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2016年12月

今年もありがとう(我が家の年越し)

大晦日の昼は茶の間で会食するのが我が家の習いだ。きょうも息子家族が帰省するのを待って会食をした。我が家では「年取り」と言って、これから年越しに入る。今年は2月に生まれた孫が増えて、一応9人が膳に着いた。来年はこの孫の膳も用意することになる・・・

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我が家の茶の間は約15畳ほどだ。これに仏壇、床の間、飾り床、さらには囲炉裏もある。今では茶の間を使うのは大晦日と元旦のみだ。しかし、こうだからまた日常でない「正月」なのだ。

並ぶ料理と言っても豪勢なものではない。でも、こう並ぶとやはりいつもとは違う。やはり新年を迎えるような気持ちに改まるから不思議。さらには畳みの上、座布団・・・

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おひらには「ハハカレイとコンニャク」、刺身は「まぐろ等」、「煮豆」、「茶碗蒸し」、「ハタハタスシ」、これにご飯とナメコ汁・・・俺には勿論「お神酒」つきだsmile今年は「ハハカレイ」は高かったとか。奮発したのはやはり年取りだからか。

会食前には俺の先ずは挨拶・・・

1月に新聞社の文芸・詩で3位入賞のこと、2月には6番目の孫の誕生、3月にはハクビシン被害のためと断熱をねらっての2階のリニューアル・・・しかし、母の2回の入院と施設への入居・・・様々あった。今年も健康で暮らせたこと、皆から協力頂いたことへの礼を述べて締め括った・・・

さて、秋田県の今年のニュースでは・・・

例年、年末には県知事が今年の一文字を発表している。それを今年書いたのは「驚」であった。県内でのクマの出没、また4人の犠牲者を出したこと、大方の予想を覆した米時期の大統領、そんなことを選んだ理由に上げていた。

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我が家のニュースは先ほど上げた。母の入院や施設への入居、ハクビシン騒動等はあったものの、まあまあの平成28年だったと思っている。

居間では昨日搗いた餅を、一番上の孫が切っていた。その孫は受験でもあり、来年はもう帰省できないことになるかも知れない。更には就職等もまっているから、もう帰省は無理か?それを意識してはいないだろうが、明日食べる餅を切っていた・・・

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平成28年が間もなく終る・・・午前中には小雨があったものの、その後は時折日も射して大晦日にしては、穏かで静かなものだ。我が家では、これから年越しそばをたべるのだが、今年最後のイルミネーションに灯をともした・・・

皆さん、お粗末な我が記事「でんでん大将のひとりごと」に目を通して頂き、また、多くの皆さんからコメントを頂き、励みになりました、有難うございました。引き続き田舎の記事になるでしょうが、精進して書いてまいりますので、宜しくお願い致します。

皆さん、どうぞ良い年をお迎え下さいshine

 <ニュースの写真はNHK秋田、”ニュースこまち”からのものです>

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木守柿

大晦日の前日はかつては「餅つき」であった。大きな臼に蒸かした餅米1升を入れ、これまた大きな杵でついたものだった。それも2臼、3臼と、それは我が家のみならず、周辺の家々からも餅をつくその音が聞こえた・・・

それが今では「機械による餅作り」、かつて大汗をかきながらの餅つきだった相面の妻との餅つきが懐かしい。今朝は昨日に帰省した孫も手伝っている。珍しいのだろう・・・わが地域、「9日」の餅はつかないことにしている。「苦」に通じると言うのだ。従って、きょう30日が餅つきだ。

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現在の俺はただ見ているだけ・・・eye

今朝もまた、雪が降っていて朝方には除雪車も通って行った。5~6cmで除雪するだけの量ではないと思うのだが・・・それでも、雪が降り周りが白くなると、何とも正月を迎える雰囲気が整ったようにも見える。

午後・・・俺はカメラを持って軽トラに乗ったdash

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それはまだ多くの残っている柿を撮りたかったからだ。

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秋が深まるとともに、橙色に熟した柿が枝を折れんばかりになる。その柿は、干し柿にされたり、渋抜きをされて、俺たちのおやつになったものだ。かつてはどこの家でも柿の木の1本や2本はあった。

我が家にも2本あった。とんがり柿と平柿、いづれも渋柿で祖母や母がさわして渋を抜いた・・・

柿は捥いでも、最後には必ず数個は残した。それが、「木守柿」だと知ったのは大きくなってのことだった。高いので取り残していたのだと随分と思っていた俺だった。この残された柿、先ずはその年への豊作の感謝、そして、来年の豊作を祈ったという。

さらには鳥たちへの言わばお裾分けの意味もあったようだ。いわゆる施餓鬼ということだろうか。

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ところが昨今は事情が違う。食べる人も少なくなったようだし、柿でなくてもおやつもある。第一捥ぐのが面倒だ、渋抜きなんて面倒だ、そんな傾向もあってか、柿は残されるというよりも、実がなってもそのままの家が多い。

我が家等は柿の木を切ったので、今年も叔母さんや叔父さんの家から頂いた・・・

その残った柿が雪を被っている。光景としていい絵である。しかし・・・どことなく俺は寂しさを感じている。家々が豊かになったのだろう。でも、そのことで柿などは粗末にされているのだ。

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物が豊かになって、自然のものが粗末にされていると思っている。これが果たして豊かと言うものだろうか。雪を被っているをみると美しい・・・が、寂しい。感謝する心も願う心も失われ、また、柿の本質を考えたとき、捥がれない柿ほどみじめなものはない。 

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孫のおみやげ

昨夜、茨城県で大きな地震が発生した・・・テレビをつけるとM6は海岸部のまちだった。娘が住んでいるのは山手のまちだ。いづれ被害はないようだとの情報で俺は寝た・・・

だがなかなか眠られず、しかも午前5時過ぎには目が覚めた。テレビをつけるが、地震のの放送もない、ならばとその後俺はふたたび布団に潜り込んだ・・・

新幹線の遅れもないようだ。娘からは、予定通りにこれから新幹線に乗るbullettrainとメールが10時頃に入った。それじゃ・・・予定通りに迎えに行く。そう俺は返信した・・・

新幹線「こまち」は終着駅が秋田駅だ。そこから羽越本線に乗り換えて我が家に来る事になる。それなら俺は秋田駅の手前の大曲駅に迎えに行く。我が家からは、山越えして行かなければならない。でも、1時間でも早く会いたいし、料金もいささか安くなる・・・

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本来なら秋田駅までは慣れている道だし、大方は海岸部を走るので雪はないはずだ。それでも大曲まで迎えに行くのは、やはり早く会いたい思いが募ったせいだろう、ただし、あまりにも雪が凄かったら秋田駅であうことにしたのだが・・・

大曲駅までは約70km、雪道を考えると1時間40分は見なければならないだろう。俺は1時半過ぎに自宅を出たrvcarやはり山間に入るとうっすらと雪が路面に残っている。やや緊張しながらの運転だったが、予定通りに大曲駅に到着・・・

ニュースによれば、年末年始を故郷で過ごそうとの電車の混雑は、きょう・あすにかけてらしい。写真はネットからとったものだが、混雑は大変なものだっただろう。

雪に降られながら、娘は孫2人を伴って駅から出て来た・・・そして、俺のクロスロードに乗ったdash

帰宅したら午後6時少し前だった。我が家のイルミネーションも夏以来の娘達を歓迎した。

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夕食はカレーだ。食卓もいつもは広いのに、さすが5人が座ると丁度いい!話もわいわい進む。4人は女性だから、特に途切れる事なく賑やか・・・

食事が済んだら、高校2年生の○○ちゃんが「ハイ・・・おみやげ!」と俺にくれた。秋に修学旅行(今は研修と言うのか?)でグアムに行ったのだ。そこで買ったものをきょう持ってきたのだ。みやげは金色のキーホルダーshine

来年度は受験だ。だから来年の正月はもう帰省できないかも知れない。その○○ちゃん、俺を「トシクン」と呼んでいた。だけど、俺ももうそう言われるほど若くはない。でも、今回のおみやげを俺は、ジジィになっても大事にするだろう・・・weep

有難う・・・○○ちゃんheart04

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今では笑い話だが・・・

起きると白い世界であった・・・ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ

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それでも気持ちが良かったのは、昨夜、妻の元に息子の嫁さんから○○が歩いたとメールがあったことを聞いたからでもある。もう少しで11ヶ月になるものの、誕生日まではどうかなとの思いもあった・・・息子家族は年末に帰省の予定だが、そのときには俺たちにもお披露目するだろう・・・smile

息子も歩くのは早かった・・・誕生日前には歩いていた。だが、早く歩かなくてもいい、じっくりして歩いてもいい、段階をゆっくり歩んだ方がむしろいい、妻はそう言う・・・

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実は、俺たちは寸でのところで息子を失うところであった・・・歩き始めの事ゆえ、ただただ前に向い歩いていた息子だった。その息子が、家の前の水路に転落したのだ。俺たちは勤めのために、家にはいなかった。子守は父母に預けていた時のことだった。

「いない!」と知った父母は気も狂わんばかりに探したらしい。そして、水路を探して・・・救急車で搬送されたようだ。そのことを集落の人が、俺の勤務先に電話をくれた。電話では「子どもが水路に落ちて流されたけれど、大した事ないようだから急がないで帰れ!」と・・・

思えばそれは俺に慌てて帰る事になれば事故等も懸念される、その思いだったのだろう・・いづれ帰ってから、俺は電車で帰宅する妻を途中の駅で降ろしてhospitalに向ったのだ。息子は意識もなかった。医師からは助かるのは難しいかも知れない、そのように言われて妻と俺は愕然とした・・・

