは冷めていた。

例年、登場させているのだが我が家の雛飾り・・・

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安い給料だったが、思い切って求めた雛人形。当時は八段飾りが流行っていて、長女の初節句に求めたものだ。高価なものではなかったが・・・

次女が生まれたときには、奮発して大きめの市松人形を求めた。

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長女と次女の年齢差は10歳、次女が生まれたことを喜びに、この市松人形を求めたのだった。その二人が嫁いだあと、身代わりのような気持ちで、花嫁姿の八橋人形を求めた。

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女の子は華やぎがあって良い。でも家を離れる。その寂しさを人形に託したような、俺たちだった・・・

今夜はひな祭りとして、食卓には寿司が出た。二人だけでは、なかなか味がわいても来ない。雛飾りのあるうちに、息子が孫を連れて遊びにくると言っていたが、明日あたりに来るんだろうか。

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ジイジ・バアバのふたりだけのひな祭りは、正直どこかしら淋しいものである。

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六ちゃん、ありがとう。

女優の堀北真希さんが引退するようだ。あの名作「3丁目の夕日」は数々の賞を受賞し、この映画に出演した彼女も多くの賞を頂いたはずだ。どうやら昨年に子が誕生した事から、家庭に入るとのことらしい。

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それは彼女の選択しようとする道のようだから、外野がとやかく言う必要はないだろう。だから俺だって云々言われないのであるが、あの映画では鮮烈な印象があるだけに、もう遠い存在になるようで、どことなく寂しさを感じている。

あの映画を俺は2度観たし、テレビでも観たことがあった。自分との等身的な映画だっただけに、その後の映画も観、観ては涙を落とした。2度目になれば、次のシーンが分かるのだが、それでも何度か涙を流した。

特に田舎から上京した六ちゃんの訛りに、俺の同級生も集団就職列車で上京したので、それに重なる部分もあって、なお親しみもあった映画であった。

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あの頃は、皆活き活きとして生活していた。折りしも高度成長期に入る時期だ。頑張れば報われる、それを疑うこともなかった。だから、懸命に働いたのだ。

それに隣近所との交流も深いものがあった。映画でもそんな場面もあった。東京オリンピックのころは、テレビもカラーになっていたし、わいわい言いながら観戦したものだった。そうしたことは、誰もがそうだったから、それで良かった時代だ。

こんなこともあった。そのころは肉を買うことなど、無かった時代だ。JAでは「肉の日」と称して、肉を配達する日があった。それまでは、カレーに入るのは、肉ではなくさばの缶詰。今ではとてもなつかしい。皆々貧乏ではあったが、活き活きと生きていた時代だった。

あの映画で多くの国民を虜にした彼女、俺などは他の彼女の番組を観たことがないから、妻との会話ではいつも「六ちゃん」と呼んでいる。あの六ちゃんが母になったという。おめでとう、そして有難う。幸せに・・・

        写真はネットから・・・

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終わりと始まりの中で・・・

きょうから「3月」だ。3月と聞けばやはり=春という連想になる。ただ、それでも風は冷たいから、所謂”光りの春”とでもいうところだろう。

秋田県の高校ではきょうから卒業式だ。わがまちの仁賀保高校でも卒業式が行なわれたようである。秋田県の高校生の卒業後は=「県外」が多い。予想では来月1日には、県人口が100万人を切ると言われている。最高時には130万人の人口であったのに、今後もさらに減少は進み、25年後には80万人との推定さえ出ている・・・

いづれ3月は「終わりの月」であったり、そこからの「始まりの月」になったりしている。

1日入園も間近い孫のひいちゃんは、その日の来るのを心待ちしている筈だ。ひいちゃんにとっては、正しくスタートの月、始まりのはじまりと言ったところである。

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食卓に上がっていたのは、妻が読み聞かせで行っている小学校からの感謝状だ、10数人が月何回か出向いて、読み聞かせのボランティアをしており、昨日が今年度の最終だったらしい。そこで子ども達からお礼を頂いたようである。

引き続き来月からも継続されるようだが、一部の方は昨日で終わりと言う方もおられたようだ。自分の足も覚束なくなってとの理由のようだ。妻は来月からも続けるようで、今の妻には生き甲斐のひとつにもなっているみたい。

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従って、妻の読み聞かせは終わりであって、始まりということにもなる。役に立つようであったら、それはやる方がいいだろう。人様の役にたっていられるならば、その方がいいだろうと俺も思う。

先日の新聞記事である。秋田魁新報に写真入で大きく報道されたのが、冒険家・阿部雅龍さんだ。彼は現在34歳。過去には北極圏単独徒歩行を3回行なっている。そして、今度は人力車を引いて日本を縦断する計画で、先月24日に鹿児島県の開聞岳を出発。今年の10月まで神社を巡って、最後にはわがまちに入る予定の約6千キロの旅だ。

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最後はなぜ?わがまちに・・・

実は北極圏の歩行も、今回の旅も日本人で初めて南極探検した白瀬中尉の墓があるからだ。彼の夢は白瀬にあやかって、南極冒険を夢見ており、すべてはこれを実現する為のものなのだ。皆さんのなかで、もしも彼を見つけたら是非声援をお願いしたい・・・

彼はこれからの夢に向ってのスタートをしたのだ。

先月に俺は下の写真の文庫本を読んだ。

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どこかしら俺の青年時代の無鉄砲さとダブルようで、読んだ1冊である。話は主人公の16歳の徹平が夏に家出をするのだ。夜行列車に揺られ着いたのが北海道である。この辺りは俺のプチ家でのそっくりなのだ。

徹平も俺と同じように、北海道の方々の優しさにつつまれて、旅をし最後は礼文島にたどりつく。益々俺と似てくる。しかし、その先は俺とは大きく違ってくるのだが・・・考えれば徹平もひとつの旅を終えるのだが、でも、それは大人の自分への出発でもあった・・・

人間は息が絶えるまで、実は終わりと出発の繰り返しのような気がする。実はそれが人間なのだと思う。ひとつの目標を達成すれば、新たな目標がわいてくるように、即ち人間は常に出発する事によって、張り合いも生まれるから、それでいいのだと思う。

ただ・・・

俺の母のことでは何度かこれに記述した。もう100歳を間じかにしている母である。認知症も患い、とうとう歩行が困難になって昨年8月には施設に世話になった。その母のことで、医師から妻が呼ばれて行った。そうしたら、先月までは妻の名も言っていたというが、最近はほとんど反応がなく、そろそろ終末のあり方を考えた方がいいとのことだったようだ。

母にはもう出直しという出発がないようだ・・・そのことは当然ながら俺も考えなければならないことになる。

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