解けた謎・・・延命観音像出土をめぐって
昭和40年7月18日、わがまちの象潟漁港修築工事中、海底から「延命観音・・・」と読める石が発見された。石の大きさは長さ2m余、幅が1m90cm、高さも2mに近く、重量は14t近くあったという、観音像はこの石の縦の狭い面に刻まれていたらしい。
工事中に歴史上重要なものが、発見されるということは珍しくはない。これまたわがまちでの大きな発見だったのが、高速道の工事中に最大直径1.6m、長さが10mのケヤキが、地山に突き刺さった状態で出土したのも、鳥海山の噴火で一瞬にして埋もれたケヤキであることが確認されて大きな話題になった。
さて、発見された観音像だが、不思議なことにそれが東京の深大寺に祀られているのだ。俺の同級生は東京に住んでいるが、これを深大寺で発見し、「?」ということになった。俺は後で調べることを約束していたので、それをきょう実行した。雨でもあるので、ゆったりして約束していた、資料館館長にあって当時の資料等を見せて頂いた。
俺は前もってそのことを話していたので、彼はある程度調べていてくれた。そして・・・実は自分もそのことを不思議に思っていた。深大寺にも行ったことがあるという。しかし、彼の仕事の幅は広い。つい、そのことを詳しく調べることが出来ないでいたとか。
この「深大寺」を調べてみると、天台宗別格本山の仏教寺院で、山号を浮岳山だ。「だるま市」でも知られているようだ。天平5年(733年)、満功上人が法相宗の寺院として開創したと伝えられているようだ。859年には天台宗に改宗、1646年と1865年に火災に遭い、現在の本堂は大正年間の再建と記される(この行は、ウィキペディアより)
ふたたび観音像に戻るが・・・発見時のことが、五十嵐祐宏氏の「延命観音像の出土」に記されていた。当時、象潟港は修築工事最中、工事を請け負ったのは東京都三鷹市に本社がある永森建設だった。工事は漁港の拡張工事、陸地を海面から6m掘り下げて漁港にする。
工事は港と陸地を仕切るために堤防が必要だった。工事は陸地を掘り下げた最下部に割栗石を入れ、その上に基盤を作って、それに堤防を作る工事であった。ところが、割栗石を入れる位置で・・・即ち、地下6mのところで観音像が見つかった。
工事の主任は神保勘三郎氏、彼は前日に胸苦しい夢をみたようだ。その夢があって、いつもより不安感を抱きながら現場に向かった。そうしたら堤防工事の木枠が押し倒され防水帯が切れていた。事故であった・・・
神保氏は人夫を指揮し、木枠にワイヤーをかけて引き起こした。そこで彼は何か彫刻されているような石を発見したのだ。表面を洗うと「延命観音」の文字があらわれた。それを起重機でつることにした。しかし、つりあげることの出来る重量は8tまでだった。
<深大寺の延命観音>
ところがである。不思議なことにつりあげることができ、しかも、3tのブルで動かす事もできたのだ。しかし、折角の観音像も誰の関心も無くほぼ1年風雨にさらされていたという。そこに偶然にも永森建設の社長が現場を訪れた。昭和41年6月と言う。
そこで彼は、この観音像を東京に移そうと考えた。そうして、縁があって深大寺に安置される事になったのだという。それが上の写真の場所に祀られているのである。
ところが話はまだ続く・・・
観音像が東京に安置されたあとの象潟、漁港が竣工した数年後、漁船の沈没や海難事故が相次いで怒り、誰からとも無くもしやあの観音様を追いやったせいではないかとの憂いが募ったようだ。
そこで、漁協の有志が深大寺に赴き、祀られている延命観音を参詣して、模写勧請(もしゃかんじょう)し、自然石に観音像を刻み、堂宇を建立したという。それが象潟漁港にあり、俺もそこに入って手を合わせて来た。
明日早速、約束をしていた友人にこのこと知らせようと思っている。
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コメント
なるほど、象潟で発見された観音像が東京に行ったわけがわかりました。でも、なぜ観音像が地中に埋まっていたのでしょうね。昔の人が何かの祈願としてその地に建てたのでしょうか。仏像などの石像には、強い思いや願いが込められているのでしょうね。人の力を越えたものへの畏怖の念、そして手を合わす心、畏敬の気持ちが像を掘らせたのでしょうね。私たちもその心にふれてみるべきだと思いました。
投稿: はるか | 2016年10月12日 (水) 23時40分
よく調べられましたね。
そもそも、この延命観音像も災難に遭って地中深くで眠っておられあのでしょうかね。
それにしても、すべてに深い歴史があるのですね。
投稿: 京じじ | 2016年10月13日 (木) 07時32分
東京の深大寺、
去年3月までむこうにいたので
薔薇でも有名な深大寺には2度行きました☆
なんとも不思議で
とても神秘的なことですね。
手を合わせずにはいられません。
投稿: ホシノ | 2016年10月13日 (木) 12時12分
今ブログを拝見しました。私にもなぜ深大寺に故郷の延命観音像があるのかが、解明しまし、すっきりしました。今度帰郷したら、象潟港にあるという『模写勧請堂宇』にお参りしたいと思っています。延命観音の刻まれた大きな石は、深大寺で大切にお祀りされています。
でんでん大将様に調べて戴いたことに、深く感謝します。
投稿: きよかぜ | 2016年10月13日 (木) 15時02分
なるほど~素晴らしい。よく、ここまで、お調べに
なられましたね。感心してます。
そうですね。念が込められてたんでしょうね。
私も、心の中で手を合わせます(人><)
投稿: ヒナタ | 2016年10月13日 (木) 18時01分
はるか 様
入り江になっていた当時の象潟港、観音様を祀っていたのが、地震でもあって海中に・・・そう思うしかありません。いい勉強をしました。
しかし、そこを探らせたとは不思議としか言いようがありません。
投稿: でんでん大将 | 2016年10月13日 (木) 23時59分
京じじ 様
地震でもあって、海中に沈んでいたのかも知れません。でも、その海底から人を探させたことは、何かの力がそうさせたのでしょう・・・不思議です。
投稿: でんでん大将 | 2016年10月14日 (金) 00時02分
ホシノ 様
調べれば調べるほど不思議な話です。人の力の及ばない力が、観音様が人間を呼んだのでは等と考えるしかありませんね。
投稿: でんでん大将 | 2016年10月14日 (金) 00時05分
きよかぜ 様
俺にとってもいい勉強になりました。考えれば不思議な事の多い、この延命観音像です。資料館長もそう言っていました。
しかし、分からない事を調べるのは、実は楽しいものですね・・・。
投稿: でんでん大将 | 2016年10月14日 (金) 00時21分
ヒナタ 様
何かの導きがあって発見された観音像、もしも工事がされなかったら、発見もされなかったでしょうし・・・不思議な話です。
投稿: でんでん大将 | 2016年10月14日 (金) 00時23分