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村に子ども達が消えて・・・

朝から小雨になったり、霙になったり・・・

きょうは「初午」である。子どもの頃の俺たちは、この初午が本当に楽しみだった。普段、買えないお菓子が袋に入れられて頂けたのだから、それはそれは楽しみだった!

俺の住んでいる集落は戸数が27戸、それでも子ども達は多く、集落の会館はいっぱいになるほどだった。小正月が過ぎれば、毎晩まいばんその会館に集まって、初午の練習をする。初午は子ども達の行事で、リーダーは中学生・・・

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そのリーダーからその年の役が決められた。続いてきた獅子舞を舞う、その担当が決められたのだ。獅子は前と後の二人、これに太夫役、他に太鼓とジャガ数人。1年ぶりの事ゆえ、前年の役をやった人が後輩に指導していく・・・

多い人数ゆえ、役のない子も多くいたものだ。俺がやったのは太夫様、ジャガ、太鼓・・・獅子舞は俺の祖父・父が神社のそれをやっていたから、◎◎の3代目ということで役を受けたのだったが、俺はなじめずに結局、上述の役をやったのだった・・・

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初午の当日は、我が集落のみならずほとんどの集落で初午行事が行なわれていたから、授業は午前中のみで、午後には下校となったものだった。

村に帰ってからは、先の獅子舞を先陣に、役のない子が旗をもって村中を廻った。旗は子の成長を祈願して奉納されたもの。しかし、子の数が多くて旗をもてない子もいたものだ。旗には白地に墨で、また、赤字にもまた「正一位稲荷大明神」の文字があった。

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村を回り、そして、家々を廻ってお札を渡す、その見返りに米5合ほど頂く。中には1升もくれる家もあり、合わせるとその量は大きい。頂いたその米を非農家の家から買ってもらい、それでお菓子に換えたのだ。

当時だと子どもひとりに3~500円ほどのお菓子がもらえた。勿論、それはリーダー達が按分した、大きい子には幾分多く・・・あの頃は、100円などのお菓子はなかった。せいぜい30円であっただろうか。それらの入った袋が本当に楽しみだった・・

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お菓子など買える時代でなかった。皆みんな貧乏暮しだった。小遣いなどもほとんどもらえなかった子どもの時代だった。

初午になれば、あの頃を思いだす・・・旗を持って、初午の意味も知らずに・・・「ハチマンだ、キュウマンダ、ジュウマンダ・・・」等と声を上げて村を廻ったことを・・・

そんな子ども達の行事もとうとう3年ほど前から・・・なくなった。子ども達が集落にいないからだ。初午は男の子の行事だ。その男の子がとうとういなくなったのだ。こんなことは我が集落だけではない。だから、小学校もなくなったのだが・・・

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ただ、稲荷様は字の如く農業の神様でもある。例年、我が家では地区の稲荷様に、赤飯と油揚げなどを持ってお参りに行くのだが、正月早々叔父さんが亡くなったこともあって、今年の参拝は止めた。

俺はきょうそこに行くと(参拝しないで)、孫を連れたおばあさんが、参拝に行くのを見た・・・そんな姿を見たら、込み上げてくるものがあった。孫と同居でもしていたら、妻もこんな恰好でお参りしただろうに・・・

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コメント

よく知りませんでしたが、初午祭りがあるのですね。
子供たち主体で取り組むお祭り、可愛でしょうね。
さらに、ご褒美にお菓子が頂けるのは、なお嬉しかったことでしょう。
その伝統行事が少子化でなくなるのは寂しいですが、これも時代の流れなのでしょうか。

投稿: 京じじ | 2017年2月13日 (月) 08時05分

おはようございます。
記事を拝読し幼き頃の思い出が昨日のように
よみがえりました(^^♪
北と南で育んだ地は違えども思いは同じでした。
地元の行事を早く来い!来い!と胸を高まらせた
ものですよね~(^^♪
中学生は神様に見えました ・・・早く俺もなりてェ!

今年はお寂しいことで御座いました・・・お察し申しあげます。

投稿: いま(九州男爺) | 2017年2月13日 (月) 09時02分

切ない気持ちになりました・・
そういえば
私の大学時代の友達(秋田出身)も、
東京で就職し
東京の男性と結婚し
東京に暮らしています。

少子化がすすんでいますが
地方で子供の現状や小学校の廃校など顕著ですね。

投稿: ホシノ | 2017年2月13日 (月) 12時30分

初午、懐かしい響きの祭りです。わが町ではありませんでしたが、近くの出石の初午は有名で遠くからのたくさんの人が来てにぎわいました。近く者はこぞって行きました。こちらは、3月の行事です。春めいた風が吹いて「初午が来たら、スカートはいてもいいよ」って言われたことを今でも覚えています。当時珍しかった大きなトラックが、荷物や動物を乗せて出石に行きました。サーカスやお化け屋敷やいろんな店が出て、それはそれは賑やかで子どもにとってもとても楽しみな祭りでした。この大雪の中で春を感じた思い出に浸りました。

投稿: はるか | 2017年2月13日 (月) 13時18分

初午と聞きまして何か分からなかったのです。
スーパーのチラシに(初午はお稲荷さんで・・)と
書いてあり、神社に油揚げをお供えしに行くんだぁ~
と知りました。
男の子の行事なんですね(*^-^)

投稿: ヒナタ | 2017年2月13日 (月) 16時30分


京じじ 様

時代ゆえ仕方ないのですが、寂しいものです。子供たちの声が聞こえないということは・・・
伝統が途切れて、とても残念です。

投稿: でんでん大将 | 2017年2月14日 (火) 00時01分


いま 様

同様の経験がおありなのですね・・・
田舎は大きく変わりました。子どもの声を聞くのは珍しいほどです。寂しいものです。

投稿: でんでん大将 | 2017年2月14日 (火) 00時03分


ホシノ 様

賑やかな時代に生きて来た者にとっては、本当に寂しい昨今です。地方はいつまでも地方です。日の当らない地方、何とかしたいものですが・・・・

投稿: でんでん大将 | 2017年2月14日 (火) 00時06分


はるか 様

ここのところ大雪で大変な事態になっていますね、ご苦労様です。
初午は3月だったのですか、やはり地域においては違うものですね。子どもの頃は学校も半日、そして夕方には袋いっぱいのお菓子を頂いて・・・楽しい楽しみな初午でした。

投稿: でんでん大将 | 2017年2月14日 (火) 00時10分


ヒナタ 様

男の子の楽しい行事でした。お菓子などなかなか買えなかった時代です。この日だけはお菓子がいっぱいで、とても楽しみの初午でした。

投稿: でんでん大将 | 2017年2月14日 (火) 00時13分

うちの主任さんが(〇〇さんは、初午って知らないでしょ)って言われました。
どうやら、主任さんの近くの神社では油揚げを
お供えするって・・油揚げ1枚お供えしたそうな~(≧◇≦)

投稿: ヒナタ | 2017年2月14日 (火) 15時30分

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