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それでも、それでも俺たちは息子を見守った・・・もう夜中の12時を回りかけたとき、息子は目を開いた。俺が持っていたパンを見せると、「んまんま・・・」と。俺たちはその言葉を聞いてボロボロと涙を落とした・・・

あの息子が家庭をもって2児の父親だ。今にしてみれば、あの日のことが笑い話のようにさえ思う・・・だから、あの日は「何かに助けられた」と今でも俺は思っている。

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先日、学校だよりの記事に校長先生の自らの体験が書かれていたことを紹介した。サンタクロースのプレゼントがきっかけになって、小児ガンと闘っていた娘があの夜にいのちを頂いたと言う文章を・・・

俺は昨日、その校長先生に俺の息子もいのちを頂いた。見えない何かに俺は助けられたと思っている。改めて「サンタクロースはいるのだ」と信じている。見えるものだけが信じられているような昨今、やはり見えないものを信じることも大事ではないのか・・・と、手紙を書いた。

孫の初歩きから、とんでもない記事に曲がってしまったが、お許し頂きたい・・・

俺は200枚の年賀状の宛名を全て手書きし、もう投函したし、きょうは毎月受診しているhospitalへ、併せてインフルエンザの予防接種も・・・これまで多忙だった事もありできなかったから・・・凄く混雑していたが、待合には「コーヒーが冷めないうちに」を読んだ。

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明日は長女が孫2人を連れて帰省する、俺は新幹線”こまち”の停車駅の大曲まで迎えに行く。明日から我が家も久しぶりににぎやかになる・・・

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脱衣室・浴室にも暖房機

東京都健康長寿医療センター研究所のデーターによれば、2011年に入浴中に亡くなった方は1万7,000人と公表している。いわゆる「ヒートショック」が原因だ。特に寒い冬にはそれも多く、夏の11倍にもなるという。

「ヒートショック」とは、温度の急激な変化によって、血圧が上下に大きく変動し、よって失神、心筋梗塞、不整脈、脳梗塞等を発症するのだ。中でも急激な血圧低下で失神し、溺れて亡くなるのがヒートショックの典型的な例のようだ・・・

我が家でも3年ほど前に、居間・トイレ・浴室・流しを中心にリフォームした。中でも冬になれば寒い浴室は今風のシステムバスにリフォーム、従って窓も断熱サッシとなった。だから以前の浴室からみたら快適になった・・・

しかし・・・冬になればやはり寒い。加えて脱衣室も寒いし、我が家のそこは洗濯機もあり、乾かすようにもなっている。それに洗面所、エコキュートの機械も入っているから広い。窓はここも断熱サッシではあるのだが・・・寒いヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ

そこで今回暖房用の機器を取り付けることにした・・・

浴室には換気扇もついた暖房機だ。

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また、脱衣室には・・・冷風も出せる暖房機・・・

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今は機械を設置すると、ほとんどはリモコンだ。今回、脱衣室には従ってふたつのリモコンが取り付けられた。

思えば照明もリモコン、テレビも、そして暖房やエアコンも・・・ほとんどが「リモコン」

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健康を考える浴室の暖房が、最近PRをされていることもあり、チラシにも様々な機器が載っている。

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これまでは石油の暖房だった場所も、ほぼ電気になっている。お湯については、深夜利用になるのだが、それでも石油の使用は俄然減っている。

原発のこともあるから、ある意味では考えることも必要なのだが、雪国にとっての暖房はなくてはならないものだ。それを思うとやはり寒いところに住んでいる住民にはハンデイがある。

このあと・・・正月が来て、子ども達が孫を連れて帰省すると、電気料は高いものになる。 

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仲間たちとの門松作り

わが集落の裏手の山には唐竹が多い。かつては秋田市で行なわれる竿灯の竿として出荷もされた。きょうはこの竹を使っての門松作りだ。

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こうして門松作りを始めてもう10年にはなるだろう。一時、注文を取ったときもあったが、3日もかかってはその他の正月準備が出来ない。従って今では市の保養施設からの注文だけに応じている。それは勿論、我らが仲間の軍資金になるのだ。

1対で1万円だ。だから、業者よりは断然安いはずだ。それでも俺たちには、一晩の飲み代だけあればいいので、格安にしている。他に、急遽、福祉施設からも何とかと言われ、その分も含めての門松の制作に入った・・・

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仲間には元大工で、しかも特殊なノコギリを持っているので、それで竹を切ってもらう。一般的なノコギリでは、切り口がブサブサになってしまうし、きれいに切ったこのところが門松の売りでもあるから。

さらに、竹は丸いの取り扱うにもコツがいる。それを3本に丸める。これまた、初めてだと手間がかかる作業だ。それでも俺たちはほぼ10年、これに取組んできたから13個の門松は午前中に大方でき、午後からは装飾に・・・

そして・・・完成!

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この門松は、仲間の家々の玄関先を飾ることになる。これで新年を迎えるひとつの準備は出来た。

願いを込めて作った「門松」・・・平成29年が穏かな1年であることを願ったわれらの門松である。

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俺にもクリスマスプレゼント!

皆さんにはたくさんのコメントを頂きました・・・俺には嬉しいプレゼントです。拙い文章、間抜けな写真、それなのにコメントを頂きました、日々ブログ更新している俺には何よりのプレゼントですpresent本当に有難うございました。

ところで・・・

皆さんはどんなプレゼント頂いたでしょうかxmas

実は俺はもうひとつのプレゼントを頂いたのです。否、妻と俺が頂きました・・・

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埼玉にいる妹から、手編みのカーデガンを頂きました。寒い季節、少しでも暖かになればとのメッセージもありましたweepもう、この年になっては、何年もクリスマスプレゼントなど誰からも頂いた記憶はありませんが、妹に感謝、感激です。

俺にもサンタクロースはやはりいたのですね・・・present

今朝、起きたら外は白くなっていました・・・雪がうっすらと庭の木々を、家の窓から臨む風景に、これは天からのプレゼントだったのでしょうか・・・

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いくつになっても、いつになってもプレゼントを戴くことはうれしいものです。

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皆さんはどんなクリスマスプレゼントを頂きましたか!

クルスマスが終ればもう今年も残る日は少ない、もう一週間ほどですね。その前に、俺たちにはもうひとつのプレゼントが・・・

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29日には結城から 、暮には秋田から、そして大曲から・・・子ども達が孫を連れて遊びに来るんです・・・これまた、老夫婦にとっては何よりも嬉しいプレゼントです。

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信じることで・・・

             

001_2 我が家は例によって、家の中はクリスマス一色だxmas玄関に飾り台にトイレや手洗い、洗面所、流しや居間まで、クルスマスにちなんだ飾りでいっぱいなのだ・・・

子どもがいるわけでもないし、せめてケーキくらいはとの思いなのだが、何しろ飾りの好きな妻だから、俺はただ黙って見ているだけだ。

おそらく子どもと暮らしていない寂しさをまぎらわしているのだろう。子どもいないクリスマスなんて味気ないものだから、こうでもしていないと気がまぎれない妻かも知れない。

息子の嫁さんから、孫がサンタクロースに扮している写メールが届いた。ニコニコしている孫、まだ何も分からない1歳の孫は、トナカイの帽子を被っている・・・

ああ・・・俺たちのもそんな時代があったナ~妻と送られて来た写メールを眺めた・・・

俺は朝から年賀状の作成に取組んだ。今年は宛名だけでも自筆にしようと筆を執ったが、うまく書けない・・・筆を執るなんてもう何年もなかったから、諦めてボールペンにした。裏面には、一人ひとりにコメントも書いた・・・(でも、まだ半分であり、もう100枚は書かなければ・・・)

それを書きながら、後方のステレオから音楽を流して。ジョーン・デンバー、オリビア・ニュートン・ジョン、ロック・スチュアート、カーペンターズ・・・こうして音楽を聴くのも久しぶりで、ついそちらに聴き入って手が疎かに・・・delicious

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11時頃であった・・・玄関の郵便受けの音がした。取りに行き見る2通の封筒が入っていた。うち1通は新書本の案内であり、もう1通は中学校からの”たより”であった。発行するたびに、こうして郵送してくれる。

この”学校だより”、正直言っていつも丁寧に見るということではない。が、きょうは書くのも疲れてきたこともあって、その学校だよりに目を通した・・・卒業式などの挨拶では、俺はいつも感動させられている、その校長先生が発行している「学校だより」。

今回は、13~15号入っていた。その第15号には、クリスマスにちなんだ記事で埋められていた。「聖夜」について、そして、機会があったら読んでくださいと「サンタクロースっているんでしょうか?」の紹介があった・・・

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次の記事がいい内容だったのだ。それは校長先生自身の娘さんのことだった・・・weep

娘さんが小学校に入ったその年のクリスマスの日、彼女は入院中だったとか。小児ガン治療のためだったという。抗がん剤治療の副作用でその日も苦しんでいた。しかし、クリスマスの日だ。彼女もサンタクロースを待っていたのだ、病院のベッドで・・・。

夜中に娘さんは目を覚ました、そして、枕元にあったプレゼントに「サンタさんが来たんだ」と叫んだらしい。あの日からもう1年になる、今では髪も肩まで届いている。それを見て、命が確実に育まれていることを実感した・・・

一生懸命に頑張った娘に、サンタさんはいのちをプレゼントしてくれたのだ、そう思ってこころからサンタさんに感謝せずにはいられなかった・・・と、結んでいた。この校長先生の文章を見て、厚く込み上げてくるものがあった・・・

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俺のような老いぼれが言うと笑われる事は必至であろう。でも、「サンタクロースはいる」と思いたいのだ。見えるものだけを信じるよりも、見えないものも信じる、そうありたいのだ。思えば、”神様”だってそうではないか。自分だけでもそう思いたい・・・信じることで。

妻とふたりだけの「クリスマス・イブ」。ご飯はチキンライス、ワインで乾杯。のちはお神酒に切り替えて?酒をいっぱいsmileそして、ショートケーキでおひらき。

皆さん、良きクリスマス・イブを!!!

