人間の「ゼロ」を裁けるか・・・映画「ゼロの焦点」
人は誰しもが”過去”を持つ・・・そして過去を積みながら人生を歩む。しかしながら、過去は楽しい思い出や明るいものばかりではない。人に知られたくないうっとおしい過去や、暗澹たる過去もひとつや二つは誰にでもある。
ここにやはり触れて欲しくない過去をもつ人間がいた。戦後間もない東京。俺は戦後っ子だからその悲惨なものは知らないが、皆それぞれ生きて行くのに必死だった時代である。危ない橋を渡ったり、犯罪もどきまでやって生き延びてたことを聞く。
それが、安定した豊かな時代になって、いかがわしい過去に触れられたらどうだろう。増してや幸福の絶頂期に、己の過去を知る人物に出会ったらどう思うだろう。今の基盤が崩壊されかねない不安に陥るのは難くない。
ところが偶然は往々にしてあるものだ。己の忌まわしい過去を知る人間同士が再会する。その出会いがドラマの発端になり、事件が起き展開していく・・・これが松本清張の多いシナリオである。
「ゼロの焦点」もまさしく、人間同士の忌まわしい過去をめぐって、その事が引き金となって人間ドラマが展開するのだ。そして思うのだ。一体誰が悪いのだ?あえて言うなら俺は時代が罪を負うべきではないのかと・・・・。
前述のように、あの時代は生きるのがやっとの時代、黙っていては死ぬのを待つだけ、そんな中では○○○のようにしてでも生きなければならなかったのだ。決してすべてを肯定はしないが、仕方のない時代だったと思う。
生きて行くにはそれしかなかった。これが出発点、つまりは「ゼロ」なのだろう。そして、それを深く掘り下げる・・・それが「焦点」なのだ。このタイトル本当にいい。「砂の器」も過去が原点となる、いくら過去を超越し名をなしても、所詮すぐに崩れる、まるでその幸福は砂の器でしかない。このタイトルもまた好きであるが・・・・果たしてあの混乱期に起こった、人の過去を誰が裁けるであろう。
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