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御堂坂

我が家の傍には小さな坂道がある。「御堂坂」と呼んでいる。かつては高貴な方の御堂があったと言われているが、定かな話ではない。ただし、この周辺の地名は「御園」といい、近くの墓は「陵森」との地名で、読めないが由来を示すような石碑が建っている。「御」といい、「陵」といい、何かしら地位のあった方がここを開いたような気がする。

我が家の蔵の屋根もそうだったが、集落の中にも屋根は「能登瓦」が使われていた。地域は加賀藩からの落人とも言われている。我が家の屋号も「加賀谷」であった。古い墓石にはその苗字が見える・・・

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御堂坂を上がったところには、こんもりとした小さな丘があり、今では「金塚」と言っているが、かつて神社に鎮座していた石仏などが、ここに集められている。例の神仏混合からの命により、佛像関係はここにまとめられたようだ。

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また、ここには「新四国仁賀保八十八ヶ所」の石仏の39番目の太師像もある。

003何故、ここに?そこにもまた言い伝えが残っている。

船乗りの吉太郎の船が、江戸の向かう途中に嵐のため遭難!船は中国に漂着し、3年後には日本に帰って来たという。

ところが同僚は皆亡くなっており、弔うために名を「カラ坊」となって、全国を行脚した。そして、四国八十八ヶ所霊場の写しとして、太師像を八十八建立したのだ。

その一ヶ所が俺に家の傍の金塚にあるのだ。

俺のこの村・「樋ノ口」(今は集落)は、戦国時代から明治9年までで、それまでは「檜口」と呼ばれていたらしい(天正20年、1592年)。

それによれば、石高も載っていて「132石」。また、元治2年81865年)には、村は家屋が15軒、男37人、女39人とも記され、その家並みまで残っている。それに我が家の屋号も載っていた。

今では戸数こそ27軒となっているが、人口はそんなに変わっていない。

人口の出たところで・・・

蛇足と言えようが、この丘の道路面には下のような、石の小さな祠があって・・・

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  才の神、 男性器が飾られている。

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コメント

そこで長く暮らしていると色々な歴史があるのですね。
暮らしている集落は昔からさほど大きく変化せず、今日まで家を絶やさず営まれてきたのでしょう。これからも、そうして欲しいものです。

投稿: 京じじ | 2016年2月11日 (木) 08時47分


京じじ 様

有難うございます。
産まれたふるさとが一番です。

投稿: でんでん大将 | 2016年2月11日 (木) 23時38分

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