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田舎は医師にも嫌われる?

どんなにきれいな花であっても、その時がくれば散ってしまう。人間もまたそうなのだろう・・・我が家では白のサザンカが、散って自らの根本を白くしている・・・

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秋田県は、人口減少が全国一の減少率だ。来春にも100万人を切るのは必至の状態だ。子どもが生まれない、老人が増えてしかも逝く人も多いから、自然減ということになる。

秋田県では、来春に「人口減少対策部」のような組織に改変するようだし、市町村においても、人口減ストップというよりも穏かな減少対策に重きをおいた施策を考えている。

こんな折から、新聞に大きく掲載された見出し、そして記事に愕然とした。由利本荘市・にかほ市両の総合病院のひとつで、「呼吸器内科」が外来、入院を休止するというのだ。理由は常勤医師のふたりが退職し、後任の確保が困難だと・・・

005 この総合病院は、由利地区(由利本荘市・にかほ市)では一番大きい総合病院で、救急指定病院である。

俺も昨年のきょうは、その病院に入院していた。母も春先から入院していた。

実は、この病院では胃腸科も予約でないと受診出来ない。個人病院からの紹介があれば、ここで診察を受けることが出来る。

こんな状態だから体調が悪くても、直ぐには診てもらえない。否、病院に連絡して、きょうは診察できますか?そう訊ねてからのことになる。

今回の退職の医師のひとりは、市内で開業するという。総合病院にいては、日曜や夜の出勤もあるし、それよりは個人で開業すれば、そのようなこともなくなるのだ。

これまでも同じようにして辞めた医師は計り知れない。個人で開業すれば、それまで掛かっていた患者はその医院に移る・・・

さらには個人で開業すれば、給料制ではなくなって、手取り収入が増えるのだとも聞く。人口が減ればへるほど、患者の奪い合いも起こることも予想される。

・・・が、使われる身よりも、仕事の負担も少なくなる個人での開業がいいようだ。

俺が、毎月、受診に行く医院の院長先生も、その総合病院の勤務医だった。俺が入院していたころの担当医であった。

その先生が個人で開業したから、俺もそちらの方に移った・・・

どうやら医師には総合病院等は嫌われているようだ。折角に、市から助成金を頂き格別な医療機器が導入されても、それを操作したり、それでの判断をする医師がいなければ、病院の持ち腐れとなる。

救急hospitalはわがまちにはないから、救急車で搬送される場合は由利本荘市までだ。我が家からも30kmの距離だ。今では救急車も高規格車であるので、病院と連絡とりあって搬送もされるのだが、田舎にいれば満足な治療も受けることが出来ないのだ。

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その地域に定住するには、hospitalがあるかないか、どんな病院なのか、それも基準になるだろう。総合病院も近くにないでは、住みたいまちには程遠い・・・

国は地方を切り捨てている。地方は地方で中心から離れている地域を切り捨てようとしている。国策が過っていたから、「地方創生」だと言っている。このような地方にしたのは誰なのか。わがまちには新幹線もないし、空港からも離れている。線路は未だに単線であり、日に数本の電車しか走らない。高速道路も全線つながるには、まだまだ先のことのようだ。

こうしたわが地域、医師にも見放されているようにさえ思う。

      <新聞の記事は秋田魁新報、写真の一番下の花はスイートピ>

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冬芽たち

きょうも穏かに”休寒日”は続いている。俺の”休肝日”はなけれども・・・despair

寒くはないのだが、曇っていて夕方にはとうとう小雨になった次第・・・この日ならではなのだが、眼前の鳥海山はくきやかに見えて圧倒される。

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明るい日差しの鳥海山も素敵だが、このような重厚な感じの山容もまたいいものだ・・・

人間が冬になれば構えるように、植物もまたいのちをつなぐために、越冬準備をしている。その形が、雪を被らない姿であることをきちんと理解しているのだ。例えば両手を合わせたような形に、または、円錐状な形になって構えているのだ。

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ネコヤナギのような形を見せている「白モクレン」、こんな形はまるで仏様のようにも見える。俺はその被写体にただカメラを向けて、シャッターをおしているのみなので、焦点もあっていないのだが、その形には見えるのではないか!

庭に目をやれば、他の樹木も冬芽を抱いているものも多い。これは「キレンゲツツジ」、この芽も冬を越そうと言う迫力さえ感じる。

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「シャクナゲ」もまた、秘かに芽を作っている。これまた、その力強い姿を歴然と見せていて、植物達の圧倒的なエネルギーに身がすくんでしまうほどだ。

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そんな芽を見ながら、俺は仕事の打上げでbeer+bottleだ。おまけに居残りが少なくなったことから、その中の年長者が、中締めの挨拶だと言う・・・catface

口下手な俺に挨拶などをと、とんでもないことではあるのだが、「え~と」、「てなことで・・」と早々に切り上げて・・・「カンパ~イ」

次は「椿」・・・

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こうして庭の木々は、春のために、春になって花を咲かせるために、じ~いと押し黙っている。そんな冬の芽を見ながら反省だ。お前はこの冬と言う充電時期に酒等呑んで、充電になるのか・・・と、言われているようで、木々に今更ながら人生を教えられてしまった。

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”休寒日”にて・・・

休寒日”とは面白い言葉だ。造語ではあるが、なるほどと納得がいく。寒さが休み・・・さすがはプロの記者だと感心する。その休寒日がきょうで3日目となった。ただし、予報では「sun」であったのだが、朝からどんよりとした空で、薄日が射し始めたのは昼近くであった。

朝食には、妻が作った「いとこ煮」。何で南瓜と小豆がいとこなんだか知らないものの、きょうは「冬至」ということもあって、南瓜の料理のひとつがついた・・・

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きょうは予定欄が空白であり、秋田魁新報にじっくりと目を通す。県内情報では当然随一の地方新聞だ。国際ニュースや国内情報ではやや物足りなさもあるが、県内の情報・ニュースはとても細やかである。

特に同じ県内でも、県央・県北・県南など更に区分されて、いろんな情報が得られる。この版には俺たちの”かかし祭り”も載ったし、俺は”この人とひとときを”でも写真入で紹介を頂いた・・・

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先日は、コラム欄に面白いことが載っていた。それはある酒屋さんの話だと言うが・・・県外へ酒の贈り物の注文を受けると、新聞紙に包んで送っているのだという。普通の包装紙や店名の入った模様の包装紙ならきれいだろうにと思うのだが、新聞には秋田県のことが載っているので、それに目を通して頂けたらと、その思いで新聞紙の包装でとのこと。

これまた納得できる。秋田県の酒を贈るのだから、何かしら秋田県と縁のある人なんだろう、或いは秋田県から異動になった人かも知れない、何かしら縁があるからこそ酒を贈るのだ。ひょっとして秋田を離れなければならなかった縁者かも知れない・・・

そんな人には、古い情報になっているかも知れないが、これもまたひとつの思いやりかも知れない。そう言えば、何かを注文したら底に古新聞が入っていたりすると、つい惹かれて読んだりすることがある・・・

包装紙の代わりに新聞紙で包み送ってやるのは、「ふるさと」を贈ることかも知れない。そう思うとその酒屋さんの思いに、厚いものを思わずにはいられない。

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午後からの時間は鉢物などを冬囲いした。これまで何度か雪もあって、ああ可哀想だと思っても、他の仕事があってやれずにいた。それがこの日でとうとう出来た。この中であと2ヵ月を鉢物たちは過ごす。

夕食は鍋焼きうどんnoodle食べると汗が出て来た・・・それに、また、南瓜が出て来た。料理の名を聞いたが・・・「自己流」だとか。南瓜にアンがかけられていた・・・冬至だから、南瓜づくしだと・・・

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年末も押し詰まって来た・・・年賀状も明日以降になる。明日で今取組んでいる仕事が終るので、それからになる。毎年、こんな俺だ、いつものことながら、今頃になるともう少し早めにやっておけば、と思うのであるが・・・

冬至が終れば、明日からは日中の時間が長くなっていくことになる。それだけでも、どこかしらこころが軽くなる。雪はまったくない。いづれまた雪は降るのだが、2ヶ月と言うよりも約60日、この日を耐えれば春になる・・・

<昨日の記事の訂正>

季節ハタハタ漁は漁獲枠を獲ったらしいと書きましたが、今年は480㌧の漁獲枠でしたが、13日時点では約240㌧でほぼ半分、男鹿市等で特に水揚げが振るわなかったようです。

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金浦港散歩

仕事も一息ついたし、時々の小雨だ。予報では「sun」だったのに、冬の天気は安定しないのは北国だ。雨ではすることもない。11時、海が見たくなって、金浦港に出掛けた・・・

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迎えてくれたのはウミネコ。船が到着するたびに、あっちにこっちにと港内を飛びかう。

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船が港に接岸すると、漁師の奥さん方だろうか・・・さらには家族か、いっぱいの関係者たちが集まる。そこに船内から、獲ってきた魚が引き上げられる・・・

