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若き日の放浪(北海道にひとり)

午前5時前後に俺は起床する。きょうもまた・・・軽トラに乗って先ずは田んぼ廻りだ。水口を開けて水を入れる。8時過ぎには今度閉めに行く。朝方の水を入れ、日中は止め水にするのは、分けつを促進するためだ。

カーラジオから・・・「きょうは何の日」が流れた・・・

俺にとって○十年前のきょう、そして今頃は函館駅にいた。ぐらっと地震があった。11時過ぎには駅から締め出され、外でぶらついていた時間だ。

俺にとっては、この日・・・期限付きの家出、そのスタートの日であった。リュックに着替え、カメラ、「大悲のごとく」と言う1冊の本が、俺の持ち物だった。財布には、1万円入っていたか?

001 その金は、前日、JAに行って父の口座から引き出したものだ。当時は、印鑑等どれでもよく、そこの家の顔が分かれば、貯払いは出来た・・・

それに本家の先輩から、キャラバンシューズを借りていた。

午前3時半ころだったか。リュックを背負って、俺は部屋の窓から外に出た。部屋には一枚の置き手紙を残して・・・

今頃の3時半は結構明るい。誰かと出会う心配をしたが、誰とも会わず、そのうちにトラックに乗せてもらって・・・R7を北に向かった。

当時は青森~函館は青函連絡船・・・

こうして俺の青春時代の放浪が始まった。

家出の理由は失恋であった。俺が恋した相手は農家の跡取りとして育てられた長女。だから農業にも嫌気をさし、農家の従属にはなりたくなかったから・・・或いは、この放浪で自分を捨てることになるかも知れない、そんな覚悟も実はあった・・・

003 

だが・・・歩いてみよう、歩くことになれば自分を立て直すことが出来るかも知れない、だから・・・先ずは歩け!!手を上げてのヒッチハイク。所持金は少ないので、1日の食事は2食。風呂に入りたくなったら、「ユースホステル」ここは1泊2食で当時は500円。

大沼YHでは、俺を見かねたらしく「ジンギスカン」を馳走してくれた。農家に泊まり頼んだら・・・「ああ、いいよ!」って牛舎の2階、乾草に寝転んだ・・・

バス亭にも泊まった。駅はどこでも夜は閉めているから、無料の泊まりとなればバス停。でも、北海道には熊が多い。それを思うと眠ることは出来なかった。そんなことで体重は激減?当時の写真見ると頬がこけている・・・

006 北海道を歩く人は当時多かった。電車に乗ればカニ族とも呼ばれた。ヒシカタの地だ。大方、歩くコースは似通ってくる。

こうして京都のAさん、大阪のBさんと親しくなった。天人峡では同じ部屋に泊まって相撲等とったっけ。

写真は摩周湖でのもの。きょうの写真はすべてボカシなのでご勘弁を!

知床等YHに泊まれば、当時はペアレントさんが食後話をしたり、歌を教えてくれた。まだ、流行っていなかった「知床旅情」もここで教わった。

然別湖は好きな湖だった。ボートに乗って向かいの山”唇山”が印象的だった。美幌峠は圧巻だった。まるで映画のようだった。そこから稚内、そして、利尻・礼文の島に渡った。ここの光景も強く印象に残っている。

007小樽、ニセコは放浪の旅の後半だった。羊蹄山・ニセコアンヌプリにも登った。

ニセコの泊まりはYH「チセハウス」であった。ここのは2泊した。ここの娘さんが、俺に親切であった。俺より3歳ほど上だったと思う。

後日、このチセハウスはなくなったことを知った。当時は篭島さんという方で、いまでも俺はその方を探している。

鈍行に乗ってふるさとに向かった。北海道でいろいろ考えるつもりであったが、ただただ歩き続けた・・・

羽後本荘に汽車は止まった・・・乗客が乗り込んで来た・・・そこで、「あっ!!!!」

母だった。俺は連絡等していなかったし、勿論、当時は携帯があるでもなかった。客車内で、母と会うとは想像もしていなかった。

母は「○○○」と低い声で俺の名を呼んだ・・・

その後、何を話したか、どう帰ったのか記憶がない。

008

思えば、本当に無謀な放浪であった。おおよそ一ヶ月・・・多くの人との出会いがあり、その人たちから助けられた。今ある自分は、あの放浪の旅だったのかも知れない。

失恋したはずの相手とは・・・その後、妹さんが跡を継ぐことになり、長女は俺に嫁いで来た・・・この妻とももう○十年・・・早いものである。

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コメント

でんでん大将さん、こんばんは。

いい話ですね。最後がよくてホッとしました。最後が逆ならコメントしていません(笑)

大将さんとは少し時代が違うのかも知れませんが、学生時代に北海道は2回ほど、学割の国鉄の北海道周遊券を使って目一杯旅をしました。大将さんと同じように、カニ族のスタイルでユースホステルとお金の節約のため当時私達の間ではステーションホテルと呼んでいた駅内で寝てしまうことがありました。

九州から周遊券に含まれる急行と普通電車を乗り継いで青函連絡船に乗っての北海道でした。北海道を離れるときには泣きたくなるような気持ちでした。

当時あった路線やユースホステルもなくなってしまったものもありますが、貴重な体験でした。

大将さんみたいなハッピーエンドではありませんでしたが、自分を成長させてくれたと思います。

投稿: omoromachi | 2015年6月13日 (土) 01時25分


omoromachi様

学生時代の北海道・・・記憶に残る旅だったのでしょう・・・
俺は傷心の旅でしたが、色んな方々に手を伸べて頂きました。駅では眠っていると追い出されました・・が、見ず知らずの俺を泊めて下さった方、倒れていると握りめしを恵んでくれた方・・・優しい北海道、また旅しておられた人々に助けられた北海道の旅でした。

投稿: でんでん大将 | 2015年6月13日 (土) 08時50分

そうですか、40数年前の昨日が家出の記念日ですか。
恋に敗れると思い切ったことをするものですね。
旅に出て一人になりたいのに、どこか人恋しさもあり、人との繋がりを求め巡り合う中で、失恋の気持ちも少しづつ整理されて行ったのでしょうかね。
でも、失恋したと思っていたのは大将だけで、彼女はそうではなかったのは、本当に良かったですね。
紆余曲折があった奥様をホント大事にして下さいね。

投稿: 京じじ | 2015年6月13日 (土) 17時53分


京じじ様

有難うございます。その切はお世話になりました。稚内で撮った3人の写真を、昨夜はしみじみ眺めました。

投稿: でんでん大将 | 2015年6月13日 (土) 18時13分

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