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ハツマンダ!キュウマンダ!・・・

サラシの幟には「正一位稲荷大明神」と書いていた。それを持った幼い俺たちは、先輩の指示の元・・・「ハツマンダ!キュウマンダ!・・・」と村中をくねった。そして、お札を渡して、1升の米を家々から頂いた・・・

夕方には、先輩方がそれを捌いてお菓子と交換し、大きい先輩順にお菓子の袋を渡された・・・誰も文句を言う人もいなく、言う術もなく、それが当たり前としてお菓子の袋をもらった。思えば懐かしい「初午」であった・・・・

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当時はそれでもそれほどのお菓子を頂けると言う事は珍しく、そんな日をとても楽しみにしたものだった。勿論、先輩は大きな袋として小さい子には小さな袋であった・・・

初午は子どもたちの村の行事であった。小正月を過ぎれば、初午に伴う役が発表され、夜ともなれば毎晩練習したものだ。それは獅子舞の練習だった。太夫様、獅子舞、太鼓、ジャガが主なものだった。

当時はこれを中学の目上の方が総指揮者・・・絶対服従であった。俺もその大方の役はやった・・・・・

初午の当日は、獅子舞・・・幟持ちの順で村中をくねった。家々に「正一位稲荷大明神」の札を配り、米を頂いた・・・幟は奉納されたもの、白や赤のサラシにそれが書かれていた。当時は村にも子どもが多く、幟も足りない状態であった。これに女子は加わることが禁止されていた。

くねるときに・・・意味の知らないわれわれは・・・「初午だ!」とも知らないで、ハツマンダ!キュウマンダ!等と叫んでいたのだ・・・今ともなれば、だれも違うぞと言う人もいなくて、歩いたものだ。

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このくねりは、隣り村の稲荷様までであった。ここはかつてこの地区の殿の舘があった場所、今は稲荷様が祀られている。だから、今でも地区の人々も、初午の日は油揚げと赤飯を持ってお参りする。

隣り村では今でもそれが続いていて、俺の幼なじみの家では獅子舞があった。

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わが集落ではもう男子がひとりだ。だからこうしたことも行なわれないが、懐かしく拝見した。こうした行事、おそらくこの集落でも今後はなくなる可能性が強い!

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コメント

伝統の風習が少子化の影響でなくなって行くのは,なんとも寂しい限りですね。
お祭りの行事を通して上下関係を学ぶ,いい機会であったのでしょう。

投稿: 京じじ | 2015年2月12日 (木) 16時41分

素晴らしい伝統文化です。
なんとか継承してください。
大将!お願いします!

投稿: とんぼ | 2015年2月12日 (木) 20時36分


京じじ様

子どもが減少して、伝承されてきた行事がなくなるのは淋しいものです。

投稿: でんでん大将 | 2015年2月12日 (木) 22時37分


とんぼ様

繋いでいきたい文化ですが、子どもはどんどん減少しています。いづれ淋しいことですが、消えていくかも知れません・・・

投稿: でんでん大将 | 2015年2月12日 (木) 22時38分

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