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アンコウやタラ、サメ、ヒラメなどの大きなものもある。エビやイカは艶々光っている。メバルなどは、まだ口をピクピクさせてもいる。

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これはキンメダイ?と聞くと、ノドグロだという。高級魚らしい。漁師は口を開いて見せてくれた。確かに喉が真っ黒だった・・・俺はヤマザルだから、魚のことはトンと知らない。

別の船からは、ハタハタが揚げられていた・・・もう、ハタハタは終ったという。今年の割り当て量はもう獲ったらしい。それでもまだ多少は揚がっていて、選別されていた。

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ハタハタが大漁に接岸するときは、海の色が変わるという。産卵のために岸に押し寄せる。この時期、一般の方がハタハタを釣ろうと、隙間がないほど岸に釣り人が釣り糸を海面に落とす。

その写真を撮りたいとの思いもあった。しかし、ハタハタも終期とあって、2人が釣り糸を垂れていた。話を聞くと今年も半日で4~50kも吊り上げたらしい。こうした賑わいは、隣りの象潟、平沢の港の防波堤にも、凄い数の釣り人が今年もあったらしい。

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ハタハタも網で獲るのは禁止されている。漁業権のない一般人はそれが出来ない。出来るのは釣ること、引っ掛けて釣り揚げるのは許されている。そこで、海岸には我も釣らんと押しかけているのだ。

こうしたハタハタを釣る光景は、わがまちの新しい風物詩になっている。

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役員は・・・

わが集落は戸数が27戸、人口は103人と小さな集落である。住所からすると、”小字”で集落になっているから、そのこともある。地域によっては、”大字”で集落を構成しているところもあるので、小さいことになる。

集落では、「自治会」を組織していて、この組織が集落の基本になっている。行政との関りもこの自治会での対応となる。

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写真は、本市の仁賀保庁舎。ここから、自治会には行政からの連絡が入り、庁舎の言わば下請け的なところもある。

今月は、わが自治会の総会が行なわれた。議案のひとつには「役員改選」があった。会長であるT氏は任期であり辞めるという。俺の後任の会長となって2年、まだ一期故再任との声もあったが、体調も思わしくなく、彼の辞任を認めることになった。

そこで・・・次の役員をどうするか?結果、選考委員を設置して選考してもらうことになった。その委員長に俺は選任を受けた。小さな集落でもあり、27人の中からの選考だ。誰もなるのは嫌がっている。

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でも誰かにやってもらわねばならない。しかし、役員5人を一挙に変えるわけにもいかない。そのあとのことも考えなければ・・・そこで、会長を副会長からやってもらい、一人は新人から入ってもらうことで選考、その承認を頂いた。

だが・・

「俺は・・・」「俺は・・・」で、なかなか選考された方々からは引き受けれないと。しかし、こうでなければ自治会を維持出来ないのだ。言わば年功序列、これで選考するしかないのだ。

俺は、今回、自治会を代表して、産土神社の総代に選考された。俺はこれまで土木係りや衛生係り、さらには副会長、会長、監事と22年、本自治会の役員をやってきた。責任重大でもあり、引き受ければ確かに難儀する。

でも、誰かがやらないと・・・

人のいい俺だから、これまでやってきたし、皆の協力を頂いて責任を果たして来たから、今度は俺が協力していく番だ。だから、氏子総代も引き受けた。その氏子・・・今年の祭典の当番丁になっていて、この1年はそのことに頑張らなければならない。

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「もっと・・・遊びたい!」

穏かな冬の朝・・・日も照って朝から気持ちいい。でも、借りて来た会議が録音されている、USBメモリーがpcに取り込めない・・・イライラcoldsweats02 だからどうにもならず、息子に電話した。昼過ぎには仕事があると言いながらも、「来てもいいよ」というので、妻と秋田市に行く事に・・・rvcar

ただ・・・行くと、10ケ月の孫が人見知りして泣くのが、心配だった。ピポンnoteとドアを廻して家に入れてもらった!・・・そしたらどうだろう。人見知りするどころか、孫はニコニコ顔smileそして、妻にも抱かれるではないか!

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今月の初めに我が家に遊びに来たときも、俺たちには人見知りして泣いた。それが、あれから2週間なのに・・・小さな頭にメモリーが増えたのか、いづれ泣いたりすることはまったくなかった。

しかも、車につかまってスイスイ移動する。ハイハイはとってもうまく、しかも早いこと・・・あと2ヶ月で1歳となる。つかまり立ちも自信をつけているようだ。誕生日前には、歩くかも知れないと待っているが、誕生日までに果たして歩けるか!

サンタさんのお菓子の長くつを買って行ったら・・・ハイ、ご覧の通りだhappy01

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その靴の脇から・・・「いないいないバア~」俺たちをどうもからかっているようだ。

テレビからの音楽で、足をフリフリ・・・notes孫は日毎に色んな芸?を覚えているようだ。「ンマンマ・・・」との声も出すし、おねえちゃんともお菓子を取りばっこ。でも、仲良く調理の手伝いも・・・

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上の孫、○○ちゃんに俺たちが買ってやった調理台だ。未来のお母さん、頼もしいお母さんになるに違いない。

息子からUSBから、ボイスレコーダーに入れてもらって・・・

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「じゃ、また・・・今度は正月に」と言うと、あの「家に帰りたくない」と泣いた、上の孫がきょうは「もっと遊びたい・・・」と泣いた。その声を飼い猫の「ネネ」はしっかりと見ていた。俺たちは後ろ髪をひかれる思いになりながらも、車に乗って帰宅した。

朝のあの天気はなんだったんだろう・・・帰る時間には小雨がぱらついていた。俺たちのこころの中のように・・・

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小百合の”踊り子”

   手を触るることさえもなき踊り子のほのかな恋の行方のかなし

伊豆の踊り子」は川端康成の代表的な小説だ。これまでも何度か映画化され、吉永小百合の主演で4度目だったとか。若い時分には、この映画を俺は観ただろうが、もうすっかり忘れていた・・・

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きょうはまちの映画祭で、午前にこの「伊豆の踊り子」が上映されるということで、妻と軽トラに乗って出掛けた。

館内は勿論、その当時の若かった青年たち・・・だった。俺もそのひとり・・・しかも、吉永小百合の大ファン。かつてはわがまちにもあった映画館に、よく観に行ったものだ。帰りには「大判焼き」(あじまんを大きくしたようなもの)を食べたりして・・・

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映画のシーンは、宇野重吉扮する大学教授の回想から始まっていく。この大学教授こそ、かの踊り子に憧れた本人。旅の途中で出会い、惹かれるままに下田まで同行する。踊り子もその大学生に惹かれるという設定で、物語は展開していく。

踊り子役の吉永小百合。踊りの場面もいくつかあり、そのシーンを観ながら、実は「夢千代」のことも思い出していた・・・003 

館内は暗いからどうだったのか、おれ自身も知らないが、スクリーンを見ていて鼻の下を伸ばしてあったかも知れない・・・delicious

たった数日の出会い、そこで惹かれあった学生と踊り子、その結論はお分かりだろう。船に乗って東京に帰る学生、それを見送る踊り子・・・俺の涙腺は緩んでしまった。ふたりの気持ちになっている俺であった。

この小説には、多分に川端の若いときの体験が入っているのではないだろうか。相手が踊り子ではなかったにしても・・・しかし、川端でなくとも若い頃に恋に傷ついた思い等は誰にもあるんだろう・・・

きょうは雪は降らないものの、どんよりとした1日。その冬の日がやがて暮れる。日の短いいまでは、もうそろそろ暗くなり始めている・・・

 

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雪の日

起床すると外は真っ白だった。だが、凍りはさほどでもなく、道路にはぬれ雪がある。5~6cmはあるだろう。しかし、それなりに轍は出来た。中央線のない道路は、その轍が3本だ。中央の轍は上り・下りの運転席側のタイヤが走る。

それでも時々は日も射して・・・しばしは雲の間が明るくもなったり・・・

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このあとは、こうした天気の日が多い。終日、日をみないことも多い、秋田の冬の天気である。もう2~3ヶ月は、我慢しなければならない。じっと耐えねばならない日が続く・・・

秋田県では自死が多い。特にこの冬場のそれが多いのは、こうした天気にもよるような気がする。暗い空は圧力を掛けるような不気味なもの、そんな冬空が人を追い込むのかも知れない。

秋田美人は色白だが、全体的に日射量が少ないことも起因しているのでは・・・そんな学者もおられた。北海道よりも冬は日射量の少ない秋田県だ。

暗い空が恐ろしい、見たくもない。それからの逃避が酒を呑むことにも繫がっているのか。秋田県は全国一の呑兵エだ。確かに秋田の冬空はどこかし恐ろしい、俺もそんなことを感じるときがある(なんてな理由で俺もbottle?)

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これからは特にそうだ。1週間も2週間も日を見ることのない場合もある。だから、秋田の人にとっては正しく冬とは闘うものなのだ。親しむどころではない。雪かきなどしないと生活が成り立たないことにもなる。しかし、朝の雪かきは大変な重労働だ・・・

それでも県内の内陸部と比較したら、雪の量は雲泥の差だ。屋根に上がって雪下ろしなどはすることがないから、雪との闘いは幾分救われる。

その雪による死亡事故がすでに起きている。豪雪地には村々に、「流雪溝」が設置されている。その溝には多量の水が流れていて、それに雪を捨てるのだが、作業中にバランスを崩して流されたり、また、堰や川に捨てていての事故が多い。

こんなときはやはり雪がなければ、雪はいらないということになる。雪の少ないわがまちでさえ、年間の除雪費が1億2千万円だ、秋田市では30億円等除雪にかかる費用も高額だ・・・こんな金額を費やしても残るのは何もない・・・

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雪国だから雪が降るのは仕方がない。でも、何とか大降りがないようにと願うのみだ。上の写真はわがまちにある棚田。撮影したのは今月の初めだった。もうあそこはすっかりっと雪に覆い尽くされているだろう・・・長い冬が始まっている。 

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秋田の車はいかがでしょうか?

秋田の某社では、こんなレンタカーを始める・・・

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例えばハンドルは、角館の伝統工芸である”樺細工”で纏われている。シンプルな一般的な黒もそれはいいもののこのハンドルは樺細工で作られている。茶筒、番頭箱、靴べら、煙管等々全国的な工芸品がものが車のハンドルに

こんなハンドルを握るとなれば、こころ浮き浮きして秋田路を快適にドライブ出来るのでは・・・よく考えたアイデアだと思う。

ヘッドレストに使われたのは”秋田黄八丈”だ。ハマナスの根で染めたもので、落ち着いた色彩。運転中は、あるいはハマナスの香りがするかも知れない。

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メーターパネルは、川連漆器の漆だ。

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こうした装備の車、秋田の伝統工芸を余すところなく、運転席を飾った、いわゆる「ご当地レンタカー」である。贅沢といっていい車だ。県外からの観光客に利用して頂き、秋田を感じ取ってほしいとのことで作られたrvcar

”走る秋田の工芸”ということになるこの車。来年4月から運用されるという。秋田に来られたら、ぜひこの車に乗って、楽しんでほしいものだ。

                    写真はNHKニュースこまちより

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米、豊作なれども・・・

農林省は12月2日、今年の稲作の作況を発表し、今夕はNHKニュースでも詳しく報じた。これによれば、秋田県の作況指数(平年作が100)は「やや良の104」ということだ。8月の出穂期以降の好天が大きく左右したという・・・

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雨がほしい、一雨でもほしい、そう願った8月の天気だったが、おりしも水稲にとっては登熟期、稔りに大きく影響したようだ。俺は、JAのカントリー出荷なので、自分の米を見てはいないが、人から話を聞けば「青米(登熟不良)」がなかったと言っていたから、着粒した籾がほとんど稔ったということだろう・・・

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上の写真は、秋田県内の状況だ。俺のまちは「県中央」だが、横手や大仙、湯沢等の県南地区よりは指数がやや低いものの、同じく「やや良」。ほぼ、10aで昔で言う9.5俵の収量だ。

俺の作柄は、JAからのデーターを見て試算すると「10a当り約9.5俵」でほぼ平均並みだ。やはり倒伏もなかったし、稗も平年以下だった。そんなことが功を奏したのだろう。勿論、俺の努力も・・・m9(^Д^)プギャー

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この結果、秋田県全体の収量が「約41万t」、これは新潟県、北海道に次いでの第3位。これはこれで喜ばしいことではあるのだが、このことはなかなか稲作からの脱却が進んでいないということもある。

全国的にも、28年度産米は「やや良」のようだ。秋田県は、全国的な平均収量、また、東北の平均収量よりも断然多い・・・

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このように作況の良い結果は、かつては喜びでもあった。農家はまちの消費経済に大きく貢献したものだ。なかなか手の出せなかったものを求めたり、遠方まで足を伸ばして慰安旅行をしたり・・・

現在はもうそんなことは無くなったし、豊作を喜ぶどころか、来年の米価のことを心配しなければならないのだ。肥料や農薬、或いは他の資材がどんどん高上しているのに、米価は下がり続けている。

俺たちのまちの「ササニシキ」は、1俵2万5千円していたことがあった。それが今では7千500円ほどだ。1/3、1/4までも下落している。それでも耕作面積の約40%は減反だ。踏んだり蹴ったりされているのが農家だ。

だから・・・早く離農した方が楽かも知れない。今ならば、作ってくれる人もいる。ただし、小さな田んぼは誰も引き受けてはいない。最近の報道であった。”農業を辞めたら生活保護”を受ける人が多いと・・・

それまでは多少とも農業収入があったのだが、それが入らなくなっては年金暮らし・・・それではほとんど食べることもならず、生活保護を受ける、我が家もおいおいそんなことになりはしないか、本当に不安であり、豊作は実は頭の痛い課題でもある。

     ~写真は12月14日、NHKニュースこまちより~

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折渡の千体地蔵

俺にとっては珍しい場所と思ってはいるのだが、皆さんは如何であろうか・・・

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ここは由利本荘市の折渡峠、ここには千体の地蔵様が並んでいる。この写真は、12月の初めに龍門寺にお茶の花を見に行った帰りに道に、俺はここに立ち寄ったのだ。「千体地蔵」だ。

ここは、峠とあるようにかつては交通の難所。だから、ここを通る人の安全も祈ったのだろうか・・・謂れを見ると約220年前に、由利の名僧・是山和尚によってここに、延命地蔵尊が建立された・・・

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その後、様々な人たちからの寄進された地蔵様が並んでいる。千体があるのかは良くは分からないが、入ると圧倒される。

地蔵様はイボ取り地蔵としても有名だ。それに地蔵様だから、子どもを守るということもある。俺の長女は、歯が悪かったのでこの地蔵様に何度か足を運んで、願いをしたものだった。

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当日は晴れていたので、木洩れ日の中に地蔵様は立っていた。おそらく寄進した人たちも何らかの願いがあって、一体いったいは願いそのものなんだと思う。

長女以外にも、健康に願ってほしいと何度か、ここを訪れた・・・その加護もあってか、皆すくすくと成長してくれた。長男が大変な時もあったのだが、それも救われたのはここの地蔵様から助けられたのかも知れない。

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我が家から、車では40分はかかるだろう。それでも何度か訪れたのは、やはり親としての願いをきいて頂こうと言う強い思いだったのだと思う。訪れたその日、もうそれぞれ二人の子どもたちの親になっている子どもたち、あの幼い時の顔が俺の脳裏に甦って来た・・・

ちなみに、ここは冬にはカンジキをはいて、詣でる「カンジキ詣で」が行なわれる。その写真が下のもの、由利本荘市のHPから頂いた。

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そして・・・夏の青葉の頃の地蔵様たち

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今年の一字は「金」

12月12日はご存知の「漢字の日」、日本漢字能力検定協会が平成7年に制定したものだという。「いいじいちじ」の語呂合わせでこの日を制定したらしい。この日には、その年の世相を象徴する漢字一字を選んで、清水寺で発表される。

その今年の一字は・・・「金」

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リオ五輪での選手が活躍し、多くの金メダルを獲得した事等理由になって、一字に選定されたようだ。確かに素晴らしい活躍だったから、選ばれた理由が分からないわけではない。だから、それはそれで素直に了解したい。

他に選定した理由には、アメリカ次期大統領の髪、つまり金髪も理由と言うから、それはどうなんだろう?

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その「金」、俺にはまったく縁のない代物だ。勿論、「お金」にもだ。年齢を考えると必要以上のものは望むまい。米を作って、年金を頂いてそれで由としたい。ただ、国会で採決されようとしている年金カット法案、或いはカジノ含むIR法案、等々「金」に絡むこのふたつの法案には疑問を抱いている。

好みから言えば、俺は「金」よりは「銀」の方が好きだ。1位よりも2位が好きな俺なので、その辺りが似通う部分があるかも・・・だが、2位は応援する甲斐があることもあるのだが、「銀」は「金」にはなれないんだよね・・・m9(^Д^)プギャー

いやいや俺が好きな色のひとつは「白」・・・

我が家の庭は、昨日、雪に覆われて白くなった。それがまだ残っている。残っている故に、他のものを浮き立たせているようだ。そのひとつ、実は昨日も挿入した写真だが、未だに紅葉を見せている柏葉アジサイ。雪を置けば、これまたいい!

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そして・・・ベランダのパンジー

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「金」よりも「銀」よりも、俺は「白」がいい!引き立つ役よりも、引き立たせる役の方がいい。花を引き立たせる雪のような生き方がいい。

   <上の写真2枚は、NHKニュースチェックより>

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冬が来た!雪が来た!

起床して障子戸を開くと・・・ブルブル寒い、窓から見えたのは白い風景だ。それでも2階の部屋も断熱リフォームしたせいか、10度以下にはまだなっていない。

とうとう冬が来たってな雰囲気、とうとう雪もやって来たなと諦めも半分・・・もう12月半ばになるのだから、いつ雪があっても可笑しくない時分なのだ。

居間に下りると妻が言う・・・「先ほど、除雪車通って行ったよ」と。路面には所々白いものの、舗装面は見える。除雪する雪はない。だから、俺は「ただ、通って行ったんだろう」と笑った。市では10cm以上の降雪があると除雪することになっている。だから、きょうは慣らし運転だったのかも???或いは除雪費稼ぎ???

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我が家の庭も白い。ヤブコウジが半分雪を被っている。でも、雪を被っているからこそ、そのつぶらな赤い小さな実も浮き立つ・・・

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こんな日ではなかったが、あの日も寒かった・・・きょうは父の命日だ。仏壇にあげるために、妻は黒飯をたいていた。あれから○○年だ。危篤状態を聞いて病院に駆けつけたが、俺は父の死に目あえなかった・・・今から思っても、父の齢はまだこれからという年齢だった。俺ももう少しでその齢に近づく。

交通事故であった。病院に搬送されて診察を受けたら、1週間ほど入院すればとのことだった。だから、暴れるのでとベットに手首を縛られる様を見ても、あと少しだからと黙って父を見ていた。

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ところがどうも変だ、ベッドで父は元気をなくしていく。そして・・・1週間で息を引き取った。あの頃、どうも先生の誤診ではないのか、1週間の診断が1週間で亡くなったことは、承服できないものがこころにはあった・・・

父は戦争で満州に出征した、衛生兵だったと聞いた。その苦労を俺には語ったことはないのだが、近くの戦友を訪ねるときはよく俺を連れて歩いたようだ。泊まることもあって、秋田市で泊まったとき、俺は漏らしたことを今でも記憶の底にある。

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早いもので、来年はその父が亡くなって、ひとつの節目にあたる。俺の高校進学では、父と考えが違え、正直、うまくいかなかった・・・俺は図面引く仕事がしたかったのだが、農家の長男だから農学校だと・・・父は俺の願望を受け付けなかった・・・

ただ、社会人になっての集落での呑み会のときだった。俺と懇意にしている先輩が、俺に悪いことしたと、おまえの父は言っていた、それを聞いた。父の俺への謝りを間接的に聞いたのだ・・・

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今にして思い悔やむのは、父とbottleを交わしたことがなかったことだ。父の年齢に近づいて来たら、無性にそのことを悔やむ。父も当初は呑んで来ては吐いてもいた。それを目にして酒は呑むまいと思っていたのに、俺も父のような体験をしながら、酒飲みになってしまった・・・

今頃は、そんな息子をどう見ているんだろう・・・

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再び・・・恵比寿様・大黒様

昨日は我が家の大黒様のことを書いた。書いたあとに少し調べてみたので、くどいのだがそのことを記させて頂く。

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このことは、秋田魁新報社が昭和56年に発行した「秋田大百科事典」によるものだ。

エビス様」は特に漁業の神と信じられ、水中から出現する神だという。男鹿などでは、大漁のハタハタ等を積んだ漁船が岸に着くと、「エビス様にあげる」と言って、一匹を海に落とすという。

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12月5日、この日我が家では「エビス様」ということで、焼きハタハタの膳をあげて、海の神様に感謝をする。エビス様は釣竿と手には鯛を持っている。メデタイということになるのだろう。

大黒様」は12月9日だ。右手に打ち出の小槌を持ち、米俵を踏まえていて、農神として崇められている。この日は、大黒様の年取りとも言っているようだ。

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この日の膳には、豆腐のでんがく、また、ハタハタのでんがくなどを供える。特徴的なことは、二股大根を供えることだろう(我が家では今年は二股大根がなく、普通の大根を供えた)。このことでは、きょう届いた三吉神社の広報に、権禰宜の原田さんの文章が載っていた・・・

大根や豆、ハタハタの料理を供えることは豊作と子孫繁栄の願いが込められているのだという。また、この日は、大黒様が妻を迎える日ともされ、まっか大根(二股大根)は大黒様の妻である、という説もあるようだ。言わば二股大根は女体だと言う説である。

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また、他には餅が好きな大黒様、たらふくごちそうになって家に帰る途中に腹痛を起こした。川端で大根を洗っていた嫁に「1本下さい」と頼んだという。そうしたら嫁は姑から本数を数えて渡されているので、あげることはできないと言った。だが、そばにまっか大根があり、一方をかきとって大黒様にあげたとか。これで大黒様は腹痛を治せた・・・こうした話も残っているとか。

いづれ根拠もない、言い伝えのひとつであるが、漁民や農民の願いが反映しているし、更には家の願いとしての子孫繁栄、それは労働力の維持と言うことも潜んでいるのではと、俺は思っている。機械のない昔は人が労働力そのものだったからである。

我が家では、今年もこの風習を何とか終えた・・・風習と言っても、かつてのことを全てやっているわけではない。言わば形のみの風習の継続だ。父がやっていたころは、でんがくの豆腐も大きく、しかも串にさして囲炉裏で焼いたものだった。

しかし、この気持ちだけでもおこなっていることは、父も喜んでくれるだろう。農村は変わった。農家も変わった。集落でこうしたことを行っているのは、おそらく我が家のみだろう。それでもいい、師走をこうして締め括ることが出来る事を幸せに思う。

皆様にとっても穏かな年の暮れであることを願いたい。

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赤と黄のカラスウリ

随分と「カラスウリ」のことで考えていた。直ぐに深く調べていたら、こんなにも考え込まなくてもよかったのだが、恥ずかしながらきょうはそのことを書くcoldsweats01・・・

考え込んでいたのは「カラスウリ」の色の事だった・・・

数年前の小学校の発表会のときだった。俺の隣りにいた某氏が、「カラスウリって”赤”だっけ?」と俺に聞いてきたのだ。なるほど・・・

唱歌「まっかな秋」の歌詞だ。

     まっかだな まっかだな つたの葉っぱがまっかだな

     まっかだな まっかだな からすうりってまっかだな

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                   上の写真はネットから頂きました。

確かに「カラスウリは赤い」という歌詞なのだ。では、何故「カラスウリは”赤”だっけ?」と聞いて来たのか、遅まきながらその意味が分かった・・・実は、わが地域のカラスウリは”黄”なのだからだ。

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そのカラスウリ、かつては土蔵等に今頃は、その黄色の実をならせていたものだが、昨今見かけない。山に行けばもう周りが枯れ色だから、なっていれば直ぐにわかるはずなのだが、昨日、仁賀保高原からの帰り際にやっと見つけた。それが上の写真だ。もう鳥に食われていた・・・

また、先日は街中で見つけた・・・薬局から出て一時停止をしたら・・・Sさん宅の前にそれらしきものが目に入った。下車して確認したら確かにカラスウリ。奥さんがおられたので話を聞いたら・・・今年は実が多くついたと言っていた。観賞用にしているのことだった。

俺は写真を撮らせて頂いた。このカラスウリ、植えたものではないようで、言わば自生のカラスウリ・・・鳥からの被害もなく、ブランブランと気持ち良さそうに揺れている。

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それはそれは見事なカラスウリだった・・・

東京の同級生もブログに、真っ赤なカラスウリの写真を載せていたことがあった。そこでいろいろと協議?したが分からない。結局、品種が違うのではないか、そこでろくに調べもしないで途切れたままになっていた。

そこで今夜はそれを調べてみた・・・努力家?の大将だm9(^Д^)プギャー

ウィキペディア>によれば、カラスウリはウリ科の植物で、つる性の多年草とある。朱色の果実と夜間だけ開く花で知られている。後者の方は、ブロ友の記事で実は知っていた。日本では本州・四国・九州に自生、林や藪、草木にからみついて成長するとあった。

そこを読んでいくと、”近縁種”として「キカラスウリ」があるとあった・・・わが地域にあるカラスウリはこれだったのだ。やはり品種が違っていた事になる・・・

また、カラスウリもキカラスウリも同様の薬効があるとも記されている。そのひとつに、果肉が粘潤性で、「しもやけ、ひび」等に直接皮膚にすりこんで荒れ止めにつかうとあった・・・

これまた勉強になった・・・

俺は子どものころ、手や足がしもやけになり半分痛く、半分痒く・・・それがひどくなると「雪やけ」となり、ウジュウジュしてよく泣いたものだった。そのときに祖母はカラスウリを採ってきてつけてくれたものだった。薬効を知っていたのかも知れない・・・

    <きょうはもうひとつ記させて頂く。>

この間は「エビス様」だったが、きょうは「ダイコク様」だ。エビス様を招待するのだという。ただし、ダイコク様は子が多いとうことから、我が家ではこの間の膳に箸は3本つける。また、子宝をということから、Yの字になった大根(わが地域では、まっか大根という)を供える。今年は我が家ではそれがなく、普通の大根を供えさせて頂いた・・・

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今夜は長々とお付き合い頂き有難うございました。

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仁賀保高原にて

「痛たたたた・・・sad」でも何とかして俺は起床した。隣り家の屋根にはうっすらと雪・・・

朝食後、先ずは歯医者だ・・・虫歯の治療をしていたが、今回の治療はきょうが終わりだ、歯磨きのやり方などを指導されて終った。次は来春だ、定期検査の案内が来るという。

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次に向ったのは整骨院wobbly先週から腰痛だ。なので整骨院で治療。きょうはそれで3日目。電気等での治療だ。本来ならば整形に行くべきなのだ。でも、整形はいつも混雑していて、受診するには1日かかる。だから、今回は整骨院に・・・

朝方の場合は少し痛みがあるものの、日中はそんなに気にならなくなってきた・・・こうして、もう半日を終った。

朝方の天気は予想に反して、日が差し込む小春日になった・・・

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昼過ぎには、隣り集落のTさんが旦那を伴ってやって来た。相談があると言うのだ。聞くと息子の仕事のことで、今やっている仕事を拡充したいのだとか、そのことでの相談だった。自分の頭のハエも払えない俺であるのに、幼なじみの言う事だから・・・

ふたりが帰った後・・・この天気にいたたまれず、俺は愛車の軽トラに乗って・・・dash

向ったのは「仁賀保高原」だ。鳥海山がとってもきれいに見えるから、写真を撮りたくて出掛けた。標高500mほどのこの高原、周囲はまだ雪がある。しかも、空は青い・・・俺のお気に入りに立ってもパチリパチリ・・・

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しかし、その日も少しづつ西に傾いていく・・・

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帰宅したら午後4時・・・我が家から見える巾山は、夕日にすっぽり包まれて村は滲むような色に満たされている。

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今夜はささやかにして、缶ビールを1本にした。食卓には「だまこ餅」、それに従兄弟から今夕に届いた「ハタハタ」の汁をすすりながら・・・昨日の酔ったあとでのブログ更新、今夜はほとんど正常だ・・・???と思いながらも何と言う文章だろう・・・と思うshock

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ひいちゃんに・・・

俺は今、泣いている・・・誰も近くにいないから、誰からも見られることはないから、黙って泣ける。俺は嬉しいのだ。嬉しくて、とてもうれしくて涙が止まらない・・・

夜、pcを開いたら、孫のひいちゃんが・・・正月に帰省するとの連絡はあったのだが、きょうのメールだと、誰かのライブがあって、それを観たいようだ。だから、ひとりでその日を待ちたくて、我が家に泊まっててもいいかい?というのだ・・・

勿論、俺はいつまででも泊まっていていいよ!って返信したが、ひいちゃんは俺にとっては最初の孫だ。小1のときだった。秋田に来たい、そういってひとりでリュックを背負って、ひとりで茨城からきたことがあった。

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娘の嫁いだ先のおじいちゃんから送られてきたのだが、俺は福島まで迎えに行ったことがある。そんな孫だっただから俺の娘のようで・・・weep

俺にとっては、最初の孫だった事もあり、もう意味などなくも俺は可愛くて・・・孫は「ひいちゃん」と名づけられ、俺のハートを奪った。

ひいちゃんはもう高校2年生だ。吹奏楽だった中学生が、今度はチアリーダー。思いっきり高校生活をエンジョイしているようだ。それでも生家を忘れない、俺たち夫婦にも気を使うし、俺などを今でも「としくん」という。娘の指導はあるのだろうが、俺を老いづかせない気心だろう・・・

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俺が遅くなってメールを開いたのは、遅くまで俺の仲間とともに、我が家で酒を呑んでいたからだ。仲間たちが、いつものように我が家のイルミネーションを飾ってくれた。さほどの照明ではないのだが、ここら近辺ではない灯りだ。

何とかしてわが集落にも灯りを!そう願って、イルミネーションを飾ったshineあれからもう4年・・・ささやかな灯りではあるものの、高い屋敷ゆえ結構目立つ。地域のささやかなシンボルだshine

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今朝は起きたら、ややうす白くなっていたベランダ。しかし、日中は良く晴れて、思いがけなくも小春日となった。

この先、年末を照らしてくれるささやかな我が家のshine、ひいちゃんの声もまた聞こえる!

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エビス様

我が家の風習は妻が守っている。俺などは忘れているのだが、厳格であった父のやったことを、妻は良く覚えているのだ。

実は昨日は「エビス様」だった。だと言っても特別なことをするのでもない。お膳のふたつに、ハタハタの焼いたもの、それに、新米のごはん、漬物などをあげる質素なものだ。

001 妻のそんな姿をみている俺は、今年、掛け軸を求めた。「大国主命」と「事代主命」の掛け軸だ。「大国主命」とは、出雲大社の祭神であり、いわゆる大黒様だ。

かつて出雲大社に詣でたときに、そこでの掛け軸は求めて来たものの、秋に飾りたいと新たに俺は求めたのだ。

「事代主命」とは、大国主命の子とされるが、細かなことを俺は知らない。この神様がいづれ「エビス様」のようである。

双方の神は、いわば海の神と山の神、俺はそう思っている。

で、昨日のエビス様。このエビス様が、大黒様を招待する、それが昨日であったのだ。

場所によってはエビス講と言って、秋の収穫が終れば村中の人が集まって、宴会を行なったものだ。

しかし、そんな風習を守っている村はない。考えれば、かつての村は裕福ではなかったと思うが、豊かであったとしか言いようがない。米の値が良かったこともある。その米が安いので、村中が集まっての宴会等は今は出来ないのだ。

我が家では、膳に新米のごはんをあげた。実はまだ新米を食べていない。米作り農家がまだ食べていないのは、昨年の米がまだ残っている事と、このようにして神様に上げてからという、そんな風習も維持している。

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新米はやはり美味しい。光りが違うし、香りもまたする。いづれ、お笑い種とは思うのだが、こんな風習があってもいいだろう、世の中、「謙虚」ということばも無くなっている。今年は特別に遅い我が家の新米であるが、そう思って納得している。

皿には焼いたハタハタ、まだ本格的な接岸はなく、沖合いで取ったハタハタだという。この方が魚は正直うまい。接岸するハタハタと違って脂がのっているのだ。そんな初ものも神様に食べて頂くのだ。

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膳の裏には昭和12年とある。膳を求めたその年なんだろう。

長年守られている我が家の風習、しかし、これも俺の代でなくなると思っている。息子は離れて暮らしているし、風習の意義を教えることも出来ない。他にもあるのだが、俺の代で時代を閉じねばなるまい。そう思いながら、俺は上げたお神酒を頂いた・・・

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「13年後を夢見て」のその後(枇杷のこと)

俺の投稿した文章が新聞に載ったのは、11月22日であった。俺は恩師の句集にこころさそわれ、そのタイトルだった”枇杷”を植えた。しかし、実がなるまで13年かかるという。果たしてそれまで生きていられるか?でもその年月を夢見る時間として、実のなるときまで元気に生きていたい・・・そんな主旨の俺の文章だった。

この俺の文章を見て遠藤さんが、自分も枇杷を植えていたが漸く花芽が確認できている、来春には花を咲かせるようだ。種を植えて13年だ、あなたの文章に納得している、そして、あなたの枇杷も13年後に実をつけるといいですね、と結んでいた・・・

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実は俺の文章が掲載されてから、色んな方から情報が届けられたり、電話もいくつかあった。きょうも遠藤さんの文章を見てから、俺に電話を下さった方もおられて、一度もあったことのない方としばし電話談義をした。

その方も枇杷は無理だと思っていたが、今いっぱいの花芽が見える。咲く頃には遊びに来て下さい、初めての方でも花のことになれば、仲良しになれることを実感した。話を続けていると、何と俺の結婚式の仲人をしてくれた先生の隣りの家だとか・・・

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俺は枇杷を植えるにあたって調べると、秋田ではむりなことが記述されていた。ただし、改良された品種「田中」は耐冷性があるとの記述もあったので、俺はその「田中」を植え、しかも冬の寒冷を考えて、家の中に取り込めるように鉢に植えた・・・

しかし、いくつかの話の中に・・・俺は植えたものではなかった、誰かが枇杷の種をぷいっとはいたものが育ったという人。それらしき話その後、数人からも聞いた。ならば秋田でも結構以前から育っていた事になる。

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この写真、我が家から100mあたり、昨日の住宅内覧会、その家と隣りとの境界に見えた、それも枇杷であった。こんな近くに枇杷が植えられていたとは驚きでもあったし、もっと早く関心を持っていたら、気付いたであろうに・・・

きょう別の件で寄らせて頂いたSさん宅にも枇杷が植えられていた。どうやら雪国秋田では育たないと言われているものの、日本海側は雪も少ないし、暖流が流れている。寒風や日当たり加減によっては無事に育つ、そのことが確認出来た・・・

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13年は待たなくても、○○酵素を使えば5~6年でも実がなるという方もいた。でも、咲くのをじっと待つ、それは夢を抱き続けられることだし、むしろ俺はその思いで枇杷育ちを見つめよう・・・そう思っている。

話を追加するならば、この枇杷の葉でお茶にも出来るとアドバイスをくれた「ちかよさん」、ブロ友と言っていいだろうか、この方ともあったことない。さらに、きょうは枇杷の葉を焼酎につけてエキスを取り出し、痛み止めにしている方もいた。

俺の拙い文章が、枇杷と言う木を元にして広がっている”輪”、それが”和”になて、”話”になっていることがとても嬉しい。この枇杷から新しい友人も生まれた。俺にとっては、大事なだいじな木になってきた。

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「家に帰りたくない」

帰り際に「家に帰りたくない、家に・・・」と泣いて止む事がなかった。そのままに車に乗せたので、あとは泣きつかれて眠って秋田に帰っただろう・・・

俺は涙腺の弱い人間だ、涙に脆くて孫のその声に涙を出してしまったweep或いはリップサービスであったのかも知れないが、そんなことを言われると胸中が抉られてしまう思いであった。

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息子家族が帰省したのは、昨夜の遅い時間だった。上の孫は、もうすっかり俺たちの顔も覚えてはいるのだが、下の10ヶ月の孫は、まだ俺たちをインプット出来ていない。顔を見ると大泣きをする。

息子は仕事で東根市に出かけた。午前10時、我が家から200mほど離れているSさん宅の内覧会に揃って出掛けた。入るとほとんどが洋間、畳の部屋は一部屋のみだ。それに収納スペースが多い。

家の中を拝見してから、親と子の体験コーナーがあり、椅子を作るのだという。早速、俺たちも申し込んで椅子の製作に入った。とは言いながらも、釘を打ったりドライバーで締めるところには釘穴がついており、楽に製作が出来た。

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出来た椅子に座って・・・ハイポーズ!

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内覧会での椅子の製作から帰ってからは、ババの葱の掘り取りに応援だ。マンションの12階にあっては、土を見る機会だって多くはないだろう。それに野菜の収穫などもまた、観たことがないだろう・・・

一ヶ月ぶりの孫、俺たちから離れない・・・

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昨日からきょうはすこぶるいい天気sun今年最期の小春日和かも知れない。だからやりたいことはある。あるのだけれども孫とわいわい遊んだり、しゃべったり、おやつを食べたり・・・

そして、帰り際に・・・

「家に帰りたくない」と駄々をこねた・・・マンションの12階では、人とあうことも多くはないだろう。地面を踏むときだって多くはないのだと思う。だから、多くの人との関り、或いは甘いジジ・ババを見て取ったのか・・・

今度会うのは正月だ、元気なままで正月を迎えたいものだ。

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「八重子のハミング」

hospitalにて検査を受ける日であった。土曜日ということもあってか、hospitalは混雑していた。それに、時折、子どもの泣き声も待合室には聞こえてくる。インフルエンザの予防接種のようだ。

俺は検査の前に文庫本を広げた・・・

俺は本のページを広げ、右手には鉛筆を握っている。そして、その手を時々動かす。人様は何をしているのかと、不思議そうに見ている視線を感じた。俺は、本の活字に目をやりながら、気に入った文章や会話、他に気になったりする部分に鉛筆で傍線をひくのだ。

昨日から俺が読んでいるのは・・・「八重子のハミング

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先月であったか、この本が映画化されるということをNHKで知った。内容にもいささか触れていたので、早速アマゾンに注文した。ただし、俺と同じような考えを持っていた人が多かったのか、注文してもなかなか届かなかった・・・

だから結局届いたのは、注文後、10日余りのことだった。

待合室・・・俺はページをめくりながら、胸に込み上げてくるものを感じていた。その思いを人様には気付かれないように、洟をすすり上げた・・・何度もなんども、そして・・・

夫婦とはこのようなものか、人を介護するとはこのようなものか、帯にもあったのだがまさしく現代版「智恵子抄」であり、目頭があつくなって来る・・・

作者は元学校の校長先生だ、その後、市の教育長になった陽(みなみ)氏で、ガンの手術を三度もしている。彼の妻も学校の先生で、ふたりは離島の学校で知り合い結婚した。その妻が・・・アツツハイマー病に。

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著者は結局、その妻の介護のために仕事を辞める。従って、本著は彼の奮戦記ともいうものだろうが、単にそれだけに留まってはいない。著者は、講演依頼があれば妻を同行させ、妻を見世物のようにして活動する。

著者の短歌に・・・

 講演に手を携えておちこちに妻曝けおるわれは鬼畜か

なぜか!それはその病気を理解して頂きたい、病人に何とかやさしくしてほしい、その思いが妻を連れての講演だったようだ。

アルツハイマー病とは脳が萎縮していく病気だという、だから少しづつ変化をもたらしていくといい、罹病すれば7~8年で亡くなるらしい。しかし、著者は懸命な介護をした結果だろう、妻八重子さんは11年も長らえたという。

おそらくこの本を目にすれば、目頭を押さえない人はいないだろう。あたり一面に尿びたし、あるときは自分の糞を食べている妻・・・それでも叱る事無く、妻を介護する姿はもうなんと言えばいいのだろう・・・

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今春に買った椿、小さい苗木なので今、1輪だけ咲いている。品種名を「参平つばき」といい、年に2度咲くと言うので求めたものだ。花にはこのように、1年に2度咲くものは椿の他にもある。

だが人生は一度だ。年若くして生を終える者、年若くして病気を得る者、そのような若くして旅立つ者も少なくはない。花を咲かせる前に旅立つ者もいる。

八重子さんはアルツハイマー病を得た。時には健康な人からみれば”失敗”にも見えるだろう。でも、八重子さんの世界と違うことなのだ。いつも歌好きな八重子さんはハミングだ。歌詞はでないが、メロディだけは口に出る。

200ページ余りの文庫本、でも、学ぶ事は多い1冊だ。

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哀しみの日に・・・

朝方の風はすっかり収まってはいるが、空は明るさも無く薄暗い・・・雪国特有の初冬の日。

昼近く、我が家からは1kmほど離れたSさん宅に弔問に出た。玄関を開けたら同級生だったHさんとばったり出会った。Sさん宅で亡くなられたのは、同級生Hさんの弟だ・・・葬儀はあしたなのだが混雑するだろう、きっとHさんも帰省しているはずだからきょう行こうと思ったのだ。

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佛前にて合掌したあとに、喪主、Hさんのお母さん、そして、Hさんに挨拶をして仏間を出た。お母さんとは仕事をしていたころにお世話になったし、その後も仕事に応援を頂いていた。息子を亡くされてどんな思いだろう・・・励ましながらも俺も涙声であった。

仏間を出たら、Hさんが玄関から追って来たのでほんの2~3分話をした。Hさんと話を交わすのはほぼ○年ぶりのことだ。33歳の年祝いをして以来のことだ。Hさんも頼りにしていた弟さんを亡くされ、悲痛な思いであるだろう・・・

それでもこの日が近いうちに来る事が分かっていたのか、淡々としたその時間であった。もうすっかりジジィの俺だから、この姿に愕然としたことだっただろう。が、Hさんはキュートな顔立ちはそのままで、東京で義母さんのために労わった時間など微塵も感じさせなかった。

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義母さんを看取ったあとに、pccameraを勉強したので、更新するブログの内容はとても深い。俺などはとても真似の出来ない内容だ。でも、小学生の頃から、その頑張りは見ていたから、今の頑張りにも驚かないのだが、丹念に考察しての文章、半ばプロ的に構成された写真・・・俺の記事とはあまりにも差があり過ぎる。

beerがだいぶ好きなようだから、このあと会うことが出来たら、子どもの頃に戻って話しがしたいものだ。とは言え、もう二度と会えないような気にもなり、弟さんの悔やみとともにHさんに会うための弔問であったかも知れない・・・

先日、ふたつ目の絵画展を観ての帰り道、某寺に寄った。山門をくぐって参道を歩んでいると、俺の目に白い花が留まった・・・。もしや?と傍に行くとやはりその花であった・・・庭木として植えたものだろうが、しばらくそれに目を・・・

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花はまぎれもなく「お茶の花」だった。実はわが集落の山林にも自生していた。一度、抜いてきて鉢に植えたことがあったが、何しろ12月・・・育つ事無く枯れてしまった。今でもそのことがこころに引っかかっていた。が、今は探しても山林にはまったく見えない・・・

実はこのことをHさんのブログにコメントしていたこともあり、お茶の木の花には特別な関心を抱いていた。その花が眼前に!何かめぐり合わせの様な不思議なものを感じた俺だった。

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お茶の木の花は白くて小さい。どこかしら夏つばき(シャラ)に似ている。この花はまるで、Hさんにも雰囲気が似ている。しかし、この花は間もなく雪を被ることになるだろう。きょうの再会と哀しみを伏せるようにして、雪を被ることだろう・・・

こんな哀しい場面で、○年ぶりの再会があるとは思わなかった。この年齢になるといくつもの哀しい場面に出会い、哀しみにも無頓着なことも正直ある。しかし、きょうはお母さんとの関係・同級生との関係で弔問にでたのだが、再会にしてはあまりにも淋しい場面であった・・・

   雪やがて白き小花を何事もなき日のやうに時たたまんか

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              改めて、故人のご冥福を祈るとともに、お悔やみ申し上げます。

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「神ってる」

今年の流行語大賞に・・・

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神ってる」が決まったと報道された(写真はNHKニュースW)。俺はその方にはまったく疎いので調べてみると、プロ野球広島カープの緒方監督が6月18日、2試合連続サヨナラホームランを放った鈴木誠也選手の活躍を「神ってる」と言った言葉だと言う。

要は「神がかっている」との言葉を短縮して言ったようだ。そう言えば、日本ハムのあれだけの差を飛んで、ついには日本一になったことも、やはり「神ってる」と言えるような状況だったのではなかったか!

「神ってる」・・・そうだったのかも知れない?

そのニュースに続いて報道された内容には驚いた・・・「カジノを含むIR法案」が審議されるというのだ。なぜ急に、何で今に・・・俺には「神ってる」?否、「狂ってる」としか思えない。いわゆる”ギャンブル”じゃないか。これで経済効果???

ところで同じ「神」であっても、こちらは待望の秋田の神の接岸である。「魚」+「神」と書いて「」、「ハタハタ」と読むその魚が初接岸したという。「魚」+「雷」と書く「」も「ハタハタ」で、雷が鳴り海が荒れるとハタハタは接岸することから、そのようにも書く。

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この時期、大量に寄って来るハタハタを「季節ハタハタ」(産卵のために接岸する魚群を、小型定置網や刺し網で取る)と呼び、港は活気づく。昨日は、男鹿市などで25キロが水揚げされたようで、今後、各地の港はしばらく賑わうことだろう。今年は昨年より1日遅い。

秋田県では県の魚になっていて、これを食べないと年を越せないものとなっている。一時は乱獲もあって、そのハタハタが取れなくなったこともあった。それを打開するために数年間休漁し、その結果、ハタハタ漁が復活した・・・

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ハタハタには鱗がない。それに違和感があって、西日本では食べないようだ。おそらく取れるのは北海道から山口県あたりの日本海側だ。従って、全国的には量も少ないのかも知れない。

ただ・・・秋田県にあっては、まさしく「神ってる魚」だ。俺が金融関係の仕事をしていたころ、ハタハタが揚がると漁民は○○万札をいくつも持ってくるものだった。ただ、今はハタハタの数は増えてはいるようだが、制限が続いているようだし、結果、価格も上がっていることから、県民も以前よりは消費も少なくなっている。

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我が家でもそうだったし、地域の家々ではハタハタを1箱単位で求めた。塩蔵して冬期間の貴重な魚でもあったのだ。

「神ってる魚」、まだまだ高いのだが、今月半ばにでもなれば、我が家の食卓にも上がることになるだろう・・・きょうから12月、このハタハタを食べる楽しみが待っている。

   <写真はNHKのニュースからのものです>

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